第15話

 やぁ! 俺の名前はエスパルダ! 名前を呼んでくれる人も少なければ、覚えている人も少ない。ギルド《フェンリル》のマスターをやっているが、俺自身は天使のような妹に比べれば、なにも特別じゃない。妹に優しいことだけが取り柄の、いたって普通の男さ!


 ……おっと、そんなことは無かった。

 実は最近、ちょっと特別な自分になれたんだ。

 それはね、なんと……ファーストキスを済ませました!


 え? 十五歳でキスをしたことがあるやつくらい探せばいくらでもいるって?

 チッチッチッ、普通とは相手が違うんだな。

 なんせ俺のファーストキスの相手は、スキンヘッドのおっさんだからね!


「少しカサついていたが柔らかな唇の感触。どうだいすごいだろ、大した取り柄も無いと思っていたが一瞬で特別になれちゃったぜ……」

「にいちゃ! にいちゃしっかりして!」

「マ、マスター落ち着いて! そんな特別はないにゃ!」


 あれから数日。俺は今、自室に引き籠っている。名目上は療養のためだ。


 命を助けられた。お礼を言いたい。死ぬことに比べれば、キスの一つや二つなんだというのか。と、分かっていてもショックは大きい。よって、俺は自室で毛布を被っているのだ。


「うぅぅ、ルーが口移しすれば、にいちゃは大丈夫だったのに」

「ルーとあたしは冷静じゃなかったし、ココの判断は正しいにゃ。……でも、マオがしてあげればよかったと思うにゃ。初めての相手がおっさんは、さすがに命の恩人に申し訳ないにゃ」


 二人の言葉を聞き、もしそうだったらと考えてみる。

 相手がルーなら、ありがとう、助かったよ。と抱きしめ頭を撫でていただろう。

 相手がマオなら、ありがとう、助かったよ。と額を地面に押し付けていただろう。

 だが美少女相手でラッキー! とは思えない。どことなく気まずいじゃないか。


 しかし、現実は気まずいどころではない。

 ファーストキスの相手はココおっさん

 これはもう一生覆らないのだ。


 冒険者協会に呼び出されている。ココの店にだって行かなければならない。薬草採取だってしたい。

 だが、どうしても一歩踏み出すことができない。ルーの頼みでも、俺はもう部屋から出られないかもしれない。キスのダメージは思っていた二千万倍くらい大きかった。


 自分に情けなさまで覚えていると、勢いよく部屋の扉が開かれる。入って来たのは母さんで、父さんは扉のところでオロオロしていた。


「か、母さん」

「いつまでメソメソしてんの! キスの一つや二つで情けない! それとも母さんが無理矢理記憶を塗り替えてあげようか!?」

「そ、それは勘弁。でも、もう少し心の整理を」

「うるさい!」


 母さんは窓を開け、俺の毛布を引っ手繰った。

 ヤバい、本気だ。この上、セカンドキスが母親とか引き籠るどころでは済まない。

 慌てて毛布取り返そうとしたのだが、なぜか首根っこを掴まれる。


「出ろって言ってんでしょ!」

「ギャアアアアアアアアアアアア!」


 窓から放り出され、俺は強制的に部屋から脱出した。



 ついでとばかりに叩きつけられた服に着替え、テガリの町へ向かう。

 左右の手を美少女が引いてくれているのは、少しばかりの救いだろう。


「いい天気だねー」

「……うん」

「きっと明日もいい天気にゃー」

「……うん」


 まともな返事もできぬまま、あっという間にテガリの町へ辿り着く。

 だが部屋を出たことが良かったのか、少しだけ前向きになれていた。


「まずは冒険者協会ー?」

「それがいいかもにゃ」

「よし、ココの店に行こう」

「「え!?」」


 二人は同時に声を上げた。


 カランカランと音が鳴る。


「酒飲みてぇ……」

「ひ、昼からなに言ってんだ?」

「ん? お前らか。よく来たな!」


 扉を開くまでは死ぬほど逡巡したのだが、ココの顔を見たらスーッと落ち着きを取り戻した。

 一応言っておくが、別に目覚めたとかじゃない。もしあの場にココが来ていなかったら、俺はもう店に来ることどころか、話すことも、歩くこともできなかった。

 そんな当たり前の事実に気付いたからだ。


「……ココ」

「お、おう、どうした?」


 若干困った顔でココが答える。少し照れているような素振りを見せるのはやめてほしい。

 呆れつつも、深く、深く頭を下げた。


「本当にありがとう」

「――おう」


 彼はいつもと同じように優しく笑い、俺の頭を撫でた。


 あれから後、テガリの町の人々は冒険者も含めて森に向かい、毒沼の処理を行っている。だが悪いことばかりではない。

 森への被害は少ない。突然現れたポイズンリザードの毒沼は、突貫工事のような出来栄えだったらしく、これならそう長くかからないらしい。

 

 怪我人は多かったが、死者は無し。

 回復薬、解毒薬を安く販売したことが功を奏した。

 しかし、ココは肩を竦めて言う。


「お前だけ死にかけたってわけだ」

「で、おっさんにキスされたわけだ」

「「ハッハッハッハッ」」


 笑いあった後、この話はしないと二人で決めた。


 事のあらましを聞き終わり、息を吐く。

 まだもう少し時間はかかるが、大きな問題にはならなかった。それが分かっただけで嬉しい。


「で、お前らは今後どうするんだ?」

「薬草採取……と言いたいところだが、毒沼の処理かな。早く片づけるに越したことはない」

「まぁそうだな」

「でもその前に、冒険者協会に行かないと。呼ばれてるんだ」

「怪我で寝込んでいたって話になってるから、まぁ焦るこたぁねぇよ。明日にしておけ。……ちょうど客も来たしな」


 客? と振り向く。

 カランカランと音が鳴り、全身黒づくめの男が姿を見せる。

 彼はテンガロンハットを持ち上げ、軽い挨拶をした。


「ちょいとお邪魔しますよ」


 今、一番話を聞きたい相手。レパードは俺を見て、シシシッと笑った。



 珍しく店の奥に通される。

 ココは喜々とした表情で入口のプレートをひっくり返し、閉店にしていた。


「さて、話をする前にちょいとお使いでも頼みましょうかね。……マオ。ルーちゃんと一緒に、こいつを買って来てくれるかい?」

「分かったにゃ」

「えー! ルーはにいちゃと一緒にいる!」

「まま、お釣りでお菓子を買ってもいいんで頼みますよ」


 チラリとレパードはこちらを見た後、ルーへ頼み込む。

 聞かせたくない話があるので、合わせてくれと言うことだろう。


「ルー」

「やーだー!」

「ちょっと三人で話したいことがあるんだ。悪いけど外してくれるか?」


 ギョッとした顔をレパードが見せる。

 だがルーはキョトンとした後、にぱっと笑った。


「うん、分かった!」

「ごめんな。話せるようなら教えるから」

「はーい!」


 ルーはマオと手を繋ぎ、仲良さそうに部屋を出て行く。ポイズンリザードの一件で、二人の仲も深まったのだろう。

 少しだけマオに嫉妬を覚えつつ見送ったのだが、苦笑いが聞こえる。


「いや、素直に教えちゃうんですね。ちょいと驚きました」

「……子供扱いし過ぎるのは良くない、って教えられたからな」

「本当にそう思ってんならソワソワしてんなよ」


 そこはしょうがないんで許してください。


 で、しっかりとした大人二人と、辛うじて大人に片足を突っ込みつつある俺。三人での話が始まった。

 最初に口を開いたのはレパードだ。


「聞きたいことはたくさんあると思いますし、話したいこともたくさんあります。とりあえず、ちょいとそちらから聞いてもらえますか?」


 まずは俺の質問に答えることで話を進めていく、という形式をとったらしい。

 少し考え、最初に言わなければならないことを口にした。


「ならこれからだ。……助けてくれてありがとうございます」

「そっからですか!? いやはや、本当に予想外なところから来ますね。ですが、気にしないでください。恩人にちょいと報いただけですから」


 照れくさそうにレパードが笑う中、次に聞くべきことを考える。

 ……あぁ、本当にたくさんあって困るな。

 言いたくないこともあるだろうが、そこを気にしていてもしょうがない。

 俺は今度こそ疑問を問うた。


「どうしてあそこに? 後、一緒にいた人たちは?」

「ポイズンリザードの話はちょいと聞いてましたからね。いざというときに手を貸させてもらおうと。一緒にいたのは自分の仲間たちですよ」


 どうやら心配してくれていたようだ。

 俺はもう一度頭を下げる。

 レパードは微妙な顔で笑い、ココをチラッと見た。

 肩を竦め、ココが口を開く。


「ま、そういうことらしいぞ。後をつけられたのは嫌だったろうが、悪気があったわけじゃねぇ。勘弁してやってくれ」

「え? 最初から気にしてないけど」

「お、おう。お前、本当そういうところすげぇよな……」


 なにがどうすごいのだろうか。いや、もしかして鈍いってことか? よくココにも話の裏を読め、って言われる。今の話にも裏があったのかもしれない。


 そう考えれば疑問がまた湧き上がる。

 どうしてつけていたんだろう? どうして隠れていたんだろう? どうしてギリギリまで手を貸さなかったんだろう? どうして、どうして、どうして……。


「やっぱりいいや。うん、悪気は無かったんだろ? ルーとマオに危害を加えたわけじゃないし、別にいい」


 俺は考えるのをやめた。信用している相手を疑うなんて時間の無駄だ。

 ココが禿頭を撫でながら笑う中、コホンとレパードが咳払いをする。


「ま、もう少し話しておくべきですね。実は猫姫様に、ちょいと便宜を図るように言われています。ですが、自分たちもテガリの町で大っぴらに動きたくはなかったんですよ。悪いことをした、ってわけじゃないですからね?」

「最初からそんな人だとは思ってないから安心してくれ」

「そりゃどうも。で、その辺りの事情があり、ちょいと姿を隠していました」


 一口お茶を飲む。そして曖昧な話し方のレパードへ正直に伝えた。


「話したくないことは話さないでいい。さっきも言ったが、助けてもらってありがとう。それだけだよ」


 無理に話してほしいとは思わない。悪い人じゃないし、追及する気も無い。

 しかし、二人はそう思わなかったらしい。

 微妙な顔をし、コソコソと話し合った後に頷いた。


「やめだやめ。そんな風に言われたら、逆に胸が痛い」

「ですね、ちょいと真面目に話しましょう。……実は猫姫様だけでなく、ココさんにも手助けしてもらえるよう頼まれていました」

「あ、そうなんだ。ココありがとな」

「軽いな、おい。まぁいいけどよ」


 どうせこいつのことだ。知られたら照れくさいとでも思ったんだろう。自分はニヒルな男前だ、と訳の分からないことを言う男だ。


「しかし、この辺りは、その、特別・・じゃないですか。自分たちと仲間は、ちょいと名前が知られてるんですよね。ですから、なるべく正体が知られたくありませんでした」

「ちょいとじゃねぇだろ」

「あぁもうすみません。どうも隠そうとしちまう。……結構有名なんです、うちのギルドは。自分の名前もですがね。ってことで余計な波風を立てないためにも、できるだけ隠れて行動をしたかったんですよ」

「ふーん」

「「ふーん!?」」


 いい歳した男がなにをあたふたしているのかと思えば、聞けば大したことではなかった。

 そして、ルーを外させた理由も納得だ。

 俺たち家族が、ルーにこの世界について隠していることはココも知っている。有難い心遣いだ。


 だがまぁそれはいい。

 ずっと気になりつつ聞けていなかったことがあった。


「ところで、さ」

「はい?」

「いや、ずっと気になってたんだけど……」

「どうした?」

「――猫姫様、ってのは誰なの?」


 素朴な疑問だったのだが、ココは笑いに堪え、レパードは口を大きく開いて固まっている。も、もしかして有名人だったのだろうか?


「まぁ、うん。知らなくてもしょうがない、ですかね? ちょいと場所が場所ですし。……ココさん、教えてあげてくださいよ」

「オレか!?」

「七姫については自分よりちょいと詳しいじゃないですか」


 ココは珍しく、物凄い嫌そうな顔をした後、ゆっくりと話し始めた。

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