第7話 ウキウキ

 翌日。


「ご主人様、起きてくださーい。朝なのです」

「……ああ、わかった」


 ウルルに起こされた俺はリビングへと向かう。すると、すでに朝食が用意されていた。しかも今まで食べてきたどろどろの米ではなく、ふっくらとした米である。さらに、主菜として肉、副菜として野菜も食卓に並んでいた。


「これは……ウルルが作ったのか?」

「そうなのです! ただ、お米以外を使うのは初めてだったのであまり自信はないのですが……」


 俺は不安そうに俯いたウルルの頭に手を乗せ、撫でてやった。


「ふぇ!? ご、ご主人様!?」

「よくやってくれたな。俺は嬉しい」


 そして食卓につき、ウルルの作った料理を口に入れてみる。


「ど、どどどうでしょうか……?」

「うん、美味いよ」


 これは俺の本音である。この世界に来てからの食事はただ栄養を体に取り入れるための作業にすぎなかった。しかし、今日ウルルが作ってくれた料理は触感、味、そのどちらも楽しむことができる。初めて作っただけあって俺から見ればまだまだなところは多いが、それでも間違いなく美味い料理だった。


「こんな美味いものを食べたのはこの世界に来て初めてだ」

「嬉しすぎて昇天します……」

「それはやめてくれ」


 手を組んで天に祈りをささげ始めたウルルを慌てて引き留める。こんなことで死なれたらたまったもんじゃない。


 実際ウルルはすごくよく働いてくれている。今日の朝、俺を起こす役割をかってでたこともそうだし、食事を作ったこともそうだし。俺としては気にせず暮らしてほしいのだが、俺に救われたことがそれほどうれしかったらしい。


「ウルルも食べろよ」

「は、はい」

「一緒の食卓で食べるの、まだ慣れないのか?」

「絶対のタブーだと躾けられてきましたから、本当にいいのかなという気持ちは確かにあるのです」


 そんなこと気にしなくてもいいのだが、長年ついた習慣は簡単には変えられないのだろう。

 でも、俺はもっと気楽に過ごしてほしい。そう思って口を開こうとしたが、ウルルは俺に先んじて再び口を開く。


「でも、ご主人様と共に食事をとることができるのはとてもうれしいことなのです。ウルルはご主人様のようなとても優しい方に買われて本当に良かったです!」


 ウルルは満面の笑みを浮かべた。その顔を見て、ウルルが今の生活を本当に喜んでいることが俺にも伝わってきた。


「……そうか、それならいいんだ」


 俺はそう言うと、再び食事に手を付けた。ウルルが精魂込めて作ったであろうその料理は、なぜか一口目よりもはるかにおいしく感じた。









「カーン!」


 食事を済ませこれからの予定を立てようかと思っていた時、不意に高い音が家中に響いた。家の戸に設置した鐘が何者かによって鳴らされたのだ。


「ご主人様、来客のようなのです」

「らしいな。俺も一緒に行こう」


 玄関の戸を開けると、そこには立派な装備をした兵士が立っていた。その兵士自体に見覚えはなかったが、兵士が身に着けている鎧には既視感がある。


「ミリアからか?」

「!? は、はい、その通りでございます!」


 俺に見破られて驚いたのだろう、兵士は動揺しながらも要件を告げる。


「ミリア様が賢者様のお力を借りたいとご所望でございます。ただし、ミリア様からは『くれぐれも賢者様のご予定を優先させるように』と事づかっておりますので、ご予定があるのでしたら断っていただいて何の問題もございません」

「ミリアの頼みなら断るわけにはかないだろう。丁度これからどうするか考えていたところだったし、渡りに船というやつだ」

「ミリア様からお呼びがかかるなんて、さすがご主人様ですね!」

「まあ、俺だからな」


 それにしても、ミリアも謙虚なものだ。俺はミリアのおかげでこの世界に来られたのだから、もっと横柄になってもおかしくないものを。やはり地球に戻れないことに責任を感じているのだろうな。俺は全く気にしていないというのに、難儀なものだ。







 無事ミリアの邸宅へと到着した俺とウルルは、兵士に案内されるがままに中を進む。

 そして、ある部屋の前で兵士が動きを止めた。


「こちらでミリア様がお待ちです」


 俺はこの部屋に以前入ったことがある。そこはミリアの部屋だった。


「な、なんだか緊張してきたのです……」


 ウルルが体を小さくして言う。元々小さい体なものだから、さらに小さく見える。


「緊張することはない。ミリアはいいやつだからな」


 俺はそうウルルに声をかけ、部屋のドアを開けた。




「本日は無理な呼び出しに答えてくださって感謝しています、シュウ様」


 ミリアは見る方が感心するような優雅な動作で俺たちに一礼した。


「ミリアの頼みを俺が断るわけがないだろう」

「まあ、嬉しいことを言ってくれますね」


 ミリアがにっこりと微笑む。


「別に、本心を言っただけだ」


 俺にとってミリアは、この世界で唯一恩がある相手だからな。


「そちらがシュウ様が身柄を引き受けた方ですか?」

「そうだ。……?」


 俺はウルルをミリアに紹介しようとしたのだが、なにやらウルルの様子がおかしい。むくれたように頬を膨らませている。


「ウルルです……お会いできて光栄です」


 ウルルは感情のない声でそう言った。


「すまんな、ミリア。普段はもっと愛想の良いやつなんだが……」


 俺は謝罪するが、ミリアは気にした様子もない。むしろ喜んでいるようだった。同好の士を見つけたかのように、声が跳ねている。


「いえ、私も気持ちはわかりますから。私は自分の気持ちを隠すように教育されたものですから、気持ちが表にでるウルルさんを微笑ましく思います。……ウルルさんとは今後も個人的に付き合っていきたいですね」

「ミリア様が、ウルルと……?」


 ウルルは不思議そうに聞き返す。それはそうだろう。つい先日まで奴隷だったウルルにとって、ミリアはまさに雲の上の人間なのだから。


「ええ。シュウ様がこの世界に召喚されてからどんな風に問題を解決なさったのか、知りたくありませんか?」

「し、知りたい!」

「かわりにウルルさんはシュウ様が外でどんなことをなさっていたのかお聞かせ願えれば、私も嬉しいですわ。どうでしょう?」

「……さっきは子供みたいにすねたりしてごめんなさい! ウルルはミリア様とお話ししたい!……のです」


 すねた? 一体なんですねていたんだ?

 結局よくわからなかったが、2人が仲良くなったのでよしとするか。


 嬉しそうに話をする2人の会話に割って入る。このままじゃ埒があかないからな。


「それで、今日俺を呼んだのはなんでだ?」

「あ、すっかり忘れておりま――ゴホンッ。今日シュウ様をここに呼んだのは他でもありません。これからやってくる雨期についてご相談があるのです」


 今、忘れてたって言いかけてたな。それほどウルルとの話が楽しかったのだろうか。なにやらまた会う約束も取り付けたようだし。


「雨期……雨が多い時期のことか」

「さすがはシュウ様、聡明であられます。わが国では今から2週間ほど先から約1か月の間が雨期と呼ばれているのですが、毎年起こる問題がございまして……」

「その問題とはなんだ?」

「風邪、です。この国は毎年、雨期の風邪に悩まされているのです」


 風邪、か。俺は頭を悩ませる。なにせ、こいつは難問だ。風邪に対する完璧な対処法というのは現代の世界でもまだ見つかっていない。「風邪を根絶させればノーベル賞ものだ」と言われるくらいの難しさであるのだ。


 まず、本当に地球と同じ風邪か確かめてみるか。


「……症状は?」

「人により異なりますが、多くは発熱、咳、頭と喉の痛みといったところでしょうか」


 聞く限りじゃ地球の風邪と同じだな。


「何か対策などはしているのか?」

「いえ、全くできておりません。なにせ発症のメカニズムが分かっていないのです。ただ、感染者の近くにいると感染する率が高い、というのは市井の間でも言われており、これは中々信憑性が高い説です」


 空気感染か? なんにせよ地球の風邪と同じもののようだ。俺はしばしの間対策を考え、首を横に振った。


「……すまん。対策は思いつかんな。せいぜいが手洗いうがいを徹底させることくらいか」

「手洗いうがい……。それはどういったことなのですか?」


 ミリアは不思議そうに首をひねる。どうやら異世界人にはなじみのない習慣のようだ。


「手洗いは手を水で洗うことで、うがいは喉をきれいにすることだ。外には細菌――目に見えない小さな菌がたくさんいるんだ。風邪はそれが原因なこともあるから、手洗いうがいは有効なはずだぞ」


 俺はミリアとウルルに説明した。


「さすがご主人様! 物知りです!」

「いや、これは確かに効果はあるが、完璧ではない。賢者ならもっときちんとした回答を出したかったのだが……」

「いえ、シュウ様の教えてくださったことで救われる命があります! シュウ様はこの国の国民全員にとって希望の星なのですよ」


 ミリアはそう言うが、やはり俺としては納得がいかなかった。なので、謝礼として渡された金貨50枚のうち10枚を辞退し、40枚だけもらって帰ることにした。


「シュウ様は本当に謙虚な方ですね。金貨の受け取りを辞退するなんて、前代未聞ですよ?」

「俺は不器用な男だからな。成果を出していないのに対価を受け取るわけにはいかないさ」

「……でも、そんなところも素敵です」


 ミリアはそういって俺に近づき、ウインクをした。


「ご主人様が格好良すぎて昇天します」


 ウルルは昇天しかかっていた。

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