第1話・5章
「――アルタットはねぇ、勇者になんてなりたくなかったの。ただの冒険者で、偶然、魔物を倒す魔剣なんて手に入れちゃったんだよ。運悪く、ね」
男は自分の横の黒猫を見つつ、話し出した。
イルノリアの魔力で傷を癒してもらう。
長い時間が掛かると踏んで、その間に話を聞く事にした。
「最初はアルも喜んだよ。これで困っている人を魔物から助けられる、って。――でも、世界が求めたのはそれ以上」
男は薄く微笑みながら話を続ける。
「もっと大きな敵。もっと大きな事件。魔物に子供を攫われて泣いているおかーさんなんて助けてないで、城を潰しに来る魔物と戦えって、そういう願いばっかり」
苦笑交じりの笑みは、とても寂しげに見えた。
「アルは、一人を見捨てて百人を助けるような戦い方、出来るような人間じゃないんだよ」
ねぇ、と、男が問う。
「アルが冥王を倒した後の事、知ってる?」
質問に首を左右に振った。
勇者アルタットはただ消えたと、噂はそうなっていた。
「色んな国の王様が、アルに自分の国に来いってさぁ。みんな欲しかったんだよ。勇者の名声と、力と――それから、他の国に渡したくなかったんだよねぇ」
これから人間同士の戦争になるって分かっていたから。
男は猫の背を撫でた。
「アルはもうそんな事したくなかった。冥王倒したんだから、今度は小さな事件で、一人の人を救うような事をしたかった。一緒に冥王倒した仲間とも、そう相談したんだよ」
「でもねぇ、そんな事、させてくれなかった」
「アルが手に入らないって分かると、色んな人がアルを殺しに来たよ。アルは何とか無事だったけど、アルの仲間は皆死んだ」
「……あの、黒ずくめの人も、ですか?」
最初の出会いの際の黒ずくめ。
イルノリアを見つけてくれた男。
男は猫を見て、小さく猫が鳴いた声を聞き、頷いた。
「ブロウって人だね。――うん、死んだ」
男は軽く首を傾げる。
口元に、哀しい微笑。
「アルは世界を救ったのに、人の希望になったのに、世界も人も、アルの小さな願いも幸せも望みも奪っていった」
勇者なんてなるもんじゃないよねぇ、と、男は笑う。
「皆みんな死んで――残ったのは、冥王との戦いの後に拾った、黒い猫が一匹」
勇者は黒猫に言ったのだ。
俺はもう人が嫌になった。
人で居るのが辛くなった。
お前が羨ましいよ。
獣のお前が羨ましいよ。
俺はお前になりたいよ。
「猫は人間になんてなりたくなかったけど、大好きな人間の哀しい顔は嫌いだったから」
だから、心と身体を入れ替えた。
「魔剣だけはアルが大好きで、猫に相応しい姿になって付いて行ったけどね」
ねぇ、と、男が言う。
「改めて、言うね?」
「この猫がアルタット」
「あんたを助けた、勇者だよ」
猫がシズハを見ている。
「あの時――もうアルに自由なんて無くて。だから、あんた一人を助けられたのが本当に嬉しかったって。ただの冒険者やっていた時みたいで嬉しかったって」
だから。
「今も覚えているって」
猫が鳴いた。
うん、と男が頷いて。
「立派な竜騎士になったな、って、言ってる。――って、あー、またほら泣くー。なんでそう泣き虫なのかなぁ、竜騎士のくせにー」
今度の涙は耐え切れなかった。
黒猫が目の前に歩いてきた。
見上げる。
シズハの足に、前足を掛けた。
「アル……タット殿」
言いたい事はいくつもあったが、上手く言葉にならなかった。
ただ礼を繰り返す。
子供になったように、有難うを繰り返した。
イルノリアがそっと身を寄せてきた。
数日後。
街道を歩く猫と男の姿がある。
「アルタット殿!!」
シズハはその背に声を掛けた。
見上げてくる一人と一匹に笑い、自分を乗せるイルノリアに下がるように伝えた。
二人の前で竜から降りる。
イルノリアは命じずとも空中に戻った。
「どうすんのー、竜?」
「俺の後を付いてくるように命じて有ります」
「じゃあ、ええと――」
「シズハです」
「シズハはどうすんのー?」
その答えに迷い、逆に問い返す。
「お二人は、どうされるのですか?」
「あのお化けサソリのせいで村が目立っちゃったでしょー? だから旅に出る事にしたの」
調査の為に国から騎士たちがやってきていたのを思い出す。
「あんまり国とかと関わりたくないんだよねー。だから、バイバイしちゃう」
それに、と、男は言った。
「アルが変な事言うからさぁ、それの調査も」
「……変な事?」
「あんなにデカイ魔物が現れたって事は――復活したのかも、って」
「……復活?」
「冥王が」
シズハは驚く。
「復活したとしてもまだ完全復活じゃないだろうからって、念の為に北に行こうって話になったんだよねぇ。俺寒いの苦手なんだけどさぁ」
にゃん、と、猫が笑うように鳴いた。
我慢しろ、と言ったのかもしれない。
「我慢しろ、だってさ。酷いよねぇ、勇者様も」
正解だったようだ。
「で、シズハはどうすんのー?」
「俺も連れて行って下さい」
「いいよー」
断られたら仕方ない。
なんとしてでも縋りつく。
二人は幸い徒歩のようだ。ならば竜の速度では追いつく。
「俺は騎士を辞めて此処に来たのです。ですから他に行く場所も無く――って、え?」
「騎士辞めたのんだ。へぇ」
「……あの?」
「何?」
「……ご一緒しても宜しいのですか?」
「いいよー」
ただし、と、男はにやりと笑った。
「条件、ひとつ」
「……イルノリア以外ならば、何でも」
ぴ、と、人差し指を立てて、男が笑う。
「俺の事は、ヴィーって呼ぶ事」
「ヴ……?」
「黒猫のヴィー。それが俺の名前」
「分かりました、ヴィー殿」
「違う、ヴィー。あ、ちゃん付けでもいいよー」
「……ヴィーと呼ばせて頂きます」
「りょーかぁい」
男――いや、ヴィーが満面の笑みで応じた。
黒猫が長い尾を揺らめかせながら歩いていく。
嬉しそうに見えた。
ヴィーが大きく身体を伸ばす。
「楽しい旅になりそうだねぇ」
冥王の復活を確認する旅が楽しいものとは到底思えない。
しかし、思わず、シズハはヴィーの言葉に頷いていたのだ。
みゃん、と、アルタットがこちらを見て、同意するように大きく鳴いた。
第一話・終
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