第5話・2章
【2】
エルフの土牢とは洞窟をそのまま利用した牢屋だった。
押し込まれ、すぐに鍵を掛けられる。
鉄格子ではなく、太い茨の格子は近付く事さえ迷うほどの鋭さだ。
しかしその鋭さに構っていられなかった。
シズハはすぐさま格子に駆け寄る。
去ろうとしているエルフの一団を呼び止める。
「イルノリアをどうする気だ」
「飛竜をこの牢に入れられるか」
エルフの一人が呆れたように答える。
確かにこの牢に飛竜は入らない。
森での襲撃の直後、イルノリアは別方向へと連れて行かれた。
飛竜の首に縄を掛けて引っ張ると言う乱暴さにシズハは怒鳴り、再度、弓の忠告を受ける事になった。
「別の場所に閉じ込めてある。――長が言う通り、大人しくしていれば満月には会えるだろう」
「……イルノリアに何かあれば絶対に許さない」
「囚われの身で何を言う」
エルフたちが顔を見合わせ、笑った。
「ひとつ忠告しておいてやろう。その茨は普通の茨ではない。剣で切ろうなどと考えるなよ」
死ぬぞ。
もう一度エルフたちは笑い、闇の中に歩き出す。
シズハはエルフたちの後姿を睨み付けた。
やがてその睨む対象も闇に溶け――後は森の闇。
「……」
迷いつつ、茨に手を伸ばす。
「――止めた方がいいよぉ」
牢に押し込められてすぐ、奥側の干草を積んだ寝床らしい場所を見ていたヴィーが、声を掛けてくる。
「かなり強い魔力が掛かってる。――何が起きるか分からないけど、忠告されたし、黙っていた方がいいと思うなぁ」
「……はい」
「イイコイイコ」
ヴィーは満足そうに頷く。
干草を両手で何度か押し、気に入った状態になったようだ。
よし、と呟くと腰を下ろす。
「満月まであと何日かなー? 月、見える?」
「いえ。月は見えません」
「アル、分かるー?」
みゃん、と猫の声。
「アルも分からないかぁ」
じゃあ寝ちゃおう。
ごろん、と干草の上に横になった。
しかし、そのヴィーの上にアルタットが飛び乗った。
みゃみゃみゃと短い鳴き声が連続。
不思議そうにその声を聞いていたヴィーが、視線を上げ、いまだ茨の前に立つシズハを見た。
「シズハぁ」
「はい」
「イルノリア以外の飛竜の気配、感じる?」
「……飛竜?」
耳を澄ます。
が、特に目立った音は聞こえない。
「違うらしいよー」
指が、示す。
「壁に手を付けてみて、だって」
「……?」
アルタットを見る。
みゃん、と、猫が強く鳴いた。
壁。
指先で触れて――途端、シズハは小さく声を上げて手を離す。
「……何か、居るようです」
触れた瞬間飛び込んできたのは、巨大な飛竜のイメージ。
シズハは壁を前に迷う。
触れていいものか。
――みゃん。
肩に軽い感触。
見れば、肩に猫の姿。
アルタットが飛び乗ってきたのだ。
行儀良く座る猫の姿の彼は、ゆっくりと一声鳴いた。
猫の言葉など分からない。
だがシズハは首を縦に振る。
「はい」
手を、壁に近付ける。
指先、触れさせる。
飛び込んでくるイメージ。
飛竜だ。
この森には飛竜が居る。
巨大な――飛竜。100歳は軽く超えている。もっとか? 200歳だろうか?
土の中で眠っている。
瞼が動く。
目覚めが近い。
飛竜が――
触れた指先。その先に、洞窟の壁を、土を、森を通して、飛竜のイメージが伝わってくる。
深い深い土の底。
深い森の色をした飛竜が、巨大な身体を丸め、今にも破られそうな眠りを貪っている。
竜の身体全体には木の根が絡み付いている。
あぁ、この飛竜は――
「――緑竜」
そして分かる。
この飛竜は。
飢えていた。
必要なのだ。
餌が――
ぴくん、と。
飛竜の瞼が大きく動く。
静かに静かに開かれていく黒い瞳が、シズハを、見た。
――痛み。
驚いて手を離す。
壁に押し付けていた手の甲に、僅かに紅い線が走っている。
猫の爪あと。
「……あ、有難うございます」
何が起こったか正直よく分からなかった。
近くに居る飛竜の気配を感じる事はよくあるが、此処まではっきりとイメージを見たのは初めてだ。
アルタットの力だろうか。
「何が見えたぁ?」
「この森には緑竜が居ます」
「……大きな森だと思ったけど、へぇ、珍しいー」
「ですが、この緑竜――」
「――流石竜騎士だと他の飛竜の事もよく分かるんだな」
背後からの声に咄嗟に振り返る。
茨の格子の向こう。
まだ若い……と言うよりも幼いエルフの少年が立っていた。
シズハの視線を受けて、少しだけ、笑う。
「俺たちの森には緑竜が居るぜ。ずっとこの森を育てて、守ってくれた飛竜が、居る」
緑竜は飛竜の中ではもっとも特殊な生き方をする。
基本的に森に住み、空を飛ぶ事は滅多にしない。
その代わり、地面に潜り、生涯のほぼすべて眠るのだ。
眠る緑竜は木々の根とひとつになり、そこから栄養を得る。
逆に、木々に竜の魔力を分け与え、育て、守るのだ。
「緑竜のおかげで戦争の時もこの森は焼かれずに済んだんだ。炎からも守ってくれた」
そこでエルフの少年は少しだけ困ったような表情をする。
「そんなに睨まないでくれよ。――食事、持ってきたんだ。お腹空くと思うから」
「……イルノリアはどうしてる?」
「いるのりあ? ――あぁ、あの銀色の竜? 茨の檻に入っている。出してはあげられないけど、何か、俺が出来る事はある?」
シズハは少し迷う。
「……シズハは無事だと伝えて欲しい」
「しずは? それが貴方の名前?」
笑う。
「イルノリアにちゃんと伝えておくぜ」
「有難う」
「ううん。これぐらいしか出来ないから」
格子の隙間から、地面に袋が置かれる。
食料が入っているらしい。
「これ、食べて」
「満月の晩は明日。遅くとも、明後日には出れると思う」
それだけ言うと少年は立ち上がった。
だが動かない。
格子の前で軽く俯いた。
「――なぁに?」
ごろりと寝返りを打ったヴィーが格子に向く。
まだ横になったまま、半眼。
「シズハに何か聞きたい事、あるのぉ?」
「……ぁ」
少年は小さく声を上げる。
図星だったようだ。
「竜騎士の人にこんな事聞くのって……変だけど」
「俺に答えられる事ならば」
「その」
真っ直ぐに、少年はシズハを見た。
「飛竜に食べられるのって、痛いのかな?」
驚いて何も答えられなかった。
少年は言葉が足りないと思ったらしい。
慌てた様子で言葉を繋いだ。
「その、明日、俺の妹が飛竜に喰われるから。覚悟はしてるって言うけど、痛いのはやっぱり可哀相だし……そんなに痛くないって竜騎士の人が保障してくれるなら、妹に――」
「待って」
シズハは少年の言葉を止める。
飛竜に喰われる?
「何故、妹さんを飛竜に食べさせる?」
「……生贄だよ」
少年が言う。
「緑竜が暴れて森を壊さないように、50年に一度、村の中から生贄を出す決まりなんだ」
「……馬鹿な」
「馬鹿だと思うけど、俺たち、この森以外に行き場は無いから」
「違う!」
シズハの強い言葉に少年が顔を上げる。
驚きの色が浮かんでいる瞳を睨む。
「緑竜に生贄? 何でそんな馬鹿な事を」
「……だって」
「――何だか何百年前に戻ったみたいな話だねー」
ヴィーは再度寝返りを打つ。
壁に向き直る。
丸められた背だけが見えた。
「緑竜って人間の世界にも居るけど、同族殺して生贄にするなんてもう何百年もやってないよー」
「……え?」
少年は困ったようにシズハを見た。
「はっきりと言う。――緑竜に生贄なんて要らない。餌で十分だ」
「……意味が分からない」
「緑竜は一定周期……だいたい50年から70年で発情、出産時期を迎える。その時期だけ、木から貰う栄養では足りず、肉を喰らう」
「その時期なんだろ? なら、やっぱり――」
「だから、違う」
「必要なのは肉だ。――人間やエルフの肉じゃなくてもいい。家畜で十分だ」
「人間の世界ではだいたい牛だねー。首を切り裂いて森に捨てておくと、夜のうちに緑竜が食べに来るよ。それではおーわり」
「一度の出産に牛一頭で事足りる」
少年は混乱しているようだ。
自分の中で言葉の整理をしている。
「な、なら――」
「妹さんじゃなくても大丈夫だ。牛や馬、何でもいい。それぐらいの家畜は居ないか?」
「鹿なら――鹿なら俺でも狩れる」
「それで大丈夫」
格子の隙間から少年の手が伸びた。
シズハの手を捕らえる。
握り締められる。
「つまり、ええと、死ななくていいんだな? 飛竜に喰われなくて済むんだな?」
「そう」
「……嘘?」
「本当だ」
「――よっと」
ヴィーが身体を起こす。
ぐっと身体を伸ばし、座りなおした。
「人間の世界じゃ、もうとっくの昔に常識になってる事だよー、これぇ」
「この村は……人間と交流が無いから」
「だろうねー」
頷く。
「でも勿体無いよー。人間から貰えるものは貰っておかなきゃさぁ。人間、勉強熱心なのと数が多いのだけは取り得だしー」
「エルヴィンは人間が嫌いだから」
「あの長とか言うエルフー? 昔なエルフだねー」
「村を守るには他所の血を入れないのが一番だって、皆が言ってる」
「それで仲間を飛竜の餌にしてたら、何だかなぁ」
で?
「どうするの、少年?」
「……妹を助ける」
「大変だよぉ?」
「でも、死なないで済む方法があるなら、助ける」
「そう」
頑張って、とヴィーは手を振った。
いまだシズハの手を握っていた少年は、視線をヴィーからシズハに戻す。
「シズハ、有難う」
「手助け出来る事があれば言って欲しい」
思わず口をついて出た言葉。
少年は嬉しそうに笑う。
有難うともうひとつ囁いて、手を離した。
「頑張ってみるよ、俺」
振り返り、歩きかけて――ふと思いついたようにこちらを見る。
「シズハの名前は聞いたけど、そっちの人の名前は?」
「……んー?」
ヴィーは迷ったようだ。
アルタットと視線で会話。
「……アルタットだよ」
「アルタットも有難う!」
俺は、と、少年が言う。
「クルス。マルアの森のクルス」
有難う、と、クルスはもう一度笑うと、今度こそ背を向け、闇に走り去って行った。
クルスが置いていった荷物に近付き、ヴィーが中身をごそごそと漁る。
「エルフに期待してなかったけど、森の食べ物ばかりだよー。肉食の猫にはきついねぇ」
「……大丈夫でしょうか」
「何がぁ?」
「クルスが」
「人間から得た情報で、他のエルフたちが動いてくれるでしょうか」
「分かんなーい」
「でも、やるしかないでしょー」
袋から水筒を出し、舐めるように水を一口。
「ハーフエルフなんだから、元々敵は多いの覚悟で、助ける発言でしょう?」
「え? ハーフエルフ?」
「他のエルフよりも耳が尖ってなかったしー、身体もがっしりしてたよね。多分、人間の血が混じってるよ」
だから俺たちにご飯持ってきてくれたのかな。
ヴィーはシズハに水筒を投げようとした。
が。
小さく顔を顰め、呻く。
「痛いー」
「あ」
弓で撃たれていたのだ。
「我慢してたけど結構痛いなぁ。――シズハ、癒せる?」
「は、はい」
「左腕ねー」
床に座り込んだヴィーが袖をめくり上げ、左腕を差し出してくる。
近付き、頼り無い灯りの下、傷を見る。
「かなり深いです」
「酷いよねぇ」
ヴィーはふくれっ面。
「これ、アルの身体なのに。アルが戻った時に傷だらけだったら可哀相とか思わないのかなぁ」
にゃーとアルタットが鳴く。
ヴィーは苦笑。
「戻る気無いって」
シズハは呪文に意識を集中する。
癒しの呪文。
何度も使い慣れた呪文だ。
「アルねぇ」
ぽつり、と、ヴィーが言う。
「人間を嫌いになったけど、同じぐらい自分を嫌になったんだよ。――何度も言うけど、身体捨てたって、アルはアルなんだよ? 勇者アルタットはアルなんだよ?」
猫はヴィーに背を向けてくるりと尾を巻いた。
その後姿に、ヴィーの言葉が続く。
「アルが辛い思いしたのは知ってるけどさぁ……。俺も、傍で見て聞いて……辛かったしぃ、色々」
アルタットはこちらを見ない。
ヴィーは小さく息を吐いた。
「ブロウの言葉が一番きつかったかなー。あぁ、でも、あれ、ニセモノだったのかな?」
小さく、アルが鳴く。
「……うん。あれがニセモノだったとしても、ブロウが本当にあの場に居たら……言っていたと思うよ」
アルタットとヴィーの会話。
シズハには分かりえぬ、過去。
「でもねー、アル」
「自分を嫌いになっちゃ駄目だよー。自分だけは、自分を一番好きでいてあげなきゃあ、可哀相だよ」
「……でも」
呪文の詠唱を途切れさせ、思わず、シズハは口を開く。
間近でヴィーの鮮やかな緑の瞳を見た。
「人は、自分に絶望する事はあります」
人が己を思う気持ちが当然で、それが深ければ深いほど。
絶望も等しく深いのだろう。
ヴィーはシズハを見る。
少しだけ、細められる瞳。
笑みと言うには戸惑うが、笑み、だったように思えた。
「……シズハも、あったの?」
「……」
迷う。
迷う間も視線を逸らさない。
「……はい」
視線。
合ったまま。
ふぅん、と、ヴィーは頷いた。
「人間って面倒だねぇ」
嫌だ嫌だ。
ヴィーはそう笑って、右手でシズハの頭を撫でた。
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