第5話
重みを感じて目を開ける。
「うっ……ルー?」
「にいちゃ……」
上に乗っているルーは微かに頬を紅潮させ、息を僅かに荒げている。
――あぁこの日が来てしまったか。
誤魔化すのも限界だった、だが思っていたよりも早かったなと思う。
「もう、無理だよぉ」
「……無理か?」
俺の問いにコクリと頷く。
ルーはもじもじとし、恥じないながらも自分の望みを口にした。
「ルーね……戦いたいの」
「でも駄目です」
「ええええええええええええええ!?」
家の中にルーの声が鳴り響いた。
頬をこれ以上ないくらいに膨らませ、ルーは朝食を食べている。食事で膨らんでいるのか、意図的に膨らませているのか。どちらか俺には分からない。
しかし、あのお願いは聞けない。
ルーの装備が完成するまでには時間がかかる。せめて全部揃ってから、情報が集まってから、綿密な計画を立ててから……行動に移したい。
だが俺の考えを知ってか知らずか、母さんが呆れたように言う。
「あんた過保護なのもいい加減にしなさいよ」
最強の味方を得たと、ルーが何度も頷く。
しかし、俺は首を横に振る。
味方を増やそうと父さんを見たが、サッと目を逸らしていた。頼むぜ我が家の柱。
1対2の状況ながらも、俺は頑として言う。
「ちゃんと準備が出来てからだ」
「薬草採取のときもそんなこと言って、一年以上引っ張ったじゃない」
「あれだって準備してたんだ! もう少しで万全の状態が――」
「でも途中で折れたでしょ。今回もそうなるんだから諦めなさい」
「うぐっ」
確かにあの時もルーが半泣きになり、俺は準備途中でありながらも許した。
……だが、今回は違う。
戦闘系のクエストに行くってことは、薬草採取よりも遥かに危険。例えあの日のように泣いたからって、俺は決して許さない。
ルーの安全が第一。怪我の一つもせず連れて帰ることは最低目標だ。
「にいちゃ……」
「駄目」
「でも……」
「だ、駄目」
「うぅ……」
「駄目、だよ?」
「……」
ついにルーが目を逸らす。マズいと思い、回り込む。だがプイッと逸らされてしまった。それどころか、返事もしてくれなくなる。
何度か続けた結果、俺の心がズタボロになった。
マイエンジェルに無視されることに耐えられるはずもなく、不承不承で提案をする。
「オーケー分かった。今日はとりあえず冒険者協会に行き、討伐系のクエストを見てみよう。色々と話を聞き、大丈夫そうだったら受けることも考える。それならいい? いいよね? だから、にいちゃと目を合わせてくれないかな?」
「――うん!」
にぱぁっとルーが笑う。許してもらえたようで、俺も満面の笑みを返した。
そのやり取りを見ていた母が肩を竦める。
「だから言ったじゃない」
「お、お父さんも心配だから――」
「あなたは仕事の時間でしょ」
「はい……」
そんなこんなで、俺たちは冒険者協会へ行くことにした。
テガリの町へ辿り着き、まずはココの店へ向かう。
「そっちじゃないよ?」
「あぁ、ココに話をしておかないとな」
「そうなの?」
「そうだよ」
小首を傾げる死ぬほど可愛い妹を見ながら、ココの店の扉を開く。カランカランと音が鳴った。
「近日中に大金が入るかもしれんから休みだ」
「せめて入ってからにしてくれ」
毎日休みの理由を探してやがる。
呆れていると、ルーが片手を上げてカウンターに近づく。
「やっほー!」
「おう! ルーは今日も元気だな!」
やる気の無い店主、ココが笑顔になる。さっきまでカウンターに突っ伏していたとは思えない代わり様だ。
「で、今日も
「あぁいや実は」
「討伐クエストを受けに冒険者協会に行きます! だから薬草採取できません!」
「な、なんだって!?」
ココが大袈裟に驚く。もうこれにも慣れたものだ。
しかし、腕を組んで唸り出した。
「討伐、討伐か……さっすがに用意してなかったな。うーん、こいつはどうしたもんか……」
小声で呟きつつ、チラチラと俺を見ている。どうやら俺と同じで、まだ誤魔化せるだろうと思っていたらしい。
だがココならば何かいい案を出してくれるに違いない。なんといったって大人だからな。
少し悩んだ後、うん、とココが頷く。
「いいんじゃねぇか? やってみろよ」
「言われなくてもやるよ! うおー、頑張るぞー!」
「え? ちょ、ココ? なにかいい案が、ね?」
「いいからやれよ。ルーが強いのは分かってるし、お前がいれば無理しないだろ」
ココは腕を組み、いけるいけると言う。
だが全ては俺にかかっているようだ。
なんとも言えない気持ちのまま歩き出す。
「じゃあ、本当に行くよ?」
「いってくるー!」
「気を付けてな」
数歩歩き、もう一度振り向く。
「本当に行くぞ?」
「さっさと行け」
俺は諦め、冒険者協会に向かうこととした。
冒険者協会内へ入る。中には厳つい顔の人や、フードを被って顔が見えない人。歴戦と思しき冒険者たちが集まっていた。
前は多少緊張しただけだったが、今回はさらに緊張している。なぜか俺たちに視線が集まっているからだ。
「……あれが?」
「……フェンリル? マジか?」
「……嘘だろ」
なるほど、先日の一件で少し有名になってしまったらしい。
だが舐められないようにと、胸を張って前に出る。……よりも先に、ルーがピョコンと前に出た。
「ギルド《フェンリル》だー! 討伐クエストを受けに来たぞー!」
周囲がざわつき出す。十歳にしては少し幼い話し方がまた可愛らしいルーに、みんながうっとりしているのかもしれない。少なくとも俺は頭を撫でまわしてやりたい気持ちだった。
コホンと一つ咳払いをし、ルーよりも前に出る。
「行くぞ、ルー。挨拶は十分だ」
「うん!」
驚愕の表情、睨みつける目。多数の感情を受けながらもポーカーフェイスを作り、平静を保って足を進ませる。膝が少し震えていた。
クエストボードの前に行き、一通り目を通す。……うん、どれが初心者向けかが分からない。
「どれにするどれにする!?」
「いや、カウンターに行くぞ」
逸るルーを押さえ、カウンターに向かう。
職員さんに聞こうと思ったのだが、他の冒険者はそう思わなかったらしい。小声だが聞こえてくる。
「……物足りない、ってことか?」
「……たまにあぁいうやつらが出てくる。すぐに死ぬ小物か、歴史に名を刻む大物か。まぁ結果はすぐに出る」
小物です。
などと言っても信じてもらえないだろう。
そのままカウンターへ。
並んでいる人も多かったが、なぜか譲られる。気まずい。
「ほ、本日はどのようなご用件で」
眼鏡の男性が緊張した面持ちで聞いてくる。
俺は他に聞こえないよう言った。
「一番簡単な討伐クエストを」
「い、一番難しい討伐クエストを!?」
「しーっ! 声が大きい! 後違う!」
覗き込もうとしている人たちを手で追い払い、職員に顔を寄せる。
「《フェンリル》はできて数日の新参ギルドだ。簡単なクエストから熟して行きたい。分かるよな? 分かるだろ? 分かってください」
「わ、分かりました」
理解してくれたのか、職員はいくつかの紙を抜き取り、一枚ずつカウンターに置く。
「山賊討伐とかはどうでしょうか? 普通は調査を先に行うのですが、《フェンリル》ならば調査は必要ないかと」
「いきなり討伐っておかしいよね? 調査でも断るけど!」
「でしたらこちらの護衛クエストはどうでしょうか? 三ヶ月ほどかけて、様々な町を巡って王都へ行くことになります。危険な場所も多いですが大丈夫でしょう」
「初心者に三ヶ月のクエストってどうなの? 後、危険って言っちゃってるし! 全然大丈夫じゃない! もっと手軽なやつがあるだろ!?」
こんな感じで話にならない。
うまいかないものだと少しへこみつつ、俺たちは冒険者協会を後にした。
ココの店に戻るかと歩いていたら、ルーが言う。
「うまくいかないねー」
「そうだなぁ。ココに相談して、初心者向けのクエストを調べるよ」
「うん!」
知識が足りていない。しっかり学べば、クエストボードから選ぶこともできるだろう。
痛い目にあって覚えればいい、という考え方もあるが、俺はできるだけ調べてからやりたい。安全第一な冒険者人生。目指すのはこれだ。
しかし、世界最強のギルドとまでは言わないが、危険な道を選ぼうとしている。
良いのか悪いのか、悩ましいところでもあった。
「うーん」
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃ――」
ふと、フードを被っている人に目がいく。顔も見えない相手だが、こちらを見ていたことに気付いたからだ。
さっき、冒険者協会の中でも見た覚えがある。もしかして話でもあるのかな? そんな考えに至り、足を進ませた。
「あ」
サッと身を翻し、裏路地の奥へ入って行く。だが見失ったわけではなく、その背は見えていた。
まるで誘われているような状況。少し悩んだが追うことにする。妙に気になって仕方がなかった。
「にいちゃ?」
「ココの店に行っててくれるか? すぐ行くから」
「あ、待って! にいちゃ!」
これで危険なことがあってもルーは大丈夫。安心して走り出した。
フードの人は時折足を止め、こちらを待っている。小柄なことから、小さな種族か年下なのだろう。
いくつかの曲がり角を抜け、突き当りへと辿り着く。
しかし――
「あ、れ?」
相手の姿が無い。薄暗いしどこかに隠れてるのかもしれないが、そもそも隠れる理由が分からない。なら、きっと見失ったのだろう。
頬を掻き、諦めて戻ろうとする。……その時だった。
「動くにゃ」
首元に冷たい感触。一体いつの間に回り込まれたのか。ゆっくりと両手を上げた。
にゃ、と言う話し方から猫の獣人を想起する。しかし、そう思わせようとしているだけかもしれない。
少しだけ顔を動かし、後方を確認しようとする。
「動くに……動くぬぁ!」
さすがにその語尾はおかしくない? と思いながら顔を前に動かし、気付く。首に当たっている物を前に出し過ぎているらしく、少しだけ見えたのだ。
恐らく銀製品。持ち手は細く、先は円形に広がっており、中心が窪んでいる。
――スプーンだ。
ナイフかなにかだと思っていただけに、スプーンは予想外だった。いや、それでもせめてフォークだろう。スプーンでなにをしようというのか。
そこから導き出されるのは、悪い人じゃなさそう、という結論。脱力し、話を聞くことにした。
「目的はなんだ?」
「《フェンリル》のギルドマスターだにむぁ」
「……そ、そうだ」
語尾に吹き出しそうになったが、どうにか堪えて答える。
「金を出せ。持っているのは分かっているにゃ……ぞ」
銀板が前に差し出される。金が目的らしい。やはり金は人を狂わせる。
こいつが良からぬ輩とまでは思わないが、こういった事件に巻き込まれる可能性も高い。今回はまだ良いほうに思えた。
「い、言う通りにしないと――」
「しないと?」
「……困る」
可愛らしい答えに苦笑いを浮かべる。
ルーの将来を考え貯金しようと思っていたが仕方ない。ナイフを隠し持っていない、とは言えないのだから。
……それに、どうにも放っておけない。初対面でこのような状況なのに、困っているのは分かっていた。
なんせ後ろで「お願い……言う通りにして……」と小声で言ってるからね。
俺は両手を上げたまま答えた。
「分かった」
「え?」
銀板へ手を押し付ける。指輪を通し、全てのラピが移動した。
もういいかなと後ろを見る。相手はオロオロした後、気付いたように走り出した。
しかし、曲がり角で足を止める。
「ありがとうにゃ! ……違った。あばよ!」
最後までしまらないまま少女が去って行く。揺れる尻尾の感じから、本当に猫の獣人だったのだろう。ちなみに少女というのは声で分かった。
少しだけ待ち、路地を出ようと歩き出す。
だが目の前で大きな音。上からなにかが降って来たようだ。
「あっぶね!」
「にいちゃ!」
「ル、ルー? どうして上から? 危ないだろ、気をつけなさい」
「ご、ごめんなさ……そうじゃなくて!」
マイエンジェルは頬を膨らませ、俺に詰め寄って来る。少し怒っているようだった。
「どうしてルーを置いてったの!」
「あ、危ないと思って……」
「なら、なおさら一緒じゃないと駄目だもん! なにかあった!?」
「いや、別にないよ。お金を全部渡したくらいだ」
「そっかそっか……えぇ!?」
ココの店へ向かいながら経緯を説明する。
俺は終始、バカバカと妹に怒られるのだった。
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