第1話・4章

 シズハの足音を聞きつけて、森の中で身体を休めていたイルノリアが顔を起こす。

 傍らに立ったシズハの顔に細面の顔を擦り付ける。

 慰めるような動きに、シズハはもう一度涙を拭った。

 イルノリアの黒い瞳に笑い掛ける。


「イルノリア、少し、飛ぶぞ」


 微かに首が縦に振られたようだ。

 シズハは相棒の長い首を撫でて、その背に乗る。

 命じるまでもなく、イルノリアは翼を広げ、飛び上がった。

 月が明るい。

 満月の夜だ。

 これなら灯りが無くとも何とかなるだろう。

 山の位置を確認し、イルノリアに方向を示す。

 大きく一度翼を羽ばたかせ、銀竜は山向こうの村へと向かった。



 村の上空。

 シズハは見下ろした風景に息を飲む。

 村があったと聞いてなければ信じなかっただろう。

 広がるのは廃墟。

 灯りは何ひとつ存在しない。

 人が居る気配は無かった。

 高度を下げて確認しようとした矢先、それに気付く。

 虫か。

 村のほぼ中央。

 蹲るような巨大なシルエットが見えた。

 サソリのような形に見えた。少々胴体が長いが、それでもシズハの知る動物の中で最も形状が近い。

 ただ、大きさは尋常では無いサイズだ。

 イルノリアを遥かに超える大きさ。

 倍に近い。

 月光を浴びて、その巨大な身体が青白く光っている。

 魔物ならば普通ではありえない姿をしているだろうとは思っていたが、此処まで巨大だとは考えなかった。

 たじろぐ。

 シズハの迷いを得て、イルノリアも動きを止める。翼を緩やかに、その場で小さく円を描くように飛び続けた。

 どうする?

 右手のランスを握り締める。

 騎竜用の巨大なランスだ。魔力で強化されたものではないが、上空からのランスによる突撃は、厚い金属鎧でさえも貫く。


 ……アルタットならどうしたろうか?


 突然浮かんだ疑問を、頭を左右に振る事で払う。


 忘れるんだ。

 あれはただの男だ。

 憧れ続けた、勇者ではない。

 忘れるんだ。

 己に言い聞かせる。


「――イルノリア」


 行くぞ、と短く囁けば、イルノリアは動きを変えた。

 上へ、上へと。

 望む高さに達し、それから、銀竜は下を見た。

 巨大サソリが見える。

 イルノリアは、サソリに向かって頭を向け、そのまま降下する。

 速度と竜の体重、そしてランスの鋭さを持って、与える一撃。

 ブレスも鋭い爪も持っていない銀竜にとって、最大とも言える攻撃だ。

 サソリは動かない。

 耳の横で風が鳴る。

 恐らく、かなりの速度になっている。

 構えたランス。

 サソリが動いた。

 頭部らしい箇所が、こちらを向く。

 複眼の眼が、シズハとイルノリアを捕らえる。

 そして。

 ランスの一撃がサソリの複眼に、突き刺さった。



 手ごたえはあった。


「イルノリアっ!」


 叫んで、身体を引かせる。

 イルノリアは背後に飛ぶ。

 力いっぱい引いて、ようやくランスが抜けた。

 青白い月光のようなサソリの身体。割れた複眼。確かに傷はあるが――サソリはいまだ身じろぎもせず、シズハたちを見ている。


 ――効いてないのか?


 虫の表情は読めない。

 暴れる動きも逃げる動きも無い。

 ならば、効いてないと判断すべきだろう。

 通常の生き物ならば眼は十二分の弱点となる。

 虫は違うのか?

 いや、魔物は違うのだろうか?

 シズハの思考の間も、イルノリアは空中へと逃げる。

 小さく金属の声。

 どうするかと尋ねる。

 堅い敵の場合は、関節を、もしくは眼や口内を狙うのが基本だ。

 眼がさほど利いてないのならば――

 左手で手綱を操る。

 イルノリアは否定の声無く従ってくれた。

 高度を下げる。

 銀竜に向けて、ぎろぎろとサソリの複眼が動いた。

 鎌のような形状になった前足を僅かに持ち上げ、こちらの動きに対応する気らしい。

 関節。

 頭部と胴体を繋ぐ箇所が比較的大きめか。

 あそこならば狙いやすい。

 速度を上げ、後方に回る。

 サソリの速度は速くない。

 高度を下げつつ旋回し、そして、関節を狙う。

 ランスが突き刺さる――が、やはり深くは刺さらない。

 小さく舌を打ち、左手で手綱を引く。

 空中に逃げろと命令を受けて、イルノリアが翼を動かした。

 しかし、サソリもこのちょこまか動く飛行動物を、そのままにしておく気は無かったらしい。

 サソリならば尾に当たる位置が持ち上がった。

 その尖端。毒針ではなく、口吻のようになっている。

 そこが、開く。

 イルノリアは既に空中に逃げている。

 ただ高さが足りない。

 尾の尖端から吐き出されたのは、白い塊だった。

 飛び道具。

 咄嗟にランスを振るって弾こうとするが、そのランスに白い塊が弾け、絡まった。

 シズハにも、そして、彼を乗せるイルノリアにも、絡まり付く。


 ――糸?


 粘着質の糸。

 蜘蛛の糸が巨大化したのならば、こういうものになったかもしれない。

 イルノリアが金属の声で鳴いた。

 翼に糸が絡まっている。

 必死の様子で翼を動かすが、大きく、身体が降下した。


「くっ」


 落下する。

 ランスを持つ手は糸に絡みつかれ、武器を放せない。

 脚を締め、左手を離す。

 腰のショートソードを抜いてイルノリアの翼を絡める

糸を断ち切ろうとする。

 しかし弾力のある糸は刃を弾く。

 地上に、落ちた。

 糸に絡みつかれ、それでもイルノリアは逃げようとしたのだろう。

 落ちたのは、サソリの身体よりも少し離れた位置だった。

 丁度背後。

 サソリはぎじぎじと動き、こちらに向き直る。

 左手で操るショートソードは頼り無い。糸に刃を食い込ませる事さえ出来ない。

 サソリが近付く。

 イルノリアが不安そうに鳴いた。


「大丈夫だ」


 何が大丈夫なものか。

 魔物が近付いてくる。

 殺されるのか喰われるのか――分からないが、良い想像など決して出来ない。


 何か、何か方法は――

「……ぁ」


 小さく、呟く。

 ショートソードを口に咥え、腰に手を伸ばす。

 剣の鞘に紐が結わえ付けられている。

 紐の先には僅かに熱を持った物体。

 出かけにバダから貰った、火竜の鱗だ。


「イルノリア、耐えてくれ」


 イルノリアの翼爪に紐を掛ける。

 揺れる鱗。

 ショートソードを手に持った。

 サソリはもう間際。

 鎌が、振り下ろされる寸前。

 シズハは迷い無く、鱗にショートソードを叩き込んだ。


 爆音。


 その音に驚いたように、サソリも爪を引いた。

 イルノリアの翼爪が折れている。

 綺麗な銀の鱗も火傷を負っていた。

 そして、シズハ自身も。

 しかし翼は自由になった。

 傷付いた身体でイルノリアは飛んだ。

 大きくよろめき、それでも、サソリから距離を取った。

 シズハはこの段階でも迷った。

 迷い――イルノリアに言う。


「引くぞ」


 イルノリアの翼が動く。


 元の村の方へと――


「………?」


 廃墟と化した村の入り口。

 人が立っているように見えた。

 金髪の――


「まさか」


 手綱を引く。

 火傷を負った身体が痛むが、気にしていられなかった。

 空中から見かけた姿に声を掛ける。


「あ――アルタット殿」

「あー、見つけたぁ」


 へらへらとアルタットが笑う。

 彼の足元には黒猫。

 目の前に降り立ち、シズハはイルノリアの背から慌てて降りた。


「うわーどうしたの、真っ黒になっちゃって」

「火竜の鱗を爆発させて逃げてきたんです、が――」

「へぇー、そういう事出来るんだ。あれって竜から外しても炎の属性持ってるから、カイロ代わりにいいんだよねー」


 火竜の鱗は炎の属性を持ち、強い衝撃を加えると溜めた力を解放する。

 それは竜を使うものならよく聞く話だが――カイロ代わりにするなど聞いた事は無い。


「……何をしに来たんですか」

「んー」


 アルタットは眼を細め、遠くを見た。

 サソリが見える。

 近寄ってきている。


「面倒なんだけど――」


 口元、呆れたような笑みが浮かぶ。


「魔物退治に」


 シズハは呆然と立ち尽くす。


「あーあー、何でそう泣きそうな顔するのかなー」

「……い、いえ、その……」

「泣いちゃったから魔物退治すればいいのかなぁって思ったのに、どうやっても泣くんだったら、俺たち、どうしたらいいの?」


 シャア、と、猫が威嚇をした。

 猫は真っ直ぐにサソリを見ている。

 小さな黒い身体を丸め、背を尖らせていた。

 その猫を見て、アルタットは頭を掻きつつ、魔物に向き直る。


「うーん、でもやっぱり、此処まで来たら魔物退治が一番かなー」


 何の構えも無く、シズハたちを背に、アルタットと猫は歩き出した。

 サソリに向かっていく。

 今更ながら気付いた。

 剣が無い。

 過去のアルタットが持っていた、緑の刃。

 あの剣が、無い。

 どうやって戦うつもりだ?

 サソリの正面。

 アルタットが、サソリを見上げる。


「昆虫タイプだねー。よくあるタイプだ。ちょっと堅いのが厄介なんだよねぇ」


 サソリはぶつぶつと呟くアルタットの頭へと、前足の鎌を振り下ろす。

 叫び掛けたシズハの前で、掲げたアルタットの右手が、その鎌を止めた。

 右手が光っている。

 手首に嵌めた腕輪が、円形の盾を生み出していた。

 魔法の力を込めた道具だ。

 簡単なものならば幾つも存在する。

 しかし、魔物の一撃を受け止めるほどのものを、シズハは知らない。


「重いー」


 それが感想か。


「うー、やっぱり面倒ー。脅したら帰ってくれないかなぁ」


 猫が怒ったように鳴いた。


「そうかぁ、仕方ないねぇ」


 そこで、何故かアルタットは振り返った。

 距離はある。

 だが、確かにシズハを見た。


「あんた、ねぇ」


「アルタットに、会わせてあげるよ」


 見てて、と、アルタットは、笑った。

 サソリが鎌を引く。

 その鎌に飛び乗った、小さな影があった。

 黒猫だ。

 黒猫がアルタットの身体を伝い、サソリの前足に飛び乗ったのだ。

 黒猫の小さな前足。

 それが、緑の光を放っている。

 内側から輝くような緑。


 見覚えのある――紅い瞳の魔物から、シズハを助けてくれた、刃の光。


「……まさか」


 黒猫が駆ける。

 シズハが傷付けた複眼目掛けて。

 猫の前足が、眼を切り裂いた。

 地面が揺れた。

 サソリが前足を地面に打ちつけ、暴れたのだ。

 裂かれた複眼からだらだらと黒っぽい体液が零れている。

 片目は完全に潰れていた。

 サソリは前足を猫に向かって振り下ろす。

 しかし猫は小さ過ぎる。

 自分の身体を打っただけだ。

 猫は次の目標へと飛んでいる。

 もう片方の目へと。

 前足が眼を切り裂き、その隙間へ、小さな身体が飛び込んだ。

 びくん、と、サソリが大きく震え――

 その背中から、小さな猫が飛び出すと同時に。

 力が抜け切った身体が、崩れ落ちた。

 地面が揺れる。

 その揺れの中、猫は綺麗に地面に着地する。

 みゃん、と小さく鳴いて、サソリの体液が付いた身体を震わせた。


「お帰りー」


 そう言って腕を伸ばす男に、猫は近寄っていく。

 抱き上げられ――男の腕の中で、シズハを見た。

 黒猫の、緑の瞳。

 そして、いまだ光る、緑の爪。

 シズハはひとつ息を吸い――吐き、それから、問う。

 猫に向かって。


「……アルタット、殿?」

「せーかーい!」


 猫ではなく、男が満面の笑みで答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る