第36話 父としての苦渋の決断
「なんだって! じゃあ、姫様を救う事など出来ないではないか!」
クスコー博士の言葉を聞いた医師団の一人が思わず声を荒げた。これはその場にいた誰もがその時、同じ様に口にしたかった言葉だった。そしてそれはラマナス王にして静の父であるフレデリックも例外ではない。
「私が言いたいのは姫様の脳にあるすべてをデータ化し、
それをそのMMIUに移植すると言う事ですよ。
まあ正確にはMMIUと言うよりAHASのメインコンピュータですけどね」
しかし、博士はごくごく普通にさもそれが誰もが知る当然の事の様に話した。
「しかし、それでは人としての静は、
そう静の『心』は今のままではないのかね?」
フレデリックは吹き出しそうになる感情を押さえて努めて冷静にそう尋ねた。
「だから私は最初に言ったのですよ。
私は人の『魂』とか『心』には興味がないのですよ、陛下。
姫様の脳にある性格も含めすべての『記録』を持っているなら、
それは私達が見る限り、姫様となんら変わらない物ですよ。
特にこのMMIUの場合、全身を構成するナノマシンを駆使すれば、
外見も姫様と瓜二つ、しかも成長を模倣する事だって可能ですからね。
『魂』とか『心』の問題はともかく第三者から見れば、
まさに姫様が蘇ったのと何ら変わりがないと私は思うのですよ」
フィレデリックの問い掛けに博士は興奮気味にそう解説した。
「しかし、それはやはり姫様のコピーであって姫様ではないのではないか?」
「問題は移植するデータに『魂』が含まれるかどうかじゃないのか?」
「いや、その前に『人とは何か』と言う哲学的問題にぶちあたるぞ」
「まさに、スワンプマンのパラドックスだ……」
博士の答えを聞いて医師たちは一斉に議論を始めた。その姿は医師であると同時に彼らが学者でもある事を如実に物語っていた。その姿にフレデリックはラマナス国王としては頼もしく思える一方、静の父としてはあまり気持ちの良いものではなかった。
「議論シタクナルノハ理解デキル。
シカシ、人一人ノ情報ヲ私ノでーたばんくニ移植スルトナルト、
サスガノ私デモ時間ガカナリカカル。
情報ノ一部ガ欠損シテモ構ワナイノナラバ良イガ、
ふるすぺっくデノ移植ヲ望ムナラ結論ヲ急グ事ヲ推奨スル。
ソノ人間ノ活動限界時間ガ非常ニ切迫シテイル」
その議論に目もくれずじっと静の浮かぶカプセルをじっと見ていた……いや、実際にはその視線は濃いバイザーに隠されて見えない為、見ていた様に見えると言うのが正しい……鬼が言った。
「結論を出す前に一つだけ教えて欲しい。
移植されるデータに姫様の『魂』は含まれるのか?」
医師団のリーダー格の男があえて感情を抑えた言葉で鬼に尋ねた。
「えらー。『魂』ト言ウ概念ガ定義不能ノ為、
ソノ問イニ対スル正確ナ回答ハ不能。
今回ノでーた移植ハ、ふるすぺっくデ行ウ。
対象ニ有ル我々ガ認識デキルでーたハ全テ、
コチラノでーたばんくニ移植サレルト言ウ事ダ」
鬼は相変わらず事務的にそう答えただけだった。
鬼の答えを聞いて、医師たちは皆、一様に腕を組み無言で考える素振りになった。人類が持つ知識レベルを遥かに凌駕する、考えようによってはそれはすでに『神の領域』とさえ思えたAHASの知識を以てしても『魂』の定義は出来ていなかった。静の『魂』がどこにあってそれが今回のデータ移植で救われるかどうかは一切分からなくなったのだ。
最悪、静と言う一個人を完璧に模倣するだけの精密なコピー人形が一体出来るだけで、人としての静本人はこのまま死んでしまうかもしれない。そして、それは復活した本人すら自分がコピー人形なのか、静自身なのか分からないと言う事なのだ。まさに、医師団の一人が口にした『スワンプマンのパラドックス』その物になる。さらには、静はまだ幼さの残る10歳そこそこ少女、その方法で復活を果たした後でも、そう言う自身を知ってその幼い精神がその事態に耐えれれるかも心配があった。
「どうしました皆さん。
こうしている間にも姫君の残された時間はどんどん減っているのですよ。
あなたがたが一番気にしている『魂』のデータ化が最後になれば、
それこそ時間切れで姫君の『魂』は移植できなくなるやもしれないのですよ」
そんな医師団を見て、博士はこの雰囲気の中では不穏当とも見える笑みを浮かべてそう言った。もちろん、博士自身は悪気があって笑みを浮かべているのではない。クスコー博士と言うのはあくまでそういう人なのだ。
「分かりました。博士、それにMMIU。
ラマナス王にして静の父としてお二人にお願いする。
その方法で構わぬ。
どうか静を救ってやって欲しい。
もはや静の為などと言う綺麗ごとは言うまい。
最愛の妻『忍』を殺された一人の男の未練だ。
忍の忘れ形見になった『静』だけは私に返して欲しい」
まるで深い深い海溝の底の様な重い沈黙の中、ラマナス王『フレデリック=ラマナス』は苦しげな表情を浮かべ喉の奥から絞り出す様な声でそう言うと、鬼と博士を見て深々と頭を下げた。その姿は世界でもっとも影響力を持つ国『ラマナス海洋王国』を統べる王ではなく、瀕死の娘を目の前にした一人の父親の姿であった。
「かしこまりました、陛下。
この『アンソニー=クスコー』、
その言葉、陛下の勅命を受け取り、
自身の持てる全てをもって、この作業を必ずや成功してご覧にいれます」
そのフレデリックの姿を見て、今までのひょうひょうとした様子とは打って変わり、博士はフレデリックに対して直立不動の姿勢でそう言い切った後、その胸に右手を当て深々と頭を下げた。
「らまなす王、ソノ望ミ確カニ聞イタ。
早速、博士ノ協力ヲ得テ、
ソノ人間ノでーた移植ヲ開始スル。
現時点デノ作業終了予定時刻ハ、
ソノ人間ノ活動限界時間まいなす1時間。
安心シテ良イ」
鬼も博士に続いて、フレデリックを振り返りそう告げた。
「陛下、迅速な判断痛み入ります。
必ずや静姫様を五体満足なお姿で陛下にもう一度会せてご覧にいれます」
博士は真面目な顔つきのままフレデリックにそう言った後、医師団たちの方を向き直り続けた。
「さあ、諸君、直ちに姫君をAHAS船内へ!
時間は限られている、急ぎたまえ!」
それまではそれぞれ思う所があり異論もあった医師たちだったが、博士の号令一つで、再び医師としての姿に戻った。すぐさま、それぞれが持ち場に付き、静の体が浮かぶカプセルを移動させる準備に入った。
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