第3話 ゴルティアにて、現在

第3話

【1】



 何か行動を起こす前に鏡を見る癖がある。


 ゼチーアは毎朝鏡を見る。

 今年で32歳になる男の顔が映っていた。

 竜騎士としては少々細身ではあるが、それでも何度も戦場に出た。

 冥王との戦いでは先陣を切った事もあり、その後の大戦でも出陣した。

 その全てで生き残り、今も竜騎士として五体満足で国に仕えている。

 ゴルティアの竜騎士団の中でも有数の騎士だと自負していた。


 鏡の中。

 最近特に広くなってきたように思える額に触れる。

 額のほぼ中央、小指の先ほどの金色の石が埋まっていた。

 竜と契約した人間は、身体のいずれかが竜に似る。

 瞳や爪、鱗や翼。その場所も大きさも人それぞれ。

 ゼチーアの場合はこの竜玉だ。

 彼の愛竜である金竜のベルグマンも額の同じ位置に、この宝玉が埋まっている。

 何の為にあるものか分かっていない。

 それでも通常、人の身体には有り得ないものだ。


 ――幼い時、ベルグマンと出会い、額にこの宝石が現れた時は嬉しくて仕方なかった。

 竜騎士と言う、望んでもなれぬ存在へと選ばれたのだと、心から誇らしかった。

 そう。

 幼い時は。

 ゼチーアは鏡を軽く拳で叩いた。

 ノックするような軽い仕草だ。

 ただ瞳は真剣。

 真剣な瞳で自分を睨み付けるように、彼は小さく呟いた。


「――今年こそは田舎に帰るぞ」


 竜騎士団なんて辞めて故郷に帰る。

 それが、ゼチーアの今の夢だった。


 竜は大好きだ。

 竜騎士と言う職業に対しての誇りもある。

 上司も性格の一部に少しだけ問題があるが尊敬に値する人で、同僚も気さくな奴等ばかり。部下だって将来性がある素晴らしい者たちだ。

 勿論、給金だって悪くない。

 でも。

 ゼチーアは胃の辺りを抑えた。

 考えているだけで胃が痛くなってくる。

 胃炎。

 どう考えても、胃と――その、最近特に広くなってきた、場所が、気になって、しょうがない。

 鏡に映った自分の顔を眺め、いつ辞表を出そうか、ゼチーアはもう一度考えた。



 ゴルティアの城。

 そして、竜騎士団の本部が置かれるのも此処である。

 休戦同盟が結ばれ、特に目立った争いも無い。竜騎士も、普通の騎士もこの平和に戸惑いながらも自分たちの居場所を探しているような雰囲気があった。

 ゼチーアは纏めた書類を手に廊下を歩いていた。

 城の中でも、この周辺に居るのは竜騎士と、そちらに属する者たちばかりだ。

 見慣れた竜騎士と挨拶を交わし、ゼチーアはひとつの扉の前に立つ。

 竜騎士団団長。

 そこの私室だ。

 ゼチーアは手の中の書類を見た。

 これを報告するのが気が重い。

 それでも、伝えなければならないだろう。

 扉をノックする。


「テオドール様。失礼致します」


 待つ。

 返事が無い。

 しかし声はする。

 誰かと話しているのか? しかし客人が来ている様子は無かった。

 ならば――

 微かに聞こえてきたのは殆ど怒声だ。


「………」


 ゼチーアは無言で天井を見上げた。

 テオドール。ゼチーアの上司。

 素晴らしい竜騎士だ。戦場で、彼と彼の愛竜であるコーネリアの姿を見ただけで気持ちが鼓舞される。

 性格も基本的には騎士の鏡と言うべき男だ。

 ……まぁ少々世渡りが下手な箇所はあるが、それも裏を返せば彼の実直な性格の現われだ。

 良い人なのだ。

 基本的に。

 ただひとつ――大きな問題が。


「――テオドール様、失礼します」


 先ほどと同じ声を掛け、ゼチーアは扉を開く。



 途端、部屋の奥で一抱えもある水晶球を揺らしながら怒鳴っているテオドールが見えた。


「だから、どういう意味か説明しろ、バートラムっ!」

『何度も説明しているだろうが』

「何故、うちのシズハが騎士団を辞めてるんだっ?!」


 扉を閉めつつ、ゼチーアはこっそりとため息を付く。

 やはり、か。

 普段は怒鳴る事も感情を露にする事も無いテオドールの唯一の例外。

 それが彼の一人息子に関してだ。

 遅く出来た子だからか。異様に可愛がっている。文字通り眼に入れても痛くないだろう。

 それだけ溺愛されて育ったなら、さぞろくでもない男に育ったかと思えば、意外と普通に育った。

 何度か会った事がある。

 礼儀正しい青年だった。

 しかもちゃんと竜に選ばれ、竜騎士になった。

 望んでなれる職業ではない。

 普通の親でもかなりの喜ぶ。

 それが、父親が竜騎士となれば、さらに、だ。


「お前が立派な竜騎士に育ててくれると言うから信じて預けたんだぞっ?! うちの息子に何の問題があった?!」


 テオドールが掴みかかっているのは巨大な水晶球。

 定められた場所と映像を結ぶ、魔法の装置だ。

 ……一般市民の給金、十年以上分の魔法の装置を、壊れろと言わんばかりに揺さぶっているのを見て、ゼチーアの胃がさらに痛み出した。

 水晶の映像。

 そこに映っているのは、立派な鎧を纏った赤毛の男だ。

 全体的に四角い顔のパーツに反して、眼だけは妙に子供っぽい。

 男は大げさに肩を竦めた。


『なーんも問題ない。むしろ本当にお前の息子かと疑いたくなるほど素直でイイコだった。竜騎士としても問題なさ過ぎて嫌味なほど』


 男は、テオドールの一人息子が属していた騎士団団長だ。

 シルスティン。銀竜を守護獣として崇める、ゴルティアの姉妹国。むしろ夫婦国、と言うべきか。

 銀竜乗りならそちらの方が良いだろうと、断腸の思いで息子を送り出したと聞いている。


『だがなぁ、シズハのヤツ、突然辞めたいって言い出した。俺はもうてっきりテオの所に戻るんだと思って、なーんも聞かずに了承出した。後は俺に任せておけ、ってさ』

「何故行き先ぐらい聞いてくれなかったんだ?!」

『お前の所に行くと思ってたんだよ。息子は父の背中を見て育った方がいいだろうと思ってたしさ。やっぱりシズハに書いて貰わなきゃならん書類が出てきたから連絡取りたかったんだが――本当にそっちに行ってないか?』

「来ていない。――いつ、そちらを出た?」

『……十日……いや、半月か』

「そ、そんなに……」


 がくり、とテオドールが崩れ落ちる。


「半月も行方知れずとは……もしか、まさか、いや、そんな」


 どういう想像をしてるのか絶対に聞きたくない。


『おーい、おーい、テオーテオー』


 水晶球の向こうでバートラムが呼んでいる。


『シズハだって成人した男だぞ。イルノリアだって付いてるんだ。そんな心配しなくとも』

「子の心配をして何が悪いっ!!」

『あー、ソウデスネソウデスネ』


 片言。


「何か行き先を言ってなかったのか?」

『あぁ、そういや、旅立ちの前に――仲の良かった火竜乗りと話してたな。別れ際に鱗渡したとか聞いた』

「分かった」


 テオドールがすっくと立ち上がる。


「すぐにそちらに行く。その火竜乗りに連絡を取ってくれ」

『それは簡単だがね』


 バートラムは呆れた顔。


『シルスティンまで来る気かい? ゴルティア騎士団長様?』

「………あ」

『うちとしては問題ないぜ。俺は竜騎士団長言っても城の中じゃあ地位低いしな。いくらだってお出迎えしてやる』


 テオドールがそっと振り返る。

 ゼチーアと眼が合った。

 テオドールは今年で58歳になる。綺麗に整えられた髭を蓄えた、がっしりとした体格の男だ。

 だが、彼はその年齢よりもかなり若く見える。

 しかも今は子供のように恐る恐るこちらを見ているのだ。


「ゼチーア――」

「賛成しかねます」

「………」


 しかし、と、手に持っていた書類のひとつを持ち上げた。


「先日、スタッドに現れた飛竜の件となれば、問題は無いと思います」

「ようやく情報公開してきたか」

「はい」


 水晶の向こうでバートラムが口笛を吹いた。


『早いねぇ。流石』

「こちらとの国境沿いの事件でしたので」

『うちの方はもうちょい掛かりそうだな。――緑の国は秘密主義で困るぜ』

「仕方あるまい」


 書類に眼を落としつつ、テオドールが口を開く。

 先ほどまでの様子は微塵も無い。

 顎に手をあて、真剣な表情。


「スタッドは他国にこれ以上借りを作りたくない。自国の中で処理が出来る問題はしようとするだろう」

『国の中で暴れているエルフさえ抑え切れん軍隊が、どうこう出来ると思えんがね。――あそこの竜騎士団は冥王戦で壊滅しただろう』

「あぁ、一対も増えていない」


 スタッド。

 国土の大半を森で覆われたその国で、旅人が連続して食い殺される事件が発生した。

 初めは狼の仕業と思われ、スタッドは自国内で狼狩りを行っていたが、今度はその狩人たちが襲われた。

 狩人たちを襲ったのは、紅い瞳の巨大な死竜だと言う。


『死竜とは厄介なものを連れてきたな。毒のブレスも不死のブレスも金竜じゃなきゃ抑え切れんだろう』

「この報告が本当ならば、このサイズの死竜のブレスを封じ込めるのはコーネリアだけだ」

『そこまでデカイ飛竜が隠れてられるかね? せいぜい半分に金貨一枚』

「戦う竜騎士たちの命に関わる事だ。油断は出来ん」


 テオドールの瞳が上がる。


「勿論、生命に関わる事を賭けにも出来んよ」

『すまん』

「そちらの報告書はいつ仕上がる?」

『急がせようか? ――そうだな、2時間くれ』

「今出発したのなら丁度だな」


 テオドールが指先で書類を叩いた。


「ゼチーア、デュラハに連絡を」


 死竜は人と契約をしない竜。

 不死の民である吸血鬼とのみ契約を行う竜とされる。

 そして、不死の民は毒の沼地が広がる平野の奥深く、常闇の国、デュラハにて生活している。


「これだけの死竜を従えた、吸血衝動を抑えきれぬような者が外に出た記録が無いか調べてくれ」

「過去何年分を」

「……50年もあればいいだろう」

「かしこまりました」

『じゃあ――遠慮なくゴルティア騎士団長様はうちにいらっしゃるって事だな? お待ちしているぜ』

「あぁ」

『じゃ』

「あ――その、先ほどの火竜乗りも同席してくれ」

『分かってる分かってる。――じゃあな』


 バートラムは指先を振って別れの挨拶を述べ、水晶の映像は切れた。

 ゼチーアはテオドールを見た。


「既に11人が死亡しています。一刻も早い解決を、と陛下は望まれています」

「7歳の子供まで殺されているのだな」

「はい」

「許せんな」


 すぐに出発する、と身を翻したテオドールを、ゼチーアは呼び止めた。


「テオドール様、もうひとつ、ご報告が」

「……何だ?」

「御子息の件で」

「……?」


 身を近づけ、声を潜める。


「勇者と行動を共にしている銀龍が目撃されています」

「……」

「この大陸で銀竜が人里に現れる事はありません。時期的にも同時期。恐らく、イルノリアかと」

「勇者アルタットか。そうか、分かった」

「お待ち下さい!」


 それだけの言葉で動き出そうとするテオドールを止める。


「問題視されないのですか」

「息子に会いたいのは確かだが、今は死竜の方が先決だ」

「違います。――勇者と行動を共にしているのは問題では?」


 ゼチーアはこの件に関して纏めた書類をテオドールの胸に叩き付けるように渡す。


「竜騎士団において――いえ、全ての騎士団において、勇者アルタットの名を良き思いで聴く者はおりません」


 テオドールは書類を受け取りつつ、微かに笑う。


「随分と昔の事をこだわるな」

「たった10年前です」

「すまん、年を取ると忘れっぽくなった」

「テオドール様っ!!」


 ゼチーアは叫んだ。

 忘れる訳が無い。


 10年前。

 冥王との戦い。

 人間は負けかけていた。

 竜騎士は勿論、そのほかの騎士も、兵士たちも多くが死んだ。

 それでも魔物は増え続ける。

 冥王の本拠地へ挑んだ騎士たちも帰ってこなかった。

 そこに現れたのが勇者だ。

 アルタットだ。

 彼は僅かな仲間だけで冥王の城へ挑み、そして、冥王を倒し、生還した。

 世に平和が訪れた。


 しかし、だ。


 勇者に与えられる名声の裏側。

 騎士たちに与えられたものは、人々からの悪評だ。

 たった一人の冒険者が行えた事が、何故に大勢の騎士で行えなかった。

 有事の際は民を守るとしておきながら、何も出来なかったのと同等ではないか。

 中には勇者を新たな王として国を興すべきだと言うものさえ居た。

 現在の騎士たちなど、王国など無用のものだと、そういう者さえ居たのだ。


「――だが、なぁ」


 テオドールは言う。


「冥王が倒れ、一時とは言え平和になった。――その事実があれば、それでいいではないか? 誰が冥王を倒そうともな」」

「しかし――それでは我々の存在意義は。竜騎士の存在意義は」

「あの時、我々は何もしなかったか? そうではないだろう?」

「……」

「ならばいい。我々は、我々が行うべき事を精一杯行った。――己を誇れるのならば、何も問題は無い」


 誰が何と言おうとも。


「息子もそれを知っている。誰に何と言われようとも、己を誇れればそれでいい」

「ですが、全ての騎士が、そう考えてはおりません。いまだに勇者アルタットを――」

「哀しい事だがな」


 冥王ではなく勇者アルタットを憎んだ者も居た。

 彼を抹殺しようとした者も多かった。


「ゼチーア」

「……はい」

「国が無くとも我らは竜騎士だ。竜が共に在るならば、な」


 だが。


「正しき誇りが無ければ、もう竜騎士とは言えんよ」


 竜もその背から騎士を落とすだろう。


「そろそろコーネリアの準備も整ったようだな」

「あ」


 ゼチーアは慌てて背筋を伸ばす。


「ただいま確認して参ります」

「いや、いい」

 テオドールが笑う。「コーネリアの声が聞こえた」

「……」


 竜舎とこの場所は同じ城内とは言え離れている。

 その声が聞こえる筈が無い。

 しかし、テオドールには聞こえたのだろう。

 愛竜の呼び声が。


「後は任せる」

「はい、かしこまりました」


 ゼチーアはそのままテオドールを見送った。

 始終痛んでいる胃が、今は少し、おとなしかった。


「あ」


 テオドールが足を止める。


「??」

「息子と仲が良かった人物と会うのだが、菓子折りぐらい持って行くべきかな?」

「……不要かと思います」

「しかし、世話になっていたとしたら――」

「不要です!! お願いですから、市街地のお菓子屋に金竜を横付けして買い物なんてしないで下さい!!!」

「しかし――」

「いいから早くご出立を!!!」


 背を押して部屋から押し出した。

 やはり胃が痛みだした。



【2】


 テオドールを何とか送り出し、ゼチーアが大きく息を吐いた頃、彼を呼ぶ声が聞こえた。

 見れば、ドアの隙間から男が一人、顔を出している。

 少々癖のある長髪に右目を隠した黒いモノクル。竜騎士と言うよりは、学校で子供に算数でも教えていそうな雰囲気の男だ。

 それでもこの男はゴルティアの竜騎士である。


「――シヴァ」

「やっぱり怒鳴っていたのはゼチーアさんでしたか」

「………」

「失礼します」


 部屋に入り込み、芝居が掛かった仕草で敬礼。

 敬礼を崩しきる前に、シヴァは部屋を見回した。


「さっき、コーネリアの羽音が聞こえたんですが、やっぱり団長、お出かけですか?」

「聞こえるのか?」

「空気が動く場所で起きた事ならなんでも、風竜乗りの耳に入って来ますよ」


 にこにこと、本当に学校の先生のような笑顔で言う。


「ええと」


 モノクルの縁を軽く叩くような仕草をしながら、改めて部屋を見回す。

 シヴァのモノクルの下は、風竜と同じ、爬虫類の瞳だ。それが彼の契約の印なのだが、同居している姪っ子に「怖い」と大泣きされて以来、決して他人に見せる事は無い。


「団長、どちらへ? ――まさか、シルスティンに?」

「そのまさかだ」

「書類お届けなら僕がしましたのに」


 確かに風竜の方が早いだろう。

 風竜は二対の翼で、すべての飛竜の中で最も早く空を飛ぶ。


「例の死竜の件、団長自ら出陣されるようだ。その確認もある」


 それにきっと、息子と親しかった人間から、息子の話を聞きたいのだろう。

 思わずため息を零しながら、「それより」とシヴァを見る。


「シヴァ、何の用だ?」

「明日から休暇ですので、その確認とご挨拶に。ゴルティア内には居ます。何かありましたら呼び出しして下さい」

「あぁ――そうだったな。一週間か?」

「はい」


 笑顔。


「休暇中に、兄夫婦とピクニックに行く予定です」

「………」


 確か、シヴァはゼチーアのふたつ下だ。勿論独身。

 彼には浮いた噂は無い。ただ、同居している兄夫婦の姪っ子を異様に可愛がっていると言う。

 姪っ子、現在六歳。


「……犯罪だぞ?」

「は?」

「いや、何でもない」


 不思議そうに眼を丸くしているシヴァの顔を見つつ、ふと、思い出す。

 『空気の動く場所の事なら何でも耳に入って来る』とは風竜乗りがよく口にする冗談だ。だが、様々な場所の情報を得るのが得意なのは、確かに風竜乗りである。


「――シヴァ」

「はい」

「アルタットの件――イルノリアで間違いは無いか?」

「ゼチーアさんも銀竜が絶滅寸前だってご存知でしょう?」

「それでも、だ」

「個体確認は行っています。こちらで把握しているイルノリアの特徴と、目撃された銀竜は酷似しています」


 ほぼ間違い無し。

 ゼチーアは大げさにため息を零し、頭を掻いた。

 胃が痛い。


「親が親なら息子も息子だ!!」


 苛々と、ゼチーアは部屋の中を歩き出した。


「今がどういう状況か分かっているのか。ただでさえテオドール様は敵が多いと言うのに。向こうに突かれる弱点を息子が作ってどうする!!」

「まぁまぁ。落ち着いて。――まだ、向こうの騎士団長さん、何だかんだ言って来てるんですか?」

「竜騎士隊を規模縮小し、人の騎士を増やすつもりらしい」

「あの人、団長を嫌ってますからね。――噂では竜騎士になり損ねたらしいですよ」


 シヴァは苦笑のように笑う。


「でも、まぁ。休戦同盟も結ばれましたし――戦うための竜騎士は要らない世になるかもしれませんね」

「それでいいのか?」

「僕はココが居ればそれでいいです」


 愛竜の名を出して、シヴァは笑顔。

 ……ゼチーアは大きく息を吐いた。


「竜と誇りがあれば、それが竜騎士、か」

「はい」

「………しかし、国と言う拠り所は持つべきだ」


 他の竜騎士がそういう態度なら、さらにゼチーアは此処に居なければならない。

 いくら綺麗ごとを言っても、結局、必要なのだ。

 竜と騎士が必要とされる場所が。

 例えば国。

 例えば民。

 ああ、でも。


「――早く田舎に帰りたい」


 それが本心なのに。

 もうひとつため息を付き、ふと思いついた疑問を口にする。


「話は変わるが――団長の息子が騎士団を辞めた理由、分かるか?」

「えぇと」


 少し考え込む表情。


「僕、情報……と言うか、噂を集めるのは得意なんですが、それを纏めるの苦手なんです。適当に話すんで、ゼチーアさんで判断して下さい」

「分かった」

「辞めた理由は分かりませんが――今、シルスティン、かなりごたごたしているのでそれ絡みかもしれません。厄介な事に、息子さんも少し巻き込まれていたみたいですし」

「……?」


 無言で続きを促す。


「女王陛下がそろそろ……その、体調的にアレなんです」

「死ぬのか?」

「もう直接的ですね。……まぁ、そういう事です」


 シヴァは苦笑しつつ、続けた。


「もう80歳近い高齢ですからあちこちガタが来ているようです。かなりしっかりとした方ですが、それでも、ね。ご存知の通り、女王も銀竜の乗り手ですが、自分が自然死した場合は復活させるな、と命じているようです」


 ゼチーアは瞳を閉じる。

 考えた。


「跡継ぎは――ああ、孫が居たな」

「そうです。あの国、王子が早世してますからね。女王、そりゃもう孫を可愛がってますよ。目に入れても痛くないぐらい溺愛」


 その結果、とシヴァが肩を竦めた。


「ろくでもない跡継ぎが出来上がってます」

「……普通はそうだな」


 テオドールとその息子はやはり例外なのだろう。

 「は?」と不思議そうな顔をするシヴァに何でもないと答え、続きを話させる。


「シルスティンは代々、王が銀竜乗りなんですよ。何とかその跡継ぎにも銀竜を与えようとしたんですが、今まですべて失敗。野生の銀竜を捕獲してお見合までやったって言うんだから、非常識ですよ」

「跡継ぎは幾つになった?」

「24歳。――もう無理でしょう。それにあんな粗暴な性格、温厚な銀竜が好むわけが無い」


 銀竜が居なくとも王にはなれる。

 だが、先祖代々受け継がれてきた伝統が、そこで断ち切られるのだ。

 跡継ぎとして既に頼り無いとされるその男。

 ゼチーアは少しだけ哀れに思えた。

 それ以上に愚かだと思ったが。


「銀竜が無いと言うのなら、それ以外の実力で皆に王と認めさせれば良いのだろうが。それをしているのか、その跡継ぎは」

「そんな真面目な事をするような人じゃないようです。それで、銀竜が欲しい欲しいと大騒ぎしている時に現れたのが、団長の息子さんです」


 テオドールの息子は銀竜乗りだ。


「かなり妬まれたみたいですよ」

「それで竜騎士団を出たのか?」

「いや……それが」


 奥歯に物が挟まったような、口調。


「団長の息子さん、人を疑う事を知らないって言うか、育ちの良いボンボンと言うか、何と言うか」

「……気付いてなかったのか?」

「恐らく。王家の人間は冷たいなー、ぐらいしか思ってなかったんじゃないですか?」

「……」


 テオドールの息子らしい反応だとも言える。


「向こうはかなり意識していたみたいです」


 こんな噂もあります、と、声を潜める。


「イルノリアを欲しがっていた、と」

「非常識極まる」


 吐き捨てる。

 ゼチーアは眉間に皺を寄せ、また部屋中を歩き出した。


「竜騎士から竜を奪うと? 死ねと言うようなものだ!」

「えぇ、まったくです。ですから、噂です。行動は何も起こしていません。さすがにこれをやってしまっては、シルスティンの騎士団長も黙っちゃいないでしょう?」


 それでも噂になる程度の感情はあったのだろう。

 バートラムは気付いていたのかもしれない。

 故に、テオドールの息子の願いを何も言わずに聞き入れたのかもしれない。

 はっきりと分かっていなかったとしても。

 バートラムは勘の良い男だ。

 もしもそうだとしたら、テオドールにこの事を話さないでくれたのは感謝する。

 テオドールが、この話を耳にしたら。

 ……ぞっとした。

 テオドールの騎士団長としての誇りと、一人息子への愛。

 誇りが勝ってくれる事を願うしかない。

 思考するゼチーアの前で、シヴァは首を傾げた。


「僕が知っている範囲はこれぐらいです。――竜騎士団を出たのなら、これが原因かと思いますが……でもなぁ。気付いてなかったと思うんですよ、団長の息子さん。何となく空気が変わるんで、周囲の人も気付くと思うんですよね、そういう反応は絶対に噂になるんで――」


 話すシヴァの口元を見て、ふと、妙な疑問が浮かんだ。


「シヴァ」

「はい?」

「妙に詳しいな」

「え?」


 一歩、シヴァが下がった。


「他国の内部事情はともかく、何故にテオドール様の息子について、そんなに詳しいんだ?」

「え? えーと……それは、えーと……」

「……頼まれて、調べたんだな?」


 逃げるシヴァを壁際に追い詰める。


「だ、団長にお酒に誘われまして! それで『遠い異国で一人で頑張っている息子が気になる。今どうしているか少しでも情報を得られないか』と相談されちゃって――」


 シヴァは両手でゼチーアを押し返しながら、愛想笑い。


「あの人は……」


 ゼチーアは頭を抱えた。

 自分の所属とは言え、情報収集専門の部下を私用で使うか。

 胃が猛烈に痛い。


「ぼ、僕も丁度シルスティンについて調査してましたし! ついで! そう、ついで状態です!」

「どっちがついでだ!」

「………」


 シヴァの眼が泳ぐ。


「お戻りになられたら一度お話せねばならないな」

「そ、そんなに怒らなくとも、ね、ゼチーアさん」


 つん、と、シヴァが愛想笑いのまま、ゼチーアの額の宝玉を突く。


「ほら、皺も凄いですよ」

「………」

「あ、僕思ったんですけど、ゼチーアさん、オールバック止めません? この髪型って禿げるって言うんですよ。ほら、こう、前髪落としちゃって、真ん中分けで――」

「あ、こら、何を!」


 シヴァの両手が伸びて、綺麗にオールバックにされた前髪をぐちゃぐちゃと落とす。

 ついでに左右に分けて前髪を整えようとした途端、ぴたり、とシヴァの手が止まった。


「……あー……」


 何だか、凄い哀れんだ声。

 そっと、丁寧な手つきで落とした前髪を戻すシヴァ。


「……?」


 ゼチーアが顔を上げると、シヴァの眼は激しく泳いでいた。


「や、やっぱり、ゼチーアさん、その髪型似合いますから、ずっとそのままがいいですよ。おでこが広いって言う言い訳の方が成り立つと思いますし!」

「………」


 シヴァの見たもの。


「何を、見た?」


 恐らく、頭の、てっぺん。


「き、聞くと傷付くと思いますよ?」

「もう十分傷付いたっ!!」

「ご、ごめんなさーいっ!!」


 シヴァは風竜乗りに相応しいスピードで逃げ出した。

「あーもう、どいつもこいつも!!」


 胃が痛い、痛過ぎる。


「絶対に田舎に帰る。帰ってやるっ!!」


 誓いを新たにするゼチーアだった。



【3】



 ゼチーアの「田舎に帰る誓い」を、仲間や友人たちは殆ど冗談のように捉えている。

 ただ一人、それを冗談とは思わず、本気で楽しみにしている者が居た。

 いや、一人、と言っていいものか。

 正しくは一匹。

 ゼチーアの飛竜、金竜のベルグマンだ。



 ゴルティア郊外の一軒家。

 家自体はさほど大きくないが、完全に隣接した竜舎は大きいものだ。

 その大きな竜舎の中で、ベルグマンは金色の巨体をのんびりと伸ばしている。

 見事な金竜である。

 同じ金竜でもその体色には個体差はある。ベルグマンは鮮やかな金色だ。

 しかもかなり立派な体格をしている。

 百歳にもう少しで手が届く年齢。

 能力的に言えば、大陸内でも上位に食い込む強さを誇る金竜である。

 ただし、今はよだれを垂らして寝ている。

 ベルグマンはうつらうつらを舟をこいでいた。


 ――子供たちの声が聞こえる。


 ベルグマンは少しだけ期待する。

 あの子たちは此処へやってこないのだろうか。

 遊びに来ればいいのに。

 人間の子供は大好きだ。

 小さくて可愛くて柔らかくて優しい。

 昔、『市民に親しみを持って貰う為に』と言うイベントで、子供たちと遊んだ事がある。

 本当は風竜のココが出る予定だったのだが、前日に急用が出来てしまい、急遽、ベルグマンが出た。

 子供たちは可愛かった。

 初めはベルグマンの大きさに驚いていたようだが、すぐに近付いてきてくれた。

 頭を撫でて腕に触れて、胴に抱きついてくれた。

 何をされても怒らなかった。

 鱗を何枚か持っていかれたが、それぐらい痛くない。

 冥王との戦いで魔物に喰らいつかれた方が痛かった。

 人間との戦いで、ゼチーアが矢を受けた時の方がもっともっと痛かった。


 ゼチーア。

 田舎に帰ると言う話はどうなったのだろう。

 ゼチーアの両親は田舎の農夫だ。

 戻るなら、きっと両親と同じ仕事になるだろう。

 悪くない。

 ベルグマンは仕事を手伝おうと思っている。

 牛や馬がよくやっている、畑を耕したり荷物を運んだり、ああいう事なら自分でも出来るだろう。

 畑仕事が無い時は子供たちと遊ばせて貰おう。

 もう一度、ベルグマンは子供たちを思い出す。

 閉じていた瞳を開き、竜舎の壁を見た。

 そこには、イベントで遊んだ子供たちから贈られた、お礼の手紙や絵が貼り付けられている。

 字は読めない。ゼチーアが全部読んでくれた。全てお礼の言葉らしい。

 世の中に人と契約する飛竜は沢山いるだろうけど、人間から手紙を貰った飛竜が何匹居るだろう。

 どんな勲章よりも誇らしい。

 ゼチーアは子供に好き放題にされているベルグマンに対して、「金竜としてのプライドはないのか」と怒鳴ったが、はて、背に乗った子供を落とすのが金竜のプライドなのだろうか。

 難しい。

 でもプライドの高い金竜は沢山居るのだし、一匹ぐらい、子供好きの金竜が居たってバランスが取れている。

 人間の子供の手紙を順繰り眺める。

 ひとつの絵。

 金色の飛竜と女の子が仲良く並んで描かれている。

 そう言えば可愛い女の子が居た。

 金髪の少女。

 ベルグマンの背中に乗って、歓声を上げていた。

 金髪の子供が一番好きだ。 

 だって、ゼチーアの昔を思い出すから。


 ベルグマン――いや、その頃はただの金竜である彼は、自分が嫌いだった。

 派手過ぎる。

 生まれた時から全身金色。

 自然界にこれほどそぐわない色も無い。

 成長して他の竜を知るにつれ、さらのその気持ちは強くなった。

 白竜なんて最高だ。自分の姿を隠せる。

 緑竜もいい。木に擬態出来るなど素敵だ。

 地竜もいい。地面に潜れるならずっと潜っていたい。

 火竜もいい。住んでいる場所が紅を十分隠してくれる。 

 どうせ光っているのなら銀竜が良かった。彼女らの銀はまだ控えめだ。

 どうせ派手な色なら雷竜が良かった。雷と共に現れるのならば派手な色も目立たないだろう。

 しかも金竜は他の竜から慕われる。

 自然、金竜の周辺に他の竜が寄って来る習性がある。

 金竜を中心とした小規模な群れを作り、金竜に守ってもらうらしいが。 

 やめてくれ、と、彼は何度も悲鳴を上げた。

 目立つのは嫌いだった。

 だからこっそり隠れて生きてきた。

 その彼が人間の村に近付いたのは偶然だった。

 声を聞きとめ、そう言えば生まれてこの方人間をじっくり見た事が無いのを思い出す。

 見てみようと、こっそりと村を覗いて驚いた。

 金色の子供が居た。

 金竜と違って、髪が金色なだけである。

 しかし驚いた。

 自然な生き物で、ちゃんと金色を備えている生き物が居るのだ。

 自分だけではないのだ。

 激しく感動した彼は、その夜、一人で村はずれを歩く子供の前に現れた。

 畑に忘れた道具を取りに行き、戻る途中だったらしい子供は、荷物を取り落とすほど驚いた。

 失敗したか、と金竜は思う。

 夜の方が目立たないだろうと思って来たのだが、やはり派手なのは変わらない。

 土でも被ってくれば良かっただろうか。

 子供は彼の目の前に立っている。

 酷く緊張しているように見えた。


――貴方は、金竜ですか。


 子供が問うた。


 頬を染めて、何だか興奮しているようにも見える。

――貴方のように綺麗な生き物を、僕は始めて見ました。


 綺麗、と。

 金竜はその言葉に驚いた。

 この派手な姿を、人間は綺麗と言うのだ。

 驚いた。

 人間は僅か一日で、ふたつの驚きを金竜に与えてくれたのだ。

 子供がそっと近付いた。

 小さな手で、金竜に触れようとする。

 何処を触らせたらいいのだろう。

 考えて、彼は地面に頭を伸ばした。

 前足は意外と汚れやすい。頭の方が綺麗だろう。

 それに、月光で綺麗に光っている子供の金髪を、間近で見れる。


 子供の小さな手が金竜の額、宝玉に触れた。

――本物だ……。


 子供の顔に明るい笑みが浮かんだ。

 とても良い顔だと思った。

 他の生き物が出来ない、とびきりの表情だと思った。

 子供とはそれで別れた。


 しかし、どうしても日光で輝く子供の金が見たくて、金竜は真昼間、子供の姿を見つけた村へと降り立った。


 物凄い混乱だった。

 子供は泣き出す、爺さんは神様に祈りだす、女は腰を抜かす、男は逃げ出す、と。 

 その中、あの子供が駆け寄ってきた。


 嬉しそうに笑って金竜に抱きつくと、周囲の人間に、ほら、と輝く笑顔を向けた。

――ほら、本当に金竜がやってきた! 僕の言葉、嘘じゃないでしょう?


 どうやら金竜に出会ったと言う話で嘘吐き扱いされたらしい。

 少年の名誉を守れて、金竜はさらに得意になった。

 子供の金もとても綺麗だったし。

 その翌日も村に行った。

 子供は金竜を見て泣いた。

 何故に泣くのだろうとおろおろしていると、見慣れぬものを発見した。

 子供の額。

 金竜とほぼ同じ位置に、小さな金色の石がはまり込んでいる。

 何だろう、これは。


 考える金竜の前で、子供はこちらに抱きつき、泣きながらも笑顔を見せた。

――僕を竜騎士に選んでくれたのでしょう? 有難う、とても嬉しいです。竜騎士になれるなんて夢みたい!


 金竜は考える。

 竜騎士とは何だろう、と。

 少年の両親まで現れて礼を言い出す始末。

 いや、それどころか村全体でお祭り騒ぎだ。

 竜騎士とは何だ。選ぶとは何だ。意味が分からない。

 周りの人間の話を頑張って纏め、これが少年とずっと一緒に居る為に必要なものだと悟る。


 ならいいんじゃないか、と、金竜はおとなしく少年の横で寝そべった。

――貴方の名前を考えました。


 子供向けの英雄譚をまとめた本を胸に、子供――ゼチーアと言う名前だとその頃、知った――が誇らしげに言った。


――ベルグマン。昔話に出てくる、金竜の王様です。英雄を育て上げたと言われる、特別な竜なんですよ。


 何だか大層な名前を貰った。

 だが悪くない。

 ベルグマン。

 良い名前だ。


 ゼチーアは12歳で騎士見習いになった。

 ベルグマンも一緒に着いていった。

 竜騎士団に入った頃、ゼチーアもベルグマンの性格が、他の金竜と比べてよく言えば温厚、悪く言えばトロいと言う事に気付いたようだ。

 15歳で国に仕える竜騎士と認められた。

 その頃、既に冥王との戦いは始まっていて、怖くて仕方なかったが、ゼチーアと一緒に戦場に立った。

 不思議とゼチーアと一緒ならば戦場も耐え切れた。

 誰かを傷付けるのも怖くなかった。

 竜騎士と竜。

 人から聞いた色々な話を思い出す。

 いまだよく分からない。

 そんな大層なものじゃないと思う。

 だが、ベルグマンはゼチーアが行く場所ならば何処へでも行こうと思っている。

 ゼチーアの命がある限り、彼の為に生きようと思っている。

 そして、ゼチーアの為ならばどのような死でも迎えられると思っている。

 そう考えるベルグマンは、既に己の片割れを見つけ出した竜であり、その彼と共にあるゼチーアも、間違いなく、竜騎士だ。

 分かっていないのは、ベルグマンだけである。

 彼は、やはり、少々、鈍い。


 ――ぴくり、と、ベルグマンの耳が動いた。

 顔を上げる。

 遠くで可愛らしい声がする。

 人間の子供の声ではない。

 それでも十分に可愛らしい、ベルグマンの『友達』の声だ。

 遊びに来てくれたのだろう。

 ベルグマンはいそいそと身体を起こすと、竜舎のドアを鼻面で押して開けた。



 ――夕方。


 帰宅したゼチーアは食堂に残されたメモを見る。

 通いの家政婦が温めるだけで食べられる食事を用意してくれていた。明日の朝の分まである。 

 冷めた肉料理をひとつつまんで口に放り込みながら、ゼチーアは周囲を見回した。

 違和感。


「……またか」


 口の中の肉を飲み込んでから呟く。

 ひとつため息を零すと、ゼチーアは真っ直ぐ竜舎に向かって歩き出した。


 案の定、竜舎のドアは開いている。

「ベルグマン!」


 ドアを開きつつそう声を掛けると、竜舎の中で巨大な金竜が顔を上げた。

 ……いや、顔を上げた、と言うよりも、物凄い変な動きをしている。

 それもそうだ。

 前足と右の翼の上。その二箇所に、緑色のインコが羽を休めているのだ。

 彼らを気にして自由に動けないらしい。

 またか、と、インコを見つめ、ゼチーアは無意識にもため息を零す。

 このインコは以前、『市民に親しみを持って貰う為に』なんてイベントを見に来た南国の王女が、わざわざゼチーアとベルグマンに下さったものだ。

 何だかとても気に入られたらしく、個人的な友好の証だと手ずから下さった。

 鳥は嫌いではないし、王族がくれる物を断る訳にもいかない。

 そんな軽い気持ちで受け取ったゼチーアは、後でこの鳥の値段を知って、血を吐くほど胃が痛くなった。

 この鳥は、同じ大きさの金と交換されるほど高価なものらしい。

 しかもつがい。

 金額的には信じられないものだ。

 そのインコが、何故かベルグマンにとても懐いた。

 勝手に鳥籠を開けてベルグマンの所にまで遊びに行くのだ。

 鳥篭に紐をつけても無理だった。よほど器用なのだ。勝手に開けてしまう。

 やがてゼチーアは諦めた。

 護衛だ。

 これは護衛なんだ、と自分に言い聞かせる。

 王族から頂いたインコに問題が無いように、金竜が守る。問題は無い。何も問題は無い。

 ただ、その金竜が、インコに鱗の間を突かれて気持ち良さそうに眼を細めているのは……少々、問題がある。

 ベルグマンはゼチーアを見た。

 じっと見てる。

 インコが乗っているので動けない。

 翼が軽く、ぱたぱたと動いている。

 擦り寄りたいのだろう。

 ゼチーアは小さく笑って、ベルグマンに近付いた。

 竜がこちらに来れぬのならば人間が寄る。

 当たり前の事。

 頭に手を置き、そのまま撫でる。

 インコに毛づくろいされるよりも嬉しそうに、ベルグマンが喉の奥で吼えた。

 まるで犬か猫のようだ。

 ゼチーアの顔に意識しない笑みが浮かぶ。


「本当に――お前と居ると心が安らぐな」


 何か特別な事をしてくれる訳ではない。

 それでもいい。

 傍に居るだけで満たされる。

 何かが安定する。

 そういう気がした。

 インコたちが飛び上がり、ゼチーアの右肩、左肩に一匹ずつ止まった。

 可愛らしい声が聞こえる。

 まぁ鳥も悪くない。


 ぷち。

「痛」


 ぷちち。


「痛た」


 頭部に痛み。

 ゼチーアの眼が左右に動く。

 肩の上の鳥たち。

 彼らは、ゼチーアの髪の毛を一本ずつ引っ張り、抜いている。


「な――」


「何をしているーっ?!」


 鳥たちが騒がしい声を上げて飛び上がる。


「最近抜け毛が多いと思ったら、まさか夜中にお前らが抜いている訳じゃあるまいなっ!!」


 首を伸ばしたベルグマンが、ゼチーアの服の裾を引っ張る。


 見れば、まだ首を床に伸ばしたままのベルグマンが上目遣いに見ていた。

「――分かっている」


 咳払い。


「毛づくろいのつもりなのだろう。――だがな、これは大切な問題なんだ。……まぁ、鳥に怒るのは……大人気ないな」


 ゼチーアは呟き、右手を、手の甲を上に軽く上げた。

 そこへ、インコの一匹が降り立つ。

 よく躾けられている彼らは、簡単な目印を元に幾つかの行動を行う。これもそれのひとつ。

 もう一匹は迷ったように一周し、ベルグマンの頭に降りた。


「――だいたい、鳥に怒鳴ってしまうのも、ストレスのせいで、その、不足してきたからだ、一部が」


 言いよどむ。


「そのストレスの元を断ち切れば、きっと不足しているのも問題なくなる筈」


 つまり、だ。


「早く田舎に帰りたい」


 ベルグマンは同意するように小さく吼えた。


「お前もそう思うか。やはり一日も早く騎士団を辞めて田舎に帰る。大丈夫だ、退職願は既に書いてある。あとはいつ出すか、だな」


 それが一番難しい。


「………頑張ろう」


 辞めればすべて楽になる。

 そう、思う。



 ――ゼチーアは知らない話だが。


 彼につがいのインコを送った王女が、本当に彼を気に入り、「是非自分の直属の騎士に」と望んでいる。

 今は他国の騎士を自分の元へ連れてくる気はないらしいが、もしも、ゼチーアが退職したならば。

 多少の無理は行っても、彼を手に入れようとするかもしれない。

 南の国の人間は、少々、乱暴なほど、情熱的なのだし。


「よし、頑張ろう」


 そんな事を知らないゼチーアは、一人、竜舎の中で大きく頷いていた。



             終

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