第2話・6章


 ――夜。


 野営を炎を囲むのは人の姿がふたつと、竜がひとつ。

 いや――それと、黒猫が、一匹。

 竜は銀竜である。

 横たわった銀竜の腹を背に、青年にようやくなりかかったような少年が座っている。

 炎を挟んで座っている男はぼんやりと炎を見ていた。

 その男の真横で、黒猫も、炎を見ている。

 こんな夜は思い出す。

 仲間たちの事を。

 特に――ブロウの事を。

 今は人の姿になったヴィーも、思い出しているのかもしれない。

 見上げると視線が合った。

 ヴィーが、少しだけ、笑う。


「ねぇシズハぁ」

「はい」


 銀竜の顔辺りを撫でてじゃれていた少年が、呼ばれた名に驚いたように顔を上げる。


「昔さぁ、自分の竜が死んじゃって、自殺した騎士を見た事があるんだよねー。……それって、普通?」

「普通だと思います」


 シズハは迷う事無く答えた。


「普通って言うけどさー、竜と人は違うよね? なのに、どうして死者だとか命を失ったとか言うのー?」


 無遠慮な問いだ。

 だがシズハは背筋を正してヴィーを見、言葉を返す。


「竜騎士では無い人には分かり難いかもしれませんが――俺たちは、繋がっているんです」

「繋がる?」

「何と言えば巧くお伝え出来るか分かりませんが……身体はふたつなのですが、心は、根元はひとつなんです」


 シズハは自分の胸に手を当てる。


「その片割れを失うと、満ちていた何かが失われるのだと思います」

 そして。

「そして――一度、満ちた状態を知った俺たちは、もう、欠けた状態では生きていけないのだと思います」


 胸から手を外し、シズハがこちらを見る。

 笑み。


「こういう、昔話をしっていますか?」

「……どんな?」

「竜騎士たちにはよく伝えられる昔話なんですが――」


「大昔、神様が直接お作りになられた存在――源人たちは、竜と人の良い箇所、両方を持ち合わせた最高の存在だったと言います」


「竜のような肉体的強さを持ち、竜の翼で空も飛び、人の言葉を操り、人の知識を持ち――人のように増えました」


「でも、余りに恵まれ過ぎた為、自分たちは神より優れているのだと誤解しました」


「その誤解に神は怒り、源人たちの心と身体を引き裂きました」


「身体は竜へ、心は人へ。――竜も人も、生まれながら、欠けた存在なんです」


「普通の人はそれに気付かず生きて、死にます」


「だけど――自分が欠けた存在だと言うのに気付く者が、居るのです。気付いた者は捜し求めます。自分の身体を、自分の心を」


「そして、運良くそれが見つけられた者は、竜騎士となるのです」


 シズハは銀竜を撫でる。

 銀竜は嬉しそうに眼を細めている。


「竜騎士は幸せな存在なんです」


 竜騎士では無い人間が決して知れぬ、満ちた状態を知っている。

 己の欠けた部分を埋める存在が常に傍に居る。

 それが、幸せでないと言えるのか?


「だから――その自殺した騎士も、不幸ではないんです」


 シズハの長い話を聞き終えて、ヴィーは「ふぅん」と曖昧に鼻を鳴らした。

 アルタットはブロウの事を考える。


 彼は――幸せだったのか。


「ふぅん」


 ヴィーがもう一度呟いた。

 己の膝に肘を付いて、遠くを見る。


「じゃあ――あの白竜も、騎士も、幸せだったのかな」

「……白竜?」


 シズハが何故かそこに反応した。


「恐れ入ります。その騎士の竜は、白竜だったのですか?」

「そう。幻を操る、白竜」

「……」


 シズハは考え込む表情を見せる。


「あの――大変無礼な発言なのですが」

「いいよー、なに?」

「その白竜と騎士は、本当に死んだのですか?」


 思わず、ヴィーは身体を起こす。

 アルタットも腰が浮いた。

 二人の動きに、シズハの方が焦る。

 慌てて立ち上がると深々と頭を下げた。


「も、申し訳有りませんっ!!」

「違う違う、怒ってないよー。それより、その、シズハ、それって、どういう意味?」

「そ、その、俺の想像で――」

「いいからいいから。ほら、座って座って」

「はい」


 まだ謝り足り無そうなシズハを座らせる。


「白竜は幻を操ります」

「うん、知ってる。霧のブレスを噴くんだよねー」


 はい、と頷くシズハ。


「その力はとても強力なものなのですが――白竜の性質の為、基本的に竜騎士団では白竜を入団させないのです」

「性質?」


 思い出す。

 マールはとても臆病な竜だった。

 子供のように無邪気で好奇心旺盛な面もあったが、どちらにしても問題があるように思えない。


「白竜は全ての飛竜の中で、もっとも性格的に問題があるとされます」


 シズハは一度言葉を区切って、ゆっくりと続けた。


「彼らは幻で他者を操る事を好むのです」

「……え?」



 幻だけを疑うな。

 現実さえも疑え。



「人に気付かれぬ程度の霧を出し続け、幻を見せ続けます。白竜はとても臆病です。なので、自分に対する危害が訪れないように、常に意識するのです。白竜と戦う時どころか、味方にした時にさえ、注意しなければなりません。白竜は、自分と騎士を守る為ならば、他の者を全て騙しきります。――それが、出来る竜なんです」


 臆病故に、白竜は己を守る術を常に用意するのだ。

 どんな時も。

 どんな時でも、だ。


「昔、父に言われた事があります。戦場で白竜と共になった時。それが味方であれ、敵であれ、十分に注意する事、と。『己の死さえ疑え』と言います」

「死、さえ……?」

「一番確かなものである、自分の生死でさえ、白竜の幻である可能性があります」

「でもぉ」


 ヴィーが笑う。

 珍しく、彼が迷っている。


「俺たち、確かに死体を見たんだよなぁ」

「では、その死体はどうされましたか?」

「……埋め、た?」


 ヴィーはアルタットを見る。

 思い出す。

 記憶を探る。

 記憶の底に白い霧が漂う。

 深い、白。


「――あー……」


 そう言えば、と、ヴィーが頭を抱えた。


「俺、ブロウの事をシズハに聞かれた時、何でかアルに確認したよな」


 視線で尋ねられ、死んだ、と、アルタットは答えた。

 答えは猫の言葉だったので、シズハには分からなかったろうが。

 思い出すアルタットの横で、ヴィーが苦笑する。


「何で確認したんだろー、俺」


 ヴィーはただの猫ではない。

 うっすらと――何かを悟っていたのかもしれない。

 白竜の幻が、完全に効いていなかったのかもしれない。


「……騙された、俺たち、ひょっとしてー?」


 だが、騙されたとしたら、何時から?

 何時からだ?


「あ、あの――」


 シズハが必死の声を出す。


「でも、その白竜も騎士も、悪い事にはなっていないと思います」

「……」

「白竜が悪気があって幻を使う訳ではないのです。自分と、騎士を守る為に使うのです。ですから――きっと、彼らは」

「幸せ、だって?」

「はい」


 シズハは笑う。


「どんな状況になろうとも、竜と騎士が共にあるのなら、それは、もっとも幸せな状況なのです。俺たちは、共に在れるのならば、どんな事になろうとも、後悔なんてしないんです」


 どんな事になろうとも――


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