第8話本能と理性2
「なん……で! なぜだ!」
力を込める。込めているはずなのに。
自分の命令とは逆に指先から力が抜けていた。
ユカリの言う通りになる。ぼくは証明することができなかった。
「……」
ユカリはぼくを見ていた。
声を掛けることもなく、憐れみの視線を向けることはしない。同情の眼差しや好意的、嫌悪的な感情が目に宿ることもない。
首を絞めていたというのに、ユカリの首筋には何一つ痕がない。
もう笑えてくる。全てはユカリの操り人形のようにぼくは動いた。そう捉えることもできるだろう。
ぼくは立ち上がる。ズボンのポケットを探った。ユカリの手錠を外す鍵を手に取る。
すかさず、ぼくはユカリの手錠の鍵穴に入れた。
「もう飽きた。お前は自由だ。何なりとどこへでも行くがいい。ぼくを通報するのも良し。痛めつけるのも良し。好きにしろ」
ガチャという音を立てて、手足の手錠を外していく。
天井の引っかかりも取り、首を解放させる。これでユカリは自由になった。
そして、ぼくはユカリの前に座った。首を差し出すようにうなだれる。
ぼくの日々は終わりだ。ならばいっそユカリの手で終わらせてくれ。そう願いながら、俯く。
ユカリが正しかった。
ぼくは、寂しかったのだ。
クラスメイトの声や会話がうるさかったのは、ぼく自身がよく分かってる。
ぼくは羨ましかった。彼らのように誰かと話して、交流を深めて。孤独を埋めていて羨ましい。
ぼくもあの輪に居れたら、どれだけ救われていたか。
ヒトは独りでは生きてはいけない。そんなことは幼少期に知ってしまっている事実だ。
両親から要らないと言われていても、死ねと言われていても。
ぼくは見捨てられたくなくて。一番怖いのは独りになることだったから。
だからぼくは自分を納得させるために愛を語った。
理由を付けなければ心が耐えられない。それは無意識によるものだろう。
今更、気づくことになってしまうとは情けない。
次第に視界が歪む。ぼくは死ぬのだろうか。
いや、違う。ぼくは泣いているのだ。
なぜ? なんのために?
答えは明白だ。
ぼくは、ヒトであるからだ。
ユカリは動かない。そろそろ何か行動をしてもいいころだ。
ぼくは逃げない。自らした罪を受け入れる覚悟はある。
それでもユカリは動かなかった。
「……どうした?」
ぼくが顔を上げる。ユカリの指先が僕の頬に触れる。
すると、ユカリに抱きしめられた。
ぼくにはわからない。
どうしてそんな行動をしようと思ったのか。
どうしてユカリがそんなに優しそうな瞳で僕を見てくるのか。
どうして、と疑問が次々と飛び交う。
ぼくが憎くないのか。
ぼくを殺したくないのか。
お前は監禁したぼくに、何を求めているんだ?
「大丈夫だよ」
ぼくの耳元で呟く。
ユカリは声色はとても優しかった。
「大丈夫。あなたはまだ何もしていませんから。私は偽りの存在で、あなたというもう一人の存在で。あなたが生み出したものですから」
ユカリは何か言っている。
ぼくには聞き流すことしかできない。
「だから、あなたが望んでいるのなら永遠に一緒にいます。永遠に愛します」
それは、違う。
「私はあなたです。あなたのことを理解してあげられます」
違う。お前は勘違いしている。
「自分のことを理解してあげられるのは自分だけです。他人は誰かの気持ちを理解することはできません。いたとしても感情移入して、理解した気になっているだけです。自らの生い立ち、それに総じて積み重なった自分のルールがあります。ルールによって作られた人格は他人には理解できるわけがありません」
「……」
「でも私は、それができる。私に委ねていいんですよ?」
「嫌だ……」
ぼくは言葉にする。
無理矢理、言葉を絞り出す。
ぼくは誰かを愛したかったわけじゃない。
誰かに愛されたかったわけじゃない。
孤独が嫌なだけで、気持ちなんてどうでもよかった。
つまり、愛を求めていたわけではない。
かといって、ぼくは自分を理解してほしいなんて思っていない。
ヒトを理解したいだなんて思っていない。
自分のことを理解できるのは自分だけなんて嘘だ。
自分を理解することもままならない。自らのルールを知っているだけなら、そんなのは理解しているだなんて言えない。
今、ぼくが流している涙の正体もわからない。自らの感情すらわからないだなんて、ぼくはぼく自身の全てを理解していないのだ。
理解していないのなら、誰かに委ねたくない。
誰かに委ねるということは自分の思考を停止する愚かな行為だ。
ぼくはまだ考えていたい。
少なくとも、自分を理解できるまで考えていたい。
お前なんぞにぼくの全てを委ねてたまるか。ぼくの人生だ。ぼくが決める。
きっと、なにも考えずに行動してしまったら、後悔してしまう。
なぜなら、目的のない行動に意味はないのだから。
「お前は何もわかってない。何も知らない。ぼくが望んでいるものはそんなもんじゃない。だから、無理だ。お前と一緒に居てあげられない。もう、いいだろ?」
「ならあなたは何を望んでいたのですか?」
ぼくは。
ぼくはただ。
ぼくは、ただ誰かと触れ合いたいのだ。
表面上でもいい。嘘でもいい。誰かと一緒にいたかった。
見えないけど確かにそこにいて、そこに誰かがいて。ぼくを認識してくれる。
暇だったら適当に話をして、時に笑ったりして過ごす日々。
薄ぺっらくても構わない。裏でぼくの悪口を言おうが気にしない。ぼくはスタートラインすらたっていないのだし、それに孤独より何千万倍もましだ。
孤独は虚無であり、暗闇に閉じ込められる感覚だ。暗闇に閉じ込められたくない。誰かぼくを証明してほしい。
ぼくは、ぼくという存在を誰かに承認してほしかっただけなのかもしれない。
「望まないよ。少なくとも、お前には」
「そう、なんですか。なら、あなたは何をすべきかわかっているんでしょうね」
こいつは微笑む。
ああ。わかってる。わかってるとも。
「そう。そうなのね」
ぼくの気持ちを察したように頷く。
ぼくはこいつをユカリとはもう呼ばない。ユカリという代名詞で表現したりしない。
この時点で察することができるのは他人の誰かではない。昔からずっと長い付き合いだからこそできる仕草だ。
こいつの正体を僕は知ってしまっていた。
「その選択は後悔するかもしれない。いずれまた自ら問いかけ、崩壊する。それでも?」
「くどい。ぼくは揺るがない」
ぼくは小さな声で、そして確かな意思でそう答える。
「わかりました。なら私は消えます。だけど忘れないでください。私を消すことはできるけど、殺すことはできない。またあなたの前に現れるでしょう」
ああ。
「それではまた会いましょう。……『理性』」
「はっ! ぼくにはお前がそう見えたけどな」
またな、『本能』。
少女は光に包まれていく。
光は少女を分解している。
ぼくが本能と呼んだ少女は溶けていく。
少しずつ少しずつ消えていく。
やがて、少女は別の何かに変わる。
いや、本来は別の何かだったのだ。別の何かが少女になったに過ぎない。
――――――少女は僕の作ったスパゲッティを一口も食べていなかった。
当たり前だ。この少女はヒトではないのだから。
――――――ユカリの肌は腫れている箇所が全くない。初日会った時と変わらず綺麗なままだった。いくら手加減しているとはいえこんなにもはっきりと残らないものなのか。
当たり前だ。この少女はヒトではないのだから。
本能と言ったこいつは日本人形になった。
いや、元から日本人形だったのだ。おもちゃ専門店に居た少女。特価で売られていた店頭の少女。少女は売られていて、少女はぼくに買われたのだ。
そして、飼われたのだ。
ぼくも、少女のように消えていく。
ぼくの身体の一部がぼろぼろと崩れていく。
少しずつ、自分の消失を肌で感じる。
改めて、少女の正体、自分の正体を考えながら思いにふける。
ぼくはぼくであるために、自らを問いかける。物語のモノローグのように―――
さて突然だが、自己紹介をしよう。
ぼくの名前は入瀬 兎亜。
趣味は小説を書くこと。それと人間観察をすること。
ちなみに特技はこうやって自分自身を語ることと、妄想にふけることだ。
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