第5話・3章


【3】



 イルノリアは困り果てていた。


 見上げると茨。前を見ても茨。左を見ても右を見ても茨ばかり。


 地面以外の全てを茨に囲まれた、小さな空間に押し込まれているのだ。

 

 隙間から覗いて見れば、何度かエルフが通りかかる。

 出して、と訴えてみるものの、エルフには竜の言葉は通じない。

 一瞥をくれた後、奥にある家へと向かってしまう。戻ってくる際にもう一度声を掛けてみるが、同じようなもの。


 シズハが読んでくれた絵物語のエルフは、英雄たちを助けてくれる優しい森の民だったけど、この森には優しいエルフは居ないらしい。


 ただ上空を飛んでいただけのイルノリアを矢で撃ち落としたのだし。


 思い出して翼を軽く広げる。

 矢で撃たれた傷は治した。

 もう飛べる。


 飛べるのに、茨が邪魔をして飛べない。

 シズハの所に行けない。


 シズハ。

 何処に居るのだろう。

 エルフたちが連れて行ってしまった。

 酷い目に遭っていなければいいのだけど。

 深い傷を負って苦しんでいなければいいのだけど。

 

 茨を噛んでみるが、鋭い牙を持たない銀竜では、口の中を痛めるだけだった。


 蹲る。


 シズハ。

 

 シズハの所に行きたい。



「――うわぁ、銀竜ちゃんだぁ」


 すぐ近くからの声に、イルノリアは驚いた。

 気配に気付かなかった。


 茨の隙間から、女が覗きこんでいる。

 真っ赤な瞳。

 炎と言うよりも血の色だ。


「本物の銀竜ちゃんかなぁ。うわぁ、可愛い。小さいなぁ。まだ30歳ぐらい、って所かなぁ。可愛いなぁ」


 誰だろう。

 エルフじゃない。

 耳が尖っていない。


「うーん、爪も牙も小さいなぁ。ちょっと武器には難しいサイズ。――でもいいなぁ、銀竜欲しいなぁ。この子サイズだと、やっぱり装身具にしちゃうのがいいかなぁ」


 何だろう。

 

 イルノリアは思わず後ずさる。

 何となく凄い嫌な気分。


 この人はイルノリアを銀竜として見ているが、イルノリアとして見ていない。


 怖い。


 シズハ、たすけて。


 小さく鳴いた。


 するり、と。

 女の襟元からトカゲが出てきた。

 

 女の耳元で小さく、首をもたげた。


「え? 時間? 嘘、もう?」


 うー、と女は指を咥えた。


「もうちょっと銀竜ちゃん見てたいのになぁ」


 仕方ない。

 女はそう呟いたて茨から離れる。


 イルノリアは女が離れるのを確認し、ようやく地面に身体を伸ばした。


 早く此処から出たい。




「――イルノリア?」


 女が離れてすぐだ。

 今度は名を呼ばれた。


 慌てて名を呼んだ方向へと近付く。


 エルフの少年が覗き込んでいる。


 エルフ――だけど、イルノリアの名を呼んだ。

 シズハが付けてくれた名前。

 大切な、名前だ。


「貴方がイルノリア?」


 鳴く。


 しぃ、と、少年は一本指を立てた。

 この合図は知っている。静かに、と言うのだ。

 イルノリアは鳴くのを止める。


「イルノリアなんだね? ――シズハから伝言を預かってるんだ」


「シズハは無事だって、そう伝えって」


 シズハは無事。

 元気なのだ。


 良かった。


 イルノリアは茨に身体を近付け、小さな声で訴える。


 出して。

 此処から出して。

 シズハの所に行きたい。


 エルフの少年はイルノリアの鼻面に軽く指を触れさせる。


「御免。出してあげたいけど――俺、鍵を持っていなくて。もう少し我慢して。すぐにシズハに会わせてあげるから」


 少年の哀しそうな顔は嘘を言っているように見えなかった。

 イルノリアは黙って下がる。

 大人しく蹲った。


 シズハに会えるのなら、それまで休んでおくべきだ。

 いざと言う時に動けなければ大変。

 イルノリアは体力の無い銀竜で、それに加えてまだ幼い。

 それを自分自身、しっかり理解しておく事が大切だと、母親代わりのコーネリアから教えられた。


「良い子だね、イルノリア」


 少年が笑った。


「――……?」


 ふと、少年が顔を上げる。


「……エルヴィン……お客さんが来ているのかな」


 立ち上がる少年の後姿を、イルノリアはただ見送った。

 お客さんと言うのは、先ほどの紅い瞳の女だろう。

 怖い人だった。


 イルノリアはさらに身体を小さく丸めた。







「――待たせたな」


 エルフの長、エルヴィンが部屋に招いたのは、先ほどの女だ。


 黒いマントに灰色の髪。青ざめた肌に、何より目立つのは真紅の瞳。肩の上ではトカゲがするりと逆側の肩に動く。


 女が笑う。


「いえいえ、待ってませんよ。こちらこそ遅れてしまって申し訳ありません」


 それより、と、指を身体の前で絡める。

 笑顔。


「お気に召して頂けました、商品?」

「あぁ」


 エルヴィンの視線が動く。

 切り株をそのまま利用したテーブルの上。大き目の弓がひとつ。矢が数本。

 弓はほんのり輝いており、同時に矢も鏃が輝いている。

 竜の魔力の光。


「竜の鱗を一撃で貫いた」

「でしょう、でしょー? 比較的捕獲し易い火竜の骨から加工してありますが、竜相手なら竜の武器が一番ですよ!」

「――武器商人」

「はい」


 武器商人と呼ばれ、女は嬉しそうに笑う。

 エルヴィンは女の名前を知らない。

 女は武器商人と名乗り、武器を売りつけに来た。

 それだけ。

 それだけの関係だ。


「これ以上、強い武器は無いのか?」

「……強い武器、ですか?」

「銀竜の鱗を貫けたが、内臓まで傷付けられなかった。エルフの力でも間違いなく飛竜を殺せる武器は無いのか」

「……うーん、ある事はあるんですが」


 意味ありげに、武器商人が言う。


「お高いですよぉ?」

「我らが森で支払えるか?」

「始祖の実じゃもう足りません」


 エルフの森には必ずあると言うその実。

 地面に植えると、ほんの僅かな時間で大木に成ると言う魔法の果実。

 エルフの秘宝のひとつだ。


 それを引き換えに得た、竜の弓では足りぬと言うのならば。


「そうです……ねぇ」


 武器商人が笑った。


「外に居た銀竜ちゃん、あれでどうですか?」

「……」

「あれれ、難しい顔」


 武器商人は笑顔のまま、軽く手を打ち合わせる。


「なら、お試しをしてみましょうか? 気に入ったら……あの銀竜ちゃんを下さい」


 打ち合わせた手。

 間に生まれる光。

 黒い光。


 左右に広げられた手の間に、武器が浮かび上がる。

 

「……クロスボウか?」

「うふふ、ただのクロスボウと思ったら間違いですよ」


 掲げた手に落ちるクロスボウ。

 普通のクロスボウよりも大型ではあるが、クロスボウには間違いない。

 エルヴィンの顔にあからさまな落胆が浮かぶ。

 しかし武器商人は余裕の表情だ。


「これは矢がありません」

「……矢が無い?」

「魔力を打ち出します」


 武器商人はエルヴィンの瞳を覗き込む。

 紅い瞳。


「魔力の高いエルフにはぴったりの武器でしょう?」

「……あぁ」

「一度だけ、お試しにお貸ししますね」


 エルヴィンの手に渡す。


「お試しは一度きり。二発目を使う前に代価を支払ってもらいます。そうじゃないと――怒っちゃいますよ?」


 あと。


「それから――これはあんまり使わない方がいいですよ」

「何故?」

「これと同じ武器を用いて戦ったバーンホーンは、この武器の暴発で竜騎士を四人ほど喪ってますから」

「……」


 武器商人は首を傾げる。

 少女のような微笑。


「でも大丈夫でしょう? エルフは魔力が高いの当たり前だし、魔力の調節もお手の物。無理やり使って暴発させるなんてドジ、人間じゃあるまいししませんよねー?」

「当たり前だ」

「期待してます」


「じゃあ私はそろそろ行きますね」


 トカゲがするりと襟元に入り込む。


「銀竜ちゃんは丁重に扱って下さい。綺麗な鱗をしてますから、あのまま鱗を剥いで加工したいんですよぉ」

「……分かった」

「あぁ、楽しみだなぁ。鞭とか作ろうと思うんです。綺麗ですよぉ」



「――エルヴィン」



 低い声に、エルヴィンと武器商人は顔を上げる。

 部屋の入り口に立っていたのは、エルフの少年――クルスだ。


 握り締めた拳。

 あからさまな怒りの表情。


「何て取引してるんだよ! 銀竜ってイルノリアの事だろ?! イルノリアはシズハの飛竜なんだぞ?! 竜騎士から竜を奪うって大変な事だって――」

「あの銀竜ちゃん、竜騎士持ちですかぁ」


 武器商人はおっとりと笑う。

 エルヴィンに対して指を立てて、言う。


「そっちの竜騎士はエルヴィンさんで始末してくれます? 竜騎士が死んでも三日ぐらいは飛竜生きている筈なので、その間に十分処理は終えられますから」


 クルスが言葉を失う。

 エルヴィンも同じように言葉を失っていた。


 この大陸に生きている人間ならば、飛竜と竜騎士の関係については多少は知っている。


「ふざけんなよっ!」


 クルスが怒鳴った。

 武器商人に詰め寄る。

 マントの襟元を握り締め、叫んだ。


「あれはこの森の物じゃない! エルフの物じゃないんだ! 銀竜は渡せない!! 取引は無効だっ!」

「――ふざけてるのは、ボクの方ですよ」


 クルスの手を振り払う。

 

「ボク、おねーさんは貴方の所の長さんと取引しました」


「飛竜を一撃で殺せる武器。それを与える代わりに私が貰うと約束したのは、銀竜ちゃんなんです」

「だから、それは」

「その銀竜が誰のものでもいいんです。私は銀竜が手に入るのなら、それが盗んだものでも殺して奪ったものでも関係ないです」


 優しいと言える、武器商人の笑み。


「私はエルヴィンさんが欲しいものを与えました」


 後は彼の番。



「え――エルヴィン!」


 クルスは今度はエルヴィンに駆け寄る。

 服を掴み、訴えた。


「竜を倒すって、あの緑竜だろ? 違うんだ、竜は倒さなくていいんだよ!」

「どういう意味だ」

「竜騎士が教えてくれた。緑竜は何でもいいから肉を喰わせれば大人しくなるんだぜ。鹿でいいって言ってた。俺、今夜中に鹿を狩って来るから」


 なぁ、だから。


「そんな変な武器返そうぜ? 竜を一撃で殺す武器なんて変だよ。それじゃあまるで――」


 クルスの言葉がそこで始めて弱くなる。


「それじゃあ、まるで――冥王が使った力みたいだ」


 冥王が操った力は、当時大陸最強と言われていたゴルティア竜騎士団の半数を一瞬にして壊滅させた。

 

 クルスはそれを言うのだ。


 その発言を耳に。


 エルヴィンは僅かに顔を歪め。

 武器商人はこれ以上無いと言うほど嬉しそうに微笑んだ。


「――クルス」


 服を掴む手に己が手を重ねる。


「緑竜は殺さなければならない」

「どうして」

「どうしてもだ」


 故に。


「……あの竜騎士には死んでもらう」

「エルヴィンっ!!」

「お前の妹は助けよう。――お前と異なり、真の森の民であるしな」


 ぱん、と、武器商人が手を合わせる。


「取引成立ですかぁ?」

「いや、まだだ」


 武器商人が「えー?」と不満そうな声を出す。


「この武器が本当に効くのか、それを確認せぬまま銀竜を渡す訳には行かない。――確認してからだ」

「用心深いですねぇ。分かりました」


 立てた指をエルヴィンの顔に突き付ける。


「でも、約束ですよ? お試しは一度きり。例え何があろうとも、二度目を使う前に代金を支払ってもらいます」

「分かった」

「約束、違えませんように」


 武器商人は身体を引くと、優雅に一礼した。


 それからクルスに向かって子供のように笑うと、マントの裾を翻し、立ち去った。


「クルス」

「……冗談じゃない」


 睨み付ける。


「盗人になれって言うのか。長が自ら、盗人になるって言うのか」

「仕方の無い事だ」

「仕方が無い? 何がだよ!!」

「緑竜は倒さねばならない」

「どうして? あの竜はずっと森を守ってくれた。炎からも守ってくれたんだぞ?! どうしてその竜を――」

「森は十分に成長を遂げた。もう竜の護りなど不要」

「……頼るだけ頼って、殺すのか?」

「……」


 エルヴィンの沈黙に、クルスは低い声を放つ。


「お前なんかの好きにさせない」

「クルス」


 エルヴィンの視線は冷たい。


「お前は少し頭を冷やした方がいい」


 腕を捕らえられる。


「離せよ!!」


 エルヴィンが声を出した。


「誰か! 誰か居ないか!」


 武器商人との会話の為に人払いをしていたのだろう。

 それ故にクルスがエルヴィンの場所まで侵入出来た事もあるのだが。


 しばしの時間の後、駆ける足音が幾つか近付いてきた。

 エルヴィンの前に並んだのは彼の部下。


 その一人にクルスの身体を押し付ける。


「先ほどの人間どもと同じ牢に入れておけ」

「はッ!」


「ふ――ふざけんなよ、エルヴィン!! お前、本当に何をやる気なんだよ?! 離せよ、お前ら、離せよ!!」

「かなり混乱している。注意しろ」


 エルフたちが歩き出す。

 クルスの身体も引きずられ、動き出した。


「馬鹿野郎、エルヴィン、本当、何する気なんだよ、お前――っ!」


 叫びに答える言葉は何ひとつ無かった。

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