第15話 彼らと過ごす二度目の正月は
俺(四宮 誠)は17年前の夏に自称天才中学生の四宮 香と出会ってから,彼女と共にタイムマシンを作り続けていた塾講師である。
とある高校でちょっとした騒動が起きた日,俺たちはそこに現れた未来人とともに,タイムマシンを使って過去に戻った高校生を発見した。桜井 隆之介という名前の彼の協力により俺と香のタイムマシン開発は大きく進み,俺たちはようやく長年作り続けてきたタイムマシンを完成させることができたのだ。
俺たちが東郷先生に別れを告げに行ったあの日から,およそ9ヶ月が過ぎた。
あの時は高校を卒業したばかりだった桜井くんと彼の恋人の広瀬さんも,無事に大学生生活を楽しんでいるらしい。卒業してからも,何度か顔を見せに来てくれている。
そんな俺はと言うと,あの後すぐに香と結婚して名字が変わった。今の俺は高梨 誠ではなく,四宮 誠だ。すでに世界に名が知れ渡っていた彼女の名字を結婚で変えてしまうのはもったいないと思い,俺から名字を変えると提案した。香はどちらでもいいと言っていたが,俺は彼女の成功を邪魔することはほんの少しでもしたくはなかったのだ。
今まで名字で呼び合っていた相手と名前で呼び合うことも,他人から四宮という名字で呼ばれることも,最初のうちは違和感があったが,半年もすればすっかり慣れた。今や心の底から四宮 誠である。まるで生まれた時からそうだったのかと錯覚するくらい,自然に馴染んでいる。
そして俺の妻になった香はと言うと,9ヶ月前からあまり変わっていない。さらに言えば,17年前からあまり変わっていない。
今も俺のすぐ目の前で,何か文句を言いたげな顔で俺の目を真っ直ぐに見ている。
「ぼーっとしてないで,この紐を持っててよ。」
香は着付け途中の自分の着物の腰紐を,俺に差し出しながら声をかけた。
「あぁ,悪い悪い。去年のことを思い出してた。」
俺はそれを受け取りながら答えた。
「なんでいきなりそんなこと思い出してるのよ?ちゃんと手伝って。」
彼女は着付けの本を見ながら,怪訝な顔で俺に尋ねた。
「そういうもんだからだよ。今日は元日だろ?」
俺はそう答えて,彼女の着付けの手伝いを再開した。
「確かここをこうするんだったよな?」
俺は一年に一度,一月一日にしか行わないその作業を思い出しながら,香の着付けの仕上げをしていた。
「そうそう。覚えてるんじゃない。皺が無いようにね。」
「去年も一昨年もやってるからな。流石に分かってきた。OK。完璧だ。」
香が着ている着物を綺麗に整えた後,俺はそう言って彼女から離れた。彼女は鏡を見て自分の姿を確認した。
「そう?うん,いい感じね。」
香はそう言って納得すると,次に俺の方を向いて尋ねた。
「どう?綺麗?」
着物を見せつけるようにくるりと回ったその姿を見て,俺は心のままの感想を告げた。
「あぁ,似合ってるよ。」
褒めたつもりだったのだが,彼女は呆れたようにため息混じりに答えた。
「あなたは何を着てもそう言うのね。」
「似合ってるって言って,何が不満なんだよ。」
俺がそんな文句を言うと,彼女は笑顔を浮かべて微笑みながら答えた。
「フフ。ううん,嬉しいけどね。さ,行きましょう。舞ちゃんが待ってるわ。」
正装に着替え終えた俺たちはそんな会話を終えると,教え子を待たせているリビングへと向かった。
「舞ちゃん。あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。」
香はリビングへの扉を開けるやいなや,テーブルに座っていた広瀬さんにお辞儀をして,新年の挨拶をした。
「おめでとうございます。今年も着物綺麗ですね。」
大人しく本を読んで待っていた広瀬さんも,香を見るとすぐにそれを閉じて彼女に挨拶を返した。去年も見たからなのか,香の着物姿を見た広瀬さんは,さほど驚く様子も見せず冷静に香の着物を褒めた。
「ありがとう。誠さんの感想があまりに味気ないから嬉しいわ。」
彼女の感想も大して変わらんだろう。と思ったが,香が冗談でそう言っていることは分かっていたため,俺はその冗談を無言で流した。
「桜井くんは一緒に来なかったの?」
「はい。」
香の問いかけに広瀬さんが短く答えた。俺は桜井くんの状況をあまり知らない香のために,それに付け加えて彼女に説明した。
「あいつは一人暮らしだからな。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。だからおそらく規則正しい生活なんてしてないし,ましてや時間に余裕ある行動なんて,考えもしないだろうな。」
俺は自分の学生時代のことを振り返りながら,桜井くんの状況について彼女に伝えた。すると香は,俺のことを不思議そうに見ながら答えた。
「ふーん。そんなものなの?私は一人暮らししたことないから分からないわ。誠さんもよくやってたなって思うよ。私だったら寂しくて絶対できない。」
「私もそう思います。」
彼女たちが二人そろってそんなことを言い始めたので,俺は一人暮らしを楽しむ全人類を代表する気持ちで,彼らに説明をした。
「二人とも分かってないな。初めはみんなそう言うんだ。でも寂しいのは最初だけ。少し経って,誰にも邪魔されない自由を得たことに気がつくと,他の奴の時間に合わせるのが面倒になるくらい楽しくなっていくんだよ。」
「ふーん。じゃあ,その自由だった間,誠さんは何をしていたの?」
「うーん。話し始めるとキリがないな。でも今よりも自由にできたものと言うと,一番は料理かな。」
香の純粋な疑問に対して,俺はなるべく後腐れのない答えを探してそう言った。すると彼女は屈託のない笑顔を浮かべて,俺に感謝の言葉をくれたのだ。
「料理なら,誠さんは今もしてるじゃない。私のために美味しい料理を作ってくれて,いつもありがたく思ってるよ。」
元生徒の広瀬さんの前でそんなことを言われた俺は少し照れながらも,彼女の気持ちをありがたく受け取って,一人暮らしの説明を再開した。
「こっちこそありがとう。その言葉は嬉しいが,やっぱりお前は何も分かってない。一人の料理は上手く作らなくてもいい自由さが面白いんだよ。」
俺は簡単にそう説明したが,彼女たちは二人とも首を傾げて聞いていた。そのため,それ以上何かを質問される前に,俺は自分から詳しい説明を始めた。
「とりあえず,食える食材を適当に組み合わせて,雑な調理をするんだ。すると出来上がったものは,大抵それほど美味しくない。そんなことを繰り返すうちに,やっぱり雑に作ると不味いんだなっていうのを再確認できるんだよ。」
俺はなるべく順を追って一人料理の楽しさを説明しようとしたのだが,自分でもうまく説明できた気がしなかった。学生で一人暮らしをしていた時のことを思い出しながら話していたせいで,俺は当時特有の変なテンションになっていたのだと思う。
「それ楽しいの?」
案の定,その魅力が伝わらなかった様子の香が俺に聞いた。俺は自分のテンションがちょっと異常だと自覚しながらも,それを維持して話し続けた。
「楽しいんだなこれが。うまく説明できないのが悔しいが。不味いものを一人で食ってる自分がバカバカしくて面白いし,それで偶然,美味いものが生まれた時の達成感は感動ものだぞ。」
これだけ話しても,二人には多分わかってもらえないだろうと思いながら話したのだが,意外にもそれを聞いた香は頷いて,同意の言葉を俺にかけた。
「最後のだけは分かるな。私がタイムマシン理論を見つけたのも,今思えば偶然の産物だったから。新しいことを知れるって楽しいわよね。」
「だろ?楽しいんだよ。一人暮らしってのは思いもよらない発見があるんだ。」
香の理解を得られてすっかり嬉しくなった俺は,声を大にしてそう言った。
そうして俺は香の言葉で一瞬にして気分を良くしていたのだが,その思いが伝わらなかった広瀬さんによる次の質問で,一気に現実に引き戻されることになったのだ。
「でもそんなに楽しいのなら,何で誠先生は香先生と一緒に暮らし始めたんですか?」
「え?あー,えっと,何だったかな?忘れたな。」
香と同居を始めた時の出来事は,大っぴらにするには躊躇われることが含まれているため,俺は忘れたふりをして彼女のその質問をごまかした。
しかし俺の反応を見た直後,香はいたずらっぽい笑みをニヤリと浮かべて,広瀬さんに嬉々として語り始めた。
「誠さん,忘れたの?それじゃあ,私が教えてあげるよ。」
「ん?いや,待て待て。」
俺は香が話そうとしていることに気づいてそれを止めようとしたが,彼女は無視して話し続ける。
「えっとね,私が大学院生だった時なんだけど。」
「はい。」
広瀬さんもノリノリの様子で聞き始めていた。
「同じ研究室に私のことを好きって言ってる人がいたのよ。」
「はいはい。」
「もちろん私には誠さんがいたから断ってたんだけど。同じ研究室だから一緒にいる時間も長くなるじゃない?それでその子と一緒にいる時間が誠さんと一緒にいる時間よりも長いって聞いたら,誠さんがヤキモチ妬いちゃって。」
「ストップ!」
自分が話して欲しくない場面に差し掛かったところで,俺は楽しそうに話す彼女たちの会話を止めた。
「思い出したからもういい。」
「まだ途中よ。」
「要するに,香が大学院生の時に俺と香が喧嘩して,それを収めるきっかけとして一緒に住み始めたってわけだ。」
続けて話そうとしていた香の言葉を受け流し,俺は半ば強引にその昔話を終わらせた。
「うん。すっごく簡単に言うとそうね。」
香も俺をからかう事に飽きたのか,それに同意した。
「へー。喧嘩ですか。」
「何?桜井くんと喧嘩でもしてるの?」
俺たちの喧嘩の話に広瀬さんが興味深そうに相槌を打ったことで,それを気にした香が彼女に尋ねた。
「いいえ。喧嘩とかはしてないんですけど,気になることがあって。」
「気になること?」
浮かない顔で香からの質問に答えた広瀬さんに,今度は俺から尋ねた。普段ならば,大学生の恋愛事情に首を突っ込んだって仕方がないと思うのだが,彼らの場合は別だった。実は俺も,高校卒業後の桜井くんのことで心配していたことがあったのだ。もしかしたら,彼女の考えている事が俺と同じかもしれないと思ってそう聞いた。
広瀬さんは俯きながら答え始めた。
「はい。上手く言えないんですけど,私たちが卒業してから何か」
ピンポーン
しかし,広瀬さんが俺の質問に答え終える前にインターホンの音が鳴り,彼女の言葉は遮られた。そして,ドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえたのだ。
「あけましておめでとうございます。桜井です。」
「タイミング悪いわね。居留守使ってみようかしら。」
香は不満そうな顔で,冗談なのか本気なのか分からない言葉を放った。
「正月からバカなことを言うんじゃない。早く迎えに行ってやれ。」
俺はそう注意して香を玄関に向かわせた後,彼女に聞こえないように広瀬さんに言った。
「広瀬さん,その話は実は俺にも心当たりがある。だから,後で俺が聞くよ。まずは出かける準備をしよう。」
「分かりました。」
俺がその話を中断させたのは,広瀬さんが話そうとしていたことが,桜井くんに聞かせるべきではないことだろうと思ったからだ。それを自覚していたのかどうかは分からないが,彼女は素直に俺の言うことを聞き入れて,すぐに出発する準備を始めてくれた。
そして,桜井くんと簡単な新年の挨拶を済ませると,俺たちはすぐに車に乗って初詣をする神社へと向かった。
「本当に久し振りですね。香先生。あの後タイムマシンがどうなったか聞いていいですか?」
車を発進させると,後部座席に座った桜井くんが助手席の香に話しかけ,香は前を向いたままそれに答えた。
「どうもなってないわよ。まだそれを管理する組織の人員が確保できてないから。特にそれを使う側の人間は大事だから,慎重に選ばないといけないんだよね。」
これまでの香の行動を知っている俺ならばその説明で十分だが,久しぶりに会う彼らには絶対に説明不足だろうと,横で会話を聞いていた俺は思った。しかしそれを聞いた桜井くんが次に口にした言葉は,彼女へのさらなる質問ではなく同意の言葉だったのだ。
「実際に未来に行く人ってことですね。確実に信頼できる人じゃないといけませんからね。」
「そう。あなたは相変わらず話が早くて助かるわ。」
香は彼の反応が当然であるかのように,前を向いたまま平然と答えた。しかし彼らの会話に入っていなかった広瀬さんの方は,俺の予想通り,言葉足らずな香の説明に困っている様子だった。
「話が早くなくて申し訳ないんですけど,二人とも何の話をしているんですか?」
自分の言葉の不親切さに今気づいたように,香は振り返って広瀬さんに謝ってから,先ほどの会話の詳しい説明を始めた。
「ごめんね,タイムマシンの話よ。新しい技術に早く対応するために,技術を調査する人を現代から未来に送ろうと思ってるの。」
「へー。」
広瀬さんは納得したような声を出していたが,すぐに香に質問をし直した。
「ん?でもそれって,未来を変えることになるんじゃないですか?新しい技術が発明される前に,それについて知ってしまうってことですよね?」
その質問には彼女の隣に座る桜井くんが,香の返答を待たずに答えた。
「そうだよ。だから先生は慎重に決めないといけないって言ってるんだと思う。絶対に外に漏らしちゃいけないから,信頼できる人じゃないといけないんですよね?」
答え合わせをするように尋ねた桜井くんに対して,香はそれに対する点数と解説を彼に告げた。
「その通り。でもそれだけじゃ80点かな。私たちが作ろうとしている組織は,世界から信頼されるようにならないと機能しないのよ。だから,とりあえずはイメージが大事なのよね。世間に公表しても,悪いイメージを持たれないような人を,味方につけたいんだけれど。」
「美人とかハンサムな人とかですかね?」
香の説明を聞いて広瀬さんはそんな意見を彼女に伝えた。すると香は難しい顔で答えた。
「やっぱり普通はそうなるわよね。でも,美人やハンサムな人もきっと,嫉妬とかされるんだろうなと考えると,ちょっと不安なのよ。」
「世界の全員に好かれる人なんていませんからね。」
桜井くんがそんな相槌を打ってその話題は終わったが,彼はその後もタイムマシンやその他SFじみた新たな話題を香と目的地に着くまで続けていた。その間,広瀬さんが彼らの会話に入っていくことは無かった。
「着いたぞ。さぁ,山登りをしよう。」
しばらくして俺たちは,山の麓にある神社の駐車場に着いた。
「はーい。」
大学生の二人,特に桜井くんは決して積極的とは言えないような返事をして車を降りた。
正直俺も同じ気持ちだと思う。山の頂上に見えるあの神社に続く,長い階段と坂道を登っていくのは面倒だと毎年のことながら思っている。
『なぜ山に登るのか』と問われれば,俺は『そこに香の親御さんがいるからだ。』と答えるだろう。終わってみればそこまで嫌じゃない。俺は自分にそう言い聞かせて,彼らと共に長い階段を上がり始めた。
香と桜井くんがいまだにSF談義をしているおかげで俺たちは自然に,香と桜井くん,俺と広瀬さんの二列に並んで,山を登っていく形になった。
前を歩く二人が夢中になって話していたため,気になっていたことを話すチャンスだと思った俺は,広瀬さんにその話を切り出した。
「広瀬さんが桜井くんのことで気にしていたこと,当ててやろうか?彼が今よりも高校生の時,つまり香と一緒に勉強していた時の方が何となく楽しそうだった。そう思ってるんじゃないか?」
「そうです。なんで分かったんですか?」
彼女は目を丸くして俺に尋ねた。
「俺も彼の気持ちは自分のことのようによく分かる。香ほどの才能を持つと,良くも悪くも周りの人を惹きつけるものなんだ。天才ってのは,性別も年代も,時代を越えてもなお,人を惹きつけ続ける。俺もその一人だからな。17年前からあいつに惹かれ続けてる。」
広瀬さんは伏し目がちに俺の言葉を聞いていた。俺は不安げな彼女を安心させるために,その話を続けた。
「でも心配することはない。桜井くんのは決して恋愛感情とかではないだろうから。この件に関して,君らは何も悪くない。強いて誰が悪いと言うなら,そんな才能を持ち合わせている香が悪いんだ。広瀬さんが深く気にすることはない。」
「そう言われても,彼が他の人と一緒にいる時の方が楽しそうっていうのは,やっぱり不安ですよ。」
「そうか?俺から見れば,君といる時も彼は同じくらい楽しそうだけどな。でもそれなら,一緒に住むっていうのは良い方法かもしれない。大事な人と一緒に暮らして,楽しいこともそうでない事も共有するっていうのは,お互いを理解するのにはぴったりだ。俺も香と付き合って長かったが,同居して初めて分かった事もたくさんある。」
「そうなんですか?」
そこまで言って初めて彼女は,希望を見出したように少しの笑顔を取り戻して,俺に質問してきた。
「そう。一つ問題があるとすれば,その提案を聞いた彼が,快適な一人暮らしをやめる決心をつけるかどうかだな。同居の良さも一人暮らしと同じでやってみないと分からんからな。俺の場合は香との喧嘩を早くやめたいという名目があったが,彼にも何かきっかけが無いと難しいかもしれないぞ。」
「それは大丈夫です。私には,隆之介くんに言うことを聞かせるとっておきの方法があるんですよ。」
「ほー。聞かせてくれるか?」
彼女が詳しく聞いて欲しそうにそう話すので,俺は詳細を尋ねた。
「良いですよ。高三の時に,私が彼と賭けをしたんです。負けた方が相手の言うことを何でも聞くっていう条件で。それをまだ使わずにとっておいてるんですよ。」
「ハハ。良いなそれ。俺も香にそんなことやっておけば良かった。」
そんな冗談を言いながら,俺は楽しそうに語る彼女の姿を見てすっかり安心した。
「まぁ,それなら大丈夫だな。頑張れよ。」
「はい。」
その会話を終えると,俺と広瀬さんは特に実のある話をする事もなく,階段と坂道を登り続けた。
前の二人は引き続きいろんなことを話している様子だったが,坂道を登りながら飛躍し過ぎな彼らの会話に入るのは流石にきついため,俺は耳に入る彼らの会話を聞かないことにして歩き続けた。
「ねぇ,誠さん。聞いてた?」
「いいや,聞いてない。」
突然振り返り話しかけてきた香の言葉に,俺は正直にそう答えた。彼女はその説明を始めた。
「さっきここに来る途中でしてた話よ。未来調査員の話。桜井くんがちょうどいい人を知ってるから一人紹介してくれるって。とりあえず,会って話を聞いてみようと思うの。」
「へー。どんな人なんだ?」
俺の質問には,香の隣を歩いている桜井くんが答えた。
「先生たちも知ってる人です。僕と舞の同級生で,今は香先生が教授をしてる大学に通ってます。剣道では全国で四位になってて,スポーツもできる。何よりも,今の世界に報道されても,大々的に悪いようには言われない人だと思います。」
「もしかして,坂本 宏樹くんのことか?一昨年,桜井くんと初めて会った日に一度話したことがある。」
彼が語った人物像に覚えがあった俺は尋ねた。桜井くんは短く答えた。
「そうです。」
「彼に会うなら俺も付き添うよ。また会ってお礼を言いたい事もあったしな。」
俺が香にそう提案すると,彼女は笑顔で答えてくれた。
「うん。それをお願いしようと思ってたところよ。よろしくね。」
「ふー。やっと着いたな。」
俺たちは長い道のりを経て,ようやく山の上の神社に辿り着いた。俺たちと同じく初詣に来た人がちらほら見える。
「そうね。お参りしましょう。」
香がそう言うと,俺たちはすぐに拝殿へと向かった。
特に神様に祈る事もない俺は,香の仕草の真似をして適当に参拝を終わらせた,そして,ここに来た本来の目的を果たすために境内を見渡してある人物を探し,その人を見つけ出した。
「香,お義父さんが来てるぞ。」
俺は神主らしき人と話しているスーツを着たその人物を指して,香に話しかけた。
「あ!本当だ。二人とも,一緒に来て。今年はちゃんと紹介するわ。」
彼女は大学生二人を連れて父親の元へと歩き始め,俺もその後に続いた。
「お父さん。あけましておめでとうございます。」
「あぁ,香と誠くん。あけましておめでとう。元気だったかい?」
香がお義父さんに声をかけると,彼は振り向いて相変わらずの爽やかな言葉を俺たちに放った。年の割に見た目がだいぶ若く見えるのも昔と変わらない。
「はい。」
「おめでとうございます。おかげさまで元気です。」
香と俺が恭しく挨拶をすると,お義父さんは香の隣に立つ二人を見て尋ねた。
「そちらは?」
「私の教え子の桜井 隆之介くんと,広瀬 舞さん。大学一年生です。」
香がそうして紹介すると,二人はほぼ同じタイミングでお義父さんに挨拶をした。
「「初めまして。」」
「初めまして。いつもうちの娘がお世話になっています。」
お義父さんが丁寧に返すと,広瀬さんも同じくかしこまった返事をした。
「いえいえ,そんなことないです。むしろこちらがお世話になってばかりで,受験勉強の時は香先生に助けてもらいました。」
「そうかい?特に桜井くんの話は,香からよく聞いてるよ。優秀なんだって少し前まではいつも話してた。」
お義父さんは談笑するように優しく桜井くんに話しかけたが,それを聞いた彼は鋭い目つきで質問した。
「それって,どこまで聞いてるんですか?」
周りが皆,新年を祝っているその場の雰囲気にそぐわない態度を取った桜井くんに対して,お義父さんもその表情を険しいものに変えて,彼に言い聞かせるように次の言葉を発した。
「それは,こんなところでする話じゃないだろう?それが分かるくらいまでだ。」
お義父さんの答えは,俺が少し恐いと思うくらい威厳を感じるものだったが,桜井くんはそれでも一歩も引かずに質問を続けた。
「詳しく聞かせてもらえますか?僕が知るべきことがあるかもしれません。」
彼は出会ったばかりの頃と変わらず,大事なもののためなら周りが見えなくなるほど一生懸命になれるようだ。そんなところも香にそっくりだと思う。むしろ,前に会った時よりも香に似たところが多くなっているかもしれない。
俺はそう思うと同時に,彼についての一つの重大な可能性にも気づいた。もしかしたら,初めて彼に会った時からその片鱗を感じていたのかもしれない。それが小さすぎて気づかなかったか,それとも無意識に気づかないふりをしていたかは自分でも分からないが,いずれにせよ,今日の彼の様子を見てはっきりと感じ取った事があることは変わらない。手遅れになる前に,それは広瀬さんに伝えなければいけない事だと確信した。
俺がそんな事をあれこれ考えている間にも,桜井くんと香たちの会話は進んでおり,お義父さんが彼をどうするか香に相談しているところだった。
「香。どうする?」
「うーん,そうね。彼には話してもいいと思う。」
香はほんの少し考えるそぶりを見せてから答えた。
「それなら奥で話そう。着いて来てくれるか?」
お義父さんは香の答えを聞いて,桜井くんにそう言った。彼はそれ以上の質問はせず,言われるがままお義父さんの後について,神主さんの住居らしき建物の方へと向かって行った。
そして彼らが俺の前から去った後,香が申し訳なさそうな顔で俺に言ったのだ。
「誠さん。悪いけど,舞ちゃんと一緒に待っててくれる?そんなに長い話にはならないと思うから。」
「分かった。そこの喫茶店で雑煮でも食いながら待ってるよ。」
俺は初詣に来た客を相手に店を開けてる喫茶店を指して答えた。すると香は広瀬さんにも謝った後,桜井くんたちが向かった方へと小走りで去って行った。
「隆之介くん達,何を話してるんでしょうね?」
喫茶店に入り,テーブルを挟んで座った広瀬さんが俺に聞いた。確かに彼らが何をしているかは気になるが,俺にはそれ以上に彼女と話さなければならない大事なことがあった。そのため俺は彼女の質問を適当にはぐらかして,話を切り出した。
「さぁ。あの三人にしか分からない話なのかもな。でもちょうど良かった。俺は君に話さないといけないことがあったんだ。」
「何ですか?」
「君ら二人の未来に関わる話だ。」
今からちょうど一年前の一月一日。
桜井くんは俺と香の関係を無かったことにしないために,勇気を出して行動してくれた。それにはとても感謝している。俺が今,香の夫としてここにいるのも彼のおかげと言ってもいいかもしれない。
しかしあれから一年後の今,俺は桜井くんたちの仲を引き裂くかもしれない事を彼女に言おうとしている。恩を仇で返すような行為に思われるかもしれないが,仕方がない。それはきっと将来の彼のためになる事で,巡り巡って彼女のためになる事だと俺は思っているからだ。
なるべく理解してほしいと思いながら,俺は彼の可能性について,彼女に語り始めるのだった。
つづく
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