青春の群像(第2部)70 しかし小沢艦隊の囮作戦成功の無電は栗田艦隊にとどかず、代わりに栗田艦隊の近くにハルゼーの機動部隊がいると言う無電が入り、栗田中将は反転すると言い出したの


青春の群像(第2部)70


しかし小沢艦隊の囮作戦成功の無電は栗田艦隊にとどかず、代わりに栗田艦隊の近くにハルゼーの機動部隊がいると言う無電が入り、栗田中将は反転すると言い出したのです、同席し、

ていた宇垣中将がこのままマニラ湾に突入すべきだと言ったのですが、聞き入れず反転してしまったのですが、栗田艦隊の近くにハルゼーの機動部隊がいるなん無電はどこも打って、

いなかったのです、


艦隊の半分を失い、参謀達がおじけづいたんでは、と言われていますが、真相はわかりません、いずれにしろ関大尉の一命にかけた、特攻も無駄死にになってしまったのです、しかし、

この特攻による大戦果が後の航空機総特攻の引き金になってしまったのです、作戦は失敗に終り、フイリビンは米軍に占領され、補給線は断たれて日本軍はジャングルをさまよう事に、

なってしまったのです、


私達は内地に引き揚げることになり、わたしは横空の転属となり搭乗員の教官として赴任したのです、南方からの石油の供給が断たれたので、満足な訓練もできず訓練期間も短縮され、

戦場に送れとの上官の命令に、今の腕では飛び立つ事が精一杯あり、とても敵艦船に突入は不可能だと意見具申して、訓練期間を延ばすように言いましたが、聞いてもらえず、戦場に、

送る事になったのです、


米軍の沖縄侵攻が近いとして、特攻隊員は南九州鹿児島の各基地に転属を命じられて、航空機3000機と搭乗員が配置についたのです、私も国分基地に進出して特攻機の護衛任務につい、

たのです、護衛が出来る腕のいい搭乗員は10人程度しかおらず、一回の出撃は10機ほどしか出来なかったのです、いよいよ米軍が沖縄に上陸したので、出動命令が降り、毎日各基地か、

ら沖縄に出撃していったのです、


しかし敵艦船の防御は厚く、成功の確率はわずかな物になっていったのです、対空砲火は精度がよく日本軍機は突入する前に次々と打ち落とされしまうのです、色々な高度の飛行機に、

正確に砲撃してくるのです、私も多くの砲弾の破片が飛行機に当たりましたが、私の身体とエンジンは被弾せず毎回無事に帰還できたのです、戦後になって知ったのですが、米軍は、

VT信管と言う物を開発しており、


砲弾が飛行機に近付くと自動的に爆発する砲弾を開発していたのです、従って飛行機の方向へ砲撃すれば日本軍機の近くに飛べば命中しなくも爆発して、打ち落とす事が出来るわけです、

我々戦闘機も基地の特攻機がなくなれば、特攻機として敵艦船に突入することになていたのです、多くの若い搭乗員3000人近くが沖縄近海の海の藻屑となったのですが、大した効果はな、

く、米軍に沖縄は占領されてしまい、


日本の各都市はテニアンから飛来するB29の爆撃で壊滅してしまい、私の実家のある博多も一面焼け野原になっていたのです、後は九州の志布志湾、近畿の和歌山湾、関東の九十九里浜、

が米軍の上陸地点と大本営は考えて、本土決戦の用意に入ったのです、鹿児島の基地は志布志に上陸する前に、徹底的に叩かれるおそれがあるので、北九州まで下がる事になり、私は、

福岡の大刀洗基地に転属になったのす、


沖縄に突入させてくれと頼みましたが、本土決戦まで自重せよとの命令だったのです、国分基地の護衛のパイロットで残っているのは私をいれて5人だけだったのです、最後に残った、

戦艦大和も沖縄の特攻作戦に使用され、鹿児島の坊の岬の海上で、米軍の航空機の大軍に襲われ、あえなく沈没してしまい、3000人が海の藻屑と消えたのです、そして8月になり、


広島、長崎原子爆弾が投下され何十万と言う人が犠牲にり、8月15日に重大放送があるとの事でしたが、14日にどうも日本は降伏するらしい、その放送だと言う事がわかり、司令官に、

徹底抗戦のはずが降伏とは、到底承服できないと詰め寄ったのですが、天皇陛下のご命令である、逆らえば逆賊となると言って、取り合おうとはしないのです、このまま降伏しては、

先に行った者に申し訳がたたない、


明日その放送を聞いたら、全員米艦船に突入しようと言うと、全員がやろう言うので、整備士官に準備をするように言うと、喜んで今夜中に5機を整備すると約束したのです、5人で、

最後の酒盛りをして健闘を誓いあったのです、翌日は正午の放送を聞くと、やはり無条件降伏受諾の放送で、直ちに米軍への攻撃を停止せよとの事だったのです、5人は自分のゼロ、

せんの場所に行くと、


一機もないのです、整備士官にどこにやったのか聞くと、宇垣中将より大分の基地に全機引き渡すよに命令があり、偵察隊員が整備の終った5機を運んだと言ったのです、人の機を、

なてことするんだと言うと、司令の命令だと言うので、司令に聞くと上官の命令では従うしかないと言つたのです、私を含め4人ははらわたが煮えクリかえったが、どうする事も、

出来ず、


一気に気が抜けて放心状態になっしまい、そして進駐した連合軍に武装解除され、兵役解除になり博多に戻ったのです、町は焼け野原で両親は家のあった所にバラックを建てて住んで、

いたのです、父は中学校の教頭をやっていたので、博多を離れられなかったそうです、暫くすると学校も再開され、松浦郡の父のお兄さんから、家の材料の木材と大工がきて元の場所、

に家を建てたのです、


父の実家は被害がなく、地主をやっていて裕福だったので、持ち山から切り出して軍に納入する材木を出してくれたそうです、家が完成してそこに移り住んだのです、東京は焼け野原、

なので大学の再開は来年になるとの事なで、実家に留まる事にしたのです、生き残った戦友が尋ね来たので、東京の様子を聞くと、尋ねて来た2人の実家も消失して、家族は長野県と、

福島県の親戚の家に疎開しているとの事であった、


それなら復学出来るまで博多の自分の家にいるように言うと、行く処がなくて困っていたんで助かると承知したのです、二人がただ置いてもらうのは悪いので仕事を探そうと言うので、

気にするなと言つたんだが聞かないので、親父に相談すると皆大学生だったので、中学校の臨時教員として雇ってもらえるように校長に話をしてくれて、僅かな金しかでないがと言っ、

たのだが、


承知して働く事になったのです、町にでると博多は米軍が進駐しており、米兵と朝鮮人、中国人が無法の限りを行っていたのです、日本人に対する暴行、強姦は日常茶飯事で、警察は、

無力だったのです、給金を貰ったので久しぶりに町の料理屋で飲んでいると、女将が助けてください、仲居が米兵に部屋に連れ込まれ、強姦されそうになっていますと言うので、その、

部屋に入ると、


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