第5話・6章



【6】



 緑竜はゆっくりと翼を広げる。

 シズハとイルノリアの姿を確認し、ゆっくりと、酷くゆっくりとした動作で地面に横たわった。


 血が、貫かれた目から流れ落ちている。

 完全に貫通している弾丸。


「イルノリア!」


 叫ぶシズハの声に反応し、イルノリアがすぐさま傷に寄る。

 銀の光。癒しの力。

 しかしそれよりも早く、傷口周辺が破壊されていく。


 あの時と同じだ。

 間に合わない。


「アメリア!!」


 名を叫んで、シズハも両手を当てた。

 呪文。人の癒しの呪文が通じるとは思えない。

 それでも呪文を紡ぐ。


 だけど、間に合わない。


 腐るように傷が広がっていく。

 目、顔、首、胴、翼、前足。

 そして地面に埋もれている箇所までもを、破壊し尽くしていく。


「アメリア!!」


 呼び声に。

 翼が少しだけ動いた。


 それが最期。


 緑竜は、ゆっくりと崩れていった。



 緑竜――アメリアの頭部。

 その下に、小さな金属のメダルが落ちている。

 彼女が大切に持っていたのだろう。

 いまだ煌くそれを、シズハは両手で胸に抱く。


 涙が零れた。


 背後。

 足音。


 頭に、何かが押し付けられる。


「次は貴様の番だ、竜騎士」


 見上げ、睨み付ける。


 押し付けられているのはクロスボウ。

 そして、その向こうにあるのは、青ざめたエルヴィンの顔。


 強い武器を持っていると言うのに、その顔にある表情は、強者のものではない。


「怯えているのか、エルヴィン」

「……な」

「この武器の威力は凄まじいものな。怖いんだろう」


 動く。


「動くな!!」

「撃てばいい。――この距離でお前が無事な保障は無いが」

「……っ!」


 エルヴィンに正面から向き直る。

 シズハは胸に抱いていたメダルを、エルヴィンに突きつけた。


「スタッドの竜騎士団の紋章だ。かなり古いものだが間違いは無い」

「……」

「アメリアは、竜騎士の片割れだ」


 そして。


「その竜騎士の命令で、この森を守っていた」


 アメリアの記憶。

 彼女に森を育て、護る事を頼んだ男の姿が見えた。


 その男は、確実に人だった。

 エルフではない。


「人がこの森を作り、竜に護らせた」


 エルヴィン以外のエルフがざわめいた。

 多くのエルフは人を嫌う。

 特に、人嫌いのエルヴィンが代表を務める森ならば、その傾向は強いだろう。


 シズハはゆっくりと問う。


「どうして――それを、秘密にした? アメリアを殺してまで、その秘密を守ろうとした?」

「言えるか」


 エルヴィンの声は擦れている。


「人間の情けで我らが生きているだと? そんな事を、皆に伝えられるか。人間の作った森で、生きているだと?! まるで飼育されているようなものだと、そんな事を知って我々が生きていけるか!!」

「生きていけばいい」


 静かな声が漏れた。

 まだ自分が泣いているのだろうと、シズハは思う。


「今まで生きてきたんだ。これからも生きていけばいい。森と、竜と、エルフと――人で、共存していけばいい」


 それは簡単な事ではないだろう。


 だが。


 森を護り続けた緑竜を殺すほど、難しいことでは無い筈だ。


「――黙れ」


 クロスボウ。

 光。


 集まる。



「殺す。お前は絶対に殺す」

「……」


 足が震えている。


 頭の中は奇妙に冷静なのに、身体はいまだ恐怖を覚えている。

 戦場で見た風景。

 あのように、俺も死ぬのだ。


 父と母は嘆くだろうか。

 いや、屍体も崩れ落ちてしまうのならば、シズハはずっと行方不明か。

 行方不明の子を、ずっと、思ってくれるのだろうか。

 それも可哀相な気がした。


「殺す――!!」



 エルヴィンが叫ぶ。



 光が――






『お試しは一度きり』


 幻聴だ。


 女の声が聞こえる。



『二発目を使う前に代価を支払ってもらいます』



『そうじゃないと――怒っちゃいますよ?』






 エルヴィンの顔が強張った。


 魔力の矢を放つ寸前の手が動く。

 己の、頭へとその矢の尖端を向ける。


「な――?!」


 エルヴィンの顔は恐怖に強張っていた。

 彼の脳裏に浮かんでいるのは、緑竜の最期。


 そして、あれと同じ運命を辿る自分。


 指が動く。

 

 魔力の矢が放たれる――





 しゅん、と。



 緑の光。



 エルヴィンの両腕が、肘の辺りから、ずるり、とずれた。


 そのまま、彼の両腕は落下。


 勿論クロスボウも地面へと落ちた。


 一瞬遅れて血が迸る。


「う、腕が、私の腕がっ!!」

「――命あっただけでも喜んで欲しいなぁ」


 茂みから出てきたのはヴィーとクルス。


 そして、エルヴィンの前には黒い猫。

 アルタットだ。



「あ――」


 シズハは思わず全身の力が抜けるのを感じた。

 そのまま座り込む。

 イルノリアが、そのシズハを包むように寄り添った。



「武器ならば持ち主をどうにかしちゃうのが楽。うんうん、正解正解」


 ヴィーが笑顔で呟き、それからシズハを見る。


「あれぇ、また泣いてるの? こいつに泣かされた?」


 両腕から血を流し、地面に転がり続けるエルヴィンを示す。


「………」


 クルスは少しだけ迷い、そのエルヴィンに近付いた。


 彼は何も言わない。

 何も言わずに横に屈みこむ。


 小さな声が、クルスの口から出た。


「やっぱり、エルヴィンは間違えていたよ」

「――……」

「手当て、するよ」


 他のエルフたちもようやく動き出した。



「シズハぁ?」

 

 ヴィーが呼ぶ。


 シズハは何も言えない。

 ヴィーの顔をただ見つめる。


 生きて、会えた。


 安堵から、新たな涙が零れた。


 ヴィーが苦笑。


「シズハは本当に泣き虫だなぁ」


 アルタットが小さく鳴いた。

 頷いたヴィーが、砕けた緑竜の身体を見上げる。


「遅かったみたいだねぇ」


 シズハは背後を振り仰ぐ。

 崩れた緑竜の身体。


「――はい」


 助けられませんでした。


 涙は止まらない。

 苦笑したヴィーが目の前に屈みこむ。


「よしよし」


 頭を撫でてくれた。

 シズハは俯く。

 

 アルタットも寄ってきた。

 小さな身体でシズハの足元に座り込む。


 傍に居てくれる人がいる。

 泣き声を殺す必要は無かった。


 泣き顔を隠す必要も無い。


 だから、ただ泣いた。


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