第35話 現れたAHASのMMIU
ろくに手入れもしていないぼさぼさの髪に無精ひげ。その上、薄汚れた白衣を纏ったやせ細った小柄な初老の男。一見、うだつの上がらぬヘボ学者か藪医者と言うのがぴったり来るその姿は、この緊迫した場所にはあまりに不似合いだった。
「Dr.クスコー、何故、あなたがここに……」
その男を振り向いた医療スタッフは皆、その表情を凍り付かせ、フレデリックも驚きと同時にその言葉を漏らした。
「陛下、どうせ、姫君を殺すおつもりなら、
この私にその姫君の体をいただけませんか?」
その男はそう言ってにやりと笑った。この場ではあまりに不穏当な言葉に誰もが一瞬、不快感と怒りを滲ませた表情を浮かべた。しかし、表情を浮かべただけで言葉を発する者は誰一人いなかった。ただ一人、静での父であるフレデリックが感情を押さえながら尋ねた。
「それはどう言う意味かね、ドクター?」
「なぁに、言葉通りですよ、陛下。
うまく行けば姫君は以前の姿のまま生き延びる事が出来る。
あっ……いや、正確に『生き延びる』と言う表現はどうかな。
私自身、人の『魂』とか言う物には無頓着でね。
普通の方が言う『魂』の存在を元にした『生死』は判断しかねる。
まあ、少なくともうまく行けば姫君は再び国民の前に、
五体満足な姿で現れる事が可能かもしれぬって事ですよ」
その男はまるで自分の趣味を語るかのように、さも楽し気にそう語った。そして後ろを振り向くと言った。
「さあ、お入りください」
その言葉に、その場に居た全員が男の視線が示す先にある銀色の扉を見た。
銀色の扉が微かな音を立ててすぅっと開くと、そこにはあの『白銀の鬼』が立っていた。鬼はそのままゆっくり処置室に入って来た。
「AHASの
医者の一人が声を上げた。
『AHASのMMIU』、それはAHASのコントロールルームで発見された人型のロボット。そして、これこそ、ある意味『AHAS』その物だった。AHASは人類がイメージする宇宙船とはまったく異なった存在だった。一番わかりやすい言葉を使えば、それ自体が『意思を持った巨大なロボット』と言う方がふさわしい存在だったのだ。そして、そのAHASが乗員たちと円滑なコミュニケーションを取る為の疑似的人格を持った人型ユニットがこの『MMIU』だったのだ。MMIUが存在するおかげて、その言語体系さえ理解されAHASにその資質を認められれば、AHASと意思疎通が可能になり、そこに蓄積されたデータベースにアクセスする事はもとより、AHASの持つ機能をより簡単に使う事も可能だった。
「どくたー、先程ノ要件ハ、ソノ人間ノ残骸ノ事ダナ」
鬼は静の体……はっきり言えば頭部と体の一部……が浮かぶカプセルの前まで来ると少しノイズの混じる抑揚のない、そして母国語でない言葉を話す様なやや不自然な言葉でそう言った。
こんな体になってしまったとは言え、大切な娘、そして大切な自国の愛すべき王女の体を『人間の残骸』と言われたことにその場に居たフレデリックも医者達もあからさまに不愉快そうな表情を浮かべた。
「コレハモハヤ生物トシテノ修復ハ不可能ダ。
全身ヲ義体ニ換装スル事ヲ推奨スル。
早急ニ義体ヲ用意シ脳内ノでーたヲ移行セヨ。
コノ生命体ハ後、アト数時間デ全活動ヲ停止スル」
鬼の言葉に、医者たちは誰もが苦し気な表情でお互いの顔を見合わせた。それは自分たちが出した結論とほぼ同じだったのだ。先ほどは鬼に対し不愉快な表情を浮かべた彼らであったが、その誰もが心の内でAHASの持つ『OTA(オーバーテクノロジーAHAS)』ならば王女を救えるのではないかと淡い期待も持っていたのだ。
「我々の技術では脳を全身義体に移植する技術もなければ、
その全身義体すら作る事は出来ていない。
AHASの方でその処置を行う事は出来ないか?」
医師団のリーダーを務める男が鬼に尋ねた。
「本艦ニハ、今現在、義体ノストックハ無イ。
工作室デ作成シテカラ処理ヲ行ウノデハ、
ソノ生命体ノ活動限界時間ガ不足スル」
鬼はあくまで無感情かつ事務的言い回しで答えた。ただ一つこれではっきりした事は鬼の言葉で静を救う事はやはり不可能だと言う事だった。その場に居た誰もが鬼の言葉を聞いて落胆した。まさに一縷の望みすら潰えたと言う感じだった。
「どうかこのまま静を苦しまずに忍の所へ送ってやってくれ」
ともすれば爆発してしまいそうな悲しみとやり場のない怒りを胸の奥にぐっと押し込めフレデリックは静にそう言った。
「分かりました、陛下。仰せのままに……」
医師団の者達は、静の父でありこの国の王の言葉に率直に従う意思を示した。そして、一度は中断した静を安楽死させる処置を始めようとそれぞれが所定に位置についた。
「もうまどろっこしい。
あなた達の目の前に姫君が入るべき器があるではないか。
あんたらの目は節穴か!」
そんな医師たちにクスコー博士はかなりイラついた様子で声を荒げた。その声に医師達は再び手を止めた。
「器と言うと義体の事か?
しかも目の前にとはどう言う……」
医師団のリーダーを務める男が、博士同様かなり不機嫌になってそう口にして、突然、その言葉を切った。
「待て……目の前?
おい、まさか、博士、あんた……」
何か気が付いたそのリーダー格の医師がそう言って博士をじっと見つめた。
「そうだよ、ラマナスの姫君の為にこれほど素晴らしい器が他にあるかね!」
リーダー格の医師の言葉を聞いた博士はこみ上げる喜びを押さえきれぬ様にそう言うと、大げさなジェスチャーでAHASのMMIUである鬼をさし示して高笑いをした。その姿はとてもまともな人間の物ではなかった。そうまさに『マッドサイエンティスト』と呼ぶにふさわしい姿だった。
それを見て医師たちやフレデリックは少しだけ眉をひそめただけだった。彼らにしてみれば博士のそれは不快感を催させるが、すでにそれは日常茶飯事で慣れっこにもなっていた。そして何より、博士は性格的な異常性は確かにあるが、それと同時に誰もが認める常人を遥かに超える頭脳の持ち主でもあった。
「AHASのMMIUに静の脳を繋ぐ。
そんな事が本当に出来るのかね」
まだ高笑いを続ける博士にフィレデリックがまだ半信半疑の様子で尋ねた。
「姫様の脳をMMIUに繋ぐ?
陛下、そんな事は無理ですよ。
MMIUに姫様の脳を収納するスペースなどありませんよ」
何とか笑いを押さえた博士が予想だにしない事をさも当然そうに口にした。
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