第4話 ゴルティアにて、過去

第4話

【1】


「――ふ、ふざけているのですか」

「いや」


 ゼチーアの問い掛けに、テオドールは不思議そうな顔で返した。

 先ほど渡された書類とテオドールの顔を交互に見て、ようやくこれが本当だと気付いたらしい。


「前から話していたと思ったが?」

「伺っていました」


 ゼチーアは擦れた声で返す。


「市民に飛竜をよく知ってもらおうと言う企画は――はい、企画段階から伺っています」

「哀しい事だが、いまだ飛竜を凶暴な獣か魔物だと思っている人間が多い。その誤解を消し去るのも、我ら竜騎士の役目とは思わないか?」

「えぇ、テオドール殿、確かに」


 頷くものの、ゼチーアはあからさまに戸惑っている。


「しかし――イベントに出す飛竜は、ココの予定では?」


 何故、と問いかけが続く。


「ベルグマンを出すと言うのですか?」

「それが、だ」


 テオドールは困ったように顎に手を当てる。


「明日は少々天候が悪いので、テントを用意すると言い出してな」

「ココは軽く閉所恐怖症ですから。テントなんかに入れられては、パニックになっちゃいますよ」


 テオドールの背後から、ひょっこり顔を出したのは、噂の飛竜、ココのパートナー、シヴァだ。

 緩く編んだ長髪を肩に掛け、モノクルに隠されていない左目を笑みに細める。


「それなら、ゴルティア竜騎士団一、温厚なベルグマンかな、と思って推薦しておきました!」

「余計な事を……!!!」

「いひゃひゃひゃひゃ!!」


 顔を左右に引っ張られて、シヴァが不明瞭な悲鳴を上げる。

 恐らく「いたたたたた」と言っているらしいがよく分からない。


「だいたい――このイベントを考えたのは貴様だろう、シヴァ」


 顔から手を離してもらって、シヴァが真っ赤になった頬を撫で摩りつつ、「そうですよ」と答えた。


「企画書出したのは僕です。――ほら、人の騎士団が武術大会なんてのを企画したから、対抗して」

「……あの武術大会か」


 思い出しても胃が痛むらしい。


「お前が何も考えずに優勝してくれた、あの大会だな」

「だって悔しいじゃないですか。僕よりも弓が下手糞なヤツに『竜騎士は楽でいいな。ドラゴンランスのひとつしか練習しなくて済むんだからな』とか言われちゃ」

「……だからと言って優勝するか」


 へらへら笑っているばかりいる、貴族育ちのこのシヴァに弓技の部の優勝を持っていかれ、弓が自慢だった騎士の青ざめた顔を思い出す。

 また竜騎士団と人の騎士団の空気が悪くなった。


「そういうゼチーアさんも剣技で準優勝でしょう?」

「ちゃんと優勝は譲った」

「ゼチーア、真剣勝負に譲ったは失礼ではないか?」

「はい、申し訳ありません」


 テオドールの言葉にゼチーアはおとなしく頭を下げた。

 ちなみにテオドールは参加しなかった。

 それが一番平和だ。


「過去の事は忘れて――それより、明日の事ですよ、ゼチーアさん」

「……む」


 一瞬忘れかけていた。

 ゼチーアは眉間に皺を寄せる。

 いや、眉間所か額にまで皺が寄っている。


「ベルグマンに頼んでみて下さいよ。あの子ならきっと了承してくれますよ」

「ゼチーア、私からも頼む。ベルグマンに明日のイベントに出るように頼んで貰えまいか」

「……」


 テオドールが頭を下げそうな様子でそう言えば、ゼチーアは黙り込む。

 彼なりに考えて――考えて。

 やがて、胃の辺りに片手を当てつつ、はぁ、と曖昧な声を出した。

 ため息にも聞こえた。


「ベルグマンならば嫌は無いでしょう」

「そうか。なら、頼めるか」

「はい、かしこまりました」

「助かる」


 テオドールが笑う。

 60歳も間近な男とは思えぬ、子供のような笑みだ。


「明日のイベント、巧く行くといいですね」


 にこにこと笑いながら、シヴァが背後からゼチーアの肩に手を掛ける。

 軽く肩を抱くようにしながら、笑顔で続けた。


「暗いニュースばかりの世の中ですから、せめて子供たちぐらい明るく笑って欲しいですよ」

「まだ戦争が続く国も多いんだぞ」

「殆どの国は休戦同盟に同意してますよ」


 長い指をゼチーアの目の前に立てる。

 立っている指は四本。


「デュラハにシルスティン、それからバーンホーンにクラップ。同意してないのは僅かこの四ヶ国。シルスティンとデュラハが交戦中。でも、シルスティンはもう国力が足りない。持ってあと――」

「一ヶ月だろう。それ以上は無意味だ」


 ゼチーアの続きにシヴァが頷く。


「そうですね。女王も聡い人なんですが――どうやら国内の神聖騎士団を押さえ込めないみたいです。彼らの暴走の結果が、この長期戦みたいです」

「……早く、シルスティンも休戦同盟を結んでくれればいいのだが」


 テオドールが小さく呟く。

 シヴァとゼチーアは軽く視線で会話。

 ――テオドールの最愛の息子は、現在、シルスティンの竜騎士団に属している。

 ゼチーアは息を吐く。


「姉妹国のシルスティンが戦争状態である以上、我が国もある程度は兵力を送らねばならない。――テオドール殿の仰る通り、早く休戦して欲しいものです」

「ですね。――でも、まぁ、大丈夫だと思いますよ」


 シヴァは軽く答える。


「ええと――デュラハの国力は分かりませんが、シルスティンが同盟結べば沈黙するでしょう。彼らは攻められれば守りますが、滅多に攻めない」


 続ける、シヴァの声。


「バーンホーン。此処は厄介ですねぇ。下手に軍事力自慢なもんだから、大陸の他の国を相手にしても戦いやりそうで。クラップも売られた喧嘩は徹底的に買っちゃうからなぁ。正義の名の下に! って」


 でも、と、シヴァの笑顔。


「バーンホーン、内部の方が結構ごちゃごちゃしてきちゃったみたいなんで、持って半年、ですね」

「何故?」

「戦争続ける為に、一般市民をちょっと絞りすぎちゃったみたいで」

「何処でそういう情報を得てくるんだ?」

「いやぁ」


 シヴァは相変わらずにこにこと笑っている。

 ゼチーアの耳にも入って来ない情報だ。

 風竜乗りは風の耳を持つ。そんな冗談を思い出した。


「クラップに潰されるぐらいなら、大恥掻いても休戦同盟に合意しますよ。クラップは法の国ですから、大陸の法を持ち出されたのなら、もう、バーンホーンは狙わない」

 なので。

「10年続いたこの戦争は、あと半年ぐらいで終了予定です」

「……だといいな」

「ゼチーアさんは心配性ですねぇ」

「お前が楽観的過ぎなんだ」


 シヴァはにこにこと笑う。

 笑って、ゼチーアの頬を軽くつついた。


「まぁまぁ。今は明日の事を考えましょう? ミミウから王女様もいらっしゃるのですから」


 南の大国の名前を出されて、ゼチーアの顔が軽く強張る。


「まさか、王女の接待までも私にやらせる気か?」

「飛竜を見たいそうですよ。ミミウ、竜騎士団が無いそうなので」

「テオドール殿、私は――」


 助けを求めるようにテオドールを見るが、彼はうん、と満足そうに頷いた。


「ゼチーアなら王族の対応も問題ないだろう。誰に任せるよりも安心だ」

「ですって。頑張って下さい」

「………」

 無言で、ゼチーアが胃の辺りを撫でていた。



【2】



 翌日。


 確かに空の色は暗い。今にも雨が降り出しそうな灰色だ。

 ゼチーアは空を見上げ、眉間に皺を寄せる。

 彼はゆっくりと背後を振り仰ぐ。


 ゴルティアの中央広場。そこに作られた、サーカスでもやるのかと思うほどの巨大なテント。その中には、彼の愛竜、ベルグマンがのっそりと巨体を伸ばしているだろう。テントの外からは伺えないが、あの大人しい竜の事だ。黙って横たわっている筈だ。

 そっと、ゼチーアは息を吐いた。

 テントの入り口に向かって歩き出す。

 裾の長い上衣が気になって仕方ない。騎士の正装。こんな仮装行列みたいな服装をする羽目になると思わなかった。

 が、シヴァが差し出した『子供に受ける服装』よりはずっといい。

 どう見ても道化師だ、あれは。

 市民と竜のふれあい。

 主な対象は子供だ。

 このテントの中は子供が好むものばかり揃っている。

 例えばお菓子を配るような出店、ちょっとした遊具。

 その中のメインが――ベルグマンなのだ。

 胃が痛い。

 何故に金竜が、飛竜たちの王とも呼ばれる金竜が、子供たちの玩具にならねばならないのだ。

 しかしどう考えても、風竜のココが無理ならば、一番適任なのはベルグマンなのも悔しい。

 ベルグマンは温厚だ。

 温厚過ぎる。

 むしろトロい。

 テントの入り口を守っていた兵士に挨拶をし、中に入る。

 ゼチーアに気付いたベルグマンが軽く顔を上げた。嬉しそうに僅かに羽根を動かす。

 それを片手で止めて近付いた。

 ベルグマンの顔を見る。


「今日のイベントはお前はただ大人しくしていればいい。いつも通り寝ているだけだ。子供が大勢やってくるが、何をされてもそのまま寝ていろ。――分かったな?」


 ベルグマンは喉の奥で小さく吼えた。

 大丈夫、と言っているように聞こえる。

 ゼチーアは少々離れた位置でベルグマンを見守る事にした。

 万が一――万が一の事があった場合、ベルグマンを抑える為に。


 そして、イベントが始まった。


 一時間経過。


 ベルグマンの周囲は子供で人だかりだ。

  ゼチーアにとって見慣れた飛竜だが子供たちにとっては違う。しかもこれだけ間近で飛竜を見られる機会など少ないだろう。


「……」


 イベントは巧く進んでいる。

 だが、おとなしくしているベルグマンを見ているゼチーアの顔はしかめっ面だ。

 大人し過ぎる。

 何をされても動かない。

 撫でる抱きつく乗るぐらいは許そう。

 しかし、翼を逆方向に持っていこうとするな。鱗を剥がすな。蹴るな!

 何度か眼に余る行為は止めさせたが、ゼチーアが入らなければ、ベルグマンはずっと大人しくしていただろう。

 なんだ、こののんびり具合は。


「――ベルグマン」


 休憩の為に設けられた短い時間で、ゼチーアはベルグマンの身体に寄り掛かるように背を預ける。 

 ベルグマンが此処に居るのはゼチーアの頼みの結果で、彼が大人しくしているのもゼチーアの頼みだ。

 故に、顔を見られなかった。


「少しは抵抗する気が無いのか?」


 ベルグマンは低く吼える。

 疑問の声。

 何故にゼチーアが不機嫌なのか分かってないらしい。


「金竜としてのプライドは無いのか?」


 声が強くなる。

 強くなってから、慌てて口を閉ざした。

 綺麗に整えられた前髪を軽く乱すようにかき混ぜ、ああ、とゼチーアは軽く呻いた。


「……すまん」


 ベルグマンは何も答えない。

 ただその背の翼が緩やかに動いた。


「ゼチーア殿!」


 兵士の一人が声を掛けてくる。


「午後から晴れそうなので、金竜を外に出そうと思いますが、どうでしょうか?」

「あぁ、問題ない」


 それならばココを呼び寄せたい所だ。

 正直に言えば帰りたい。

 着慣れない騎士の正装もそろそろ疲れてきた。

 この服装はやはり目立つらしい。

 何故か、子供を連れた母親たちがちらちらとこちらを見るのだ。 

 目立つのは嫌いだ。 

 ゼチーアは胃の辺りをゆっくりと撫で摩った。



 外に出され、やはりベルグマンは気持ち良さそうだった。

 首を伸ばし、晴れた空を仰ぐ。

 その姿に子供たちの歓声が上がった。

 伸びている竜よりもずっと竜らしく、子供たち好みに見えるらしい。

 中身は一緒なのだが。


「――ゼチーアさん」


 後ろから肩を叩かれた。

 見れば、私服姿のシヴァだ。


「どうも、お疲れ様です」


 片手だけの砕けた敬礼。

 そんなシヴァを、眉間に皺を寄せてゼチーアは睨み付ける。


「暇ならココを連れて来い。代われ」

「そんなぁ、僕もココも今日は休暇貰ったんですよ。ココは家でのんびりしてるんですから、勘弁して下さい」

「私も家でのんびりしたいものだ」

「どうせ何もする事ないんでしょう? 子供の相手もいいものじゃありませんか」

「趣味ぐらいある」

「へぇ。何ですか?」

「農業。最近野菜を育て始めた」

「せめて、ガーデニングと言えませんか?」


 目線は真っ直ぐにベルグマンに注ぎ、シヴァと会話をする。

 あ、と、短くシヴァが声を上げた。


「ゼチーアさん、右側、右側」

「……ん?」


 視線を軽くそちらに向ける。

 目立つ一団がそこに居た。

 ほぼ全員が異国の衣装を身にまとっている。鮮やかな原色の衣装。比較的露出が高く、腕や脚がかなりの所まで表に出ていた。

 ゴルティアでは滅多に見られないタイプの衣類だ。

 そしてその衣類を纏う者たちは、総じて褐色の肌だ。


「……ミミウのお姫様ですよ」


 耳元でシヴァが囁く。

 何処だ、と、ゼチーアの瞳が彷徨う。

 どの人物か示されなかったが、視線は一度動いただけでその少女を探し出した。

 まるで踊り子のような露出の高い衣装を纏っている。その衣装のせいで身体の線ははっきり出ていた。身体の線は手足こそ長いものの、大人びた顔つきに反し、彼女がまだまだ子供である事を示していた。

 褐色の肌と明るい金色の髪の対比が美しい、なるほど、なかなかの美少女だ。


「次期ミミウの女王と言われる、ルナール王女ですよ」


 挨拶ぐらいしておかないんですか、と言う言葉に、ゼチーアは無言で肩を竦めた。

 視線で示す。

 ルナール王女の真横、20代半ばぐらいの男が大げさな仕草で彼女に話しかけ続けていた。


「あれぇ、フリッツさん」

「王女の接待なら自分が行うと、有り難い事に申し出てくれた」 


 嫌味ではなく本音。

 王族の接待など、どう考えても注目の集まる仕事は遠慮したい。

 そこに現れたのはこの男だ。

 人の騎士団に属する騎士の一人。


「落馬のフリッツなんかに任せていいんですか?」

「なんだ、その落馬の、と言うのは?」

「この前の大戦で、愛馬から落ちたんですよ。それで骨折」

「………」


 騎士が馬から落ちるな。


「しかも出陣の五分前にそれをやったものだから、もう城中の語り草ですよ」

「馬から落ちるような騎士に出陣されても我が国の恥だ。丁度良かっただろう」

「その恥に、遊びに来てくれているお姫様を接待させていいものですかねぇ――って、あれ、彼女、こっちを見てません?」

「気のせいだろう」

「いえ、でも――」


 シヴァの言葉が終わらないうちに、確かにルナール王女はこちらに向かって歩いてきた。

 慌ててフリッツが追いかけてくるが、ヒールの高い靴を履いているわりに、ルナール王女は歩くのが早い。

 王女が目の前に立った。 

 間近で見ればさらに美しい少女だった。

 15、6歳と言う所か。

 黒と見間違うような深い蒼の瞳が、はっきりとしたきつめの顔立ちに映えている。


「この金竜の主は、お前か?」


 話しかけられている。

 ああ、嫌だ。

 そうは考えるが、そんな事は微塵も表に出さず、ゼチーアは王族に対する礼を行う。

 だが間違いだけは正しておこう。


「主ではございませんが、この金竜の片割れは私でございます」

「主ではない、と?」

「竜騎士と飛竜は、主人と下僕の関係ではございません。パートナーです。どちらが上とは定まりません」

「そう言えば魂の友と聞いた事がある。そういうものか?」

「そうでございます」


 面白い、と、王女は楽しげに笑った。


「乗ってみたくなった。竜騎士よ、この金竜に乗せておくれ」


 嫌だ。

 断ろう。

 危ないとかそういう理由で十分だ。

 ゼチーアが顔を上げ、王女に答えを返す前に、フリッツが王女の前に出た。


「ルナール様、お止めください! こんな獣に跨るなど、危険極まりない!」


 獣……?


「万が一、襲われたりしたらどうなさるおつもりですか! 見て下さい、この鋭い牙、爪。人間など一撃ですよ?!」


 襲う……?


 ゼチーアの瞳が細められる。

 こめかみがぴくぴくと動いていた。

 彼の横でシヴァが「あーぁ」と空を見上げた。


「――どうぞ、王女、お乗り下さい」


 ゼチーアは笑みで王女を促した。

 王女の顔が輝く。

 逆にフリッツの顔は青ざめた。

 差し伸べたゼチーアの手に少女の褐色の手が重ねられる。

 ゼチーアの顔を、輝く蒼い瞳が見た。


「本当に乗せてくれるのか?」

「お約束しましょう」

「危ないです、ルナール様! もしも落ちたらどうなさるおつもりですか?!」

「フリッツ殿」


 睨み付ける。


「馬から落ちる騎士はおりますが、竜から落ちる竜騎士はおりません」


 ご安心下さい、と、口元を歪めただけの笑みを向けた。

 周辺に集まった子供たちに声を掛ける。


「さぁ、今からこの飛龍が飛ぶ様子をご覧にいれましょう。――少し下がって頂けますか」


 子供に向けたとは思えない丁寧な口調に、子供たちは意外なほど素直に従ってくれた。

 ゼチーアと王女に向けられる子供たちの瞳は、期待に溢れている。

 飛ぶ姿。それを見てみたいのだろう。

 王女の軽い身体を抱き上げて、先にベルグマンの鞍に乗せる。

 その後ろ、王女を背後から抱くように、ゼチーアも乗った。


「私か竜に捕まって下さいませんか」

「ん」


 王女はゼチーアの胸に抱きつくように腕を絡めた。

 緊張で顔が強張っている。

 こう見ると随分と子供っぽい。

 手綱を手に、ゼチーアは笑う。


「ご安心下さい。危険は何ひとつございません」

「……分かった」


 お前を信じよう。

 王女はそう言って、軽く首を振った。


「いや、お前たちを信じよう」

「有難うございます。――ベルグマン」


 呼びかけに、ベルグマンはゆっくりと翼を広げた。

 子供たちから歓声が上がる。

 羽ばたき。

 竜の巨体が持ち上がる。

 軽く身体に掛かる抵抗。王女が小さな悲鳴をあげ、ますますしっかりとゼチーアに抱きついた。

 瞳を強く閉じている表情。

 ゼチーアは再度、小さく笑う。


「――ルナール王女、目を、開いて下さい」


 恐る恐る開かれた蒼い瞳が、ゼチーアを見た。


「どうぞ、空です」

「……ぁ」


 小さな呟き。

 王女は周囲を見回した。

 自分が飛んでいる事を理解するのに数秒。

 だが、すぐに王女は弾んだ声を上げた。


「飛んでる、本当に飛んでるぞ!」 


 首を伸ばして下を見る。


「あぁ、あそこが先ほどまで居た広場だな! こんなに小さく見える!」


 遠くを見て。


「凄い、こんなに遠くまで見えるのか!」

「少し周囲を巡りますか」

「頼む!」


 イベントの時間を考えて、ゴルティアの中心街を回るコースを考えた。これならイベントの邪魔にはならないだろう。

 それに、広場から見つめる人々も、ベルグマンの姿を確認出来る筈だ。

 ゴルティアの街を上から眺める。

 竜騎士以外の人間が見ることの許されぬ、その風景。

 王女はため息のような声を零す。


「美しい街だな、此処は」

「有難うございます」

「私の国にはこのような美しい街は無い」

「その分、美しい緑がありますでしょう」

「……」


 王女が不思議そうにゼチーアを見た。

 その彼女に笑いかける。


「多くの命が生まれ育まれる、深き緑があると伺います。――ゴルティアの街も確かに美しい街ですが、もっとも美しいものは、生きているものです」


 ならば命を育む深き緑は、もっと美しい。

 ゼチーアは故郷でそれを知った。

 自然の恵みで生きるあの故郷は、このゴルティアの街よりもずっと美しいと思うのだ。

 王女が笑った。


「そうだな! 私の国はもっと美しい。あぁなんて恥ずかしいんだ。他国の者に教えられるなど、父上に知れたら怒られる」

「では此処だけの秘密にしましょう」

「そうだ。そうしよう」


 王女は本当に嬉しそうだ。


「私とお前――それと、この竜だけの秘密だ」


 ベルグマンが小さく吼えた。

 返事に聞こえた。

 その声に頷きながら、ゼチーアは王女に言った。


「ベルグマンと申します」

「お前の名か?」

「いいえ、竜の。私はゼチーアです」

「ゼチーア……ベルグマン」


 覚えた、と、王女はくすくすと笑った。

 ゴルティアの中心街を一周し、そろそろ地上に戻る頃、王女が小さな声でゼチーアを呼んだ。


「また竜に乗せておくれ?」

「この国にいらっしゃる事があればお呼び下さい」

「必ず呼ぶ」


 だからまた竜に乗せておくれ。

 王女の声は何処か必死の色さえ滲ませていた。


「お約束しましょう」


 その言葉に、王女はゆっくりと深く頷いた。


 地上に近付く。

 子供たちが集まってくるのが見える。

 シヴァの姿が見えた。ベルグマンが着地するための場所にまで集まって来る子供たちを抑えていた。

 助かる。

 ベルグマンが風を巻き起こしながら地上に近付き、やがて降り立つ。

 緩やかに翼を畳み、地上にその身体を伸ばした。

 ゼチーアが先に降り、王女の身体を抱き下ろす。

 軽い動きで地上に降りた王女は、可愛らしい笑みでゼチーアを見上げた。


「ゼチーア、ベルグマン。お前たちに褒美を取らせよう」

「有難うございます」

「後ほど、用意させる。楽しみにしているがいい」


 駆け寄ってきたフリッツが凄い眼でゼチーアを睨み付け、その表情が嘘のように笑顔になると、王女を連れて歩き出した。

 王女の傍仕えたちも一緒に歩いていく。

 最後に王女が一瞬だけ振り返った。

 蒼い瞳が微笑んでいた。



「――ゼチーアさーん」


 べったり、と、背後から抱きついてくる感触。


「喧嘩売っちゃ駄目なんじゃないですかぁ?」

「……ベルグマンを侮辱されて黙っていられるか」

「えぇあそこで黙っていちゃ竜騎士として失格です」


 うんうん、とシヴァが嬉しそうに頷く。


「いやもう、僕、ゼチーアさんに惚れ直しちゃいそうです」

「気持ち悪い黙れ」

「冗談ですよー。僕ちゃんと女の子が好きですから」

「先ほどの王女はどうだ? 若かったぞ」

「15歳でしょう? もう少し若い方が好みです」

「……すまん」


 何だか全力で謝りたくなった。



 王女から褒美は、宝石で飾られた鳥籠にいれられた、緑色のインコのつがいだった。

 渡されたのは翌日だ。ミミウに帰る王女を見送りの際、ゼチーア個人に手ずから渡された。

 非常に目立った。泣きたくなるほど注目を浴びた。 

 だが、可愛らしい緑の鳥。

 ルナール王女らしい贈り物だと、少しだけ、微笑んだ。


 その後。



「――ゼチーアさん」


 城の中。

 書類のチェックを行っていたゼチーアに、運んできたばかりの荷物を差し出しながらシヴァが問い掛ける。


「そう言えば、王女様からの贈り物、どうしました?」

「うん? あの宝石だらけの鳥籠か? あれは城の宝物庫に預かってもらったぞ」

「へぇ、じゃあ、鳥は?」

「鳥? 掃除し易い新しい鳥篭を買ったからそっちで飼っている」

「……普通に?」

「あぁ」


 受け取った荷物を開封し、チェックする。

 幾つかのマジックアイテム。


「最近、鳥篭から抜け出す癖が付いた。ベルグマンの所で遊んでいるようだが――本当に金竜としてのプライドは無いのか、あいつは」

「それ、まずくないですか?」

「あぁ、悪い傾向だ。人間の子供だけじゃなくて鳥にまで甘い金竜とはな」

「違います」


 シヴァの声に顔を上げた。

 珍しく、シヴァが真面目な顔をしている。


「あの鳥、もし盗まれたりしたら大変ですよ?」

「鳥だろう? 王女から貰ったものとはいえ、ただの鳥を盗む物好きが居るか?」

「……値段、知らないんですか?」

「せいぜい500か?」

「その百倍はします。いや、もっとですね。200倍はしないけど、それに近い」

「…………」


 絶句。


「かなり珍しい鳥なんですよ。あの鳥を買い取る際は、鳥とまったく同じ大きさの金で彫像を作らせ、それを交換するってぐらいの」

「………」

「しかもつがいでしょう? 単純に二倍」

「…………」

「……ゼチーアさん?」

「い、」

「い?」


 ゼチーアは胃の辺りを抑えてテーブルに突っ伏した。


「胃が……痛い……」

「え? うわ、ゼチーアさん凄い顔色! ちょ、ちょっと待って下さい、今医務室に……って言うか、誰か来てー!!!」


 シヴァの悲鳴が城に響き渡った。



 その頃。


 自宅の竜舎でくつろぐベルグマンの頭の上で、2匹のインコがついついとじゃれあっている。

 非常に微笑ましい風景。




「――ゼチーアさん、今お医者さん来ますから、しっかり……!!」


 その微笑ましい風景を思い浮かべつつ、ゼチーアは今までに無い胃痛に耐えていた。



                終


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