第6話2章・ゴルティアにて、少し過去。
【2】
執務室でのジュディとの会話の数日後。
「――あれ、ベルグマン?」
竜舎内でベルグマンを見つけた。
竜舎の前にココを預けてそのまま城へと向かうつもりだったが、ベルグマンの姿を見つけた以上は話は別だ。
名を呼ばれた事で彼も気付いた。顔を上げてシヴァを見る。巨大な翼が軽く動いた。機嫌は良いようだ。
その大きな姿の前に立つ。
「珍しいですねぇ、どうしたんですか?」
ベルグマンは滅多に城に来ない。
その滅多にない状況が起きる原因を考えるが、思い付かない。
「どうしんたです?」
ベルグマンに問うてみるが、飛竜は言葉を話せない。ゆっくりとまばたきひとつするだけだ。
「――シヴァ?」
呼び掛けは竜舎の入り口側から。
あまり聞き慣れない男の声だった。
顔だけそちらに向けると、鞄を持った男が竜舎の入り口に立っている。今にもずれ落ちそうな丸眼鏡の奥から小さな目が不思議そうにシヴァを見ている。
彼はこの竜舎の世話役の一人、デニスだ。
もう50歳を超えた年齢の筈だが、童顔なので多少若く見えた。
重そうな鞄を持ってよろよろと歩くさまを見て、慌ててシヴァを駆け寄った。
「手伝いますよ」
「有難う」
鞄は重かった。
結局、二人で運ぶ事になった。
「なんですか、これ?」
「診察道具さ」
「診察?」
「ベルグマンのね」
思わずベルグマンを見上げる。
特に動じた様子は無く、シヴァとデニスを見ている。
「……病気なんですか?」
「まさか。完全な健康体だ」
「なら」
「こいつの片割れは心配性でね。半年に一度の定期健診を欠かさない」
「そんなに簡単に病気になるんですか、飛竜って」
「40年は竜を見てきてるが、病気になった竜は一匹だけだ」
「どの子ですか?」
「ベルグマン」
顎で示す。「風邪を引いた」
思わず噴出した。
「な、なんで風邪なんて?」
「うちのシュリと一緒に真冬に水遊びをしてね。それで風邪を引いた」
シュリはデニスの愛竜。
60歳ぐらいの水竜だ。
デニスは昔、竜騎士団に入団を希望していた。
が、生まれ付き呼吸器の発作を持っていた彼は、体力検査で落とされた。
それでも竜に関わる仕事がしたいと、竜舎の世話役になったと聞く。
かつては大陸最強を誇ったゴルティア騎士団も人数が減り、デニスにも入団の誘いが来ているようだ。
「この年で今頃新人竜騎士は嫌になりますよ」と彼は断っているらしいが。
シヴァはベルグマンを見た。
ベルグマンは顎をぺたりと床に付けている。
過去の自分の恥をばらされて、恥じているように見えた。
本当にこういう姿を見ていると、ジュディの言葉を疑いたくなってしまう。
「デニスさん」
「ん?」
鞄から道具を取り出しているデニスが、作業を止めずに声だけを返す。
「ベルグマンって強いんですか?」
「竜の強さは純粋に年齢と比例する。ならベルグマンは90歳強だし――100歳を超える飛竜は殆ど居ないからね。強いだろう」
それに、と。
「この子は良い性格をしている。――昔は他の竜が傍に居ると落ち着かない性格だったが、今はほら見ろ、こんなに安定した性格だ。戦場でもこの安定感で構えられると、周りも自然と落ち着いてくる。良いリーダーとなる竜だ」
「そうですかぁ」
ベルグマンの鼻面を撫でた。
他の金竜はパートナー以外に触られるのを嫌がるが、ベルグマンはそうではない。
むしろ気持ち良さそうに喉を鳴らす。
猫のようだ。
「この子が居たからゼチーアさんが副団長に選ばれたって話、聞きましたよ」
「ん?」
デニスがようやく顔を上げる。
床に座り込んだまま、シヴァを見る。
不思議そうな顔。
「それは――半分正解で半分間違いだな」
「え?」
「冥王戦で戦死した、前の副団長の遺言もあった。それがなきゃ、二十歳超えたばかりの若造が副団長になんて選ばれんさ。幾ら竜が優れていたとしても、な」
前の副団長。
記憶を探る。
「……ええと、ランディとか言う人でしたよね」
「そうだ。コーネリアの息子、ディックのパートナー。金竜乗りには珍しいぐらい勇気がある男だったよ」
思い出す瞳の色。
デニスの口の端に浮かぶ笑み。
「――軍を半分に分けて、半分は死竜部隊にぶつけ、残り半分は冥王の城へと直接挑む。対冥王部隊の指揮官がランディだった」
「……あぁ」
ゴルティアの竜騎士団の半数が壊滅したと言われる戦い。冥王との戦いで最大の被害と言われる。
「あの部隊で生き残ったのは、ゼチーアとジュディだけだった。後は皆帰ってこなかった」
「……あれ」
手を上げて、デニスの話を制止。
「ちょっと待って下さい。冥王の城に挑んだ竜騎士は全滅だったんですよね?」
「城に挑んだのは、な。ゼチーアは冥王の城門を守護する魔物と戦って重症を負った。戦えないと判断されて、その場で帰された」
唯一の女性騎士だったジュディも、『負傷騎士を本国へ送り返す為』と言う理由で帰された。
二人の帰国の直後。
ランディの部隊全滅の知らせが届いたと言う。
「ランディは自分に何かあった場合、後任をゼチーアに任せるとテオドール殿に伝えていたらしい」
「……それで副団長ですか」
「そういう事だ」
デニスはまた仕事を始める。
何に使うか分からない器具ばかり。
「――ディックは見事な金竜だったよ。なんせ、あのコーネリアの息子だ。もう少し生きていたら、どれほど強い飛竜になったろうな」
なぁ、と呼びかけられ、ベルグマンは小さく吼える。
同意の声に聞こえた。
「出陣の前日に――全員にシュリの鱗を付けてやったんだ。銀竜に負けるが、癒しの力があるからな」
デニスは寂しげに笑う。
「まぁ、効果無かったんだろうなぁ。金竜が一撃で殺されるような攻撃だ。癒しの力を使っている余裕も無い」
「一撃……」
「連絡があった」
デニスは視線を入り口に向ける。
入り口の隙間から、ココが顔を覗かせていた。
シヴァと目が会うと嬉しそうに鳴いた。
デニスはそのココの様子に微笑む。
「風竜乗りが一人同行していた。どうしても勝ち目の無い場合はそいつ一人だけが先行して脱出し、冥王の城の内部情報や、敵の強さを報告するって事で」
ある意味、全滅覚悟、相打ち覚悟だったのだろう。
「その風竜乗りは、念話のマジックアイテムを持っていた」
これぐらいの、と、指先で小さな円を描く。
「水晶球で、それに言葉を封じて破壊すると、あらかじめ決まった場所に言葉を届けてくれる、って言う」
本当に最終手段。
風竜さえも逃げられぬとそう判断した時の。
「覚えている」
デニスは呟くかのような声で言う。
「『ランディ以下、金竜騎士団全滅。全ての竜が一撃で戦闘不能。敵は現在もこちらを追跡中。逃げ切れません。交戦します』」
「……風竜が逃げ切れない?」
風竜は飛竜の中でもっとも早く飛ぶ。
最高速度に乗った風竜に追いつける存在など、シヴァは知らない。
「もしかすると怪我をしていたのかもしれない。翼を負傷していたのなら、流石の風竜も速度は出ないからな」
「……」
「しかし、まぁ」
ココをまだ見たまま、デニスが口を開く。
「風竜よりも白竜に乗った方がいいってぐらいの臆病者だった。それが……なぁ、戦い覚悟するほどの場所だったとは……恐ろしい場所だな、冥王の城は」
おい、とデニスが言った。
「ココが来たがってるぞ。呼んでやったらどうだ?」
「はい」
おいで、と呼びかけるとココはすぐさま飛んできた。
シヴァの横に行儀良く座る。
ベルグマンはココをちらりと見て、やはりのんびりと首を伸ばした。
「シヴァ」
「はい」
「まだ冥王の城は閉鎖中なのか?」
「封印の呪文が解除された、って話は聞きません」
「くそ」
デニスが珍しく忌々しげに呟いた。
「あのクソ勇者め」
冥王と勇者の最終決戦後。
勇者とその仲間である魔術師の手によって、冥王の城は封印の魔術を掛けられた。
現在でもその封印は続き、誰一人として冥王の城へと踏み込めない。
冥王の城へ挑み、帰ってこなかった者も多い。
遺体を、無理なら遺品を回収したいと望む者も多いのだが、勇者たちは決して封印を解かなかった。
「勇者なんて言ってるが、下々の人間の事なんてどうでもいいんだろうな。世界救ったって有頂天になってる大馬鹿者としか思えん」
デニスは言う。
声に怒りが滲む。
「まだ冥王との戦いが終わってない奴等も沢山居るんだ。――家族の、仲間の死を確認出来ないでいる奴等も沢山居るんだ」
砂粒よりも小さな希望だったしても、まだ家族や仲間の生還を期待している人も居る。
帰りを待ちわび、いつか帰る人の場所を守るのも戦いならば、確かに彼らの戦いは終わっていない。
死を確認するまで、彼らは戦い続けるしかない。
ベルグマンが小さく吼えた。
巨大な頭を軽く上げ、デニスの腕を鼻面で押す。
デニスは口を閉ざした。
後悔の表情が一瞬浮かび――それが消え、やがて、微笑。
「あぁ、有難う、ベルグマン。大丈夫だ、すまん。怒鳴って悪かったな」
ベルグマンはもう一度小さく吼え、頭を元の位置に戻した。
「私が怒鳴っても仕方ないな。私は幸いにも生きている。家族も皆無事だ」
私よりも竜騎士団の生き残りの方が辛かった。
シヴァは何も言わない。
ココは軽く首を傾げるように聞いている。
「ランディの部隊全滅の知らせが届いた後は――酷かったな。特にテオドール殿は弟か息子を失った気分だったに違いない」
再度、冥王の城へと挑むべきだと、そういう意見もあった。
ゴルティア最強の飛竜、コーネリアはまだ存在する。彼女を中心とした部隊を組んで、と、言う意見が、人の騎士団から上がったらしい。
が、無理だった。
死竜との戦いは流石のコーネリアも無傷では済まず、喰らった毒を癒すのにやや暫くの時間を必要とした。
戦力も足りなかった。
そのテオドールたちを臆病者と罵った人も居た。
誰よりも冥王に挑みたかったのは、テオドールたちに違いなかったのに。
「はっきりと言えば、冥王の城へ挑んだのは失敗だった。死竜部隊を封じ、城ががら空きの隙に――なんてのは、無理だったんだ」
「誰もが冥王の力を侮っていた。死亡者が出るのは覚悟していたが、誰かは生き残り、勝利を伝えてくれると信じていた。――金竜の乗り手らしい自信過剰ぶりだと、今なら思うよ」
苦笑。
「そして、あの勇者が現れた」
その後の話はよく知っている。
新たな英雄譚として語られる物語。
シヴァも幾つも聞いていた。
デニスは軽く肩を竦める。
勇者をあからさまに罵るような事はしなかった。
だが話すつもりもないようだ。
「――デニスさん、色々とお詳しいですね」
「そりゃあなぁ、もう40年も此処に居るしな」
「今度も色んなお話、伺いに来ていいですか?」
「ん?」
デニスがシヴァを見る。
眼鏡の奥の瞳が笑っていた。
「私を良い情報収集相手と思っているのかな?」
「実は」
「素直に頷かれると断れないな」
じゃあ、まずひとつ。
「重症を負って戻ってきたゼチーアを、そりゃあ献身的に介護してたのは、ジュディだよ」
「……」
その言葉に混じる色に、シヴァは軽く口笛を吹いた。
「あれぇ、やっぱりそういう関係だったんですか?」
「このままめでたい話になるかな、とこっちも思っていたんだが――どうやらジュディの方から見切りを付けたらしい」
「へぇ!」
「どうしてそういう結論に? 此処だけの話ですけど、ゼチーアさん、城のメイドに結構人気なんですよ」
髪の毛以外は弱点無いし。
デニスは続いた台詞に大爆笑した。
「城のメイドも辛辣だな。――そうだなぁ、想像、だぞ」
「はい!」
「女の方が、こう、その気になっても、男がその気が無いなら、話は進まんだろ?」
「……えーと?」
「崩れかけたゴルティア竜騎士団を建て直すのに必死だったからな、ゼチーアは」
「ああ」
よくある話だ。
「それにしても髪の毛以外は、か。いや、男にとってはちょっと辛い発言だな」
デニスは髪の毛を撫でる。
心配そうなデニスだが、年のわりには豊かな髪だ。子供のように癖のある髪の毛だが、それのおかげもあって将来的にも心配なさそうだ。
「さて――情報収集と言うなら、こちらからもお願いしていいかな、シヴァ?」
「何でしょうか?」
「ココだ」
突然名を呼ばれ、翼を咥えて身繕いをしていた風竜は、大きく顔を上げた。
「ココの身体には大小様々な傷が残っている。丁寧に手当てはされているが――これじゃあまるで拷問の痕だ」
「……」
「特に首の痕は酷い。長年、刃で刺され続けた様に見える」
シヴァは何も答えない。
だが笑みも消さない。
普段通りの笑み。
そのシヴァに、デニスは問い掛ける。
「ココは何をされた?」
「それは――」
小さく笑う。
「分かりません」
「……ん?」
「ココは拾ったんですよ」
「拾った?」
「ウィンダムの街で、箱に入れられて『拾って下さい』って――」
「飛竜が入る箱があるか」
「えへへ」
ココの首を撫でる。
「それじゃあ僕、そろそろ行きます」
「シヴァ――」
「安心して下さい。僕はココの身体に傷を付けた事は一度もありません」
それから。
「傷付けるような事にも、もう決して遭わせません」
「……」
デニスはシヴァを見る。
シヴァもデニスを見る。
やがて、デニスは軽く肩を竦めた。
「そうだな。お前はよく分からない男だが、愛竜を苦しめるような人間じゃない」
「僕にとって最高の評価ですよ」
ココ、行きますよ。
促すと嬉しそうに付いてくる。
「デニスさん、外にココを置いていくんで宜しくお願いします」
「面倒の無い良い子だ。安心しろ」
「はい、助かります」
ベルグマンを見る。
「ベルグマン、髪の毛の事についてゼチーアさんには内緒ですよ。メイドがそんな話をしてるって知ったら、ゼチーアさん、本気で泣きますから」
ベルグマンは瞳を開き、何となく真面目に見える顔で頷いた。
ココを連れて外に出る。
気持ちの良い風が吹いていた。
思わず空を見上げる。
青空。
「うわぁ……良い天気ですねぇ」
袖が引かれた。
ココが咥えている。
四枚の翼が、はたはたと動いていた。
飛ぼう、と言うのだ。
「駄目ですよー、これから僕はお仕事です」
でも。
ココの鼻面に軽く口付けるように、顔を寄せる。
「何か運ぶような仕事、探してきますね?」
そうしたら一緒に飛びましょう。
シヴァの言葉に嬉しそうに翼をばたつかせる。
今度は本当に軽く口付けて、身体を離す。
「それまでイイコにしていて下さい」
言葉が終わるが早いか、ココはその場に座り込んだ。
良い子だと身体全体で表現。
思わず笑ってしまう。
心からの笑みだ。
「すぐ戻ってきます」
待ってる。
ココはそう鳴いたように思えた。
さて、では執務室に向かうか。
ぐっと身体を伸ばす。
今日は本当に良い青空の日だ。
終
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