第37話 国王フレデリックの慟哭

 AHAS船内の巨大なメインコンピュータルームに運ばれた静の体は直ちにクスコー博士の手でデータ移植の作業に入った。そしてその作業自体は、何のトラブルも発生することなく丸一日と少々の時間で無事終了した。



 博士から一人でAHASのメインコンピュータルームに来る様に連絡を受けたフレデリックは当惑した表情を浮かべていた。彼はこの場で愛娘である静に再び会えると思っていたのだが、そこには博士と、たくさんのコードに繋がったメカニカルな椅子に座ったあの鬼が居るだけだった。そして、その傍らには白木の小さな箱が置かれていた。


「陛下、お待ちしておりました」


 そこに居た博士は入って来たフレデリックを見て、そう言って臣下の礼を取った。


「データ移植を終えた姫君本体は脳波フラットを確認の上、荼毘に付しました。

 少ないですがこれが姫君のご遺骨となります」


 そして、傍らに置かれた白木の箱を手でさし示し、深々と頭を下げたままそう言った。


 そこ言葉はフレデリックにとって、予想はしていた事ではあったがそれでも実際にそう聞くとかなりのショックを受けた。データ移植を終えれば本来の静の体は死を待つのみとなる。仮に生命維持装置を付け無理やり心臓を動かしたとしても、もはやそれは『人』ではなくなっている。静自身が苦しまなければ、そのままその肉体は……とと言うよりもはや『肉片』は死を迎えさせるのが妥当だとは分かっていた。データ移植が成功し、AHASのMMIUの内部、いや正確にはAHASのメインコンピュータの中で生き延びる事が出来るならそれは静にとっても今は一番幸せな事なのだとフレデリックは自身に言い聞かせた。


 それでも、今、静の残った体が骨になったと言う事は、ある意味、間違いなくそれは静の死である事は変わりないのかもしれない。『魂』をデータとして移植できたかどうかがはっきりしない今、白木に収められた静の遺骨はやはり、彼女の死を意味している可能性が高い。いや、もし『魂』のデータ移植が成功していたとしても、それはコピーでありオリジナルはあの残った肉体に残っていた可能性すらある。その場合は確実にオリジナルの静は死んだことになる。


 そう考えた時、フレデリックの胸に何か熱い物が一気に吹き上がって来た。彼は思わずその白木の箱に駆け寄ると小さなその箱を胸に抱きしめ声を上げて泣いた。それはまさに慟哭と言うにふさわしい物だった。ラマナス王として、また幼き頃はそうなると決められていた立場故、彼は今までかつてこれほど感情をストレートに表に出す事はなかった。それは最愛の妻、忍が遺体一欠けらも残さず死んだと知らされた時も含めてだった。


 博士は、そんなフレデリックから目を逸らし、3Dディスプレイが浮かび上がるコンソールを向いて何か作業を始めた。


 実は、博士とは高校からの同級生でもあるフレデリックには良く分かっていた。博士は一見、狂人の様にも見えるがそれはその感情や思ったことを表現するのにしごく不器用なだけで、その心は普通の人以上にまともであった。今回も、フレデリックがそうなるであろうことを予測して、彼一人にここへ来させ、その感情を誰はばかることなく爆発させてやりたいと言う思いやりからだったのだ。


 ひとしきりフレデリックが号泣し、やっと落ち着いて来たころを見計らい、博士はコンソールでの作業を中断して……実際、それが必要な作業があったのかどうかは疑わしいが……フレデリックに向き直ると口を開いた。


「フィレデリック、落ち着いたか?」


 そう口にした博士は今までのマッドサイエンティスト然とした感じとは全く違っていた。それは極々普通の友人に話しかける風だった。


「ああ、すまんな、アンソニー、気を使わせた」


 フィレデリックもしごく自然で柔らかい笑みを、涙でくしゃくちゃになった顔に浮かべて答えた。


「実際、この作業中は生きた心地がしなかったぞ。

 なんせ、人間一人のデータ移植なんだからな。

 相手がAHASのメインコンピュータでもその機能にかなり制限が掛かる。

 特に我々にとってAHASを動かす唯一のキーであるMMIUが

 完全に機能を休止していたからな。

 もし何か大事が起こってもAHASは使いえない状態だった。

 しかもそんな事、どこにスパイや盗聴器があるやもしれない現状では、

 お前と二人きりになれない限り絶対に言える事じゃないからな。」


 そんなフレデリックを見て、少しだけいつもの様子に戻った博士が言い訳がましく説明をした。


「私の娘の為に気苦労を掛けてた。

 本当にありがとう、アンソニー」


「まあ、なんだ、他ならぬお前とその娘の為だ、気にするな」


 フィレデリックはそう再び友人として礼を述べると、博士は珍しく照れた様に頭を掻きながらそう答えた。


「それでアンソニー、結果はどうなんだ。

 見た所、MMIUには何の変化はないようだが?」


 何か自身を落ち着ける様に大きく深呼吸を一度してからフレデリックが博士にそう尋ねた。


「安心しろ、すべては何のトラブルもなく完璧に終了している。

 後はMMIUを再起動させれば、そこに姫君の意思が発現するはずだ。

 そうなれば、その意志が持つ記憶から、

 全身を構成するナノマシンを組み替えて、その姿もテロ前の姫君に戻るはずだ」


「そうか、では頼む、アンソニー」


 博士の説明を聞いたフレデリックは、はやる気持ちを押さえ、あえてゆっくりと落ち着いた口調で博士を促した。そして博士もその言葉を聞いて、再びコンソールに向かい何やら操作を始めた。


 すると、椅子に座る鬼の、今まで消えていたあの特徴ある全身を覆う幾何学模様の刺青が再び青白く浮かび上がて来た。そして最後にぶんっと言う小さな音を立てて濃いバイザー越しに二つの赤い光が点った。



 そして鬼がゆっくりと椅子から立ち上がり、少しふらつきながらフレデリックにゆっくりと近づいて来た。その動きは、いつもの人間と全く変わらぬスムーズな鬼の動きとは明らかに違っていた。


 当のフレデリックも、そしてコンソールの前で見守る博士も、その光景に思わず息を飲んだ。


「お……おと……おと……」


 鬼が言葉を発した。それは、たどたどしいながら今までの抑揚のない機械的な音声とは明らかに違っていた。まるで初めて声と言う物を出すかのように何度か少し苦し気に声を出した後、鬼がはっきりと聞き取れる声で言った。


「お父様……」


 それは、フレデリックにとって決して聞き間違える事のない声だった。少々、のど風邪を引いた後のしゃがれ気味ではあったが、それは紛う事なき、愛娘『静』の肉声だった。

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