第5話ノイズ

 朝になった。

 少女はまだ寝ており、念のため再びガムテープで口を塞いでいる。

 今日も学校がある為、登校しなければならない。

 いってきます、とは言わない。昔こそ言ってはいたが、いってらっしゃいという言葉が返ってこないことに気づいて言うのをやめた。


 歩く。歩く、ぼくは歩いている。


 いつもの通学路を歩く。

 ぼくは、退屈な日々に帰還していた。通学路には所々、ぼくと同じ高校の学生服を着ている男女が目立ってくる。「おはよう」「よーっす」「ういーす」などの声が煩わしい。

 退屈の日々を壊す場所は、もはや少女のいる部屋にしかなかった。

 そう思うとまだ生き甲斐があるからマシだろう。


 学校に着いた。あっという間だ。

 そのまま教室に着き、ホームルームまで席に待機する。

 とても退屈で、つまらないこの場所。飛び交う、情報の源。流れ出てくる、言葉の数々。生まれていく、妄言。


 周りはいつだって、会話で溢れている。

 ぼくにとって、溢れすぎている。

 ぼくの取り囲む環境は、異常である。

 言葉と言葉が重なり合い、ノイズを生みだしている。ぼくの耳に届いているものは何かのノイズでしかない。さらに、そのノイズはひとつに収まることを知らない。ノイズとノイズがぶつかり合い、大きなノイズを生み出す。いろんな場所で、いろんな周囲で、いろんな状況でノイズ、ノイズ、ノイズノイズノイズ。


 頭がおかしくなりそうだ。

 ぼくは言葉がわからないわけではない。ノイズを読み取れないだけなんだ。ノイズの内容が頭に入ってこない。理解できない。

 わからない。わからないことがわからない。わからないことがわからないことがわかる。


 担任の先生が入ってくる。ホームルームが始まるのだろう。

 はたして、まるで作業かのようにこうして学校に来る意味はあるのだろうか。

 担任の先生は口を開き、何かを話している。


「〇〇さんはどこにいたのですか? 私はてっきり〇〇したのかと〇〇〇〇〇に〇絡した〇〇〇〇?」


「〇〇〇〇〇んは、近くの〇墟〇〇〇たそう〇〇〇〇〇。〇〇〇〇が発見〇〇~」


 なんか、先生が話している。

 早くホームルームを始めてほしい。


「〇〇いうことなら、別の施設へ〇〇〇てみたほう〇〇〇そうですね。私のほうから〇〇〇ときます」


「お願〇〇ます」


「最後にあと一つ。昨晩に〇〇〇〇のほうから連〇がきて、ノウモト ユカリという女性が行方不明になっている〇〇〇をいただきました。みなさんは行きと帰りのには〇〇〇〇〇〇〇〇~。何かわかることがあったら先生に教えてくれ」


 唐突のことだったので、ぼくはビクッとなった。

 ノウモト ユカリが行方不明? それって、ぼくが監禁している少女のことか?

 少女はユカリという名前かはわからないが、可能性は高いだろう。

 そういえば、少女の名前を聞いていなかった。この際だし、ユカリと呼ぶことにしよう。

 ご主人様から名前をもらって、さぞかし喜ぶことだろう。


 そして、いつものように時間だけが過ぎていく。

 つまらない授業に、つまらない勉強。ぼくは学力は高い方だが、面白いからやっているわけではなく自身の保身のため頑張っているだけだ。

 両親がいない今は、特待生制度を用いてこの高校に通えている。


「〇〇〇〇〇〇〇〇〇~。〇〇〇〇~」

「〇〇〇〇〇。〇〇〇〇〇〇〇〇〇」

「〇〇。〇〇〇〇〇〇」


 隣の席の奴らが話をしている。

 ついつい、その光景を眺めてしまう。正直言って迷惑だ。授業妨害なのでやめてほしい。ぼくは、奴らを睨みつけると、ピタリと会話が収まる。

 ぼくはイライラを抑えながら、集中して授業に取り組む。


 だが、考えてしまう。

 ぼくも奴らと境遇が一緒だったならば、同じようにしたのだろうか。


 いや、よそう。考えるだけ時間の無駄だ。

 ぼくは考えるのを止めて、授業へと視線を移した。


 昼休憩。それは突然来た。


「あの、〇〇〇ちゃん」


「ん」


 声は冷静さを保っていたが、内心はドキドキしていた。クラスメイトに話しかけられることは嫌いではない。

 声をかけてきたのはクラスメイトの日岡ひおかさんだった。ぼくの印象はいつも隅で読書をしているおとなしいイメージで、これといって悪い感じはしない。

 むしろ、好意的である。日岡さんは気立てが良いらしく、毎日のように話しかけてくれる。

 数少ない、この高校の良心ともいえる。


「ここの〇〇には慣れた? 上手くやれてる?」


「まあ、普通かな。最近では憂鬱だけどね」


「……私でよかったら話聞こうか? 力になれないかもしれないけれど、できることならあるかもだから」


 日岡さんは、優しい。

 おそらく、心からそう思っているんだろうなと思いつつ、


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


「そう……」


 ああ。そんな悲しい顔を見せないでくれよ。

 日岡さんは俯いて、何秒か経った後。話を切り出してきた。


「あの、さ。〇〇〇ちゃんはこ〇以外〇〇〇に入っていたりとかするのかな? それともなにか考えていたりする?」


 今、なんて言った。

 ぼくは、ノイズが聞き取れないんだ。

 考察するに、何か入ってるということから、部活かあるいは予備校かなにかか。


「いや、入ってない」


「そっか。そうなんだね。一応、聞いておいて良かった」


 日岡さんは胸を撫で下ろす。

 どうしたのだろうか。そんなに僕が帰宅部で嬉しいことでもあるのか。あるいは予備校に入ってなくてなにか不都合があるのか。

 よくわからん。


「良かったらでいいんだけど実はね、〇〇〇〇の〇員を募集してい〇〇〇〇〇〇〇〇、そこに入ればきっとお〇〇〇〇〇も気に〇〇〇〇〇〇だよ。具体的なことはまた話すんだけどね……」


 ああ。つまり僕に入部して廃部を防ぎたいとそういうことか。

 〇員っていうのは、部員ということで予測ができる。


「〇生が薦め〇〇〇ていて〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇と思っててね。どうかな?」


 何言ってるかわからないし、それにぼくは忙しい。

 この後、少女がぼくを待ってる。退屈な日々を打開できるという手段が目の前にあるのに構ってられない。

 しかし、ぼくは断ることができなかった。


「うーん。考えておくよ。ごめんね、即答できなくて」


「はい。こっちもいきなりでしたし、考えといてくれるだけでいいんです。それが〇〇〇〇ゃんのためになりますし、今後の〇〇〇〇〇〇〇〇〇~!」


 日岡さんは手を振りながら去っていく。

 ぼくは手を振りかえして、日岡さんと別れた。


 なぜ。

 なぜぼくは断れなかったのだろう。

 その疑問は考えてみてもわからなかった。


 そして、あっという間に放課後となった。

 ぼくは教室から逃げるようにその場を後にする。特に急ぐ理由などはないが、ユカリの顔が早く見たかった。少女だけが僕の退屈しのぎになる存在だ。


 早く、早く帰りたい。

 帰宅帰宅帰宅。帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅。帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅帰宅。

 帰宅願望がぼくを支配している。

 ぼくは帰宅願望に支配されている。

 支配されているのは、ぼくの脳で。

 脳はぼくに帰宅しろと命じている。

 命じられたなら、行動するしか道はない。

 その……はずなんだ。


 自分のアパートに着く。

 相変わらず寂れている場所だ。屋根の塗装は剥がれていて、足場にシダが生い茂っていた。改装はしないのだろうか。

 そんなことよりもユカリはどうしているかの方が気になる。

 ぼくは鍵を開ける。


「帰ったぞ」


「……」


 少女に返事はない。どうやら寝ているようだった。

 抵抗した痕跡はなさそうで、ぼくの計画は良好だと感じ、ひとまず安心する。


「おら、起きろおい」


 ぼくは少女の肩を揺さぶると、少女はゆっくりと目を開く。

 ついでにガムテープも剥がして、話せるようしてやる。


「……おかえりなさい」


 少女はぼくの顔を見るなり、そう言った。ぼくは言葉では表現できない懐かしさを感じてしまった。でも、悪い気分はしない。

 いや、少女ではないか。こいつはユカリなのだ。ノウモト ユカリなのだ。


 ユカリは昨日のような動揺や恐れを感じていない。かといって、怒りを表に出している印象でもなかった。

 では、いったいユカリはどんなつもりで「おかえりなさい」と言ったのだろう?


「お前の名前が決まった。今後、お前のことはユカリと呼ぶことにする。宜しくな、ユカリ」


「……そうですか」


 興味がなさそうに答えるユカリ。

 ぼくは寛大の心を持っているため、そんな態度では怒りはしない。ぼくは、寛大なのである。

 これは憶測でしかないが、ユカリはそこまで話したがる人物ではないらしい。てっきり女子というのは話大好き人間かと思っていた。自分が気づかずうちに偏見を持っていたことを恥じる。


「さて、今のユカリは何を考えている?」


 先ほど、自身が持った疑問だ。


「何とは? 何でしょうか?」


「ぼくが帰ってきて、ユカリは『おかえりなさい』と言った。その時のお前は何を考えていたんだ?」


「特に何も」


 ぼくは顔をしかめる。

 特に何も考えていないとはどういうことなのだろうか。


「ユカリ、ぼくが怖くないのか」


「いえ、昨日よりは全然。大体あなたのことはわかってきたつもりなので、問題はありません」


 ユカリは凛とした瞳でぼくを見つめる。

 よく見れば確かにユカリの瞳に輝きがあるような気がした。

 気に入らない。


「ふ、ふふふふ。ならユカリ。ぼくが今から暴力を振るっても問題はないよな?」


 ぼくは今日一番の満面の笑みを浮かべる。近くにあった包丁を手に取り、ユカリに見せびらかす。

 これでユカリは改めて恐怖を覚えるはずだとぼくは確信していた。ヒトとは、そういうものだと。一度だけで折れない心なら、何回でも何度でも心をへし折ってみせるまでだ。


「はい。あなたはご主人さまで、私は奴隷ですから」


「は?」


 思ってはみない返答だったので、ぼくはわずかに後ずさる。

 ぼくは何か裏があるのではないかと状況を把握する。ユカリには両手両足が拘束されていて、首にもチェーンがありうまく動けない。

 完全にこちらの方が圧倒的に有利にみえる。泣きじゃくり、許しを請う姿をユカリは見せず、真正面でこちらを見据えていた。


「立場を分かっていっているのか。お前は監禁されてるんだぞ」


「そうですね」


「頭がおかしくなったか」


「そうですね。もうおかしくなり始めているのかもしれません」


 フッと自嘲的に鼻で笑う。

 ユカリは凛々しかった。

 この一言に尽きる。ぼくは圧に押され、言葉を詰まらせてしまう。


 ユカリはこの異常な状況を受け入れ始めているのかもしれない。それにしても、ヒトはこうまでも適応するものなのか。まるでぼくの心境を全部見透かされているみたいじゃないか。


「バ、馬鹿にすんなよ。てめええええええええええええええええええッッ!!!!」


 ぼくは拳を握りしめる。ユカリの腹部に二、三発喰らわせてやる。


「がはっ! ぐううっ!!!」


 ユカリの身体は縮こまる。

 これだけではぼくの怒りは収まらない。さらに拳を振り上げると、


「……あなたは狂気じみていますが、理性がしっかりしています」


 ぼくの拳は止まる。


「ヒトの心にはタガがあり、壊れてしまうと歯止めがききません。しかし、あなたはやってはいけない境界線こそ超えてはいますが、まだ理性的です」


「何を根拠に」


「根拠ならあります。私には痣の一つもついていません。男性の力で殴ったり、蹴ったりしているのにもかかわらず、これはおかしいです。あなたは本能的に自分の力を抑えていますね?」


 それに、とユカリは続けて、


「なぜあなたはそこまで私に話しかけるのでしょうか。それは私をヒト扱いしているからじゃないんですか?」


 ユカリの言う通りだった。

 ユカリの肌は腫れている箇所が全くない。初日会った時と変わらず綺麗なままだった。いくら手加減しているとはいえこんなにもはっきりと残らないものなのか。

 少し疑問を感じてしまうが、認めざるを得ない。


 それにユカリをヒト扱いしているか、していないかは自分には判断できないが、ぼくの母親の教育に基づいて行っていたことに気づいた。


 ぼくの歯はギリギリと噛みしめている。

 図星だとは認めたくないが、否定ができなかった。


「ふん。まるでぼくのことを理解した感じに言うじゃないか」


「理解……。そうですね。私はあなたなのかもしれません」


 ユカリの言っている真意はわからない。


「だからこそ言えます。あなたは、まだ引き返せる」


「は。ぼくに自首をしろと?」


 ユカリは何も答えない。答える様子もない。

 暗黙にそれは自分で考えるべきと言われている気がした。

 ぼくも何も言わない。ならこの話はこれで終わりだ。ぼくは沈黙をすることに決めた。強引にこの話題を打ち切らせることにした。

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