第5話・5章



【5】



 月が出ていた。

 満月に一晩足りない、明るい月。

 森の木々を照らす月光は、十分な明るさだ。


 クルスの案内でイルノリアの捕らえられているエルヴィンの家へと向かう。


「――……」


 その途中、シズハとアルが同時に足を止めた。

 少し遅れてヴィーも顔を上げる。

 

 音を聞く、動作。


 クルスは戸惑う。

 人よりも長く、そして性能の良いクルスの耳には何も聞こえない。


「……鳴いている」

「そうだね。近い……かも」


 シズハの呟きにヴィーが応じる。

 アルタットは黙って耳を動かしていた。


「何が近いんだ?」


 クルスは我慢出来ずに問い掛ける。

 シズハが周囲を見回したまま口を開いた。


「飛竜の鳴き声がする」

「イルノリアの声じゃないの?」

「飛竜の鳴き声はそれぞれ違う。少なくともイルノリアの声じゃない。――下か?」


 言うなりシズハは地面に耳を付けた。


「……近い」


 呟き。

 顔を上げ、ヴィーとアルタットを見た。


「殆ど目覚め掛かっています」

「明日まで間に合いそうも無い?」

「恐らく」


 にゃぅ、とアルタットが鳴いた。


「アルは別の音も聞こえるって」


 視線を、そちらに。


「複数の人間が武器を持って移動している音」

「……エルヴィン?」

「緑竜の居る場所は分かる?」

「生贄を捧げる場所は決まってる」

「なら……目覚める前に叩くつもりかなぁ」


「――ヴィー」


 シズハが口を開いた。

 地面に片方の膝を付き、まだ見上げる姿勢。


「先に行って頂けませんか。俺はイルノリアを救出してから向かいます」

「それがいいかもね」


 ヴィーのあっさりとした同意に、シズハはほっとしたような表情を見せる。

 片割れの居ない竜騎士は、身体を失った魂のようなもの。

 不安定でしょうがない。


「シズハ、イルノリアは茨の檻に閉じ込められているから」


 シズハは立ち上がりつつ、僅かに表情を強張らせる。


「茨? さっきのようなのか?」

「あれよりは簡単。その剣で斬れるよ。鍵があればもっと簡単なんだけど」


 鍵を持つ者が近付いただけで茨は道を開く。


「鍵は?」

「エルヴィンが」

「剣で開く事にする」


「その会話から推測すると――クルスはこのまま俺たちと一緒に来るの?」

「エルヴィンを放っておけない」

「りょーかい」


「月の方向を見て。後は真っ直ぐ進むだけだぜ」

「分かった」


 シズハはアルタットとヴィーを見る。

 頭を下げた。


「単独行動申し訳ありません」

「シズハは真面目だねぇ」


 ヴィーが笑う。

 笑ったまま、自分の右手から腕輪を外す。

 シズハの手に、それを落とした。


「お守りだよー」


 月光に微かに輝く腕輪。


「念じるだけでいいよ。――それじゃあ、また後でねぇ」

「はい」


 クルスに示された方向にシズハは歩き出す。

 その後姿はすぐに森の木々に隠された。




 示された方向に灯りが見えた。

 シズハは木に身を隠す。

 茨の塊のような箇所にエルフが一人。

 あれが茨の檻か。


 周囲を探る。

 茨の檻の向こうに家。静かだ。誰も居ないのか。

 ならば敵はあのエルフ一人。


 腰の剣に手を触れさせる。

 エルフの剣技がどれほどか知らないが、今更引けない。


 イルノリア。

 小さく唇の動きだけで呟いて、動く。

 茂みが揺れた。


「誰だ!」


 誰何の声に飛び出す。

 エルフは既に弓を構えていた。

 放たれる。

 右手の甲をそちらに向けた。


 キーワードは要らない。

 必要なのは、念じるだけ。

 ヴィーはそう言っていた。


 右手を中心に光の盾が現れる。

 あの巨大サソリの一撃を食い止めたマジックアイテム。ヴィーの腕輪。

 エルフの矢を弾く事など容易い。


 そのまま距離を詰める。

 剣を――


「………っ」


 斬れなかった。


 エルフの喉元に剣を突きつける。


 エルフは信じられないものを見るような顔で、いまだ続く右手の盾を見た。

 それから、突きつけられた刃と、シズハの顔、そして茨の檻を見る。

 

「武器を落とせ」


 命じる声にエルフは黙って従った。

 地面に落ちた弓を蹴り飛ばす。


「銀竜を返して貰う」

「か――鍵は無い」

「剣がある」


 一瞬だけ迷って、ショートソードを返し、剣の尻をエルフの腹に叩き込む。

 苦しげな声がひとつ。

 シズハは顔を歪める。


 崩れ落ちたエルフの身体を確認する。

 大丈夫、息はしている。

 内臓は傷付いてないだろう。


「……」


 茨を見た。


「……イルノリア?」


 呼び声に、茨の内側から羽音。

 そして聞き慣れた金属の声。


 此処に居る!


 ショートソードで手身近な茨を切り裂く。

 隙間から目が見えた。

 細い隙間に無理やり鼻面を押し込もうとする。


「イルノリア、大丈夫だ。もう大丈夫だから、無理しなくていい。すぐに出してやる」


 茨を幾つも切り裂く。

 じれったいほど少しずつしか開かない。

 それでも確実に茨は切り裂かれる。大きな裂け目が出来たのを確認し、剣と手を使って左右に千切った。

 掌に痛みが走ったが、そんなのは気にしていられない。


 そして、銀の片割れが飛び出してきた。


 抱きとめる、と言うにはサイズ的に少々無理だ。

 地面に降り立った銀色の竜の首を抱き締め、シズハは笑う。


「イルノリア」


 首を摺り寄せ、甘えた声でイルノリアは鳴く。

 余程不安だったのだろう。

 甘え方がいつもと違う。


「イルノリア、飛べるか? すぐにアルタット殿の所に行かなきゃならない。大丈夫か?」

 

 イルノリアは高く鳴いた。

 大丈夫、と、そう言っているように聞こえた。


 幸い、鞍も手綱もそのままだ。

 地面に身を横たえたイルノリアの背に、跨る。


 手綱を握ればイルノリアはすぐさま翼を動かした。

 飛び立つ。


 枝の何本かを犠牲にしつつ、森の上空へと。


 月が明るい。

 イルノリアの銀の鱗が輝く。

 銀竜の色は月光の色だと、そう言われているが。

 確かに月光の下の銀竜ほど美しいものは無い。


「イルノリア、捜してくれ。他の飛竜の気配だ。緑竜が、この森に居る。そこに、皆が向かっている」


 イルノリアは大きく空中を旋回。

 やがて目標を定めた。

 翼が動く。


「……聞こえる」


 鳴き声が聞こえた。

 大木を揺らす風のような、大きな声。

 深い、低い、遠吠えのような声だ。

 先ほどより強い。


 これが、緑竜の声か。


 目標は森のほぼ中央。

 巨大な樹。上空から見ても巨大だと分かるその大木が、イルノリアの目指した場所。

 そして、鳴き声の中心。


 周囲に人影は無い。


 どうやら一番最初に行き着いたようだ。


「降りてくれ」


 願いにイルノリアはゆっくりと下降する。

 大木の周囲は比較的開けていた。気を付けて下降するのならば何も問題は無い。


 イルノリアの背から飛び降りる。


 大樹。

 シズハが見上げても、その上が見えないほどの高さ。幹の太さも人間何人が腕を繋げば足りるのか。

 森の中心と言っても差し支えないほどの大きさだ。


 大樹を見上げるシズハの腕をイルノリアが咥え、引いた。



「どうした?」


 左手に鼻面を押し付ける。

 茨を切った際の傷だ。

 これを心配しているのだ。


「大した傷じゃない。後で癒して貰うから」


 すぐに癒したいと言わんばかりのイルノリアに微笑み掛けて、大樹に向き直る。



 大樹に手を掛ける。

 竜の声。

 強い。


「……?」


 鳴き声が変わった。

 反応、している?

 何に?


 樹が揺れる。


 手を離す。

 見上げるその目の前で、樹が変化していく。

 葉が鱗へ、枝が筋へ。

 隙間を埋めるのは翼膜だ。


 瞬き幾つかの時間の後、そこにあったのは飛竜の一対の翼。緩やかに伸ばされた、巨大な翼だ。

 翼の根元。

 半身を土に埋めた巨大な緑竜が、横たわっている。


「……擬態、していたのか」


 声に反応するように緑竜が瞳を開く。

 鮮やかな金の瞳だ。


 その瞳が笑ったように思えた。


 シズハを認識し、出迎えるように、緑竜はゆっくりと身体を起こす。絡まった木々の根を千切るように巨大な前足が現れる。


 シズハを見る。


「――……あ」


 ふと気付く。

 樹に押し付けた手。左手。傷を負った手。

 血に反応したのか。

 しかしそれにしては動きが鈍い。

 シズハを獲物として見ている様子は無い。


 イルノリアが鳴いた。

 警戒の声ではない。

 緑竜が答える。

 遠吠え。

 森を揺らす、声。


 緑竜はまだ後ろ足を地面に埋めていた。

 そして、巨大な前足がシズハの目の前にある。


 土に包まれた前足。

 その奥に深い緑の鱗が存在する事を知っている。


「……」


 イルノリアが鼻面で背を押した。


「イルノリア?」


 イルノリアはシズハを見ている。

 触れてみて、と、そう言われた気がした。


 手を伸ばす。

 右手と左手。迷って、血に濡れた左手を差し出した。


 触れる。


 途端、流れ込む。


 途切れ途切れの緑竜の記憶。

 長い年月を眠って過ごす緑竜の記憶は所々擦れ、飛び、不明瞭な箇所も多い。

 それでも緑竜は与えてくれた。

 己の持っている記憶。


 そして、真実を。


「――……」


 シズハは緑竜を見上げる。


「まさか」


 呟き。


「エルフの長は、これを知られたくない為に、貴方を?」


 緑竜が笑った気がした。


「――緑竜」


 背後からの呟き。

 シズハは慌てて振り返る。


 エルフの一団が立っていた。

 先頭は見覚えがある。

 エルフの長――エルヴィンだ。


 シズハを見るエルフたちの視線は、痛くなるほどの敵意だ。

 イルノリアが思わずたじろぐ。

 怯えたようにシズハの背後に回った。


 緑竜は動かない。

 エルフたちをじっと見ている。


「緑竜を目覚めさせるとは――何を企んでいる、竜騎士?」

「先ほどまでは、何も」


 ただ、今は。


「お前にこの竜を殺させる訳には行かないと思っている」

「ほぉ?」

「あんなくだらない理由で、この飛竜を殺す気なのか」


 エルヴィンの表情が変わる。

 緑竜とシズハの顔を交互に見る顔は、月光の下でもはっきり分かるほど、青い。


「な――何を」

「緑竜が教えてくれた」


 エルヴィンは緑竜を再度見る。


「余計な事を……!」


 エルヴィンは武器を構えた。

 シズハには見覚えの無い武器。

 クロスボウ。


 クルスの話を思い出す。

 武器商人から手に入れた、武器。


 矢が収まる所が光りだす。

 魔力が、集まっているのだ。


 その光に見覚えがある。


 あの――光。


 一瞬にして多くの飛竜たちと竜騎士の命を奪った、光。


 背筋が冷えた。


「下がれ!」


 エルヴィンが背後のエルフたちに命じる。


「この竜騎士ごと、緑竜を滅ぼす!」

「滅ぼしてどうする」


 足が震える。

 声だけは必死に震えまいと構える。


「この森を作り上げた緑竜を、滅ぼしてどうするんだ?」

「黙れ!」


 エルヴィンが叫ぶ。


「もう森は十分に育った! 緑竜の助けなど要らん!」

「緑竜はまだ森を護りたがっている」


 シズハは続ける。


「彼との約束通りに」


 光が強くなった。


「だ――」


 クロスボウを持つ手に力が入る。


「黙れ、人間っ!!」


 光が、放たれる。



 短い距離。

 駆ける光。


 シズハは動かない。

 敵わぬまでも、イルノリアと、そして緑竜を守ろうと腕を広げる。


 そのシズハの前を、黒が覆った。


 いや――黒ではない。


 深い、緑。



 緑竜の翼だ。


 シズハは顔を上げる。

 緑竜はこちらを見ていない。

 金の瞳が光の弾丸を見ている。


「あ――アメリアっ!!」


 記憶で見た緑竜の名を叫ぶ。

 

 緑竜の翼はその硬さで光の弾丸を僅かに曲げる。

 曲がった弾丸はそのまま進み、緑竜の頭部を、その片目を。


 貫いた。

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