第7話2章・ウィンダムにて。過去。


【2】





 ――三年前。


 ウィンダム某裏路地にて、物語は始まる。




「――おい、シヴァ、大丈夫か」


 酒場のドアからよろめきながら出てきた若い男に、室内から頬のこけた中年男が声を掛ける。


 若い男――シヴァはへらへら笑って手を振った。


「だぁいじょうぶですよー、マルクスさん。僕そんなに酔ってませんってぇ」

「……十分酔ってるぞ。もう店仕舞いだ。家まで送るか?」

「後片付けもあるんでしょう? ゆっくり歩いていきますから平気ですよー」

「でもなぁその辺りで寝込まれちゃ」

「今日は風も温かいですし、死なないですよー」


 まだ何か返しかけたマルクスを押しのけて、女が店の外に出た。

 下着と殆ど代わらないような服を着ている女は、シヴァと同じようにへらへら笑いながら、手に持っていた紙を振る。


「シヴァくーん、忘れ物ー忘れ物ー」

「あれー」

「ほら、お兄さんからのお手紙ー、忘れちゃ駄目でしょー、はーい」

「有難うございます、サリアさん」

「はーい、おねーさんにお礼のちゅーは」

「はーい」

「きゃー」


 酔っ払い二人が抱き合ってじゃれている図に、マルクスの顔が強張る。


「おい、シヴァ。流石に人の女に手を出したら本気で怒るぞ」

「あれぇ、マルクスさん嫉妬ですかぁ」


 サリアの豊満な胸に抱き寄せられているシヴァが、にこにこと笑う。

 サリアに笑い掛けて、その腕から逃げる。

 そして、マルクスの前で満面の笑みで両腕を広げた。


「やだなぁ、僕が本当に愛してるのはマルクスさんですよ、ほらーちゅー」

「止めろ、馬鹿って、こら腕を離せっ! サリアも笑ってないでこの馬鹿を止めろ!! おい、いや、本気で止めて下さいって!!! 御免なさい!!」

「きゃはははははは、私もマルクス大好きー、ちゅー」

「お前らいい加減にしろー!!!」

 

 本気で蹴飛ばされた。



「もういいから帰れ、この馬鹿っ!!」

「はーい、また明日来ますー」

「シヴァくん、またねー」

「はーい」


 シヴァは笑顔で手を振った。

 ふらつく足で歩き出す。


 見上げると月が見えた。

 満月。

 奇妙なぐらい明るい。


 裏路地をそのままぶらぶら歩く。


 帰り際、サリアが手渡してくれた手紙を見た。

 つい先日、兄から届いた手紙だ。

 馴染みの酒場に持ってきた理由は、兄の手紙よりも同封されていた姪っ子の絵を人に見せたかったから。

 一度も会った事の無い姪っ子。今年で三歳になる筈だ。花なのか木なのかよく分からない植物と、それと同じサイズの人間が描かれている。ズボンを履いているので恐らく男性だと推測。


 兄の手紙が言うには、この男性がシヴァなのだそうだ。

 一度も会った事の無い叔父を想像して描いたらしい。


「残念ながら長髪ですけどねー」


 兄が短髪なのでそういうイメージで描いたのだろう。


 もうかれこれ7年ほど故郷のゴルティアには戻っていない。

 兄の手紙にはそろそろ戻ってこないかと書かれていた。

 仕事を手伝って欲しい、と兄らしい丁寧な文章で書かれている。


 ゴルティアの有力貴族である兄は、今は亡き父が趣味で始めた輸入業を本業として生活している。

 シヴァから見ると落ち着いたしっかりとした兄だが、他人から見るとやり手の油断ならない商人らしい。


 戻るのも悪くは無い。

 大学での研究――古竜学も楽しいのだけど、きっとそのうち飽きるだろう。


 いつもそうだった。


 自分は器用な人間だと思う。

 面白そうと思って手を付けた事は、殆どが人並み以上の結果を残せた。

 だけどやがて飽きてしまう。

 

 7年。

 持っただけよくやったものだ、と思う。


 しかし……戻ってどうするのか。

 兄を手伝って商人として働くか。


 それも楽しそうだが、さて、何年で飽きるだろうか。



「……どうしましょうかねぇ」


 月を見上げ、呟く。



 気付けば裏路地から抜けて、高級住宅街を歩いていた。

 この辺りは静かだ。

 高い塀の向こう、たまに犬が吼えている。

 

 月の光に照らされる住宅。

 外見が凝った作りものが多く、それだけでなかなかの見物だ。

 

 上を見上げながら、歩く。




 ――……



「……え?」


 シヴァは足を止めて辺りを見回す。

 声がした。


 かすれそうな小さな声。


 子供か……病人。

 そんな小さな声に聞こえた。


 左右にはそんな姿は無く、隠れられる場所も無い。

 酔いはすっかり冷めていた。


 耳を澄ます。


 ――……け……。



 声だ。


 何処だ?


 探る。


「……上?」




 ――たすけて。




 短く、頼り無いぐらい弱い声。


 見上げるシヴァの視線の先。

 巨大な満月を遮るように、大きなシルエット。


 飛竜だ。


 特徴のある四枚の翼。

 風竜である。

 誰かが背に乗っている。

 その背に乗っている人物が、大きな袋を抱えているのも見えた。


 風竜の羽ばたき。


 巻き起こる風。


「と」


 思わずよろめき、その場に尻を着いた。

 それでも視線を外さない。



 一瞬だけ、風竜と眼があった気がした。

 距離がある。

 気のせいだと言ってしまえば、それだけの。


 

 風竜は大きく旋回し、やがて夜の闇に溶けた。


「な、何だろう……」


 たすけて?


 呆然と座り込むシヴァの耳に、けたましい怒声と幾つもの足音が聞こえてきた。

 それが何かと判断する前に、目の前に数人の男が立つ。

 

 鎧に付けられた紋章には見覚えがあった。

 ウィンダムの紋章に、交差する剣を加えた――ウィンダムの自由騎士団の紋章。


 それは分かったのだが、何故、その男たちがシヴァに剣を突きつけているのだろうか。


 先頭の若い男が口を開く。


「賊め、ようやく捕らえたぞ」

「……は?」

「おとなしく捕縛されよ! 抵抗するなら命の保障は無い!」

「これだけ近くに居るんだから、怒鳴らなくても聞こえますよ……じゃなくて、賊? 捕縛って、え?」

「縄を」

「ハッ!」

「え、ちょっと、本当に待って下さいよ!! 痛っ、縛り方下手ですよ、お兄さんたち!」


 縛られた上に引きずられた。


「待って下さいよ、何がなんだか……痛テテ、お願いですから立ち上がるまで待って下さい!!」

「話なら本部でゆっくり聞こう」

「だぁかぁから、立ち上がるまで待ってって!」

「さぁ行くぞ」

「人の話を聞いて下さいよぉ!!!」


 何がなんだか。


 本気で泣きそうだった。

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