神の名前・花の名前
真空の宇宙を人が歩く、その断片的に覚えている映像……内容は思い出せない。やり取りを思い出そうと試みるたび頭は激しく痛み、視界が霞んだ。繰り返す吐き気、眩暈、激しい動悸も執拗に苦しめる。その声は僕を「兄さん」と呼ぶ。妹弟は居ないが声だけは覚えている。何か居た? なんだ……なんだ……?
「幼馴染の尻を気配を殺しつつ眺めるか……良い趣味してるね?」
「来る頃と思って、ここで待っていた」
僕から出る声は待っていないとも取れる無関心な声だった。感情を込めるのは苦手だ。
「懐かしいな、ダムキアナ」
「フドウ……あのなんとも……素敵なオブジェもカタンナーバ?」
窓に映るもの。宇宙で活動するために人が乗り操る船外装備カタンナーバ。しかしダムキナの瞳に映るそれは醜悪な姿をしているだろう。それはどのカタンナーバとも違うもの。生物または死体、汚物、どれとも似ており、心の奥底から憎悪や嫌悪、畏怖を掻きたてる。
「
「ひと目で戦意喪失だわ。ここまでデザインを武器にするなんて」
現在の
「旧い戦術だな。無論、敵も使ってくる手段だ」
「知ってる。むかし
「確かに困ったら呼べとは言ったけど兵器って専門外だよ、わかってる?」
「手紙へ書いたと思う」
「生き物の世話? パイロットのことだとすると……まさかフドウがあれに乗るとか……言わない、よねぇ?」
来ればわかる――。エアロックを開き筒状の通路の先へ。アレが生物兵器ってこと? ダムキナはそう聞く。ただ、あれは機械だよ、と。言葉で全容を説明することが難しかった。
暗い空間、闇の中、すり鉢上の空間の中央。青い光に照らされている生命維持装置がある。その装置はクーリングシステム。触ると銀色のバイザーが降りてゆき、そこへ青年が横たわって眠っている。
「へぇぇ、
ダムキナの目は瞬時に好物を見る猫の目へ。両頬へ手を宛がい胸を肘で寄せ突如、高鳴った鼓動を抑え込む。これは
「なるほどぉー、オトコならオンナのほうがウレしいよねェー」
「見てほしいのはそこじゃない」
指で視線を下へ促した。ダムキナも在るはずのものが無いと気がついたようだ。その青年には臍(へそ)も乳首も無い。現代の生物・遺伝子分野の博士号を持っている者なら戦慄する程のこと。犯罪だ。
「これは……単性で培養したクローン」
「そのとおり、染色体は
パネル状の端末に資料を表示して渡す、手に取ったダムキナは完全に黙った。驚いて喋れないだろう。僕は説明を始めた、なるべく端的に。
「その分野では出現が預言され続けてきた。しかし現代でも未だ出現せず――」
無理だって――、とダムキナは早速口を挟んできた。
「それは……無理なんだって。単性では分裂すら起こらないハズだけど?」
「高度医療分野が統合される以前。一部では
「うん居たらしいね。それが?」
それは単なる
約2世紀前、場所は地球。
体細胞は自立発露であることを示し、ミトコンドリアも無垢そのもの。ヒトだが進化した形跡は無く、父も母も存在しない。
アフターマンの組織は単性で分裂し、急高速培養に耐えた。
「ヘンねぇ……ずっと公表されなかったのは?」
当時のテクノロジーはまだ拙い程度のもの。人は外からも自発的にも絶滅の危険に常に曝されてきた。アフターマンの組織がとある国家の手へ渡った以後は、絶滅した場合の保険として……いや、人類の滅び去った後に人類を継がせる計画だったようだ。どんな形でも人類は残る――。
「そこで眠っていたのがアフターマンだった」
「わからないのがパイロットに使う意味よ」
イカ・タコの高度な脳は岩に擬態するためだ。DDDは硬度自在なトリモチであり、限界はあるがどんな形もとれる。高度な脳をもつパイロットが必要だが……要求される脳の性能はイカの比じゃない。更に一般的な人は免疫の調整などできない――。
「そっか……移植による拒絶反応。この子なら培養時に調節できる」
「そう、次いで今クローンが置かれてる立場も理由のひとつだな」
「無許可クローンが問題にならない場所は国境もない宇宙の果て――ね」
それは僕らが生まれる前の事。社会番号のない行方不明者や遭難者、死者が徘徊しているのが見つかり問題になった。それは脱走し密かに生活を営んでいたクローンたちだ。露見しなかったのは政治の都合もあるが、発見できるほど人数がいなかったせいだ。クローン達が人口爆発を起こさなければ世間に知られることは無かったろう。宇宙には過酷であると同時に豊かな面もあったようだ。
現在の社会はクローンで溢れかえっている。それでも差別的な扱いを受けている。愛玩動物・奴隷・移植臓器・実験動物・ごく稀に……食材。更に旧来医療分野が残した禁止法の解釈をめぐり問題は膿に膿んでいる
で――
「どうしてほしい?」
ダムキナが手の甲を腰にエッヘンと添え僕に聞いた。その手ぶりは子供の頃から変わっていない。
「実験終了まで……と、なにより以後の事を頼みたい」
「この腐敗した世界が落ち着くまで隠してほしいワケだね」
「雇い主からは100人養えるほど予算を分捕ってある」
「つまり、この子と100人子供を産めって?」
「方法は任せる」
「おいおい、冗談だって。無ー理無理、絶ったい死ぬ」
……冗談になっていない。その生命力ならきっとできるだろう。
「でも治療は要る……。完全体って言い換えれば遺伝病だよ。ワタシを呼んだのは正解だった、ムズかしいけど目途は立ちそうよ」
僕は彼女が不妊治療で大きな成果を上げたのを知っていた。いま面倒を診れる
「ねえ――情が移った?」
ダムキナはそう唐突に聞いた。
「隠す以外にも方法はある、彼を『処分する』こと。それしないのは少しでも情が通ってるとしか言いようがないよねぇー」
たのむ――。それを肯定するような言い方、それも思わずだった。居心地は悪かったが他に言いようもない。高速培養の直後、彼は1年だけ赤ん坊として過ごし、僕がデータを取るがてら世話をした。ダムキナの察し通り僕は迷った、出来なくなったのだ。
ところで、ねぇ――と、ダムキナが先ほど渡した資料をヒラヒラさせる。
「コレじゃ名前がわからない、もしかして名無しかな?」
「プロジェクト名がある」
「これは……ローズの和名?」
「古代オリエント文明の祈祷師兄弟の兄の名前から」
「ワタシは花の方が良いかなぁ」
「どちらでも字は同じだよ。好きな方で良い」
……バラ……
うん、いい名前。
ダムキナが生命維持装置を小さくノックした。
「主治医のダムキナだよ。今日からよろしく、バラくん」
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