第13話 過去への卒業旅行

高校三年生の僕(桜井 隆之介)は,夏休み明けの始業式の日に謎の未来人 広瀬 光太郎と彼が使うタイムマシンに出会った。僕はタイムマシンを使って親友の坂本 宏樹の命を救ったのだが,その後大学教授の四宮 香先生と塾講師の高梨 誠先生にそのことを気づかれてしまった。

後にタイムマシンを作る者と名乗る彼らと話すうちに,僕は彼らのことを信用できる人物であると判断し,始業式の日にあったことを伝えて彼らに協力することにした。そして彼らの研究のことを秘密にする口止め料として,僕は想いを寄せる同級生の広瀬 舞とともに,彼らの塾で勉強を教わることになった。

先生たちの指導の結果,僕たちは無事に志望する大学に合格したのだ。



高校の卒業式の日から三日が経った。

卒業式の日からの僕の生活は怖いくらいに順調である。四宮先生による過去改変の恐れもなくなり,ずっと好きだった舞と恋人にもなれた。さらには進路まで決まっている僕は大学入学まで学校に行く必要もなく予定が空っぽなため,それまではダラダラし放題である。

しかし,人間というのは突然何かが無くなると,それが何であれ物足りなく思ってしまうもの。今まで受験勉強をしながらタイムマシンのことで頭を悩ませていた僕にとってもそれは同じであった。


受験勉強をしていた時,僕は毎日高梨先生と顔を合わせて勉強を指導してもらい,時には厳しいことも言われた。今はそれが無くなって前よりも遥かに自由に過ごせるのだが,何も言われなくなるとそれはそれで寂しい。

少し前までは,未来に関わるかもしれなかった実験について考える時間が多くて,気が休まる暇が無かった。それが今となっては何も気にすることがなくて,それはそれで物足りない。

舞と映画でも見に行こうかと考えたが,そういえば彼女は今高校の友達と卒業旅行に行っていて三日間帰ってこないのだった。付き合ったばかりなのにごめんと,とても旅行を楽しみにしてそうな笑顔で言われたため,僕も快く送り出したことを覚えている。


要するに,急にすることが無くなって暇なのだ。ならば灰色の生活の復活とばかりに,好きな映画を見ながら昼寝をして一日を浪費しようとそれを準備をしていた時,まるで見ていたかのようなタイミングで高梨先生から僕のスマホにメールが届いた。


『急で悪いんだが,昼から俺たちの研究所に来れないか?広瀬さんも誘って欲しいから,よろしく頼む。四宮と俺から直接君らに伝えたいことがあるんだ。』


そんな内容だった。

四宮先生たちなら暇つぶしにうってこいの事態を運び込んでくれるだろうと思ったので,僕はその誘いに乗ることにした。僕は舞が旅行に行っていることと,僕だけが後で行くことをすぐに先生に返信した。


そして午後になり,傍から見ると倉庫にしか見えない研究所に着いた僕がその入口のインターホンを押すと,高梨先生がドアを開けて出迎えてくれた。


「いらっしゃい。悪かったな,急に呼び出して。」


「いえいえ。どうせ暇だったんでいいですよ。」


中に入った僕を迎えたのは,以前に来た時とほとんど同じ光景だった。大きな作業机に難しそうな本がたくさん積み上げられており,奥には巨大なタイムマシンが圧倒的な存在感を醸し出していた。


「いらっしゃい,桜井くん。」


四宮先生は作業机で小さい機械を触って作業しており,一旦目を離して僕に声をかけた後,すぐに作業に戻った。


「それで,僕に伝えたいことって何ですか?」


わざわざメールで呼び出すような事なのだからさぞ面白い事なのだろうと僕は期待して,高梨先生に尋ねた。


「あぁ,それはだな。君らのおかげなところも少しはあるから,直接伝えたかったことだ。驚くなよ。」


「はい。何ですか?」


勿体つけた言い方をした先生に僕がさらに聞き返すと,先生は答えた。


「実は,俺たち結婚するんだ。」


「へー。おめでとうございます。」


予想していたものとは大きく違っていて少し拍子抜けしたが,僕はその報告を聞いた正直な気持ちを彼に告げた。


「もっと驚けよ!」


平坦な調子で答えた僕の反応に納得できない様子の高梨先生が僕にそう言って突っ込んだ。


「『驚くな。』って言ったのはあなたじゃない。」


机で作業をしていた四宮先生が,クスッと笑いながら高梨先生にそう声をかけた。高梨先生は困惑した様子で答えた。


「いや,そうだが。もっと驚くようなことだろ。結婚だぞ。」


しかしそう言われても,僕にとってはそれほど驚くことではない。二人は前から一緒に暮らしていたみたいだし,むしろ結婚していなかった方が不思議なぐらいだった。それに僕が期待していたのはもっとワクワクするようなことであって,そんな平凡なことではなかったのだ。


「違うことを期待してたからでしょう?」


動揺を隠せていない高梨先生を尻目に,四宮先生は作業を中断して僕に話しかけた。高梨先生が四宮先生の方を見ると,彼女はさらに話し続けた。


「桜井くんは去年の夏に未来のタイムマシンと遭遇してからは,ずっと退屈しない日々を過ごしてきた。高梨くんの厳しい指導の下で受験勉強を頑張りながら,ノートの実験のことも考えてね。だけど今はそれが無くなって退屈してたところに,私たちからの呼び出しがあった。桜井くんは,タイムマシンに関するワクワクするようなことを期待していたけれど,実際には私たちが今さら結婚するという,桜井くんにとっては割とどうでもいい話でガッカリしたというわけだよね。」


その予想はほぼ当たっており,相変わらず四宮先生に隠し事はできないようだと悟った。初めて会った時から僕の考えを見透かしてばかりでたまに怖いくらいだが,こんな時はわざわざ説明する必要が無くてちょっと楽だと思ってしまう。


「そうなのか?」


再び僕の方を見返して高梨先生が僕に尋ねた。僕は四宮先生が言った事を一部否定して答えた。


「どうでもいいとは思ってませんけど。違うことを期待していたことは本当です。」


「うん。でもね,そんな桜井くんに朗報があるよ。」


僕の答えを聞くと四宮先生が楽しそうにそう言って,それまで机に乗せて触っていた機械を手に取って僕に見せた。腕時計のような小さなものだった。


「じゃん!あなたならこれが何か分かるでしょ?」


「あ。それって確か,タイムマシンを動かすリモコンみたいなものですよね?」


以前それを見た事があり説明されたこともあるたため,僕はそう答えた。細かい部分は違うのかもしれないが,そこまで覚えていない。しかしぱっと見では去年の夏に会った未来人の光太郎が着けていたものにそっくりだったのだ。先生はその時に聞いたものよりも少し詳しい説明を僕に話した。


「やっぱりね。正確に言うとこれは普通のリモコンとは違って,距離だけじゃなくて時間も超えて未来のタイムマシンを動かせるの。桜井くんは見たことあるんでしょ?」


「ありますよ。それをどうするんですか?」


先生が何を思って見せたのか分からない僕は尋ねた。


「今から私たち,これを使って過去に行くのよ。良かったら桜井くんも行かない?」


暇で暇で仕方がない状況の僕にとって,その提案は願っても無いものだった。以前にタイムトラベルした時は,親友の命がかかった状況であったため純粋にそれを楽しんでいる余裕は少しも無かったからだ。だからもう一度できるというのなら,行かない手はないと考えた。

しかし以前に一度大変な目にあったからこそ,ノーリスクでそれができるという話は何だか怪しいとも思ったため,僕は探るように四宮先生に質問した。


「もちろん行ってもいいなら行きたいですけど,何故ですか?」


「あなたを紹介したい人がいるの。今から38年前の夏に。」


先生は慌てる様子もなくすんなり答えた。僕はその答えを聞いてさらに疑問が湧いた。


「38年前の夏?それって四宮先生も高梨先生も生まれる前じゃないですか?そんな時代に僕を紹介したい人なんているんですか?」


四宮先生はまたすぐに答えた。


「うん。前に話したでしょ?私たちにはタイムマシンの事だけじゃなくて,いろんな大切な事を教えてくれた先生がいたの。その人は私たちを守るために,未完成だったタイムマシンを使って一人で過去に行っちゃったの。」


そしてその話を引き継ぐようにして高梨先生が話し始めた。


「俺たちが16年かけてタイムマシンを完成させた今なら,ようやくその先生に会いに行けるってわけだ。現状楽しくやってるってことを先生に伝えるために,君らにも来てほしかったんだ。」


「なるほど。僕で良ければ全然付き合いますよ。」


彼らの話に納得し,今回の旅が前回よりも格段に気楽なものになるだろうと確信した僕は,安心してそう答えた。四宮先生はそれを聞いて,僕にお礼を言った。


「ありがとう。本当は舞ちゃんも連れて行きたかったけど,私が今日しか空いてないからね。代わりに今度謝っておいてくれる?」


「いいですよ。今から行くんですかね?」


心置きなく楽しめる時間旅行ができると思い,はやる気持ちを抑えきれずに僕が先生たちにそう尋ねると,四宮先生が答えてくれた。


「うん。でもちょっと待って。向こうはきっと暑いから,みんな着替えていかないとね。服は用意してあるから着替えてから出発しましょう。」



その後,僕は先生たちが用意してくれた昔風の古臭い夏服に着替えた。

『着方はこれでいいのか?』とか,『そういえば,僕が好きなタイムマシン映画にもこんなシーンあったな。あれはカウボーイの格好だったか。』とか,一人であれこれ考えながら先生たちが着替え終わるのを待った。

しばらくすると簡易カーテンで遮られた奥のスペースから,着替え終えた先生たちが腕時計型のタイムマシンを持って出てきた。


「高梨くん,設定は終わってるから腕に付けて。」


そう言われてタイムマシンを受け取った高梨先生は,それを着け始めた。


「本当に安全なんですよね?」


いざ目の前でそれを着ける様子を見たら,僕は少しだけ不安になった。彼らは未来から来た人間ではなく,腕時計型のタイムマシンも最近できたばかりみたいだからだ。


「大丈夫だよ。俺はもう自分の体で何度も実験してる。」


高梨先生がタイムマシンを着けながらそう言った。そして四宮先生も,タイムマシンを着けた高梨先生の腕に掴まりながら笑顔で言った。


「そういうこと。さ,桜井くんも高梨くんに捕まって。死ぬ時はみんな一緒よ。」


「怖いこと言わないでください。安全に行きましょう。」


四宮先生が高梨先生の左腕を組むように掴まっていたので,僕はそう答えてから高梨先生の右肩辺りを両手で掴んだ。


「無茶言うな。車じゃないんだから,そんな融通きかん。それじゃあ,気を取り直して行くぞ。」


高梨先生は僕の発言に対して指摘した後,左手につけた腕時計を見て操作し始めた。少ししてから,隣にいた四宮先生がタイミングを計ったように声をかけた。


「カウントダウン行くよ。3,2,1。」


カウントダウンが終わり高梨先生が腕時計のスイッチを押した瞬間,僕の視界の全てが回転すると同時に歪んだ。その気持ち悪さから僕は思わず目を閉じた。そして目を開けた時,僕たちは今までいた場所とは別の薄暗い空間にいた。


倉庫のような全体的な構造は似ていたが,内装は全く違うものだった。未来のこの場所は先生たちが研究所として使っていることもあって,大きな作業机があったりパソコンや工具類も置かれていたが,今のこの場所は完全に倉庫であり,あの巨大なタイムマシンも無くなっている。壁際は段ボール箱や本が乗せられている金属の棚がいくつも並べてあり,中央付近には大きな段ボール箱を積んだ山がいくつかまばらに置いてあった。

いつのまにかその箱の山の近くに,僕たちは三人並んで立っていたのだ。電灯もついておらず薄暗いその空間を見渡しながら,僕は高梨先生から一旦離れて彼らに尋ねた。


「ここが38年前の同じ場所なんですか?」


「おそらくね。もちろん私も始めて来たんだけど,この時は私のおじいさんが倉庫として使ってたみたいよ。」


四宮先生も高梨先生から少し離れた後,周りを観察しながら答えた。


「簡単な鍵しか掛かってないな。中からなら開きそうだ。」


高梨先生は独り言のようにそう言って出入り口から堂々と外に出て行った。そしてそれを見た僕と四宮先生もその後に続いた。


「これは驚きですね。」


外の風景を見た僕は思わずそう口に出した。当たり前かもしれないが,そこから見える景色は38年後のものとは違っていたのだ。だが完全に別世界というわけでもなかった。

少しずつ様子は違っているが,38年後にも建っている家もあれば,人が通る道もほとんど変わっていないようだった。変わっているところで目立ったのは,研究所前からいくつか見えた駐車場が全て無くなっていること。それから外食チェーン店の看板や単身者用のアパートも見えなくなっており,未来にそれらが置かれる場所には,たいてい民家や個人経営のお店がびっしりと並んでいた。ざっと見て大きく違うのはそれくらいだった。

小さい頃から映画や漫画でタイムマシンを見て憧れていたいた僕にとっては,その光景は少し意外だった。約40年前というと,僕のイメージではもっと古臭くて今とは全く違うものと思っていたからだ。悪いカウボーイに遭遇して馬に引きずられ処刑されかける。とまでは言わないが、ここまで現実味を感じるものとは思っていなかった。


しかしこの時代についての知識も無ければ経験も無い僕は,その光景を見てもモヤっとした気持ちを抱えるだけで何故そう思うかという答えは出なかった。ただ驚きの声を出すことしかできなかったのだ。


「少しだけ歩くぞ。付いて来い。東郷先生が来るはずの場所までは少し離れてるからな。」


高梨先生は僕と四宮先生にそう言って道なりに歩き始めた。僕たちは周りの景色をキョロキョロ見ながら,彼の後ろをついて歩いた。


「街の様子が変わっていたのはビックリですけど,今とそれほど変わらない印象です。よく似た違う街に来たみたいな。ネットとかで見るこの時代の写真はすごい古く見えるんですけど。」


歩きながら僕はこの時代についてモヤモヤ感じていたことを四宮先生に伝えた。すると先生はすぐに答えた。


「それは写真のせいかもね。色あせた写真や白黒の写真なら,最近撮ったものでも古く見えたりするでしょ?」


「なるほど。先入観ってことですね。」


あっさりと答えた先生の言葉に納得しかけた僕が相槌を打つと,先生はさらにその話を続けた。


「そう。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだよね。私もこの時代について勉強して来たつもりだったけど,この光景は想像通りだったわけじゃないの。ここで生きていた人が本当に見ていた色や聞いていた音は,実際に来なければ知りようがなかったもの。我ながら良いものを発明したなと思うよ。」


「そうですね。完成おめでとうございます。」


先生の意見には僕も賛成であった。今さら言うのも遅いかもしれないが,お祝いの言葉と共にそれに同意すると先生はお礼を言って話を続けた。


「ありがとう。でも私の挑戦はこれからだよ。私がやれることはまだまだたくさんある。今日のこともそうで,私は20年以上タイムマシンのことやそれ以外のことも一生懸命に勉強し続けてきたけど,勉強ってすればするほど,自分が何も知らないことに気付いていくのよ。そして目標に向かって進めば進むほど,知ってなきゃいけないこと,やらなきゃいけないことが増えていくの。」


「それって四宮先生にとっては,嫌なことなんですか?それとも良いことですか?」


アインシュタインが言ったとされている言葉にこんなものがある。

『学べば学ぶほど、自分の無知に気づかされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より学びたくなる。』

四宮先生がその言葉に似たことを言ったため,僕は彼女に尋ねた。

もしかすると,僕は先生にアインシュタインのような理想の天才像のような言葉を期待していたのかもしれない。それ自体が勝手な先入観によるものかもしれないが,僕はきっと四宮先生なら過去の天才たちと同じことを言ってくれるはずだと考えたのだ。

すると先生はためらう様子もなくすぐに答えた。


「もちろんとっても良いことだよ。それまで知らなかったことが知れたり,できなかったことができるようになるっていうのは,とても良いことじゃない?知識が無いってことは,それを身につける機会があるとも言えるからね。」


「そうですか。やっぱり先生はすごいですね。」


期待以上のことを言ってくれた四宮先生に僕は心からの言葉を伝えた。しかし彼女はすぐにそれを否定した。


「すごくない。みんな一緒だよ。誰だって好きな事についてはもっと知りたいって思うでしょ?好きな事に関する事なら学ぶのも楽しい。私はその好きな事っていうのが他人よりもほんの少し多いだけ。」


「ほんの少しですか…。」


四宮先生はこれまでタイムマシンのことはもちろん,大学受験の勉強のことから雑学まで,僕が質問した事にはたいてい答えてくれた。そんな彼女の知識の元が『ほんの少し』好きなことが多いだけということには少し疑問を抱いたが,言ってもどうせ謙遜されるだけなのがなんとなくわかるため,僕は何も言わなかった。



そうこうしているうちに,先生たちの先生がいるらしきところに向かっていた僕たちは,商店街の中に入った。38年後にもその場所に商店街は存在するが,この時代の方が僕がいる時代よりも活気があるように見えた。未来ではシャッターが閉まっている場所の店もここでは開店しており,どの店もある程度客が入っていて全体的に買い物客で賑わっていた。


「商店街の店は今よりも多いみたいですね。」


「そうね。私たちが子供の頃もこんな風だったと思うよ。ねぇ,高梨くん。」


四宮先生が僕の言葉に対してそう言った。しかし話を振られた高梨先生はどこか上の空な様子であり,少し遅れて答えた。


「ん?あぁ,そうだったな。昔は夕飯の買い物とかはいろんな店に行って大変だったよ。いろんなものが売ってるスーパーがほとんど無かったからな。これだけ店の数があるんだから,お使いを頼まれた子供が一つくらい買うのを忘れても無理ないと思う。」


高梨先生が言ったように,その商店街には今のコンビニやスーパーのようななんでも売っている店は無く,八百屋に肉屋,魚屋に豆腐屋など,未来に生きる僕なら夕ご飯のおつかいだけでも一苦労しそうな店の並びであった。そしてそんなことを考えながら店を眺めていた僕を見て,四宮先生は話を続けた。


「だから多少品揃えが悪くても,買い物はみんな近所の店で済ませるしかなかったんだよ。今だったら車か電車で大きなショッピングモールとかにも行けるけど,この時代は車も電車も今よりは少ない上に,ショッピングモールはまだ無いからね。」


「大変な時代だったんですね。」


自分が住んでいる時代との違いを改めて感じて僕はそう言った。


「そうだね。私は雑多な時代だと思う。悪い言い方をすると効率的ではない時代。狭い世界で情報も競争も少ない,大した工夫をしなくても近所からお客さんは来るんだから,品揃えやサービスをより良くするという意識も今より薄かったと思うよ。客側から見れば今の方がずっと効率的で便利だよね。」


四宮先生のその言葉を聞いて,僕は少し違和感を覚えた。いつも優しい先生の口から出たものにしては,その言葉はとても冷たい言い方のように感じたからだ。先生は何についての話でも,一方的に悪く言って僕たちに悪いイメージを付けるようなことはしなかったと思う。

少しだけ四宮先生の様子が気がかりに思った僕は,先生とは逆のことを言って様子を見ようと思った。つまり,この時代の良いところをイメージで言ってみたのだ。


「でも他人との繋がりが強くて温かい時代だったと言う人もいますよね。それに今より競争が少ないってことは,今より生きやすいと言えなくもないかもしれませんよ。」


四宮先生は一旦その意見に肯定したが,すぐに再びこの時代の悪いところを話し始めた。


「そう言える部分もあるよ。でも近所づきあいが密だってことは裏を返せば,近所でお互いを見張り合う小さな監視社会みたいになってた一面もあると思う。周りに上手く合わせられる人にとっては良い時代だっただろうけど,そういうことが苦手な私やあなたみたいな人間にとっては,おそらくとても生きにくい時代だった。この時代に生まれてたら多分,私たちは今みたいに周りと違うことを好き勝手にできなかったよ。きっと今よりもっと強い力で多数派の価値観を押し付けられてたんじゃないかな。そんな狭い世界に少数派の力になってくれる人間がいる可能性は低いからね。」


「やけに悪いことばかり言いますね。この時代に嫌なことでもあるんですか?まだ生まれてないのに。」


それまでの四宮先生の口ぶりから,この時代に何かあるのではないかと疑念を持った僕はそう質問した。先生は首を横に振って答えた。


「ううん。この時代に恨みがあるわけじゃない。私が言いたいのは,何事にも良い面と悪い面があるってこと。『昔は良かった。』とか言って,今のことをけなして,やけに昔のことを賛美する人ってお年寄りに結構多いじゃない?でもその人たちのほとんどは,昔の良いところと今の悪いところを比べてるだけなの。それで昔の方がいいって言うのは当たり前のことでしょう?しかもそんな人に限って,今の技術の恩恵はしっかり受けてるんだよ!それが無くなったら困るはずなのに!」


先生は一度は僕の問いに対して否定したが,その舌の根の乾かぬうちにまたすぐに言葉を強くして僕に愚痴のようなことを言い始めた。その言葉によって僕の疑念はより強まった。先生はこの時代,もしくはこの時代に生きた人に恨みがあるのかもしれない。

優しい四宮先生をここまで変えるものが何なのか,僕はすぐに質問したくなった。しかし今の熱くなった先生に下手な質問をしたら,先生の語りがさらに熱くなってしまい,この話がとんでもなく長くなってしまう恐れがある。軽い話題ではないだけにそれはちょっと面倒だ。

そのため僕は彼女に同意して話を一度落ち着かせようと考えた。実は僕も先生の意見自体には一理あったのだ。


「はい。先生が言わんとしていることは分かりますよ。都会や外国に憧れる人にも似たようなことが言えますよね。例えば今いる場所に不満があって,都会や外国にはそれが無いということを知ると,そこがよく知らない場所だからこそ,良い面だけを見て自分にとっての理想郷のように勘違いしてしまう。でもいざ移り住んでみると,新しい場所の悪い面を知ってしまうと同時に,元いた場所の良い面も実感して,やっぱり元の場所の方が良かったかなとか思っちゃうやつですよね?両方の良い面と悪い面を知らないと,正しい判断はできないって事ですよね?」


「そうよ!分かってるじゃない!結局,周りの環境に文句を言うだけで自分で何も変えようとしない人は,どこに行っても同じく文句を言うだけ!そんな現実を見てない人に理想の場所なんてどこにも無いのよ!」


四宮先生はさらに言葉を強くして僕に言った。落ち着かせるために具体例を挙げて賛成したつもりが,さらにヒートアップさせてしまったようだ。

熱くなった四宮先生を鎮めるにはまだ力不足だと思った僕は,手助けしてくれることを期待してその道ではスペシャリストであろう高梨先生をちらっと見た。しかし彼は考え事をしているように腕をんだ姿勢で一人歩いており,すぐ後ろで興奮気味に話している自分のお嫁さんの様子には気づいていないようだった。

僕は高梨先生の助けが期待できない状況で自分がどうするべきか考えた。

同意はさっき試した。誉め殺しにするか,逆にけなすか,はたまた話題を変えるか。他にもいくつか浮かんだが,ほとんどは今の先生を止める手段にはならなそうだった。しかし,その中に一つだけ僕にも可能性がありそうなものがあった。

四宮先生が最終的に言いたいことを先に言ってしまうのだ。僕が何度も四宮先生にやられた手でもある。まるで心を読まれているかのように急に自分が思っていることを言い当てられれば,言い返す言葉はほとんど無くなってしまうのだ。四宮先生に考え方が似ていると言われた僕になら,それが出来る可能性がある。

そう思った僕はそれまでの先生の言葉から,最終的に先生が言いたいことを予想して口に出した。


「分かってないなんて誰も言ってませんよ。逆に言えば問題を解決できる人は,現状から目を逸らさずに分析して,やるべき事を実行できる人だけ。つまりは状況を分析する頭と変化を恐れない勇気がある人がトップにいないと,世界は良い方向には行かない。足踏み状態のままって事ですね。」


「そうよ!さすが桜井くん!完璧じゃない!」


四宮先生は僕の期待通りの反応を見せてくれた。僕は少し自慢げに答えて,ようやく聞きたかったことを質問した。


「こう見えても僕は先生の教え子ですからね。でも何だかいつもの先生らしくないですよ。何でそんなに怒ってるんですか?僕が何か悪いこと言いましたか?」


すると,落ち着きを取り戻した先生は申し訳なさそうに答えた。


「いや,ごめん。あなたは何も悪くないよ。実は最近,やたらと新しいことを否定するお年寄りと話す機会が多かったから。ちょっとだけ文句を言いたくなっただけ。あなたは理解が早いから,つい話してしまったの。ごめんなさいね。」


「いえ,いいですよ。面白い話でした。」


彼女が言っていた『お年寄り』というのは,恐らくその辺の近所のご老人の話ではなく,世界規模で力を持っているお偉い様のことだ。たぶん,先生たちがタイムマシンを使って新たに作ろうとしている立法組織づくりのことで,そんな人たちに反対されているのだろう。僕はそう予測した。それならば,数ヶ月前から四宮先生になかなか会えない日が多かったことや,海外に行くことが多いと言っていた高梨先生の情報ともつじつまが合う。

僕は四宮先生の答えに納得して,確かに興味深い話であったことを伝えた。予測が正しければ,具体的な話を聞いても教えてくれそうに無いためそれ以上は聞かなかった。だが僕が聞く聞かないに関わらず,先生はその話を続けた。


「そう?それなら良かった。それでそのお年寄りたちは,昔の方が良かったからこれ以上の進歩はしなくていいなんて事を平気で言うのよ。」


「はい。」


先生が落ち着いたことで気を抜いて,僕がうっかりその話を褒めてしまったのが悪かったのか。それとも僕が聞きたいことを聞けた時点で,無理やり話を変えるべきだったのか。そんなことを考えながら,僕は再びヒートアップしていく彼女の話に相槌を打った。


「そりゃ偉いお年寄りの方々はそれまで生きてきたんだからいいだろうけど,若い人やこれから生まれてくる人のことも考えて下さいって話なのよ!今のままでいいって事は,今感じてる不満を感じたままずっと暮らせってことでしょ?そんなのおかしいじゃない?今の世界は,いろんな人がより良くしようと改善してきた結果なの。ある程度権力ある大人の『このままでいい』なんていう発言は歴史の冒涜であり,子どもの明るい未来を奪いかねないものでもあって,絶対に許しちゃいけないと思うのよ。」


「許せませんね。」


相槌を打ちながら僕は考えた。

先生の良いところは挙げればキリが無いくらい沢山あって,僕には迷って順位がつけられないぐらいだ。しかし,悪いところなら自信を持って一番を言える。熱くなったら話が長いところだ。もっと付き合いが長い高梨先生の中では違うかもしれないが,僕にとってはぶっちぎりの優勝である。

再び先生の話から結論を予測しなければ,この話は当分終わらないのかと思った。なのだが,さっきと違い今回のその熱は,なぜか僕が何もしなくとも自然と落ち着いていったのだ。

先生は静かな調子で優しく僕に言った。


「大丈夫だとは思うけど,あなたは将来そんな大人にはならないようにね。過去に幻想を見て思考停止するのではなく,過去から学んで,今の現実をしっかり見て,未来に希望を持って生きなさいね。私の自慢の教え子として恥ずかしくないように。」


僕は今日,四宮先生の熱い長話は真剣に聞くとすごく疲れるものだと改めて感じた。しかし面倒だと思う反面,取り繕わずに本音で話してくれる先生の様子を見て,僕は少し嬉しくも感じていた。先生が僕のことをただの子供ではなくて,一人の人間として話してくれているみたいで,何だか大人の世界を垣間見たような気分になったのだ。

高校を卒業したこれからは先生たちと会う機会もほとんど無くなってしまうだろう。しかし彼らが見ていなくても大人として,そして彼らの教え子として恥ずかしくないように生きていこうと,彼女の言葉を聞いた僕は思ったのだった。


「フフ,分かりました。」


いきなり自慢の教え子と褒めれたので,僕は少し照れてしまった。なのでついまたうっかり先生の話を褒めてしまいそうにもなったが,僕は先ほどの失敗を繰り返さないために,彼女が落ち着いている間に話を変えることにした。


「あ!あれも今では見かけませんね。」


僕は自分が住む現代には見かけないものを指差して,四宮先生に声をかけた。


「うん。あれはね。」


この時代について下調べをしていた四宮先生は,少し嬉しそうに僕にそれについての解説をしてくれた。


それからしばらくは,僕はまるで観光旅行に来たかのように目新しいものを見つけては,それについて四宮先生にあれこれ説明してもらうという楽しい時間を過ごした。これこそが僕がしたかった時間旅行だったのだ。


しかし僕は,高梨先生が過去に来てから真面目な顔で考え事をし続けていることに,少しも気を配っていなかった。思い起こせば,僕が四宮先生の熱い話を聞いている間も,この時代にしか無いものを見つけてはしゃいでいる間も,ずっと何かを考えているかのように黙っていた気がする。

先生たちの先生のいる場所に辿り着く前に,僕がそれに気づいて高梨先生に声をかければ,僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。

だがこの時の僕は,四宮先生が話すこの時代についての面白い解説に聞き入っているだけだった。


そして僕と先生たちの三人は,ある町工場の前でその男性に出会ったのだ。



つづく

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