第6話 ゴルティアにて、少し過去
第6話1章・ゴルティアにて、少し過去。
【1】
「――ゼチーアさん、ベルグマンって何の呪文使えるんですか?」
「……唐突だな」
ゴルティア竜騎士団執務室。
半ばゼチーアの私室となっているようなそこで、退屈そうに背もたれを前に座ったシヴァの問い掛け。答えたのは勿論、呆れたようなゼチーアだ。
書類から僅かに目を上げるゼチーアに、シヴァは普段の笑み。モノクルに隠されていない目が、にこにこと笑っている。
「金竜って呪文を使いこなすんですよね? ベルグマンは何が使えるのかな、と気になっちゃって」
「“動物召還”」
「……え?」
自分の周囲に動物を呼び寄せる召還呪文。
敵対意識を持っていると使えないので、狩りには使えない。
何の役に立つかよく分からない呪文である。
「“植物育成”」
植物の成長を助ける呪文。
「それから……“水質浄化”」
水の不純物を取り除き、飲料に適したものにする呪文。
シヴァは思わずゼチーアの顔をまじまじと眺めてしまう。
冗談だろうか。
しかしゼチーアが冗談を言うとは思えない。
「……何の役に立つんですか、それ?」
「さぁな」
役に立ったことは無い。
ゼチーアはあまり興味が無さそうに答えた。
執務室にノックの音。
「どうぞ」
ゼチーアの声に扉が開き、入ってきたのは金髪の女だ。
「ゼチーア、そろそろ会議だって呼んでるわよ」
「もうそんな時間ですか」
「早く行ってあげたら? ――その間に、この前の書類、拝見してもいいかしら」
「どうぞ、ジュディ」
「有難う」
歯を見せて笑う彼女の八重歯が片方、妙に長い。
言われるまで分からないが、これが彼女の竜との契約の証だと言う。
ジュディが部屋に入り、代わりにゼチーアが部屋から出て行く。
シヴァは残され――思わずジュディを眺める。
34……いや、35歳になった筈だ。
腰まで伸ばした金髪に、彫りの深い顔立ちのなかなかの美女。スタイル、性格、家柄も良し。
ただし独身。
……竜騎士に多い事なのだが、身近に竜と言う最高のパートナーが居る為に人間に対しての恋愛感情が薄れるらしい。
勿体無い事だ。
視線に気付いたジュディがこちらを見る。
「……なぁに?」
「いえ、相変わらずお綺麗だなと思って」
「有難う。お世辞でも嬉しいわ」
笑うジュディ。
軽く首を傾げて笑うものだから、綺麗な金髪が揺れる。根元が少し茶色に戻っていた。
彼女は自分の竜に合わせて、髪を金に染めていると言う。
壁際の棚に向かい、何かの書類を取り出す。
ぱらぱらと開きながら、ジュディがこちらに背を向けたまま言った。
「ゼチーアが纏めた文章は読み易くて助かるの」
「丁寧ですからね」
「えぇ、本当」
紙をめくる音だけが響く。
背中を向けたまま、ジュディがゆっくりとした口調で言った。
「――さっき、聞いちゃったのだけど」
「はい?」
「“矢返し”」
「は?」
ジュディが口にしたのはひとつの呪文。
あらかじめ自分の周囲に張り巡らせておくと、飛んできた矢を自動で弾いてくれる便利な呪文である。
「ベルグマンの得意な呪文よ」
「……へぇ」
少し意外だ。
あの、のんびりとした金竜に、そんな戦闘向けの呪文を使いこなせるとは。
「昔ね――8年ぐらい前かしら。ゼチーアが矢を受けたの」
書類を胸に抱いて振り返るジュディ。
彼女は人差し指で己の身体を示す。
此処、と示したのは鎖骨辺り。
「かなり酷かったみたい。今でも服を脱ぐと傷跡が残っているわよ」
思わず、空気を読まずに「服を脱いだのを見た事あるのですか」と聞きたくなったが流石に自粛。
ジュディは少しだけ笑う。
「ベルグマン、かなり後悔したんでしょうね。次の戦闘には“矢返し”の呪文をマスターしていたわよ」
「……でも、“矢返し”なんてそんな長時間持つ訳――」
「少なくともベルグマンは飛行中、ずっと維持出来るわよ」
人間の術者なら持って十数秒だ。
ありえない。
「あとはそうね……“防御円”」
「……?」
聞いた事の無い呪文だ。
「防御の呪文は知っているわね。単体の目標の防御力を上げる。これは使える金竜多いけど、ベルグマンは自分の周囲にそれを張り巡らせる」
「……有効範囲は?」
「さぁ。ただ、一般兵士の一軍全部に掛けて守った事はあるわよ」
「……」
異様な広さだ。
「あの子だけよ。一般兵士まで守ろうとした金竜は」
思い出したのかジュディが笑う。
「勿論、ゼチーアの命令。本人は『此処でこの軍が崩れたら、全体の士気に関わる』なんていい訳してたけど――ただ、死ぬ可能性がある人たちを見過ごせなかっただけ」
でも。
「ベルグマンがあそこに一匹で居たとしても、人々を守ったでしょうね」
あの子は優しいから。
ジュディの呟きに頷く。
ベルグマンが優しいのは認める。
「あの子は優しくて――強い王様だから」
「……強い」
流石にそちらは同意しかねる。
ベルグマンは確かに年を経た金竜だが、シヴァは一度も戦うベルグマンを見ていない。
普段のあの温厚さを見ている限り、どうも……戦う姿を想像出来ない。
「ベルグマンを弱いと思う?」
「戦う姿を見てないので、どうも」
「強いわよ」
簡単に。
「どうして、ゼチーアが副団長になったか知ってる? ゼチーアより古株の竜騎士も居たのよ。なのにどうして、当時21歳だった彼が副団長になったか、知ってる?」
「……」
話の流れを考えた。
「……ベルグマン?」
「正解」
ジュディが歩いてくる。
先ほどまでゼチーアが腰掛けていた椅子を引いて腰掛けた。
「あれほど強い金竜も少ないわよ。ベルグマンが本気になったら……勝てる飛竜は少ないでしょうね」
「正直、言っていいですか」
「どうぞ」
「信じられません」
「あら」
ジュディは楽しげに笑った。
瞳で続きを促される。
シヴァは頷いて、こちらも笑みで口を開く。
「普段のベルグマンを見ている限りは、どうも……ね」
それに。
「この前、風竜と金竜って歯の数違うのかなぁと思って、口を無理やり開いて歯を数えたんですよね」
「あら、無茶するのね」
「流石に怒られるかと思ったんですけど、ベルグマンは黙ってされてましたよ」
プライドの高い金竜ならば怒り狂うような行為にも、ベルグマンは耐える。
温厚と言うよりもトロい。
それが周囲の評価。
「それはね、シヴァ」
「はい」
「ベルグマンは、貴方が自分よりもずっと弱い存在だって知っているから」
「……」
「弱い存在は守るべき存在。慈しむべき存在。――本当の王様は、弱者が幾ら何をしたって怒らないものよ」
「ベルグマンは王様よ。コーネリアが竜妃と言うなら、竜帝と言っていいほどの、ね」
「……将来農作業用に使われるかもしれない王様ですか」
「いいじゃない、そんな王様が居たって」
ジュディの笑い声は明るい。
聞いているこっちまでが思わず笑みを浮かべるほどの、明るさだ。
その明るい笑みを少しだけ弱めて、ジュディは苦笑。
「ただ勿体無いのは――」
「……?」
「その片割れのゼチーアに、王様としての鍛錬がどうも足りてない事ね」
「何を鍛えるんですか?」
「寛大さ」
「………」
ジュディの笑み。
「竜は竜騎士の片割れだもの。竜を見ているとその人が見えてくるわ」
やがてそこに至る姿。
それが見えてくる。
「ゼチーアが後何十年心を鍛えたら、ベルグマンのように寛大な存在になれるかしらね?」
「……100年ぐらいじゃないですか?」
「その頃までゼチーアが生きていたら、ベルグマンは本当に大陸最強の飛竜になるわね」
ジュディが笑って立ち上がった。
手に持っていた書類を棚に戻し、シヴァを見る。
「私はそろそろ帰るけど、貴方は?」
「もう少し此処に居ます」
「そう」
さようなら。
ジュディは笑って立ち去った。
「……」
残されたシヴァは考える。
竜の姿に竜騎士の心を見るのなら。
「……ココはどう見えているんでしょうね」
僕の心は、人に、どう見えているのだろう。
もう少し考えて。
シヴァは笑う。
「まぁ、いいか」
他人がどう自分を見ていても気にしない。
気にしないのが一番だ。
昔の自分なら恐怖しただろう。
己の心を人に曝け出すなど、これ以上恐ろしい事はない。
無い、と思っていたのだが。
今は不思議と怖くは感じない。
「……ココに会いに行きますか」
閉所恐怖症気味のココは、竜舎の前の庭に繋いである。
人懐こい彼は、竜の世話役たちにも人気だ。何かと構って貰っているらしい。
椅子から立ち上がる。
ゼチーアが五月蝿いので、椅子はきちんと元通りの位置に戻した。
部屋をぐるりと見回してから、シヴァはココが待つ竜舎へと歩き出した。
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