第2話
第2話・1章
世界中のあちこちで何かしら祝いが繰り広げられているようだ。
それもそうだ。
あの、冥王が倒れたのだ。
彼と魔物に怯えていた者たちならば、誰だって祝いたくなる。
本来ならばその祝いに居るだろう中心人物たちは、大きな街の裏路地に面した小さな宿屋の2階に集まっていた。
部屋の中央の粗末なテーブルには酒と簡単な食料は置かれているものの、祝いの席としては貧弱だ。
しかし、それを囲む人物たちは皆それぞれ嬉しそうだ。
「――かぁんぱぁい!!」
はしゃいだ声を上げたのは、先ほどから部屋中を走り回っている小人族の少年だ。
いや、小人族としては青年ぐらいだろう。人間から見ると子供としか見えない外見も、小人族の中では十分に大人だ。
小人族は部屋中の人々とグラスを打ち合わせている。
壁に寄り掛かっている大柄な男は、わざわざ腰を屈めて丁寧に小人族とグラスを合わせた。
へへ、と小人族が嬉しそうに笑う。
「有難う、アーサー」
大男はゆっくりと頷いた。
亜人の血が入っているのだろうか。
男はかなり大柄だ。この部屋の中に居ると、酷く窮屈そうに見える。
戦闘ではその大柄な身体に相応しい腕力で敵を圧倒した戦士だが、普段はゆっくりとした動作の温厚な男だ。
「ほら、シンシアもグラスに酒入れて」
「はいはい」
笑顔で応じたのはまだ若い女だ。
白銀の髪に囲われた顔は、ふっくらとした頬にえくぼが可愛らしい。美人と言うよりも可愛らしい娘である。
しかし彼女は隠居した大魔術師の秘蔵っ子だ。
外見に相応しい回復の魔法も、凶悪としか言えない攻撃魔法も使いこなす、桁外れの魔術士である。
「リオン、あんまり走り回ってるとお酒零れちゃいますよ」
「大丈夫だよ、零れる前に飲み干すよ」
ほら! とグラスに残っていた酒を一息に飲み干す。
シンシアは笑顔で小人族――リオンのグラスへと新たな酒を注ぐ。
リオンはそのシンシアに礼を言うと、ベッドの端に腰掛け、嬉しそうに室内を見回していた男の前に立つ。
男の膝の上で、黒猫がふぁぁぁん、と大きく欠伸をした。
綺麗なグリーンアイで騒ぐリオンをちらっと見て、また男の膝上で丸くなった。
リオンはグラスを男に突きつける。
「アルタットもほら、飲んだ飲んだ」
「あぁ、飲んでる飲んでる。もう世界が回りだしそうなぐらい飲んでるさ」
「嘘吐き! ほら、もっと飲んだ飲んだ」
だって、ねぇ、とリオンが笑う。
「世界が平和になって、皆生きて帰ってこれた、そういう記念日なんだから」
その言葉に、アルタットは明るいグリーンの瞳を細める。
本当に本当に嬉しそうに、彼は、笑った。
「うん」
そうだな、と、頷く。
うん、と何度も、嬉しそうに、首を縦に振る。
世の誰も思っていないだろう。
冥王を倒した勇者一行が、すべての王やら貴族の誘いを断り、誰にも知られず、仲間内だけでその勝利と生還を喜び合っているとは。
「――あの、アルタット様」
シンシアが小首を傾げて問う。
「これから、どうされるのですか?」
「………」
「私たち、冥王を倒すって目的で集まりましたけど――その目的がなくなってしまったら……その、お祝いの席には不釣合いなお話ですけれど……」
「え?!」
リオンが声を上げる。
慌てたようにアルタットの膝に縋りつく。
「やだやだ! パーティ解散なんて嫌だよ、アルタット! おいら、もっと皆と遊ぶんだ!」
アルタットはリオンを見て笑う。
「考えたんだが――」
仲間たちを見て。
「もう一度、冒険者をやろうと思ってる」
「……冒険者」
アーサーがちびちび酒を飲みながら鸚鵡返しに呟く。
その小さな声に律儀に頷いてから、アルタットは話し出した。
「正直に言うと、こんな大きな事件はもうこりごりだ」
大金など稼げなくていい。
有名になどならなくていい。
「貧乏冒険者になるだろうが……俺はそれでいいと思っている」
だから。
「これは俺の我侭だ。だから――」
シンシアが笑顔で手を打ち合わせた。
響いた音に皆の視線が集まる。
「それなら、マーサの迷宮に挑みませんか? あの迷宮、古代に禁断の魔術が封印されたって噂なんです」
「あの迷宮ならトラップにお宝沢山じゃん!」
リオンが先ほどまで泣いていたのが嘘のように声を上げた。
「……独自の進化を遂げた魔物も多いと聞くな」
アーサーがゆっくりと頷きながら続く。
そこで、シンシアがこちらを見た。
――ドア間際に立っていたブロウは、アルタットを見た。
「私は遠慮しよう」
あからさまな落胆の気配に僅かに驚く。
私は――
「私は国から命じられ、貴方がたが冥王を倒すと言う任務を滞りなく果たせるか監視する為に来たのだ。――任務は既に終わった」
「でもでも!!」
リオンが脚にしがみついてきた。
流石小人族。早い。
「ブロウも行こうよ、ねぇ。ブロウ。騎士なんて止めておいらたちと一緒に行こうよ」
「……そうしてくれると、私も嬉しいです」
シンシアの笑み。
アーサーは何も言わない。だが反論もしない。
「ねぇねぇ、アルタットも何か言いなよ! ブロウっていまだにこんな事言うんだぜ!!」
アルタットは笑う。
人懐こい笑みだった。
「俺も、ブロウに来て貰えると嬉しい」
「……」
「俺たちはもうブロウを仲間だと思っている」
「………私は国に仕える人間だ」
「そういう事が問題じゃない。大切なのは信頼出来る相手かどうかって事だ」
「おいら、ブロウの事信頼してるよ!! ブロウなら宝箱開けている間に背中護ってもらっても全然平気!」
リオンは必死にブロウの脚にしがみ付いてくる。
ブロウはリオンを見る。
シンシアを、アーサーを。
そして、アルタットを見た。
迷いに迷い――彼は結局、リオンの腕を外す。
「……失礼する」
「ブロウ」
「今更何十年も仕えた国と別れる事など出来ぬ」
ただ、と。
アルタットを見て、少しだけ、笑った。
「仲間と呼んで貰えた事は嬉しく思う」
「……そうか」
アルタットは立ち上がった。
目の前に立つ。
「ブロウも、マールも、俺たちの仲間だ」
「有難う」
差し出された右手を力いっぱい握り締め、ブロウは他の仲間たちにも別れの言葉を告げ、立ち去った。
裏路地。
ブロウは闇に囁く。
「マール」
シャラ、と、金鎖が触れ合うような音がする。
その音と同時にブロウの真横に気配が生まれた。
内側から光り輝くような身体をした、一匹の白竜だ。
白竜。
もしくは幻竜と言われる飛竜。
姿かたちは小型の飛竜である。
ただ、彼らは霧のブレスを吐く。
そのブレスを吸ったものに幻を見せる力があり――同時に、己の姿を消す能力を有する。
それ故に幻竜と称される飛竜だ。
その能力から、隠密行動が必要な者たちが幾ら金を積んでも欲しがる竜である。
白竜のマールは、嬉しそうにブロウの身体に首を摺り寄せる。よほど嬉しいらしい、ブロウが壁際に追い詰められるまで擦り寄ってくる。
流石のブロウも苦笑。
愛竜の動きを手で止めて、その淡いブルーの瞳を覗き込む。
「帰城するぞ、マール」
マールは少し分からなかったらしい。
少女のように小首を傾げた。
「アルタット殿との旅は終わった。城に戻り、報告を行う」
マールは名残惜しげに宿を見た。
シャウ、と、開いた口から声が漏れる。
マールもアルタットたちに懐いていた。
寂しそうだが――仕方ない。
自分たちは生きる世界が違うのだ。
かたや勇者。
かたや――正式には騎士と認められぬ、騎士。
マールはブロウを見る。
身体を地面に伏せ、背に乗せる姿勢へと移った。
素直な愛竜を褒めるように首筋を撫で、背に乗った。
マールはすぐに空中に浮かび上がる。
周囲からはマールとブロウの姿は見えぬだろう。
白竜の透明の能力は、騎竜した人間にまで有効となる。
「……」
ブロウは手綱を握ったまま、宿屋を見た。
誰も見ないだろう。
分かっているから、ブロウは、瞳を伏せる。
シャウ、と、マールが鳴く。
「あぁ――大丈夫だ」
囁く。
「哀しんでなど居ない。――別れは最初から覚悟の上だ」
マールが高く鳴いた。
人々の耳には野鳥の声が聞こえただろう。
その声を合図に、マールは夜を飛行した。
城には様々な人間が仕えている。
中には表向きには出来ぬ職業――暗殺や諜報活動を行う者も居る。
ブロウは諜報活動を主とする者だった。
十代半ばから仕え始めてかれこれ二十年強。
そして、マールと出会ったのは二十代の終わり頃だった。
夜道を急ぐブロウの前に、何かの気配が唐突に現れた。
城からの深夜の呼び出し。
緊急の任務だと推測出来る。
何らかの妨害かと身構えるブロウの前に、マールは幻から現実へと姿を現した。
月光の光を浴びて、内側から光り輝くような白竜は本当に美しかった。
ブロウは思わず武器を構えるのも忘れて白竜と暫し見詰め合った。
シャウシャラシャウ、と、何だか奇妙な――金鎖をすり合わせるような音がずっと聞こえていたが、それが白竜の鳴き声だと後で気付いた。
白竜の瞳に敵意は無く、むしろ好意を感じたブロウは、ゆっくりとその横を抜けて城へと向かう事にした。
が。
がぶり、と。
白竜は長い首を伸ばしてブロウのマントの裾に齧りついた。
引き剥がそうとするブロウの手に、子供がいやいやするように首を左右に降る。
どうやっても離れようも無い。
何だかそういう白竜がいじらしく思えた。
口元に、苦笑のような笑みが浮かぶ。
ブロウは自分のマントを噛む白竜の頭を撫でた。
「――私と一緒に来るか?」
その言葉に、確かに白竜は頷いた。
瞬間。
確かに、何かが変わった気がした。
竜騎士と呼ばれる人々に聞けば、それが竜と人の誓いの瞬間だと言う。
異種族である竜と人が、共に生きる事を誓うその瞬間だと。
神さえも歪められぬ運命が定まった瞬間だと言うのだ。
白竜は大きな翼を嬉しそうにばたつかせる。
ブロウのマントを離すと、今度はその背を向けてきた。
乗れ、と言うのか。
「城だぞ? 分かるのか?」
白竜はうなずいた。
恐る恐る竜に乗る。
思ったより乗り易い。
手綱も鞍も無いものだから、首にしがみつくように乗った。
ブロウを背に乗せた途端、白竜は凄い勢いで空中に飛び上がる。
悲鳴さえも出なかった。
城まであっと言う間だった。
竜に乗って現れたブロウを見た彼の上司は、怒鳴るわけではなく、ただ爆笑した。
そうかお前は竜に選ばれる人間だったのか、と。
それ以来、ブロウは騎士と呼ばれるようになる。
竜騎士、と。
ブロウにべったりの白竜にはマールと名付けた。
可哀相な事に正式な竜騎士団に所属する竜たちと共に過ごせない。
それでも、マールはブロウと共に居るのが幸せそうに見えた。
「お前も竜も無事に戻ってこれたか」
上司は嬉しそうに出迎える。
嬉しいのは間違いないだろう。
貴重な戦力を失わず、上の――もっと王に近い位置の――命令を守れたのだから。
「ところで、ブロウ。少し話が」
「はい」
「寄れ」
「はい」
元々二人しか居ない部屋だ。
寄らずとも誰かに聞かれる心配は無い。
そうと分かっていても、不安なのか。
「勇者は――これからどうするつもりだ?」
「冒険者に戻るつもりのようです」
「何処かの国に仕官する様子は」
「無いと思われます」
「……」
ならば、と、上司がブロウの瞳を覗き込む。
「我が国に呼び寄せる事は可能か?」
「無理だと思われます」
「何故だ?」
「あの男は、ひとつの国が所有すべき人材ではありません」
上司が笑った。
嫌な笑みだった。
「随分と肩入れするな」
「事実です。あの男と長い間、ともに旅をしてきました。実力も、性格も、把握したつもりでいます」
「その上で?」
「は。――あの男は、既に己自身に仕えています」
「……? どういう意味だ?」
「己の信念を曲げる事は無いでしょう」
上司は暫くの間沈黙した。
やがて漏れたのは吐息。
「分かった。――お前には約束だ。三月の休暇を与える」
「有難うございます」
「竜も連れて行くのか?」
「マールは私の身体の一部です」
「そうだったな」
早くこの部屋から出たかった。
上司に対して一礼し、そのまま去る。
「――ブロウ」
「はい」
「勇者の事は早く忘れる事だな」
まぁ、と続く。「向こうももうお前の事など忘れているかもしれないが」
「……失礼します」
早くマールに会いたいと思った。
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