第7話6章・ウィンダムにて。過去。
【6】
夕方。
ウィンダムの某裏路地。
軽いノックの音と共に酒場のドアが開く。
「すいません、まだ準備中で――」
そう言いながら顔を上げたのはマルクスだ。
その彼の顔がきょとんとしたものになる。
「シヴァ、どうした?」
「えへへ、ちょっと用事がありまして。お邪魔していいですか?」
「……あぁ」
後ろ手で酒場のドアを閉める。
カウンターの中からサリアも顔を出した。
「あれぇ、シヴァくん、どうしたの?」
はい、とシヴァが頷く。
「お願いがありまして」
「……まぁ、座れ」
自分が今まで拭いていたテーブルを示す。
シヴァはひとつ頷き、座った。その正面にマルクスも座る。
サリアだけカウンターの内部から二人の男を見ていた。
「近頃、ウィンダムを騒がせている飛竜乗りの強盗をご存知ですか」
「……そんなの居たかな」
「はい」
「で、まぁ、そんなの居たとして。お願いってのは何だ?」
「その強盗の隠れ家を――いえ、竜が居る場所を教えて下さい」
マルクスはシヴァを見る。
肩を竦める。
「おいおい、何の話だ、シヴァ。なんで酒場の店主がそんなヤツの住処を知らなきゃならないんだよ?」
「……」
「幾ら酒場が情報集まる場所とは言え、そんな場所なんて、なぁ?」
「――シヴァくーん」
カウンターに両肘を付いてサリアが言う。
「そういう事聞いちゃうと、もう戻れなくなっちゃうよ?」
「出来たら戻りたいんです。僕がそっち側行っちゃうと、ちょっと、兄や……世話をしてくれている人が哀しむと思うんで」
「都合いいねぇ」
サリアは瞳を細める。
普段の明るさが嘘のような、笑み。
「サリア! 何を――」
「マルクス、シヴァくんねぇ、最初から知っていてこっちで遊んでるの」
でしょ?
サリアの問い掛けにシヴァは笑う。
サリアは満足げに言葉を続けた。
「こっちが、裏側の世界の一端だって分かって、遊びに来てたんでしょ?」
「……はい」
「幾ら隠しても少しずつ匂うものね。そういう残り香、楽しんでたんだ」
「ま、まさか、おい、サリア!」
「この子、恐ろしいほど勘がいいよ」
サリアが笑う。
「表側においておくのが怖いほどの、人間」
マルクスは暫くシヴァとサリアを交互に見ていた。
やがて、椅子に座りなおす。
痩せこけた中年男の顔に、いつもと違う色。
瞳の色が深く見えた。
「覚悟している訳か? 裏側を利用する以上は、お前もこっち側の人間になる覚悟は出来てるのか?」
「さっきも言いましたが、それは嫌なんです」
「ふざけるな」
低い声。
瞳の色が深くなる。
既に、黒。
いや、闇。
「俺たちにだってルールはある。表側の人間に情報を流すような輩は裏側では不要なんだよ」
「勿論、それ以外の覚悟は出来てます」
「それは?」
「その他の代価なら、お支払いします」
「………金など意味は無い」
「お金とは言ってません」
ふん、とマルクスが鼻を鳴らす。
「何故、そんなにあの強盗風情の居場所を知りたがる?」
「飛竜が気になります」
「……あぁ、あいつが手先にしている風竜か」
「はい」
「関係ないだろう、お前には、シヴァ?」
「でも――」
たすけて。
「……たすけて、なんて聞いてしまった以上……放っておけません」
マルクスが短く笑った。
で、と、瞳を細める。
「それで命を賭けるのか?」
「何とかもう少し安くまけて貰えたら嬉しいなぁ、とは思っていますが」
「ふん」
最後まで変なヤツだ。
マルクスは普段と同じような笑い声を零した。
サリア、とマルクスが声を出す。
「毒杯を」
「はーい」
カウンターの向こう側でサリアが何かを用意している。
彼女はすぐさまこちらにやってきた。
いつも食事を提供してくれるトレイの上に、いつも酒を飲ませてくれるグラスを3つ乗せて。
見慣れた風景。
だが、並べられた紅いワインが、何故か、怖い。
マルクスがテーブルの向こうで腕を組む。
「此処にみっつのグラスがある」
「うち、ふたつには毒を入れた。猛毒だ。飲めば必ず死ぬ」
「……」
「ひとつはただのワイン。飲んでも美味いだけだ」
ルールは、と続ける。
「ルールは簡単。これからお前はひとつのグラスを飲み干す。それでお前が生きていたら、俺たちはお前が欲しがる情報を与えよう」
「……確率的にアレな賭けですねぇ」
「これでも十分譲歩している。お前と話すのは楽しかった。その礼だと思ってくれ」
みっつのグラス。
同じ量だけ注がれた、ワイン。
指先が伸びる。
右端。グラスに触れて――引っ込んだ。
シヴァは自分の指先が震えているのに気付く。
怖いのだ。
当たり前だ。
「――シヴァ」
マルクスが言う。
宥めるような声だ。
「お前が止めたいって言うのなら、これで終わりにしちまってもいい。俺はこのワインを流して、後は普通の食事と酒を出す。お前は夜中まで馬鹿笑いして、酔って帰ればいい。いつも通りの適当な日常を生きればいい」
なぁ。
「そんな、風竜乗りの強盗の事なんて忘れちまえ。お前とは何の関係も無いんだろう? 風竜が見たいなら草原に行けばいい。奴等は人懐こいから幾らでも遊んでくれる」
「――でも」
顔を上げる。
マルクスを見る。
「そうしたら、あの風竜は?」
「………」
「たすけて、って、見ず知らずの僕にまで助けを求めるような子は、どうなるんですか?」
迷った、右端のグラス。
手に取る。
「御免なさい。僕はもう、あの子を見捨てられない」
声を聞いてしまった。
それに答えてしまった。
こうやって、あの子を助ける方法を探している以上、もう、逃げられない。
紅いワイン。
血のように、揺れる。
その真紅を。
一息に飲み干した。
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