第1話・3章
夕刻、宿屋の一階の酒場は賑やかになる。
シズハは何故かアルタットと同じ席で食事をしていた。
食事など味が分からない。
10年間憧れて、ようやく会えたと思った人が、今、鳥の丸焼きに齧り付いているのだ。
ため息しか出ない。
黒猫はアルタットの足元で行儀良く座っていた。
シズハの視線に気付いたアルタットが、食べかけの鳥を差し出し、首を傾げる。
「――喰う?」
「……いえ」
食べかけの鳥をどう食えと。
だいたい、その鳥、足が三本ある。
昔よりは数が減り、力も弱くなったとは言え、魔物ではないのか。
「あんたさぁ」
「はい」
「勇者アルタットに会いに来たんだってぇ?」
「……はい」
「無理」
胸に手を当てて。「もう、勇者なんて此処には居ない」
「ですが」
シズハはアルタットを見る。
その姿に、かけらでも、昔のアルタットを探そうとする。
「俺は……」
礼を言いに来ただけだ。
だが、同時に期待していた。
アルタットが自分を覚えていてくれる事を。
あの時の子供か、と優しく笑いかけてくれる事を。
期待、していた。
もしかすると、10年間。
ずっと、この再会の時を夢見て、期待し続けていたのかもしれない。
「おいおい、泣かないでよぅ」
鳥を差し出された。
「肉喰え、肉。よく焼けてるよ」
「………」
何だか苛々来て、無理やりその肉を奪い取ると食い千切った。
不味かった。
テーブルに突っ伏して色々な意味で死にそうな気分になっているシズハの耳に、酒場の中の話が聞こえてくる。
何処の娘が嫁に行くだの、牛が孕んだだの。
同時に――
「隣村の奴等、最近来ないな」
「最近って言っても一週間ぐらいだろう」
「前は三日と開けずに来てたんじゃないか、なぁ、おかみさん」
アルタットをぐーたら男と称した太った中年女は、肉料理をそのテーブルに運びながら大きく頷いた。
「だねぇ。五日目かね? 来てないよ、隣村の人たち」
「山ひとつ超えるのが面倒になったか」
そこで男はにやりと笑った。
「綺麗な店主の酒場が出来たか」
「悪かったねぇ、太ったおばさんで」
ひょい、と男が飲みかけのグラスを持ち上げる。
「あ、それまだ途中――」
「もうあんたに出す酒は無いよ」
にやりと笑って、『おかみさん』は大きな尻をふりふりカウンターに戻って行った。
「おかみさんの機嫌を損ねるなよ、馬鹿」
仲間が賑やかに笑った。
他のテーブルからも笑いが上がる。
そこで、ドアが大きく開いた。
「ロブ先生、ロブ先生は此処に居るか!」
叫んだのは若い男だった。
若い男は、同じぐらいの年齢の男に肩を貸している。
その男は、全身、血塗れだった。
おかみさんが太った身体から想像出来ぬほど素早く駆け寄ってくる。
「ロブ先生は酒飲んで意識失ってるよ。あの酒飲み先生はアルコール入れちゃうと一日ごとに天国だから」
おかみさんが手を伸ばした血塗れの男の顔を見て、先ほどのテーブルの男が呟いた。
隣村の、と言う単語を耳に、シズハは立ち上がる。
「見せて下さい」
「あんたは?」
「治療の魔法を幾つか習っています」
酒場の中から安堵の声と感心したようなため息が重なる。
シズハはアルタットを見た。
焼き鳥にまだ齧り付いている。
特に興味は無いようだ。
黒い猫の方が首を伸ばしてこちらを見ている。
アルタットは剣士でありながら、いくつもの魔法に長けていた。
そう、噂に聞いていた。
男を床に寝かせ、出血が一番多い箇所に手を当てた。
治療の魔法を習っているとは言え、神官には負ける。
傷を塞ぐ事は出来ても、結局はこの男の回復能力に頼る箇所もあるのだ。
だが、まずは血を止めなくては。
瞳を閉じて呪文を呟く。
専門ではないシズハの呪文は長い。
それでも、シズハの手の下で傷が見る間に塞がっていく。
おお、と感動の声が上がる。
大きな傷を幾つか塞ぎ、大きく息を吐いた。
心配そうに近くで見ているおかみさんを見上げる。
「この人をベッドへ。――傷は塞ぎましたが、失った体力が戻るわけではありません。まずは休ませないと」
「あぁ、分かったよ。ほら、そこでぼーっとしている男、そっちの熊も早く早く! この人を2階に運ぶんだよ」
おかみさんに手で招かれた数人が、多少呼吸が楽になった男を2階へを運んでいく。
シズハはそれを見届け、椅子に腰掛けた。
疲れた。
こんな事件があるのなら、イルノリアを連れてくれば良かった。治療の魔法なら彼女の専門だ。
シズハの前で、男を連れてきた若い男が質問責めにあっている。
耳を、澄ます。
「――いや、何があったなんて、俺もそんな……村の入り口の所で倒れてたんだよ」
でも、と。
「村が魔物に滅ぼされた、って」
10年前の悪夢を覚えている者も多い。
魔物に肉親を殺された者だって居るだろう。
酒場の中の何人かは、あからさまに不安の色を浮かべ、顔を見合わせる。
しかも――村を滅ぼすような魔物。
数が多いのか、それとも強力なのが現れたか。
どっちにしても、山ひとつしか離れていないこの村にとって、脅威だ。
シズハは立ち上がった。
いまだ焼き鳥を食べているアルタットの前に、立つ。
「アルタット殿」
真っ直ぐに、見る。
グリーンの瞳が面倒そうにシズハを見る。
「隣の村の様子を、見に行きませんか」
村人たちは先ほどと違う意味で顔を見合わせる。
彼らの知るアルタットは、寝てばかりのぐーたら男だ。
だが、シズハは勇者アルタットを知っている。
魔物を一撃で倒し、シズハを助けてくれた勇者を。
しかし、その勇者は。
さも嫌そうに顔を顰めた。
「やだー面倒ー」
「……っ……!!」
ぶちん、と。
シズハの頭の中で何かが切れた。
勢い良くテーブルを叩く。
上に乗っていた食事が床にこぼれ、皿が割れるがそんなの気付いてなかった。
アルタットしか見てなかった。
「見損なったっ。貴方はそれでも勇者アルタットか! 多くの人を冥王から救った、人類の希望だった人なのかっ!!」
泣いていた。
シズハは子供のように泣いていた。
「もういい! 魔物は俺一人で行く! 貴方などに頼らない!! もう貴方などに憧れないっ!!!」
「あの、さぁ――」
「もう今の貴方の言葉など聞きたくないっ!!」
頼むから。
「これ以上、俺の憧れの人を貶めないでくれ」
頭を強く振って涙を払い、シズハはアルタットに背を向けた。
遠巻きに見ている酒場の人たちの中から、隣村の話をしていた男たちに近付く。
「隣村の位置を」
「お、おお。――パガン山を左手真っ直ぐ進んで、小さな山を越えればすぐだ」
「分かりました。有難うございます」
礼だけ言って振り返りもせず、酒場を出た。
残されたアルタットは、まだ手に持っていた丸焼きに齧りつく。
みゃん、と、黒猫が足元で鳴いた。
そちらを見て、アルタットは軽く唇を尖らせた。
「どうしようかぁ」
ねぇ?
黒猫はシズハの立ち去った方向を黙って見ていた。
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