第38話 復活した幼き姫の覚悟

「静……お前なのか……?」


 その声にフレデリックはふらふらと静の肉声を発した鬼に近付いて行った。その時のフレデリックはもうすでにラマナス国王ではなく、完全に静の父親だった。


「待て、フレデリック!」


 そのフレデリックをクスコー博士が声で制した。


 そのままふらふらと鬼に近づき抱き締めようとしていたフレデリックの体がびくりと震え、その足がぴたりと止まった。


 その時だった。


 鬼の体を覆う青白い光をぼんやり浮かべたあの幾何学模様の刺青が突然、その光を紅に染め輝きを増した。すると同時に鬼の体の輪郭が霧でも纏う様にぼんやりとしてきたかと思うと一気にぐにゃりとひしゃげた。そして、その全体が砂の様に崩れ始めた。


 しかし、一度は砂の様に足元へ向かって崩れ始めた鬼の体がまるで動画を巻き戻しているかの様に逆流を始めた。そして、その一度は崩れた砂粒が再び一つの形を形成し始める。やがてその動きが収まると、もうそこには鬼の姿はなかった。


 そこには鬼の代わりに、一人のまだ幼い少女が立っていた。


 艶やかな漆黒の黒髪と瞳。

 柔らかな感じを受ける少し黄色がかった肌。

 長い手足に年齢の割には少し背の高い体。

 真っ白なブラウスに胸には赤いリボン。

 そして綺麗にアイロンが掛かった紺色のプリーツスカート。


 それは、あのテロが起こる前の静の姿その物だった。


「静!」


 その姿を見たフレデリックはもう自身の気持ちを抑えることは出来なくなっていた。すぐさま、その静に走りよるとその場に跪き、小さな体を力の限り抱き締めた。まるで、そこに居るのが幻でないのを確かめるかの様に。


「お父様……」


 いきなり抱き締められきょとんとしていた静がやっと我に返って自身を抱き締める父を見下ろしながらそう呟いた。その声にフレデリックが顔を上げると、最後にその姿を見た時となんら変わらぬ、理知的ながら可愛らしさも残す笑顔がそこにあった。


「静……私が分かるか?

 本当にお前なのか?」


 フィレデリックは喜びで叫びたくなるのを我慢して、あえてあたたかな笑みを浮かべながら優しく尋ねた。


「お父様、分かります。

 ただ、私が本当に以前の私であるかだけは私にも分かりません。

 それは『私』と言う物をどの様に定義するかで、

 その答えが大きく変わってしまいますからね。

 私はこの世に実在する唯一のスワンプマンなのですよ、お父様」


 静はそう微笑みながら答えた。しかし、この答えにフレデリックは漠然とした違和感を感じた。


「静、お前……」


 フレデリックはその違和感から何かを静に何かを尋ねようとして思い留まった。


 娘である静の答えがその年齢にしてはあまりに哲学的過ぎたのだ。確かに静は年齢の割に大人びた少女だった。言い方を変えればかなり理知的な印象を与える娘だった。しかし、今の静の答えはその範囲をかなり逸脱した感をフレデリックは受けたのだ。その時の静は、まるで老齢な哲学者の様に思えた。


「お父様が今の私に感じている違和感は理解できます。

 今の私は今までと同じ10歳の私ではないのです。

 AHASに取り込まれる事で精神的な成長も一気に進んだのです」


 そんなフレデリックに静はそう答えて少し悲し気な笑みを浮かべて続けた。


「だから、分かるのです。

 私は少なくとも、もう『人間ひと』ではありません。

 たぶん『静と言う人間を完璧に模倣シミュレートする機械マシン』なのでしょう。

 だから……」


 そう言って静は何故か言葉を切った。


 その次の瞬間だった。美しく整っていた顔の左半分の皮膚が火傷の痕の様に醜く崩れた。そしてその上に酷く目立つ縫い傷が浮かび上がった。それだけではない。半袖のブラウスや、スカートの下から覗く手足にも、酷いケロイド状の痕や縫い傷が浮かび上がった。


「静、お前、一体何を……。

 わざわざそんな偽装をしなくとも、

 皮膚移植や整形で傷や火傷の痕はなくしたと言えば良いんだ」


 フレデリックは醜く変わった娘の姿を見て驚きの声を上げた。


「私はこれからこの姿で生きてゆきます。

 いや、『生きて』と言うのはちょっと違うかも……」


 ここで静は初めて歳相応の可愛らしい表情を覗かせ小首を傾げた。


「ああそうか……『存在して』と言う言い方が妥当でしょう」


 そう言って静は寂し気に笑ってからまた大人びた表情に戻った。


「この姿同様、表向きはあのテロで心まで歪んだ姫になります。

 誰もが眉をひそめる素行が悪い嫌われ者の姫に。

 だからお父様は早く新しいお后様を見つけて子供を作ってください。

 そしてその子がラマナスの国民全てから信望を集め、

 愛されてお父様の跡を継ぎ次期ラマナスの王となるのです」


「何言ってるんだ、静!

 私は忍以外の妻をめとる気はない。

 ましてお前以外に私の跡を継がせる者など考えていない!」


 静の言葉にフレデリックは首を激しく左右に振って声を荒げた。


 それを見ていた博士はすでに、そうなる事を予想してたかのように苦し気な表情を浮かべ、わざと二人から目を逸らせた。


「先ほど言いましたように私はもはや『人間ひと』ではありません。

 子を残す事も出来ないのです。

 今の私は、最強最悪の兵器AHASと一体化した『化け物』なのです。

 こんな私がラマナスの王となる事など出来ません。

 私はお父様やこれから生まれる弟か妹の支配下に入らねばなりません。

 史上最強最悪の兵器が一国の王などと言う狂った事態を作ってはなりません。

 私は、私の可愛い弟あるいは妹の為に、汚れ役になりましょう。

 その者が美しく光り輝く為、私は漆黒の闇になりましょう」


 静はそう言って、その悪魔の様に醜くなった顔に天使の様な笑みを浮かべてフレデリックに言った。


「静、お前と言う娘は……」


 そう言って、今一度フレデリックは静のまだ小さな体を抱き締めた。フレデリックの目からは涙がとめどなく零れ落ちていた。


「私の自慢の娘だ。世界中に胸を張って誇れる娘だ。

 私も一国の王だ。しかもAHASを持つ世界最強の国の王だ。

 お前のその崇高な決意を尊重しよう。

 そして、私も、そしてこの先私の妻となる者も、

 さらにはお前にとっては腹違いの弟か妹になる者も、

 お前を汚れ役として罵り冷遇しよう。

 しかし、それはあくまでお前のその崇高な決意を守るためだ。

 これだけは決して忘れるな、静。

 私達は家族だ。

 例え、表面上は背を向けて生きていても家族に違いない。

 せめて誰の目もない時だけは心のまま愛する娘として接したい。

 その時は、お前も仮面を脱いで優しい昔のままのお前に戻っておくれ」


 フレデリックは涙を拭うと、出来る限り王として、そして父としての威厳を持った顔で静かにそう告げた。するとそれを見て静も笑みを浮かべ静に頷いた。

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