第16話 持つ者と持たざる者の使命
俺(四宮 誠)は17年前の夏に自称天才中学生の四宮 香と出会ってから,彼女と共にタイムマシンを作り続けていた塾講師である。
とある高校でちょっとした騒動が起きた日,俺たちはそこに現れた未来人とともに,タイムマシンを使って過去に戻った高校生を発見した。桜井 隆之介という名前の彼の協力により俺と香のタイムマシン開発は大きく進み,俺たちはようやく長年作り続けてきたタイムマシンを完成させることができたのだ。
一月一日の今日,俺と香は元教え子の二人と共に初詣をするために神社に来ていた。そして,久しぶりに会った香と楽しそうに話す桜井くんの様子を見ていて,俺はあることに気づいたのだ。
それは,彼の恋人である広瀬さんに伝えなければならないことである。俺は意を決して彼女にそれを伝え始めた。
「私たちの未来に関わること,ですか?」
彼女は喫茶店の店員が持ってきたお茶を飲みながら,不思議そうな顔で尋ねた。
「あぁ。」
俺は軽く返事をして次のように問いかけた。
「広瀬さんは,香と桜井くんが何となく似てるって思ったことないか?」
「ありますよ。本人たちもよく言ってましたし。」
彼女は当たり前のようにそう答えた。
「俺もそう思う。好きなことに対しては何を置いても一生懸命で,大事なことのためなら他人には考えられないくらいの行動力を発揮する。多くの人には異常だと思えるほどにな。」
俺が彼女の言葉に同意してそう言うと,広瀬さんは幸せそうに笑ってから答えた。
「フフ。そうですね。好きなことなら周りが見えなくなるっていうところも似てると思いますよ。隆之介くんはもう少し,周りに合わせた方がいいと思うんですけどね。」
彼女はとても楽しそうに彼について語った。その様子があまりに嬉しそうなので,つられて俺も対抗して香の話をしてしまいそうになったが,俺は強い意志を持ち直し本題を続けた。
「そうだな。だがそれも悪いこととは言い切れない。彼らのその共通点は,香以外の天才の特徴とも似てるものなんだ。」
「そうなんですか?でも隆之介くんは天才とは違うと思います。学校の勉強もそこまで優秀ってほどでもありませんでしたから。」
彼女は半信半疑といった様子でそんな相槌を打ち,謙遜するように彼のことをそう語った。
彼女が俺の意見に同意しないのも当然かもしれない。人間というものは,近くの人の変化には疎いものだ。特にそれが親しいと思う人なら,なおさら自分と違うのを認めるのは難しいことである。俺もそうだった。まるで昔の自分を相手にしているようで言いづらかったが,だからこそ彼女には話さなければならない。俺は慎重に言葉を選びながら話し続けた。
「あぁ。君の言いたいこともよく分かる。確かにタイムマシンを作った香と比べると,桜井くんには飛び抜けた才能なんて無いように見える。だが,彼は今まで才能を伸ばす環境に恵まれなかっただけかもしれない。俺はそう思ってる。周りと違うことができるっていうのも才能の一つだ。だが,彼の周りの人間はそうは思ってなかったんだろう。」
「どういう意味ですか?」
「これは俺の持論だが才能ってのは多分,持って生まれるだけではダメなんだ。それに加えて,その才能に気づき,それを伸ばせる環境があって初めて目に見えてくるんだと思う。」
桜井くんが置かれている状況を彼女によく理解してもらうため,俺はいくつかの例を挙げて説明することにした。
「オイラーの話は,前にしたことあったよな?」
「はい。勉強しすぎて目が見えなくなったっていう数学者でしたよね。」
「そうだ。アインシュタインは知ってるか?」
「もちろんですよ。隆之介くんが結構好きなので,普通の人より知ってると思います。」
「じゃあピカソは?」
「画家のパブロ・ピカソですか?名前ぐらいは知ってますよ。」
「彼らは皆これからも名前が語り継がれていくほどの天才だが,同時に皆周りの環境に恵まれた人間でもあった。例えばオイラーは,数学の知識があった牧師の父親から数学の初歩を教わり,進学した大学では有名な数学家一族と出会った。オイラーは彼らの影響を受けながら,研究を進めて有名になったんだ。例えばピカソは,父親が画家であったおかげで才能を見出され,特に反対されることなく画家の道を進むことができた。アインシュタインについては詳しく覚えてないが,同じような話を聞いたことがある。」
「アインシュタインも確か,数学好きのお父さんや叔父さんがいたらしいですよ。隆之介くんが言ってました。」
俺の話を聞いていた広瀬さんは,そう言って話を合わせてくれた。
「やっぱりそうだろ?香も同じなんだ。あいつは立派な父親と優しい母親の元に生まれて,分からないことは好きなだけ調べられる環境にあった。そして,香の異常性を理解してくれる先生に出会ったことで進む道を決められて,今に至るってわけだ。その中の一つでも欠けてたら,きっと香がタイムマシンを完成させることはなかった。そう考えると,一人の人間が生きているうちに自分の才能に気づいて,それを発揮できるっていうことは奇跡的なことだとは思わないか?」
「それは私も思います。」
彼女は俺の言葉に同意すると,俺と同じく例を挙げてその考えを説明し始めた。
「マリリン・モンローも,有名になる前は出会いに恵まれず,オーディションにたくさん落ちていたという話を聞いたことありますし,手塚治虫の話作りは幼い頃から宝塚歌劇団に触れる機会が多かったことが影響してるらしいです。それはどちらも生まれや出会いによるもので,そんな風に才能や努力でどうにもならないことって,やっぱりあるんだと思います。先生は隆之介くんがそんな天才の一人だと思ってるということですか?」
彼女は真面目なトーンで俺に尋ねた。少しは俺の話を信じてくれたように思えたので,俺は話を進めた。
「そうかもしれないって思ってる。桜井くんは香にとてもよく似てるからな。その思考はもちろん,言動や発言の異常性まで。初めて会った時から違和感はあったが,彼が香と接するようになってからはさらに近づいている気がする。少なくとも彼は,俺や君よりも香に近い考えを持ってるぞ。」
「それが私たちの未来にどう関係あるんですか?」
真剣な表情の彼女からのさらなる質問に,俺はすぐに返答した。
「大ありだ。彼がこれからも香の影響を受け続けるなら,君らが普通の大学生,普通の恋人同士という関係を続けるのはだんだん難しくなる。香のことを思い出すと,これからの彼の言動は,さらに常人には理解できないものになっていくだろうからな。過去の天才の中でも,周りとの違いから他人が距離を置いた例は少なくない。」
「でも,誠先生と香先生はずっと仲良くしてるじゃないですか。」
彼女は文句をつけるようにそう言った。
「俺たちの場合は,俺が香と一緒にいられるように努力してるんだ。」
だからこそ,俺は何気なくそれができる桜井くんのような人間を,とても羨ましく思うこともあった。だがそれも昔の話だ。俺のように天才ではない者の役目は,彼らを完全に理解することじゃない。
才能を持つ者の使命がそれを活かして世界を導く事ならば,持たない側の俺たちは,歴史上の天才の周りにいた人物のように,彼らが力を発揮できるよう支える事なのだ。
俺がそれをうまく説明できる言葉を頭の中で考えていると,それを発する前に彼女が口を開いて言ったのだ。
「それならやってみないと分かりませんよ。先生ができているなら,私だってそれができるかもしれません。努力して隆之介くんを支えてみせます。」
彼女は俺に張り合うようにそう答えた。その時の広瀬さんの自信に満ちた表情を見て,俺は少し安心した。心の底では,そう答えてくれることを彼女に期待していたのかもしれない。
昔の俺に似た境遇にある彼女が,俺と同じ間違いをしていないようで良かったと思ったのだ。そして,これからも彼女にそうあり続けてほしいために,俺は一番大事に思っていることを話した。
「そうだよな。やってみると良い。だが成長途中の彼には絶対にやって欲しくないことが一つだけある。それだけは守ってほしい。」
「はい。何ですか?」
ごく普通に返事をした広瀬さんに,俺は昔の自分と香のことを思い返しながら続けた。
「きっと彼はこれからも君に理解できないことを何度もすると思う。それは周りに上手く合わせられる俺たちからしたら,異常に見える行動かもしれない。だが,俺たちの常識でそれを押さえつけることだけはするな。そんなことしてもお互いに後悔するだけだ。」
「先生はしたことあるんですか?香先生を押さえつけるようなこと。」
広瀬さんは俺のことを心配しているような不安げな表情でそう尋ねた。多分,自分の情けない部分の話をしている俺の表情が,知らず知らずのうちに暗くなっていたんだと思う。だから彼女に心配をかけてしまったのだ。
今更取り繕っても仕方がないので,俺は彼女からの素朴な質問に素直に答え続けた。
「あぁ,香が学生の頃に一度だけ。取り憑かれたように研究に没頭していた香に言ったことがある。しかしあいつは器用だから,それでも上手く馴染めてたみたいだった。」
「それなら,どうして後悔したんですか?」
「火が消えたように大人しくなった香を見て気づいた。振り回されてばかりだとは思ってたが,俺が好きになったのは,やりたい放題に行動してる香だったんだ。周りに合わせて行動するあいつなんて見たくなかった。」
「私も先生と同じかもしれません。」
真面目な顔で俺の話を聞いていた彼女はそう答え,俯き加減にその理由を話した。
「隆之介くんには無理して欲しくないし,心配だから隠し事もして欲しくない。でもその反面,多少の無理をしてでも,他人のために行動する彼のことが好きなんです。たまには,私よりも香先生の方が彼を理解しているみたいで悔しく思うこともありますけど,そんなところが好きなんだから仕方ないんですよね。」
自分の言ったことに,少し照れたように笑いながらそう言った彼女は,そのままの笑顔で俺の方を向いてはっきりと答えた。
「だから私は大丈夫です。好きな人の好きなところを無くそうなんて思いませんよ。」
彼女の真っ直ぐなその言葉は,俺の中のいくつかの感情を呼び起こした。
安堵や驚嘆の気持ちはもちろんのこと,彼女のその立派な考えに素直に感心する気持ちや,自分が同じくらいの歳だった頃それに全く気づいていなかったことへの悔しさなど,様々な感情が少しずつ湧いて出てきていた。
しかしその中でも特に大きかったのは,高校卒業後の彼女の姿を見た喜びであった。俺や香が何もしなくとも,彼女は日々成長していたのだ。
それは彼女のこれからの人生に,俺の存在が不要になったという証明になることかもしれない。だが意外にもその寂しさや無力感は,彼女が自分の道を進み始めているという嬉しさに比べればちっぽけなものだった。きっと桜井くんも同じなのだろう。二人とも,一人前の大人になりかけているのだ。
「君たちはやっぱりすごいな。常に俺の予想を上回る。」
俺の口から出たその言葉は,生徒に向けた上から目線の指導でもなければ,子どもへの説教でもない。対等な一人の人間への,心からの賞賛の言葉だった。
広瀬さんは手を横に何度も振って謙遜していたが,俺はしばらく彼女をあらゆる表現で褒め続けた。
そして,同じような立場で同じ結論に至った彼女を見ていて,俺は不意にあることを思い,何の気なしにそれを彼女に伝えた。
「でもお互い変なやつに惚れたもんだ。そういう意味では俺たちも,香たちみたいな似た者同士なのかもしれないな。」
「フフ,そうですね。隆之介くんが香先生に似てきてるのと同じように,私も誠先生から影響受けてるのかもしれませんよ。」
広瀬さんは微笑んでそう言った。
嬉しいことを言ってくれる。たとえお世辞だとしても,彼女の立派な考えが俺の影響だという言葉を聞けたのは普通に嬉しい。
「ハハ,そうだな。それならいいんだ。さっきの忠告は忘れてくれ。」
照れ隠しで少し笑った後,俺はそう言って先ほどの言葉を撤回した。もう俺の忠告なんて必要ないだろうと思ったのだ。しかし彼女は,無邪気な笑顔でそれを否定した。
「いいえ,忘れません。先生からのありがたい言葉ですから,肝に銘じておきます。」
「そうか,勝手にしろ。」
度重なる彼女の優しい言葉を聞いてとても恥ずかしくなった俺は,ついそんな冷たい言葉を返してしまった。だが彼女はその言葉にも,変わらぬ笑顔で答えてくれた。
「はい。勝手にします。」
たとえ相手が引いても,無邪気な顔で一歩も引かないその姿勢は,香の行動を思わせるものだった。
彼らはきっとこれからも,香の教えを基に大きくなっていくのだろう。俺は自然とそう思った。
「それにしても遅いですね,お雑煮。」
広瀬さんが店の厨房の方を眺めながら呟いた。
確かに彼女の言うように,喫茶店に入って注文してから,かなりの時間が経過していた。すっかり話し込んでいたので俺は気づかなかったが,とっくにテーブルに来ていてもおかしくない時間である。
だが教え子の成長を見れた俺は,そんなことでは決して腹を立てない。そもそも,待っている香たちがまだ来ていないのだ。俺は寛容な気持ちで広瀬さんの言葉に答えた。
「そうだな。さすがに元日はゆっくりしたいのかもしれん。香たちも帰ってこないし,気長に待とう。」
俺がそう言うと,まるで図っていたかのように,ちょうど店員が雑煮を二つ持って来た。
「大変お待たせしました。雑煮です。」
「いえいえ,ちょうど良かったです。ありがとうございます。」
俺は申し訳なさそうにしていた店員にお礼を言いながら,それを受け取った。
そして俺がその一つを広瀬さんの方に置き,割り箸を取っていざ食おうとしていると,喫茶店のドアのベルの音が店内に鳴り響いた。
カランカラン
俺たちの近くにいた店員が新たな客を迎えに行った後,焦ったような女性客の声が俺の耳に入った。
「すみません。人を待たせてるんです。」
聞き覚えのあるその声の主は,まっすぐに俺たちのテーブルに来て声をかけてきた。
「ごめんね,二人とも。お父さんとの話が長くなっちゃって。」
綺麗な着物を着た俺の妻である四宮 香は,桜井くんと共に俺たちの前に来るやいなや,そう言って謝った。桜井くんも同じく俺たちに謝っていた。
「お前らの話が長いのはいつも通りだから別にいいが,タイミングが悪いぞ。」
別に怒っているわけでもないが,またしても図ったようなタイミングでやって来た彼らに対して,俺は軽く文句を言った。
「まだ食べてなかったの?」
香は割れていない割り箸を持っていた俺を見て,目を丸くしてそう聞いてきた。
「そうだよ。これから食べるんだ。」
俺は簡潔にそう答えると,香は強引に話を変えて言ったのだ。
「誠さん。悪いけど,これからご祈祷してもらうから。お父さんのところに行くよ。」
「え?俺は行かないぞ。この子らを家まで送らなきゃいけないから。」
彼女からの提案を俺は即座に断った。桜井くんたちを送るという理由もあるが,一番の理由は祈祷してもらうつもりなんて無かったからだ。
そんな堅苦しい場は苦手な上に,神に祈るような習慣は俺にはないためである。今年も去年までと同じように,香をここまで送って,形だけの初詣をしたら帰るつもりだった。
しかし彼女はそれを許さないようだった。
「30分ぐらいで終わるから,そのお雑煮食べながら待ってもらえば大丈夫よ。」
「でも俺は神様よりも自分を信じるタイプだからなぁ。」
そんな風に俺が引き下がらずに何度か言い訳を続けていると,香は口調を強くして,俺の腕を引っ張りながらこう言った。
「どんなタイプでもいいけど,ちゃんとお父さんが予約してるんだから,行かなきゃダメ!誠さんはもう四宮家の一員なんだから。はい行くよ。」
そんなことを言われると,断るわけにはいかない。お義父さんにはいろいろ良くしてもらってて嫌われたくはないし,何より四宮家の一員と言われて悪い気はしない。香の思い通りかもしれないが,俺は彼女と共に祈祷してもらいにいくことに決めた。
「分かったよ。二人とも悪いな。それ食いながらもう少し待っててくれ。」
俺は香の手を取って席を立つと,その場を桜井くんに譲り,彼女と共に喫茶店をあとにした。
それからの俺と香は,まず彼女の両親と合流して神主らしき人に祈祷をしてもらった。思っていた通り堅苦しいものだったが,思っていたよりも大したものではなく,香の行動を真似ているとそれはすぐに終わった。
そしてお義父さんたちと少し世間話をした後,桜井くんたちを迎えに戻り,特に変わったこともなく彼らを家まで送り届けたのだった。
そして今,俺と香はまたもや車で移動中である。俺は少し憂鬱な気分だ。その原因はすべてこれからの予定にあるのだと思う。
俺はこれから香の実家に行き,彼女の親戚一同と共に夕食をご馳走になる。香との結婚の挨拶の時にも同じような集まりがあったが,俺はそういう場があまり得意ではないようだ。俺が由緒正しい四宮家の人間に相応しいのどうか,香の親戚たちに審査させているような目線を感じて,非常に居心地が悪いからだ。
だが,彼らは決して悪い人たちではないと思う。可愛くて優秀な親戚の女の子が,どこの馬の骨とも分からん平凡そうな奴と結婚したのだ。心配する気持ちも分かる。彼らは香のことが好きだからこそ,俺に厳しい目線を向けるのだろう。
いっそのこと彼らが極悪人なら,その場しのぎの嘘を並べて切り抜けるという手もあるが,そうでないから困ったものである。同じ人を愛するからこそ,正直に話さなければならない。そう考えると何故だか余計に憂鬱になり,心の奥がモヤモヤした感じになった。
そして,俺がそんな暗い思考に入り込んでいると,助手席から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ねぇ誠さん。ねぇってば!」
その声から察するに,香はこれまで何度か呼びかけていたらしい。
「悪い。何だ?」
「考え事でもしてたの?」
返事が遅れた俺に,彼女は心配そうな声で言った。
「あぁ。お前の親戚たちに嫌われてないか不安に思ってた。」
「そんなこと?私の親戚はみんな優しいから大丈夫よ。」
彼女は明るく笑ってそう答えた。
優しいだろうから不安に思ってるんだが,香に余計な心配をかけないためにも,俺はそれ以上何も言わなかった。話題を暗い話に持っていかないために,俺は午前中の初詣の時のことを彼女に尋ねた。
「それよりも,さっき桜井くんはお義父さんと何を話してたんだ?」
「うん。タイムマシンのことを話してた。やっぱりあの子はすごいね。まるで私の計画を分かってるみたいに話してた。私は何も言ってないのに。」
本気で感心しているように香は,彼のことをそう語った。予想通りの反応ではあったが,それを素直に喜べない自分もいた。自分でもそれは不思議に思ったが,特に気にせず香との会話を続けた。
「俺も広瀬さんと話して同じようなことを思ったよ。高校を卒業してからも,子どもって意外と成長するものなんだな。」
「そうね。私も驚いた。」
彼女は俺の意見に同意した後,俺が口を挟む間も無く次のように続けた。
「でも,それって当然のことなのよね。誠さんみたいに,大学受験の勉強を教えてる側にはピンとこないかもしれないけど,大学に入学してからの学生の伸びって意外と凄いよ。特に高校の勉強でこれまでの歴史をしっかり学んで,基礎ができてる子ほど,その成長速度はビックリさせられるほど速いものなの。だからあの子たちが大学生になってからすっごく成長したように見えたのなら,それは誠さんがちゃんと高校までの勉強を教えてあげられてたって証拠よ。良かったわね。私もそんなあなたを夫に選んで良かったと思うわ。」
「そうか。ありがとう。」
穏やかに話した香の言葉を聞いて,俺は自分の心にあったモヤモヤの正体に気づくと同時に,それが一気に晴れたことを感じた。
今日,急激な成長を遂げる才能と可能性を目にした俺は,才能を持たない自分と比べて,無意識に劣等感を抱いていた。そして,その俺が彼女を支える者として本当に相応しいのかどうか,そんなことを考えていたのだ。
しかしその才能たちが自分のおかげでもあると香に褒められ,認められたことで,俺のその気持ちは消え去ったのだ。我ながら単純な思考回路だ。だが俺にはそれだけで十分だった。
「お前にそう言ってもらえるなら,俺も真剣に教えた甲斐があったよ。」
「うん。どういたしまして。」
俺自身ですら目を背けてしまうような醜い感情に,香が気づいてそう言ってくれたのか,そうでないのかは知らないが,どちらにせよ俺は彼女に認められて楽になった。
自分で天才を自称するだけあって,俺を励ますことに関しても彼女は天才的である。広瀬さんも気の利いたことを言ってくれるようになっていたが,やはり俺にはこいつが一番だと改めて分かった。
「やっぱりお前が一番だな。」
そんな事を口に出して言うつもりは無かったが,思わず口から出てしまっていた。香にとっては意味不明な言葉だっただろうが,彼女は自慢げに即答した。
「でしょ?何の話か知らないけど。」
「気にするな。俺の中の話だ。」
あまり掘り下げられても困るので,俺はその話題をさっさと切り上げた。
「分かった。それじゃあ,今度は私の話なんだけど。」
彼女はあっさり納得すると,先程俺に話そうとしていた事を再び切り出そうとした。今の状況で彼女が話すことに何となく察しがついた俺は,彼女がそれを言葉にする前にその予想を伝えた。
「あぁ,分かってる。ナイフは左手,フォークは右手だろ?」
俺は香がこれからの食事会のことを気にしているのかと思っていた。しかし,彼女は半笑いでそれを否定した。
「違う。二重の意味で違うわ。そんなこと話そうと思ってないし,普通ナイフとフォークは逆よ。そもそも,そんなことはみんな気にしないよ。」
「じゃあ何だ?」
「朝に桜井くんと話したことよ。彼らの友達の調査員候補に会いに行くって話。早いほうがいいと思うから来週にでも会いに行かない?」
彼女はこれからの食事会を少しも気にしていない様子で,来週の予定について俺に聞いた。
「あぁ。もちろんいいよ。」
俺はそれまでの心配事を頭から消し去り,すぐにそう答えた。こいつが普段通りの俺を信じてくれるのなら,俺は彼女の言う事を信じて,普段通りに行動しようと思ったのだ。
そうして,俺たちは香の実家へと向かった。俺は少し気まずい思いをしながらも,ありのままの自分で彼女の親戚たちに向き合い,彼らの温かい歓迎を受けることになったのだった。
こうして,この一年の始まりの日が終わった。
俺と香の予定通りに事が進めば,今年中に俺たちのタイムマシンは大々的に世界に発表できるだろう。
おそらく今年は,人類にとって大きな意味のある年になる。天才の四宮 香が作る新しい時代が始まる年だ。この世界はこれからさらに,速さを増して変化していくのだろう。新たな才能も生まれてくるだろうし,香の進化もおそらくここで止まることはない。
新しい時代の幕開けをこれまで通り彼女の隣で迎えるため,そしてできることなら,どちらかが死ぬまで彼女と共に生きていくためにも,俺はこの場所を誰にも譲るわけにはいかない。それがどれだけみっともなく見えようとも,そのためならどんな努力も続けようと心に決めた。
俺に香と同じ才能を持たせてくれなかった神などではなく,自分自身の心にそう誓い,俺はこの新たな一年をスタートさせたのだった。
つづく
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