第19話
数日後、俺はとある酒場に向かっていた。
理由はガンルバに呼び出されたからだ。
ルーとマオに「元気になったら教えてくれ」と頼んでいたらしい。
共に視線を潜り抜けた仲間の誘い。断る気などあろうはずもなく、俺は意気揚々と扉を開けた。
「お邪魔しまーす」
「……」
静かだ。そして薄暗い。
これだけならばいいのだが、嫌な空気だ。
誰もが目を細め、一言も発さずに俺を見ていた。
「お邪魔しましたー」
俺は即座に撤退を決意した。が、なぜかルーとマオに腕を掴まれる。味方が裏切った瞬間だ。
「入ろうよー」
「……あそこの席が空いてるにゃ!」
「いや、ちょっと急用があるというか、できたというか、思いついたというか」
「「まぁまぁ」」
「やーめーてー!」
マオはともかく、ルーは俺よりも力が強い。逆らえるはずなどもなく、無理矢理椅子に座らされた。
続いて左右に二人も腰かける。逃げないように挟み込みやがった。
静かな中で唾を飲み込む。音が妙に大きく聞こえた。
緊張し小さくなっていると、机の上にダンッと手が置かれる。
「あらあらぁ、《フェンリル》のマスターさんじゃなぃ」
どこかで見たことのある、黒いローブを着た巨乳のお姉さんだ。……あぁ、確か《アーク・パニッシャー》のメンバーだったかな?
乾いた唇で声を出す。
「どうも」
「元気そうねぇ? ずっと待ってたのよぉ?」
お前を殺すときをなぁ! とでも言い出しそうな声色で告げ、お姉さんは去って行く。
なにか飲みたい。喉がカラカラだった。
「今日はどーいう用件か、おれっちたちが言わなくても分かってますよね?」
緑色のバンダナ。斥候と道案内をしてくれていた男だ。
しかし、なぜ脅すような感じのことを言いながら笑っているのだろう。とても怖い。
次々に人が顔を見せ、俺へ一言告げる。
大体似たようなことで、若干の恨みがあるようだった。
もしかしたら、無事に帰れないかもしれない。
そんな嫌な考えが脳裏を過ぎっていたのだが、頼りになりそうな人が店へと入り、不思議そうな顔で近寄って来た。
「あの、エスパルダくん」
「フィリコスさん!」
「今日はエスパルダくんの快気祝いと、この間やれなかった祝勝会ですよね? どうして縮こまっているんですか?」
「……んん?」
快気祝いと、ポイズンリザード討伐の祝勝会?
この後は地下室かなにかに連れて行かれ、もう二度と日の目は見れないのかと思っていただけに、困惑が隠せない。
「ぷふっ」
「わ、笑ったらだめにゃ」
左右に座っている二人も笑い始めた。
あれ? もしかしてだが――。
「じゃあ、《フェンリル》のマスターも全快したってことで、先延ばししてた勝利の宴を始めるぞー! 乾杯!」
「俺をからかって遊んで」
「「「かんぱーい!」」」
最後まで言わせてもらうことはできず、ガンルバの声に合わせて宴会が始まった。
一応ながらも説明されるに、どうやら俺の参加は決定だったらしい。
だが怪我で先延ばしになったため、お酒が飲みたくてしょうがない方々がちょっとした意地悪をしたということ。
納得はできる。しかし、俺は不満だ。
グルだった二人にも、文句の一つも言わせてもらわないと気が済まない。
まずは隣にいるルーへ目を向けた。
「ルー!」
「みんなにいちゃが治るの待ってたんだよー」
「え、うん。嬉しいねー」
よし、ルーは許そう。
「マオ!」
「毎日、みんな声をかけて来たにゃ。マスターは大丈夫なのか、って」
「う、うん。悪いことしちゃったな」
よし、マオも許そう。……というか、全て許した。
俺をからかったのも、全て心配していたからだ。きっとそうだ。
宴を先延ばしにし、待ってもくれた。さすがに怒るわけにはいかない。
「飲め飲めー!」
目の前に酒の入ったグラスが置かれる。
十五歳から飲んでもいいことになっているのだが、こうして飲むのは初めて――なんてことはない。家でコソコソと両親の酒を飲んでいた。誰でもやることだ。
まずは一口、と含む。酒は苦い物と思っていたのだが、甘く飲みやすい。そういったものを選んでくれたのだろう。
「ん、おいしい」
「そうだろそうだろ! もう一杯飲め!」
「あの、そのお酒は飲み過ぎないほうがいいと思うのですが……」
「ハッハッハッいい飲みっぷりだぁ!」
フィリコスがなにか言っていたが、周囲が騒がしいので聞こえなかった。
いつの間にかルーとマオは違うテーブルに移動し、お姉さんがたに可愛がられながら話をしている。
微笑ましい光景をツマミにし、注がれた酒を飲む。酒が進む、というのはこういうことだろう。
「お前の妹つえーじゃねぇか!」
「もう一人の子もかなりの腕前だったな!」
「ふふん、そうだろそうだろ? 俺はともかく二人はすごい。もっと誉めろ」
「よーし、なら飲めー!」
二人が讃えられていることが嬉しく、酒が進む。
視界はぐにゃぐにゃになり、思考は曖昧で、体が熱い。
これはちょっとあれだなと思い立ちあがる。しかし、すぐに膝を突き、そのまま横になった。
あははー、冷たい床気持ちいいー。
「に、にいちゃ!?」
「飲み過ぎにゃ……。ルー、マスターのことを頼むにゃ。あたしはココに助けを求めるにゃ」
「うん、分かった!」
ルーが冷たい布で顔を拭いてくれる。超気持ちいいのだが声が出せない。というか、違う物が出そうだ。
「大丈夫?」
「……」
「わ、悪い。ちょっと飲ませ過ぎたな」
「もう、若い子に無理させたら駄目でしょ?」
「お酒は節度をもって楽しむものです。気を付けないといけませんよ? お代わりを」
俺に呑ませていた人たちが反省する中、フィリコスがグラスを空にしている。まるで水を飲むかのような勢いだった。
ボンヤリとしたまま取り戻した平穏を眺めていると、一人、また一人と近付いて来る。
「お前がガキくさいことを言ったお陰で勝てた。感謝してるぜ」
「我々は団結し、戦うことができる。それを誇りに思う」
「ポイズンリザードがなんぼのもんじゃー! あっはっはっ! やったね、《フェンリル》のマスター!」
口々に礼を言い、去って行く。
本当は戦いたかった。でも踏み出せなかった。背中を押してくれた。なぜ冒険者になったのかを思い出せた。
そんな言葉を聞き、あぁ、間違っていなかったんだ、と素直に思える。
一区切りついたところで、俺はフラつきながらも立ち上がった。
「まだ寝てないと駄目だよ!」
「いや、大丈夫。ちょっと外で風に当たってくるよ」
酒のせいか、それとも礼を言われ続けたせいか。
体は火照り切っており、熱を冷ましたくてしょうがなかった。
ルーに渡された水を手に、二人で店を出る。
軒先に腰かけ、息を吐いた。
後方からは楽しそうな声。なのに前方には静寂。
不思議な感覚だったが、とても気分がいい。
「ずっと、ずっとみんなが笑えるようにしたいな」
「うん! ルーも!」
同意してくれる相手がいる。一人では無いということが、こんなに良いものだとは思わなかった。
知っていたが気付いていなかったこと。
それが分かり、頬が緩む。……気持ち悪い。口に手を当てて俯いた。
「ルー、水をもう一杯頼んでもいいか?」
「いいけど、一人でどっか行ったら駄目だよ?」
「行きたくても歩けないって」
へろへろだーと伝える。
ルーは呆れながらも笑みを浮かべ、店の中に入って行った。
今日はココの店に泊めてもらおうかな。家に帰るのはしんどすぎる。
夜空を眺めつつ考えていると、いつの間にか目の前に緑色の髪をした、白いマントを着た男が立っていた。たぶん一緒に戦ったうちの一人だろう。
男は笑顔のまま口を開く。
「こんばんは」
「こんばんは」
もしかして店に入るところだったのかな? 邪魔をしていたかと思い、少し横に移動する。
だが男はそのまま動かず、俺のことを観察するように見ていた。
「え、っと」
「《フェンリル》のマスター、ですね?」
「はい、そうです」
切れ長の無機質な目から顔を逸らせない。最近、こんな目を何度も見た気がする。
だが酔っているせいか、どうしても思い出せない。
考えている間に、男がよく分からないことを語り出した。
「神はこの世界を愛しています。ですから、世界は美しいのです」
「はぁ」
「争いは良くない、混沌は醜い。普通はそう考えるでしょう。ですが、神はその全てを許容している。よって、争いは正しく、混沌は美しい。だから戦いは無くならない。神が許しているからです」
「……?」
言っていることの意味がよく分からず、ただ首を傾げる。
彼が何を言いたいのか、それがまるで理解できなかった。
「分かりませんか? えぇ、分からないでしょう。ですから、あなたは抗ってしまった。それは正しい行いですか? いいえ、違います。神の意に反する間違った行いです」
「あの、なにを?」
「もう分かろうとする必要はありません。我々は、私は理解した。ギルド《フェンリル》と《アーク・パニッシャー》は少々厄介で、テガリの町は
男が目を細める。背筋に冷たいものが奔った。
無機質な目を見て、なにを想起させていたのかにやっと気付く。
これは
「短い平穏を楽しんでください。それが許された最後の時間です」
「お前、まさか――」
「この美しき世界の、唯一の汚点に鉄槌を下します。では、しばしの別れを」
優美に頭を下げ、男が背を向け歩き出す。
白いマントの背には、黒い花が刺繍されていた。
……駄目だ、見逃してはいけない。
柱に掴まりながら立ち上がり、叫ぶ。
「待て!」
「にいちゃ?」
両手でコップを握ったルーがキョトンとしている。
しかし、いいタイミングで来てくれた。
暗闇の中に見えている人影。そこを指差す。
「あいつを捕まえてくれ!」
「え? なんで?」
「早く!」
「わ、分かった!」
ルーは勢いよく駆け出す……ようなことはなく、トテトテと歩き、男の手を握った。
なぜ? 知り合いだった? 俺が覚えていないだけ?
分からないまま身構えていると、明かりに照らされ男の顔が露わになる。禿頭はピカリと光を反射していた。
「なんだなんだ? 酔い潰れたって話だったが、割と元気そうじゃねぇか」
「コ、ココ?」
「おう、オレだ。改めて見たらイケメンだったか? やっと気付いたようだな」
歯を見せてココが笑う。だが違う、お前じゃない。
軽口に答えることもできず、周囲を見回す。
「マスターどうしたにゃ? 顔が怖いにゃ」
「今、ここに男がいただろ! 緑色の髪をした、白いマントを着けた男だ!」
「おいおい、落ち着けって。そんなやついなかったぞ? 酔ってるせいじゃねぇか?」
「酔ってない! いや、酔ってる! でもいたんだ、ここに!」
明らかに普通じゃない俺を見て、三人は呆然としている。
しかし、それもしょうがない。
見たのは俺だけだ。信じられるはずがない。
言っても無駄だと分かっているのだが、言わずにもいられない。恐らくあいつがなにかをやっている。言葉からしても間違いない。
……くそっ、どうして酒なんて飲んだんだ。すぐに飛び掛かれば捕まえられたかもしれないのに、思考も体もついていかなかった。
信じてもらえなかったことよりも、自分の迂闊さが許せない。
拳を強く握っていたのだが、ココが口を開いた。
「ルー、マオ。お前らはエスを護衛しろ」
「分かった!」
「了解にゃ!」
「レパード! どうせ、どっかにいるな? すぐに緑色の髪をしたやつを捜索して捕まえろ。逆らうなら骨の一本や十本は折っていいぞ!」
「――任せてください」
唖然としていると、ココが俺を座らせる。
「なにかあったんだな? 落ち着いて話してみろ」
信じてもらえなかった、なんて思った自分に腹が立つ。
少し泣きたい気持ちになりながらも、俺はココに事の成り行きを話した。
「……白いマントに黒い花? 聞いたことねぇな」
「でも、確かにいたんだ!」
「分かってる。お前が言うんだからいたんだろう。話を聞くに、ここ最近の異常はそいつがやってた可能性が高い。うまいことレパードが捕まえてくれりゃいいが……」
ココが一点に目を向け、息を吐く。
同じ場所を見ると、声が聞こえた。
「ちょいと期待してもらっていたのにすいません。どうやら逃げられたようです。影も形も掴めませんでした」
なんとも申し訳なさそうにレパードが出て来る。まだ捜索は続けているが、たぶん見つからないだろうと言っていた。
柱を拳で叩く。
千載一遇の機会を無駄にした。
そんな自分の愚かさに、無性に腹が立ってしょうがなかった。
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