第1話・2章

 10年が過ぎて。


 シズハは国仕えの竜騎士となった。

 冥王と言う最大の脅威が無くなり、それまで手を結んでいた王たちは互いの領地を求め、争うようになった。

 人間同士の戦争の世になった。

 シズハも竜騎士として何度も戦場に出た。

 彼を乗せられるサイズに成長したイルノリアは、飛行能力も攻撃力も低い銀竜だ。

 癒しの力を持つこの竜は、前線で戦う事は無い。

 それでも、幾つもの戦場を見た。

 人同士の争いは、何度見ても嫌になる。

 先月結ばれた休戦同盟の日、シズハは親友のバダと正体を無くすほど酔った。

 祝わずには、いられなかった。

 そしてその翌日、シズハはひとつの噂を耳にする。

 10年前に冥王を倒し、その後姿を消した勇者アルタットを見かけた、と言う噂。

 三日迷った。

 迷って、結局。


 シズハは、騎士を辞める事にした。




「――騎士辞めてどうすんだよ」

「まずはアルタット殿に会いに行く」

「……はぁ?」


 バダは眼を細める。

 呆れた顔だ。


「あのなぁ、伝説の勇者様が、10年前に一回助けただけ子供の顔を覚えているかっての」

「それでも、あの時言い損ねたお礼を言いたい」

「それなら長期休暇をもらえばいいだろ?」

「正直」


 騎士寮に置いてあった私物を纏め、手に持つ。

 残りは捨てて貰えばいいと考えつつ、バダに向き直った。


「正直――人間と戦うのに、疲れた」

「………」


 バダは無言で肩を竦める。


「銀竜って聖母様のお使いなんだってよ」

「あぁ」

「銀竜乗りは優し過ぎてすぐ潰れるってホントなんだな」

「すまん」

「ま、仕方ねぇ」


 言葉そのものの表情で、それでも、バダが笑う。


「三度のメシより戦好きって言う火竜乗りの俺みたいなのが沢山居るから、まぁ、安心しろ」


 笑いながら、バダは何か小さなものをシズハの手に押し付けてきた。

 見れば、火竜の鱗に紐を付けたものだ。


「ガドルアの鱗だ。竜の鱗はお守りにイイって言うだろ?」

「貰って行く」


 バダの愛竜の鱗を受け取り、シズハは寮を出た。

 騎士寮は城の敷地内に存在し、竜舎もごく近くに存在する。

 竜舎の前には、既に鞍を付けたイルノリアが身体を伸ばしていた。


「イルノリア」


 呼びかけに、銀竜が顔を上げる。

 口を開き、高い音で鳴く。

 金属を震わせるような、と言われる銀竜の鳴き声だ。

 相棒の背に手を置いて、笑う。


「アルタット殿に会いに行くぞ」


 イルノリアが鳴く。

 嬉しそうな声だ。

 彼女も覚えているのだろう。

 竜の世話役の男に一礼し、シズハはイルノリアの背に跨った。

 銀竜の翼は長距離の飛行に向かない。それでも馬が駆け抜けられる距離を抜けられぬ竜ではない。


「行くぞ」


 イルノリアが高く鳴いて翼を広げる。

 銀の皮膜に包まれた、巨大な、それでも繊細な翼だ。

 大きく羽ばたき、銀竜が飛び立つ。

 見下ろす城が確実に小さくなり、やがて背後に消えていく。

 シズハはそれを見――やがて、視線を前に向けた。



 目的の場所は小さな村だった。

 生まれ故郷の村に少し似ている。

 イルノリアは目立つだろうから、少し離れた森の中へと置いてきた。

 聡い彼女はおとなしく待っていてくれるだろう。

 竜騎士が好んで使う、巨大なランスも一緒において来た。

 あんな巨大なものを持って村に入るのは目立ち過ぎる。

 腰に付けているショートソードだけと言うのは落ち着かないが、仕方ない。

 村に入る前に自分の姿を確認する。

 騎士を辞める際に紋章付きの鎧は置いてきた。

 新品の鎧と言うのは気恥ずかしい。しかし、シズハは鎧以外の正装を知らない。

 これでいい、と思う。

 大きく深呼吸し、シズハは村の中を歩き出す。

 アルタットを探していると村人に聞くと、三人に爆笑され、最後の人は不審そうな顔をしつつも、村の中央の宿屋兼酒場を教えてくれた。

 店の前。

 日当たりの良いそこにベンチが置かれていた。

 そこで、背を預け、うつらうつらと居眠りしている人を、見つけた。

 膝の上に黒猫が寝ている。

 黒猫は近付くシズハに気付き、ぴっと立ち上がった。

 みゃあみゃあと必死に鳴いて、眠る人物へと訴えかける。

 猫の呼び声に反応して、ようやく、その人は目を覚ました。

 綺麗な緑の瞳が、シズハを見る。


「お――」


 感動のあまりに声が震えた。

 シズハは今にも泣き出しそうな気持ちで、必死に感情を抑え、それでも、笑う。


「お久しぶりです、アルタット殿」

「………」

「以前、魔物から助けて頂いた、竜騎士の子供です。……覚えて、いらっしゃいますか?」


 アルタットはシズハを見――


 そして、大あくびをした。


「誰ぇ、あんたぁ?」

「…………」


 気の抜けた、のんびりとした声だった。


「俺、あんたの事知らないよぉ」

「…………」

「御免、眠いから、寝る」


 ごろん、と。

 ベンチに横になる。

 そのまま膝を抱えて、ぐぅぐぅと眠りだしてしまった。

 黒い猫だけが、呆然としたシズハの足元をぐるぐる回っていた。


「――アルにお客さんかい?」


 店の入り口から中年女が顔を出す。


「勇者アルタットに御用なのかい?」

「は、はい」

「無理、無理、諦めな」


 中年女はけたけた笑った。


「昔は冥王を倒したたいした勇者様だったらしいけど、今は一日中寝てばっかりいるぐーたら男さ。夜になったら森に獣を狩りに行くけど、それ以外は一日中猫と寝てばっかり居るよ」


 シズハはアルタットを見た。

 口の端からよだれを垂らして、凄い姿勢で寝ている。

 がらがら、と。

 足元が崩壊していく音が聞こえた。


 気付けば、シズハは地面に座り込んでいた。


 それでも、アルタットは気持ち良さそうに寝こけている。

 猫が、不安そうに、みゃあ、と、鳴いた。

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