第5話・8章



【8】




 森から出る為の案内はクルスがしてくれた。

 緑竜の卵の事は心から喜んでくれた。

 今度は皆で竜を守るよ、とクルスが笑う。

 シズハはそれを嬉しく思う。


「エルヴィンから、聞いてきた」


 エルフの長は腕を治している間も一言も口を聞かなかった。

 何の話もしなかった。

 ただ、クルスがシズハたちを送っていく事を許したと言う。


「――ずっと前に……エルヴィンの前の前の前。それぐらいの長の時代に、戦争で森が焼けてしまったんだって」


 クルスはゆっくりと話し出す。


 森が焼け、困るエルフの元へ現れたのは緑竜を連れた一人の竜騎士だった。

 男は近くの村の出身だと名乗り、森を助ける手伝いをしたいと申し出た。

 緑竜は森を護り、育てる飛竜。その力を使わせてくれと申し出てきたのだ。


 人間の力を借りるなどと反対意見も出たが、すでにそれも言ってられない状況だった。

 エルフたちは竜騎士を受け入れる事にした。


 竜騎士は次の出陣を終えたら必ず戻ってくると約束し、緑竜と共に森を去った。


 そして、戻ってきたのは緑竜だけだった。


 緑竜は約束を守った。

 森と同化し、森を育て、森を護った。

 

 当時のエルフの代表たちはこの状況に満足した。

 戻ってきたのは竜だけ。代表たちさえ黙っていれば、人の力を借りた事など誰も気付かれはしない。

 秘密を守る為に、代表たちはこの話を次の長にのみ伝えた。


「エルヴィンは、長になった時に前の長からこの話を聞いた」


「我慢、出来なかったんだと思う。人が望んで竜が護ったこの森に住んでいる事が。いまだ、竜に護られている自分たちが」


 しかしそれだけならばエルヴィンは動かなかったろう。

 緑竜を殺す力は無い。


 そこに現れたのが武器商人と名乗る女だ。

 彼女はエルヴィンに飛竜を殺す武器を与えた。


 そして――エルヴィンは緑竜を殺す事を決めた。


 エルフだけで生きて行く事を決めたのだ。



「――ひとつ疑問なんだけど」


 ヴィーが言う。


「どうして、あの長さんは自殺しようとしたの?」

「手が勝手に動いたって言っていた」


 クルスはヴィーを見る。


「武器商人が、武器を二度使う前に代金を支払ってもらうって言っていたから……」

「何かの呪いかなぁ……。だとしても、魔法に長けたエルフの前で気付かれないようにやるって大した術者だねぇ」


 面倒そうー、と呟くヴィーにクルスは笑う。


「もう大丈夫。もう、あんな変なヤツとは取引しないよ」

「それがいい」


 シズハの言葉にクルスは頷く。

 アルタットが鳴いた。

 その言葉を聞いて、ヴィーがクルスに問う。


「クロスボウはどうした、って」

「夜のうちに見に行ったけど、何処にも見当たらなかった。誰かが隠している事は無いと思うから……もう回収したのかな」

「まったく気付かなかったなぁ……。うーん、本当に面倒そうな相手ぇ。もう二度と係わり合いになりませんように」


 ヴィーは本気で祈ってるようだった。

 クルスは思わず、笑う。


「あんな変なヤツとはもう関わらないけど、少しずつ、近くの村の人間とは交流出来たらいいな、って思ってる」


 もうエルフたちだけでは生きていけぬ世だ。

 人と交流を持たねばなるまい。


 少しずつ、少しずつでも。


 まずは、一歩。


 クルスはシズハを見た。


「――また、来てくれよ。今度は、遊びに」

「あぁ、有難う」

「マルアの森は貴方たちを友として受け入れる準備が出来ている。だから、安心して来てくれよ」


 シズハは頷き、ヴィーもアルタットを肩に頷いた。


 シズハが手を差し出す。

 握手。

 人間の挨拶だ。

 何となく照れ臭い。


「へへ」


 それでも、思ったよりしっかりとしたシズハの手を、握り締める。


 それから、今は地上に降り立ったイルノリアを見る。


「イルノリアもまた来てくれよ。次はエルヴィンに謝罪とお礼を言わせるから」

「あー言う、がっちがっちの人が言うかなぁ」

「変えてみせる」

「ふぅん……期待しようかなぁ」


 ヴィーが笑った。


 森の出口。

 クルスとは此処でお別れだ。


「それじゃあ」


 手を振るクルスの背後。

 木の陰から一人の少女が顔を出す。

 彼女も小さく手を振った。


「妹」


 笑うクルス。


 紹介されて、彼女はすぐさま引っ込んでしまった。

 顔が真っ赤だった。


「人間に慣れてなくてさ。――でも、貴方たちにとても感謝している。有難う、って、伝えて欲しいって」


 アメリアは助けられなかったが、クルスの妹は救えたのだ。

 ひとつでも救われた命がある事が、嬉しい。





 クルスが手を振る。


 見えなくなるまで、彼は見送ってくれた。



 クルスの姿が見えなくなった頃、ヴィーが口を開いた。


「――ねぇ、シズハ」

「はい」

「嫌なことを思い出させるけどさぁ」


 ヴィーは少しだけ言葉に詰まり、言った。


「エルヴィンが使った武器、どうだった?」

「……」


 俯く。


「同じものです」


 己の手を見た。

 助けられなかった手。


「癒しの呪文を使っても回復が間に合いません。身体が腐るように壊れていきます。ただ――あの時は、もっと爆発が強く、殆どの竜と竜騎士が、身体を千切られるように死んでいました」


 手を握る。


「俺は下半身が無い屍体に回復魔法を使い続けていたそうです」


 よく覚えていませんが。


「覚えているのは、幾ら力を注いでも、その力が何処かに消えていってしまう無力感だけです。――あれが、死と言うものなのですね」

「それが、竜騎士団辞めた原因?」

「これが全てとは言いませんが……これも、原因のひとつです」


「俺と……イルノリアの力がまったく通じない死が、怖くなったんです。一生懸命にその感情を殺しても、辛くて」


 そして絶望した。


 己の無力さを乱暴に思い知らされた。

 

 横を歩くヴィーを見た。

 笑う。


「気付いたら、何だか物凄く疲れていました」


 アルタットが小さく鳴いた。

 慰めるような声だった。


「有難うございます、アルタット殿」


 迷って――シズハはもうひとつの原因を口に出す。


「その兵器が使われたのは、敵の急襲だったんですが」

「……ん?」

「目標が、俺だったんです」

「……」

「正しく言うと、俺とイルノリア。シルスティンの銀竜乗りを潰すと、そういう目的だったようです」


 戦闘能力が無いとは言え、強い癒しの力を持つ銀竜が居る軍は厄介だ。

 癒しの力を奪い、同時に士気を削ぐ。

 作戦としてはよくあるもの。


 シルスティンとバーンホーンの二カ国間の争いは、その後、間に入ったゴルティアのとりなしにより鎮まった。


 もしもあの時、シズハが戦死していたとしたら、どうなったろう。


 ゴルティアはシルスティン側に付いたかもしれない。戦争が続いたかもしれない。

 

 そして、バーンホーンはそれを望んでいたのかもしれない。


 最悪の状況は免れた。

 そう思うべきなのだろうが。


「人を癒すのは正しい事で、俺は人の為になる事をずっとやっているつもりだったんですが――そのせいで、仲間が死にました」


 空を見る。

 イルノリアが飛んでいる。

 低い位置。


「上の息子さんが俺と同い年だって、色々と良くして貰いました。奥さんの料理が美味しいから、食べに来いって何度も誘って頂きました。……結局、一度も食べに行けませんでしたが」


 家に行ったのは、彼の死後。

 シズハと同い年と言う息子は、父の最期を知る人間と出会えて喜んでくれた。

 目に涙を溜めて、それでも、父親の最期を聞かせてくれて有難うございますと、礼を述べた。


「何だか……本当にもう、よく分からなくなったんです」


 自分が今している事。

 これから、自分がすべき事。


 気付いたら、何もかも分からなくなっていた。


 ふぅん、とヴィーが頷く。

 こちらを見る視線は優しい。


「それで、アルに会いに来たの?」


 そうだ。


 確かなものが欲しかったのだろう。

 確実なもの。


 それが、シズハにとっては、自分を魔物から救ってくれた勇者アルタットの姿だった。


 しかし、今は――


「……申し訳ありません」

「いいよね、アル」

 ヴィーは肩の上のアルタットを見た。「シズハだけじゃなく、人間は皆、アルタットに何かの幻影を見るように出来てるみたいだから」


「それでシズハは――アルに何を求めるの?」

「……よく、分かりません」

「分かるまで、一緒に居る?」

「出来るならば」

「そう」


 了解、と、ヴィーは言う。


「アルもいいよねぇ?」


 長い尾が揺らめいた。


「アルもいいって」

「……有難うございます」

「見つかるといいねぇ。――その何か」


 アルも、ね。


 ヴィーが呟く。


「……アルタット殿も何か?」

「人はみーんな探し物してるんだよー。シズハだけじゃなくて、アルも、ずーっと探し物してるんだよ」


 俺は人じゃなくて猫だから無いけどねー。


 簡単そうに呟いて、ヴィーは歩き出す。


「さぁ急ごう。次の街まで結構あるよー」

「は、はい!」


 足を速めたヴィーの後を追いかけるために、シズハも足を速めた。

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