第24話

 フィリコスのギフトで、瞬間的に一部の霧が蒸発した。

 足をくじいたら大変なことになるため、気を付けながら着地をする。

 俺とマオ、遅れて降りたフィリコスもうまくいった。だが、一つ忘れていたと言える。メリーダはヒールを履いて――。


「うげっ」


 上に誰かが落ちてくる。なんとか潰れず耐えたが、両手を思い切り地面に押し付けてしまった。


「ごめんなさぁい」

「いてててててててててててて痛くない?」


 さして悪びれもせずに言うメリーダはともかくとして、無傷な自分には驚いた。

 ……いや、違う。

 よく見ると、手だけでなく全身が薄い光に覆われている。


「それがあたしのギフト。《イージス》にゃ!」


 薄い胸を張り、マオが言う。


「すごいじゃないか! マオ偉い!」

「そ、そんなに褒められると――」

「行きますよ!」


 フィリコスに言われ、慌てて走り出す。

 打破したわけでもないのに気を抜き過ぎていた。


 霧の中からミストリザードが襲い掛かる。足は遅いようだが、数で押すつもりのようだ。

 しかし、マオのギフトが全てを防ぐ。噛まれても痛みはなく、腕を振るえばミストリザードを引き剥がせた。


「全員いるか!?」


 三人の返事がある。大丈夫だ、このまま霧を抜ければいい。

 問題があるとすれば、方角が正しいか分からない。

 しかし、先頭を走るフィリコスを信じるしかない。霧の中をグルグル回っていないことを祈るだけだ。


 だが、フィリコスの向かう先は正しかったのだろう。徐々に霧が薄れているのが分かる。

 もう少し、もう少しだ。ただ前を追って走る。


「ミストリザードを引き離しました! 抜けられます!」

「後ろにもう一発かますわぁ」


 メリーダは足を止め、後方に炎を展開させる。威力は低そうだが、炎は壁のように広がっていた。


 よし、行ける!

 助かったと確信したのだが、前を走っていたマオが足を止め……そのまま止まった。


「マオ!?」

「……ごめん、マスター」


 彷徨うようにマオが手を動かす。

 なにをしているのかは分からなかったが、その手を掴んだ。


「大丈夫、後ちょっとだ!」

「手を引いてほしいにゃ。もし無理なら、このまま置いて行っていいにゃ」

「なにを――」

「早く! 追いつかれますよ!」

「あぁ、くそっ!」


 マオの手を掴んだまま走り出す。しかし、俺よりも遥かに機敏なはずのマオの動きが、とてつもなく鈍い。何度も躓き、今にも転びそうになっていた。

 不思議に思いながら、自分の手を見る。……覆っていた光が無い。ギフトが切れているようだ。


「ごめん、ごめんにゃ。いけると思っていたにゃ……」

「謝る必要なんてない。一体どうしたんだ?」


 迫る足音、深まる霧に焦りながらも聞く。

 躊躇いながらもマオが顔を上げる。その目には――光が無かった。


「まさ、か」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。もうほとんど見えてないにゃ・・・・・・・・・・・


 マオのデメリットを理解する。

 本来、もっと小さな範囲で使うものだったのだろう。限界を超えて行使した結果、マオは視力を失った。


「あ……ぐぅっ」

「マ、マスター!?」


 叫び出したい気持ちを押さえ、マオを抱き上げる。

 置いて行くなんて選択肢は無い。俺にできることは、失ってでも守ってくれた大切な仲間を、この手で守り切ることだ。


「駄目にゃ! 置いて行って――」

「うる、せぇ!」


 30kgか40kgか。かなり遠くになった二人を目指して走る。

 身体能力強化、もしくは荷運びのギフトにでも目覚めれば。そんなことを考えてしまう。神頼みなんて情けないにも程がある。


 しかし、都合の良い奇跡なんてものはない。

 霧に追いつかれ、ミストリザードの鳴き声も聞こえていた。


「……どこですか!? エスパルダくん! マオさん!」

「駄目、霧で見えないわぁ。声を出して。助けに行くからぁ」


 戻ってくれようとしている二人に対し、声を出そうとする。

 だが、マオが口を塞いだ。


「マスター。本当に感謝してるにゃ」

「感謝してるのはこっちだ! 打開策を考えるぞ!」

「ありがとう、本当に……ありがとう」


 ドンッと体が突き飛ばされる。 

 言葉にこそしなかったが、マオの意思が伝わった。


 一人で逃げて。


 しかし、それを聞く気は無い。

 手探りにマオを探し当て、もう一度持ち上げる。


「なっ」

「絶対に助ける。いいか? 絶対にだ!」


 走り出そうとしたのだが膝を突く。足首には鋭い痛みがあった。

 足を振る。引き剥がせない。さらに噛みつかれる。

 だから、そのまま歩く。走ることはできなかった。


「マスター! お願いだから!」

「すまん、説教なら後でしてくれ」

「え?」


 大きく息を吸い――叫んだ。


「レパアアアアアアアアアアアアアアアアド!」


 全力で、助けてくれ、と名前を呼ぶ。

 すぐに黒い影が現れ、俺たちを囲んだ。


「すいません、ちょいと見失っていました。声を出してくれて助かりました」


 本来ならば謝罪をしなければいけないのは俺だ。なのにレパードは謝り、そして剣をギャリギャリと鳴らした。


「三人残って護衛をしろ! ――さぁ狩の時間だ!」


 戦闘が始まる。ミストリザードたちの悲鳴が聞こえ、次々と倒しているのが見えずとも分かった。


 数が減れば、当然霧も薄まる。

 傷口に回復薬をぶちまけ、マオを抱いて歩き出す。


「護衛をお願いします」


 返事は無かったが頷いているのが分かる。

 少しでも早く、マオを霧の外へ連れ出したかった。


「こっちです!」


 フィリコスの声が聞こえ、そちらへ足を向ける。

 霧は薄い。このまま抜けられるだろう。

 俺たちを護衛していた三人はフードを深く被り直し、少しだけ頭を下げて霧の中へ戻って行った。


「あれは――」

「言わないでくれ」


 もしかしたらフィリコスは彼らを知っているかもしれない。だが先を口にしないでほしいと頼む。

 フィリコスは少し悩む素振りを見せた後、ただ頷く。

 分かってくれたのだろう。その先を、フィリコスたち口にしなかった。


 しかし、別の声が聞こえた。


「レパード……。《ストレイ・キャット》、か」


 出会ったのは一度だけ。だがハッキリと覚えている声。

 目を向けると、その先には深い霧が立ち込めている。

 その深い霧はすぐに移動を始め、他の霧と同化して分からなくなった。


「今の声は……?」


 聞こえていたのは俺だけではなかったらしく、誰かが呟くように言う。

 だが、答えずに眉根を寄せる。相手の目的がなんだったのかに気付いてしまった。


 彼の狙いは俺たちじゃない。その後ろにいる存在を知ろうとしていた。

 強く歯軋りをする。

 心中に反して、霧は急速に晴れていった。



 フィリコスたちと別れ、ココの店へと戻る。

 すぐにルーが嬉しそうな顔を向け……曇らせた。


「にいちゃ、どうしたの?」

「ごめん。失敗したみたいだ」


 マオを椅子に座らせ、隣に自分も座る。

 ルーは心配そうな顔をしていたが、なにも言えず自分の顔を手で覆った。


「おぉ、帰ったか」

「……ココ、助けてくれ」


 自分でも分かるくらい情けない声で懇願する。


「なにかあったのか?」

「マオが、ギフトのデメリットで……」


 二人は俺の説明を静かに聞いてくれた。

 全て言い終えた後、ココが口を開く。


「エス、あのな」

「デメリットで失ったものは取り戻せません。ちょいと見えているようですから、まだいいほうですよ」


 カランカランと言う音と共に、レパードが絶望を告げる。

 俯いたまま、もう一度頼む。


「なにか、なにかあるだろ?」

「ありませんね」

「そんなことは」

「むしろちょいと誉めてやってください。マオは恩人に報いたんですよ? 誇らしいじゃないですか」


 立ち上がり、レパードの胸倉を掴む。

 殴り飛ばしてやりたいところだったが、その顔を見れば殴れなかった。

 口ではこんなことを言っているのにレパードは……とても辛そうな顔をしていたから。


 駄目だった。どうにもできない。

 そんな言葉が思い浮かび、崩れるように椅子へ落ちる。


「……レパードの言う通りにゃ。誰も死ななかったし、これ以上の結果はないにゃ!」


 空元気なことは分かり切っている。

 両手で顔を覆い、それでも駄目で目を瞑った。


「にいちゃ、あのね、えっとね」

「……」

「これで良かったにゃ。あたしは満足してるにゃ」


 なにも聞きたくない。

 なにがギルドマスターだ。

 なにもできやしない。

 俺は無力な、ただのガキだ。


 ――力があれば。


 願いつつ、自分の顔を掴んだ。


 ◇


 突然、音が消えた。

 不思議に思い、目を開く。指の隙間から周囲を窺った。


「……?」


 知らない場所だ。ただ黒い空間。

 それに、座っていたはずなのに立っている。

 だが、なぜか足は勝手に動いていた。


 少し進み、一つの扉へ辿り着く。

 扉を開く。カランカランと音が鳴ったりはしなかった。


 中へ入り、さらに困惑する。

 赤いカーペットが敷かれており、空が見えていた。

 先には玉座。

 座っているのは、絢爛な服装をした、まるで道化のような白い髭の老人だった。


 老人の前で足を止める。

 彼は身動きせず、ただ口を開いた。


「予想より早かった、と言うべきか」


 声を出さず、話を聞く。そうすることが正しいと、なぜか分かっていた。


「エスパルダ。自分がギフトに目覚めかけていたことには気付いてたな?」


 気付いていなかった。だが、もしかしたらみたいな思いはあった。


「そうだろう。お前はギフトにより、妹のデメリットを弱めていた。しかし、最早限界だ。完全に覚醒せねば助けられない」


 あぁ、ルーがおかしかったのは、俺がいると戻っていたのは、やはりギフトだったのか。

 だが、限界? ルーは大丈夫だ。それに、今はマオのデメリットをどうにしかしたい。


「大丈夫? 口癖のように言っているが、大丈夫じゃないと分かっていただろう? もう一度言うが、お前の妹は限界だ。いずれ暴走する」


 ……そうなのか。

 でもどうにかする方法があるんだろう? じゃなければ、俺がここに来ているはずがない。


「察しがいいな、その通りだ。お前のデメリットは恋ができないというものだった。誰もお前を異性の対象にしないし、お前も誰も異性の対象にできない。それがデメリットだった」


 え? 待って? それものすごくショックなんですが? めちゃくちゃ恋をしたいのに、デメリットで恋ができない?

 辛すぎる。勘弁してくれよ。嫌だぁぁぁぁ。


「まぁお前は、それがどうしたと……言わんのか。なるほど、恋への憧れは強かったらしい」


 そりゃ十五歳ですよ? 目が合ったら赤くなったり、手が触れて恥ずかしくなったり、そんな甘酸っぱい恋がしたいです。


「そ、そうか。しかし、それはもう無理だ」


 マジかよ。


「うむ、本当だ。……だが、それだけでは足りない。デメリットを弱めるだけでは、ルーもマオも救えない。分かっているな?」


 うぉー! 恋がしたいよー! ひどい! そんなのってない! あんまりだぁ!


「恋のほうが大事か? というか、話を聞いているのか?」


 あ、はい、すみません。恋より妹や仲間の方が大切です。超辛いけど耐えます。

 ……で、それだけでは足りない? 詳しく。


「端的に言えば、デメリットを強くし、メリットを大きくすることができる。具体的に言えば、デメリットを完全に打ち消す、などだな」


 それでお願いします。


「躊躇わんな。だが、これを聞いてもそれが言えるか? お前に与えるデメリットと、もう一つの使い方は――」


 ◇


 顔を上げる。そこには、心配そうなマイエンジェルの顔があった。


「うぅっ、にいちゃ……」

「泣くな泣くな。大丈夫・・・だ。全部なんとかしてやる」

「え?」


 ルーの頭に手を乗せる。

 パチッと小さな衝撃。同時に、そのデメリットを完全に打ち消したことが分かった。


 次に、光を失ったマオを見る。

 辛いはずなのに笑っているところに、彼女の強さを感じた。


「マスター、もう気にしないでほしいにゃ」

「なーに言ってんだ。俺はギルドマスターだぞ? もっと頼ってくれ」


 自分の胸を叩き、立ち上がる。

 俺はゆっくりと手を伸ばし、マオの頭に置いた。


 先程と同じ、パチッと小さな衝撃。

 そして――マオの目に光が戻った。


「ふぅ」

「……え?」


 マオは自分の前に手を出し、握ったり手首を回したりしている。

 どうやら契約は正しく成されたらしい。安心した。


「マオ、どうしたの?」

「……見える、にゃ」


 聞いた瞬間、ルーがマオに飛びつく。


「見えるの!? ルーの顔も見えてるの!?」

「ハッキリ、ちゃんと、見えるにゃ。何もなかったみたいに、普通に、全部見えてるにゃ」


 ポロポロとマオが涙を流す。

 同じようにルーも涙を流し始めた。


「ちょ、ちょいとあり得ないですよ? 一体なにを」

「エス。ちょっと来い」


 レパードが目を瞬かせる中、ココに手を掴まれ連れて行かれる。

 俺は奥の部屋に通され、両肩を掴まれた。


「お前、まさかあそこに行っちまったのか」

「あそこ? なんのことだ?」

「惚けるな! 一体なにを差し出した!」


 この言い方からするに、ココも行ったことがあるのだろう。

 さすがココ。知らないことなんて無いようだ。


 感心しながらも、その手を退ける。


「ココ。内緒にしてくれるか?」

「いいから正直に話せ!」

「話さない。これは俺の問題だ」

「馬鹿野郎! 困ってたら助けを求めるように教えただろう!」


 ただ首を横に振る。


「俺は納得して差し出した。それがなにかを言うつもりはない。これは俺だけの問題で、俺が抱えていくことだ」


 やっと、やっと無力じゃなくなった。

 ちゃんと仲間を救える自分になれた。

 ただそれが誇らしく、ココを真っ直ぐに見れた。

 しかし、ココは苦渋の表情のまま、とても辛そうに声を出す。


「……そうだな、聞いてもどうにかしてやることはできない。だが、それでもな。それでも、それでもオレは……」

「ありがとう、ココ」


 優しさに感謝し、頭を下げる。

 ココは小さく「馬鹿野郎」ともう一度言った。



 マオは視力を取り戻した。俺がなにかやったことは気付いているようで聞いてきたが、ギフトに目覚めたとだけ答えた。

 同じく、ルーのデメリットも完全に打ち消している。本人は口にしなかったが、かなりキツかっただろう。お兄ちゃんホッとしちゃったよ。


「マスター。本当に、本当にありがとうにゃ……一生ついていくにゃ!」

「ハッハッハッ! これでギルドマスターとしての面目躍如! もう足手纏いだなんて言わせないぜ!」

「誰も言ってないよ? にいちゃが勝手に思ってただけじゃ……」

「やめて! そういうこと言わないで! にいちゃへこんじゃうから!」


 なにはともあれ、全員の笑顔を取り戻せた。それに比べれば、俺が差し出したものなんて大したものじゃない。


 ふと、ココと目が合う。

 ある程度の事情を察しているからだろう。

 一人だけ、悲しそうに笑っていた。

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