第2話・2章


 この三ヶ月の休暇を過ごす為、小さな街の外れに一軒の家を借りた。


 家自体はとても古いものだが、何より気に入ったのが、馬好きだった前の主人が用意した大きな馬小屋だ。

 少し改造すれば十分マールの寝床になった。

 マールは水浴びが好きだ。

 しかし普段は思う存分水浴びもさせてやれない。

 せめてこの休暇は毎日、マールの身体を水で洗ってやろうと思っていた。

 用意した巨大な桶に満たされた水に、マールは早速身体ごと突っ込み、桶を半壊すると言う荒業を成し遂げたくれた。

 呆然と壊れた桶を見つめるマールに、ブロウは大爆笑する事になる。

 先ほどよりは小さな桶に水を用意し、水をバケツで汲んで身体に掛けてやる。

 マールは気持ち良さそうに眼を閉じている。

 安心出来る人間の傍に居ると、白竜は姿を現実のものとする。

 ブロウと二人きりの時は、マールは常に姿を見せていた。

 ブロウ以外にマールの姿をちゃんと見たのは――


「………」


 アルタットたちだけだ。

 竜はパートナーとして選んだ相手の心を知ると言う。

  ブロウは自分の手を見た。

 左手の爪が白く、僅かに人より尖っている。

 竜と心が結ばれた人間は、その身体の一部が竜と似ると言われていた。ブロウの場合はこの爪だ。

 これが、マールがブロウの心を知る証拠に思えた。

 ブロウが、アルタットたちに心を許していたと言う、証拠に思えた。


「――マール、私は……」


 何か言いかけたブロウに気付き、マールが顔を上げる。

 だがブロウは何も言えない。

 マールは暫く待っていた。

 が。沈黙続きに飽きたのだろう。

 ブロウの手からバケツを奪い、それに残っていた水をブロウの頭から掛けてきた。

 全身、びしょ濡れ。


「マールっ!!!」


 怒鳴り声に、白竜は姿を現したまま、シャウシャウとご機嫌に笑った。

 マールと過ごす休暇は楽しい。

 暖かい季節だったので、夜は馬小屋で一緒に寝た。

 竜も寝相が悪いのが居ると思い知らされる事になったが。

 あっと言う間に月日が流れ――休暇も残り一週間となった。




「――ブロウ」


 突然の来客に驚く事になる。


「ダイン殿」

「よぉ」


 ダイン。

 同じ部隊に属する男だ。

 上司は同じだが、ダインは主に暗殺を得意とする。

 乱暴者のその性格のため、どうも好きになれない。

 それはマールも同じようだ。

 馬小屋に踏み込んできた男を見て、マールはすぅっと空中に溶けた。

 それを見たダインは笑う。


「相変わらず照れ屋なお姫様だなぁ、オイ」

「まだ休暇は一週間残っているかと思います」

「あぁ、切り上げて俺の仕事を手伝ってくれねぇか?」


 一枚の書類を投げて寄越す。

 受け取って目を通した。

 意味が分からず、ブロウは顔を上げ、ダインに問うた。


「……これは、どういう……意味でしょうか」

「そのままの意味だ」

「勇者アルタット様の抹殺指令だよ」


 ダインの顔を真っ向から見つめる。

 抹殺指令?

 意味が、分からなかった。

 ダインがこちらの顔を覗き込む。

 白に近い、灰色の瞳にブロウの困惑した表情が写っていた。


「抹殺。殺す。こ、ろ、す、の。――分かったか?」

「……どうして?」

「三ヶ月も呆けていて世の中に急に疎くなっちまったか?」


 ダインは身体を離し、にやにやと笑った。


「冥王との戦争が終わったら、今度は人間同士の戦争だ。誰がこの大陸の王になるか、皆で大戦争だ」

「……」


 それは有り得る話だった。

 共通の敵が居るならばその間は手も結ぼう。

 だが、それが終わったならば。

 人の欲は限りない。


「まぁただ王様同士が戦争してくれるんなら俺たちも稼ぎ時でいいんだが――勇者様の信者が五月蝿くてね」

「……?」

「この大陸を治めるのは、世界を救った勇者様こそ相応しい、ってね」

「アルタット殿にそのようなつもりはない」

「今は無くとも将来的になるかもしれねぇぜ?」

 

 それに。


「それを期待して、大騒ぎしてるのが民だってのが、問題だ。国に必要なものは何か? 城でも王様でも兵隊でも金貨でもねぇ」


 民だ、と、ダインは伸ばした手でこちらの胸を叩く。

 ブロウは僅かによろめいた。


「民の言葉が一番強い。それを封じるような王様にゃあ、誰も仕えやしねぇ。いつかは滅ぶ。全部おじゃん。明日か明後日か十年後は知らんがね。それに――勇者に国を治めて欲しいって騒ぐ民を国が封じたら、それこそ勇者様は張り切っちまうんじゃねぇか?」

「……」


 それは考えられる。


「だから、その前に勇者を潰す。本当は適当な罪状作り上げて公開処刑ってのが手っ取り早いんだが……難しい。冥王退治にヤツを頼り過ぎた。今更切るのは難しい」

「故に――裏で殺すと?」

「そう。出来るだけ無様に殺すように、とさ。顔は分かるようにして晒しておけって」


 あぁ、とダインが続ける。


「俺たちだけじゃねぇぜ? あちこちの国で同じように動いている。――俺らが動かなくとも、誰かが殺すぜ」


 けけけ。

 ダインが笑う。


「勇者様の御一行みたいにな」


 その言葉に、気付けば俯かせていた顔を上げた。

 自分でも顔が険しいものになっているのに気付く。


「何をした?」

「何って――」


 ダインは灰色の瞳を細める。


「勇者一人殺してはい終わり、じゃ済まねぇだろ? 勇者アルタットは確かに凄い存在感だが、その仲間も重要だ。――あぁ、安心しろ。お前の名前は本当に知れ渡ってねぇぞ。上手く隠したな」


 ブロウは口を開く。

 しかし、言葉を発せず、閉ざす。

 ゆっくりと、からからに乾いた口で、言葉を、発する。


「皆、死んだのか」

「あぁ――戦士も、盗賊も、女魔道士もな」


 アーサー。

 リオン。

 シンシア。


「残念だが、俺は出遅れちまってね」


 ダインの顔を見る。

 ダインが笑う。


「女魔道士しか殺せなかった」


 シンシア――!!

 何の意識もせぬまま、手が伸びた。

 ダインの喉に、ブロウの右手が喰いつく。

 だが、同時に、いつの間にか抜かれたダインのナイフが、ブロウの喉に突きつけられていた。


「――珍しいなぁ、ブロウ」

「……」

「そういう殺気立った顔、始めて見た。悪くねぇよ、イイ顔だ」


 なぁ、と、促す声。


「お前、武器よりも体術好きなんだってな? 俺の喉を潰す気か? 試してみるか? 俺のナイフと、お前の右手。どっちが早いか、試してみるか?」


 無理だ。

 ナイフの方が確実に早い。

 こちらの気配を悟って、ダインは笑いながらナイフを引いた。

 変わったデザインのナイフだ。

 ダインが自慢のひとつにしている、以前、飛竜を殺した際にその爪から掘り出した刃だと言う。

 この男は、以前、竜騎士の前で飛竜を拷問死させ、騎士を発狂させた事を得意げに語っていた。

 どうやっても好きになれない。

 むしろ――憎悪する。


「ブロウ、今更、国を裏切るなよ? 俺たちみたいに表に出られない人間は、国みたいに頼る場所を失っちまえば後は塵だ。顔も分からないように殺されて、屍体は豚の餌だ」

「……」

「勇者に入れ込み過ぎるな」


 顔を覗き込まれる。

 ダインの瞳。

 宥めるような声色とは別に、何故か、酷く挑発するような。


「俺たちと勇者様は生きる世界が違うんだ。向こうは光。こちらは闇。あいつらが正義なら俺らは悪」


 所詮、俺たちは不要物。ゴミなんだよ、ゴミ。


「ゴミが幾ら綺麗なものに憧れたって、ゴミはゴミだ。綺麗になれる訳がねぇよ」


 ブロウは黙る。

 ただダインを睨み付ける。


「情報、集めてくれ、ブロウ。そっちはお前のお得意だろう?」

「……」

「お前自身が勇者と接触してもいい。それで誘き寄せるのも悪くねぇ」

「……」

「頼むぞ」


 ダインは笑い背を向け、肩越しに手を振る。

 そして、何が可笑しいのか、肩を震わせ、小さく笑う。

 笑い、続ける。

 歩き出し、少しずつ遠ざかりながらも、笑い、続ける。



 ダインの笑い声が聞こえなくなった頃、ようやくマールが姿を現した。

 臆病なこの白竜はダインが居る間、怖くて姿を現せなかったのだ。

 まだ不安そうに、それでもブロウの身体に身を寄せてくる。

 長い首を巻くように、身を寄せてきた。


「……マール」


 その身体を撫でてやる。

 いつもだったら賑やかに鳴くマールが、今日は一言も鳴かなかった。

 沈黙し、ただブロウを抱くように傍に居た。

 アーサー。

 リオン。

 シンシア。

 思い出す。

 ブロウは泣かない。

 涙を零さない。

 代わりにマールが涙を零した。



 ――日が落ちると同時に動き出した。

 休暇は既に終わった。

 黒ずくめの服装に戻り、マールにも鞍と手綱を付ける。

 勇者を、アルタットを追う。

 アルタットは確かに腕利きの剣士であり、同時に魔法も使いこなす実力ある冒険者だ。

 だが、身を隠すとなれば、それは不完全。

 本人はかなり頑張っているようだが、それでも、その痕跡は隠しきれていない。

 そう。

 かなり、頑張っている。

 以前のアルタットとは違う動き。

 用心しているのだろうか?

 しかし、それにしても慣れた気配の消し方だ。

 誰か、新たな味方を付けたのだろうか?

 だが、どっちにしても――

 ブロウに追えぬ動きではない。

 情報は集まり、三日の後に、ブロウはアルタットの前に立った。

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