第7話3章・ウィンダムにて。過去。



【3】





 自由騎士団本部、留置所。

 正直、こんな所で一晩過ごす羽目になるとは思わなかった。

 幸いにも同室の人間はおらず、一人で薄汚いベッドに転がってぶつくさ文句を言っていた。


 文句にもすぐに飽きて――思い出したのは、『たすけて』の声と風竜。


 誰の声だったのだろう。

 そして、風竜。

 人が背に乗っていた。竜騎士か?


「……うーん」


 情報が足りない。


 此処最近、研究所に引きこもりだったのが痛い。


 足音。


 シヴァはベッドから身体を起こす。


 鉄格子の向こう、シヴァに剣を突きつけた男が一人、立っているのが見えた。

 改めてその姿を見る。

 この大陸では珍しい黒髪を短く刈っている。その下にある顔は真面目一色な若い男だ。

 

 瞳の色は、紫。


 紫色の瞳の人間は、正義感が強い。

 だけど思い込みが激しく、暴走癖がある。

 

 ……正直、得意な相手ではない。


 男は無言のまま牢の鍵を開いた。

 鉄格子が開く。


「出ろ」

「釈放ですか?」

「出ろ」

「はいはい」


 男に言われるまま出た。

 横目で名札を確認。


「ライデンさん?」

「な、何故私の名を」

「名札に書いてます」

「……む」


 慌てて隠した。


「で、御免なさいの一言も無いんですか? 誤認逮捕でしょう、これ」

「……まだお前の疑いが晴れた訳ではない」

「強情なんだから」


 ライデンはひとつ咳き込む。


「朝から本部の前に老人が現れて、一番弟子を帰せと大騒ぎだ。しかも老人は――」

「国立大学の古竜学の第一人者ですからね。適当にも扱えないでしょ。教授のとりなしでとりあえず僕の身分が判明したから、連絡先を確認した上でいったん解放、ですか?」

「……そういう事だ」

「このまま取り調べしてくれてもいいんですよ? 僕は何もしてないですし。第一、何で捕まったのかも分からないんです」

「………」


 ライデンは少し呆れたような顔をした。


「……飛竜乗りの盗賊の事は知らんのか」

「……?」


 首を傾げる。


「風竜と、それに乗っている男は見ましたが――」

「な、犯人を目撃したのか!」

「うわ、って、襟元掴まないでぐだざ、ぐぐぐぐ」


 首が絞まっている。


「話せ! 早く、さぁ!!」


 首を絞めるライデンの腕を何度も叩く。

 タップタップ。


「此処では話し難いだろう。さぁ、こっちの部屋に来い!」

「………」


 既に半ば意識を喪失していた。






 どう見ても取調室の椅子に座らされて、呼吸確保。


「……死ぬかと思いました」

「何故だ」

「……いやぁ、貴方って凄い暴走人間ですね」


 気付いてないとは。


 テーブルを挟んでライデンが座る。

 

「さぁ話して貰おう。昨夜、何を見た?」

「こっちも話して貰いたいですよ。あれは何ですか?」

「………」

「あれが何か分からない以上、何処まで話していいものか分かりませんよ。一般的に流れている情報でいいんで、下さい。――お願いします」

「……うむ」


 頭を下げるとライデンは仕方なしのように頷いた。


「二ヶ月ほど前からだ」


「高級住宅地を狙った、連続強盗事件が発生している」

「……二ヶ月、とは、変ですね。僕も知らない」

「表向きにはしてなかった」


 ライデンは視線を動かす。

 壁。

 そこには、ウィンダムの紋章がある。

 自由の象徴、風竜。


「風竜が犯行に関わっているなど、一般市民には伝えられない」

「……」

「風竜で進入、破壊行為を行い、金目のものを強奪する。幸いにも死者は出ていないが――今後も出ないと言う保障は無い」

「……飛竜はそんな事をしません」

「当たり前だ!」


 テーブルを叩いたライデンの右手。

 手袋に包まれているそれが、あからさまに人と違った。


「竜騎士も、そんな犯罪行為などしない! 竜騎士が誇りを失えば――」

「竜は人を背から落とす」

「……そういう事だ」


 少々驚いた表情でシヴァの顔を見る。

 竜騎士の間でよく伝えられる言葉。それをシヴァがあっさりと口にした事が少し不思議だったらしい。


「と、とにかく――どのような輩が犯人か分からないが、何故に飛竜が己の背をいまだ許しているのか……それが分からん」

「………」

「此処半月で犯行のペースが早まっているのも問題だ」

「……多少暴れても、捕まらない自信が付いたんでしょうね」

「……悔しいがそういう事だ。この自由騎士団を舐めてかかっている」


 で、とライデンが促す。


「お前は何を見た?」

「間違いなく風竜と、それに乗っている男」

「間違いなく人間か?」

「距離がありましたから、エルフと人間の違いは分かりませんが、確実に人型の種族でしたよ」

「風竜も本物か?」

「7年、古竜学を研究してます。竜に関する知識なら、竜騎士にも負けませんよ」

「……あぁ、飛竜の歴史を研究する学問か。その研究者なら間違わないだろう」


 ライデンが立ち上がる。

 部屋の隅に置かれた小さなテーブルから水差しを取り上げた。

 氷が入っているらしい。からからと澄んだ音がする。


 硝子のコップに水を入れて、シヴァの前に差し出した。

 自分の前にも同じようにコップを置く。


「有難うございます」


 正直、助かる。

 よく冷えた水を口に含んだ。


「あの」

「ん?」

「声を、聞きました」

「声?」

「誰の声か分かりませんが……」


 コップの中の水面を覗き込む。


「たすけて、って」


 ライデンはこちらを伺うように見ていた。


「屋敷の中の声を聞き間違えたんじゃないか?」

「……そうとは思えなくて」

「では、なんだ?」

「……何でしょう」

「まさか犯人の声と言うなよ? これだけの犯行を重ねている人間が助けを求めるなど、馬鹿らしい!」


 ライデンは乱暴にテーブルを叩いた。

 自分の前に用意したコップが倒れ、水がテーブルに広がる。

 ライデンは舌打ちし、ハンカチを取り出すと拭き始めた。


 右手の手袋まで水が伝わっている。

 人の肌ではない色が透けて見えた。


「……」


 シヴァの視線に気付いて、ライデンは軽く迷うような表情を見せた。


「まぁ、古竜学の研究者ならば気にしないだろう」


 濡れた手袋を取る。


 ライデンの右手は人の手ではなかった。

 竜の鉤爪。


 小型ながらもそっくりそのままだ。


 鱗の色は濃い紫。


「……雷竜ですか?」

「そうだ」


 手を払う。

 雫が軽く飛んだ。


 シヴァはその右手を見る。

 笑った。


「見事な契約の証ですね」

「……」


 ライデンの表情。

 少しだが、嬉しそうなものに見えた。


 それを誤魔化すように鼻で笑う。


「気持ち悪がる人間も多いぞ」

「理解出来ません」

「……あぁ、そうだな」

「あの、見せて頂けませんか」

「物好きだな。流石研究者だ」


 笑って、ライデンは右手を差し出した。

 袖から覗く範囲すべてが竜のものになっている。


 指の数は四本。完全に竜状態だ。


「――竜は人を信じ、地に這い」

「人は竜を信じ、空に舞う」


 シヴァが呟いた言葉をライデンが続ける。


 思わず顔を見合わせ、笑う。


「古い詩を知っているな。サーハスの詩集の冒頭分だろう」

「結構前ですが、読みました。竜騎士が書いたって言われる本。参考になりましたし……素敵でした」

「あぁ。少々女々しい分もあるが、全体的には悪くない」


 小さな爪までも竜のものとなっているのを確認し、ライデンの手を離す。


「有難うございます。――自由騎士団に雷竜乗りが居るとは聞いていましたが、まさか、契約の証まで拝見出来るとは」

「滅多に見せん。この証も、シグマも」

「シグマが竜の名前でしょうか」

「そうだ」


 思いつき、シヴァは言葉を続ける。


「シグマの言葉は分かりますか?」

「……厳密には分からん。だが言いたい事は殆ど伝わる。シグマの方は私の言葉を理解しているが」

「なら――」



 たすけて。



「あの言葉は、風竜のものではないのでしょうか?」

「飛竜が言葉を話すか」

「でも、こう、意思を伝える方法があって――」

「竜と竜騎士の意思疎通は魂の一体化があってこそ。そうでもない人間に、どうして竜の言葉が通じる?」

「……そう、ですよね」


 当たり前の事だ。


「他に何か思い出せる事は無いか?」

「……いえ、特には」

「ならば話は此処まで。外まで送って行こう」

「大丈夫ですよ」

「本部内部で迷われても困る」


 行くぞ、と、立ち上がったライデンはすぐさまその右手でシヴァの手を掴んだ。


 竜の右手。


 それで触れて貰えるのが、何となく嬉しかった。


「でも本当に見事な証ですね。今度、是非シグマにも会わせて下さい」

「あいつは気性が荒いぞ。お前のような軟弱男には荷が重い」

「分かりました。大学を通して依頼を出せば良いんですね?」

「……人の話を聞かない男だな」

「ライデンさんといい勝負ですよ」

「私は人の話をよく聞くぞ」

「雷竜乗りが嘘ついちゃ駄目ですよ」

「私は竜とこの証に賭けて嘘など言わん!!」

「……じゃあ気付いてないんですね……」


 そっちの方が重症だ。


 本部の入り口まで送ってもらった。


「何か思い出す事があればいつでも連絡をくれ。私は外回りに出ている事も多いが、お前の名前を通しておく」

「分かりました」

「では」


 ライデンは騎士らしく敬礼するとすぐさま本部内に戻る。


「……」


 シヴァは空を見上げた。



 青空。



 たすけて、の声が聞こえた気がした。


 風竜。



「……本当に、貴方の声じゃないんですか?」


 記憶の中の風竜に呼びかけた。



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