第12話 灰色な高校生活の輝かしい終幕
高校三年生の僕(桜井 隆之介)は,夏休み明けの始業式の日に謎の未来人 広瀬 光太郎と彼が使うタイムマシンに出会った。僕はタイムマシンを使って親友の坂本 宏樹の命を救ったのだが,その後大学教授の四宮 香先生と塾講師の高梨 誠先生にそのことを気づかれてしまった。
後にタイムマシンを作る者と名乗る彼らと話すうちに,僕は彼らのことを信用できる人物であると判断し,始業式の日にあったことを伝えて彼らに協力することにした。そして彼らの研究のことを秘密にする口止め料として,僕は想いを寄せる同級生の広瀬 舞とともに,彼らの塾で勉強を教わることになった。
先生たちの指導の結果,僕たちは無事に志望する大学に合格したのだ。
僕たちは今日,高校を卒業した。
同じ高校で三年間を過ごしたクラスメイトたちと話したいこともあったが,卒業式を終えた後,僕はある用事のためにすぐに教室を抜け出した。みんなに何も言えなかったのは残念だったが,その時の僕に思い出話に浸っている暇なんて無かった。それから行おうとしていたことは,僕自身の過去と未来に関わるものだったからだ。
そして,高梨先生の車でタイムマシンがある倉庫に向かい,僕たちを待ち構えていた四宮先生と対面した。
彼女との対話を経て,事態は無事に僕が望んだ結果になった。釈然としないこともあったが,結果が良ければ全て良しである。僕は自分の大事な未来を守ることができ,全てが上手くいったのだと思った。
だが安心した矢先,新たな問題が急に現れた。
舞がそこにやって来てタイムマシンの存在を知ってしまったのだ。
具体的に言えば,それまでひた隠しにしていたはずの四宮先生たちがいきなり彼女にそれをバラしたのである。しかも,彼らは何故か詳しい説明を僕に押し付けて,舞と僕は倉庫から追い出された始末である。
寒空の下に出された僕たちは特に目的地を決めることなく,黙ったまま歩き始めた。現状はこんなところである。
事態の急変についていけなくなりそうだが,簡単に言うと今の僕は大ピンチだ。
ただでさえ,去年の夏の始業式の日には僕が隠し事をしていたことでかなり怒られたのだ。今の彼女も,僕がタイムマシンについて隠していたことを知って絶対に怒っているはず。
無言で歩きながら,どこから話そうか,どこまで話そうか,どう切り出そうか,といろいろ考えていると,舞の方から口を開いた。
「ねぇ,本当のことを教えて?」
舞は呟くように静かにそう言った。いつもならば明るく僕に話しかけてくれているので,彼女はやはり怒っていると感じた。
今まで彼女との仲を保つために勇気を出して先生たちを説得して,せっかく今の時間を守りきったというのに,こんなところで嫌われるわけにはいかない。僕はそう思って,初めて先生たちに会ってからこれまでのことを彼女に正直に話すことにした。
始業式の数日後に宏樹に言われて先生たちに会ったこと,その次の日にタイムマシンを見せてもらい彼らとノートの実験をしたこと。それからは舞とともに数ヶ月を過ごしたが,その裏で僕がそれまでの時間を改変させないために努力していたこと。そして今日,高梨先生と協力してノートを無事に過去に送り,これまでの時間を守ることができたこと。四宮先生から話す許可を得た僕は,それらを全て正直に彼女に伝えた。
僕がそれを話している間,舞は『そう。』とか『うん。』とか,短い相槌を淡々と打っていた。普段の明るく感情豊かな彼女を知っている僕にとってその反応は,それがこの後爆発するのではないかという恐怖でしかなかった。
そして僕が今日のこの瞬間までのことを話し終えた後も,彼女の静寂はしばらく続いた。いつもと違う異様な雰囲気に耐えきれなくなった僕は,彼女の怒りが爆発する前に謝罪することにした。
「本当にごめん。悪いとは思ってたんだけど,先生たちに口止めされてて言えなかったんだ。」
「何を謝ってるの?」
彼女は無表情のまま僕に尋ねた。僕はさらに正直に答えた。
「タイムマシンの存在を隠してたことだよ。夏にも宏樹のことで舞に言わずにいて,隠してたことがあっただろ?それで怒ってるんじゃないのか?」
「別に怒ってない。」
舞はまた無愛想に言った。しかしそう言われても,どう見たって普段より不機嫌なので信じられない。なので僕は,四宮先生が高梨先生の本音を聞いた時の真似をして確認することにした。
「本当に怒ってないか?」
「怒ってない。」
淡々と繰り返す彼女に,僕はさらに聞き返した。
「本当に?」
「本当に怒ってない。」
「ホントにホントか?」
僕がさらにそう聞くと,舞は強めに言い返した。
「しつこいなぁ!本当に怒るよ!」
ウザがられたみたいだったが,彼女はさっきよりは感情を出してくれた。やはり四宮先生は偉大である。
「ほら怒ってるじゃないか。」
僕がそう言うと,彼女は少し笑って答えた。
「これは違う。桜井くんがしつこ過ぎだから怒っただけ。タイムマシンを秘密にしてたことは本当に怒ってない。」
舞はそう答えた後,また静かな調子に戻って僕に尋ねた。
「でも,そんなに怒って見えた?」
「見えたよ。だからしつこく聞いたんだ。」
僕が答えると,彼女はなぜか僕に謝って言ったのだ。
「だとしたらごめん。私は自分に腹を立ててたんだと思う。」
「自分に?」
舞が僕に謝る理由もなければ,自分自身に腹を立てる理由も無いと思っていた僕は,そう言ってすぐに彼女に聞き返した。彼女はその説明を始めた。
「うん。桜井くんは夏から今までの時間を変えさせないために頑張ってたわけでしょ?でもその時の私は,自分のことばかり考えて何もしてなかったじゃない。」
真剣に話す舞のその言葉を聞いて,彼女が間違った理解をして自分を責めているのだと感じた僕は,すぐにそれを否定した。
「それは違う。舞がそう思ってるのなら,結局悪いのは僕だ。僕が何も言わなかったから,舞は何もできなかったんだ。もし僕が何か言ってれば,舞はきっと協力してくれただろ?」
僕は自分が全面的に悪いと思っていることを彼女に伝えた。どう言っても舞がそれを認めることはないだろうと思っていたが,意外にも彼女はすぐに僕の意見に賛成したのだ。
「それはそうだよ。桜井くんが何も言わなかったことも確かに良くない。」
そして彼女は僕の間違いを指摘した後,さらに話を続けた。
「それでも,私が何もしなかった事実は変わらない。私も先生たちや桜井くんと過ごした時間を大事に思ってたのに,それを守ることはあなたに丸投げしてた。たとえ桜井くんに悪いところがあったとしても,それが無かったことになるわけじゃない。」
彼女はやはり自分に落ち度があったことを主張した。
「でも,舞には知りようがなかっただろ。だから何も悪いところは無いよ。」
自分に厳しい彼女をこんな言葉で説得できるとは思っていなかったが,僕はそう言って再度彼女に非はないことを伝えた。そしてその後,僕の思った通り,舞は首を横に振って答えた。
「ううん。考えてみれば私がもっとあなたを見てれば,気付けたことはあったと思う。それで何も話してくれなかったとしても,何らかの形で応援することはできたと思う。私にも悪いところはあったのよ。」
舞がそう言った後,僕はまたそれに反論しようと思ったが,それを発する前に彼女は話を進めた。
「だからお互いに謝って,この件は終わりにしよう。これから繰り返さないようにお互い気をつければ,もっといい関係性を作れるよ。」
結局,彼女を説得はできず僕と舞のどちらも悪いという結論になったが,彼女のその言葉を聞いて僕は少し嬉しかった。
やはり彼女は自分にも他人にも厳しい人なのである。そして常に自分だけでなく,相手だけでもなく,自分と相手が共に得をする手段を探している。彼女のそんなところが,僕が一番好きなところであり,一番尊敬できる部分でもある。それが改めて実感できて,何だか嬉しかったのだ。
彼女のその気持ちを無駄にしないためにも,僕はその意見に賛成することにした。
「そうだな。それじゃあ,改めてごめん。これからは舞に隠し事はしないようにする。」
僕がそう謝ると,彼女もお礼を言って謝った。
「うん。ありがとう。私もごめんなさい。これからはもっとあなたのことを見てるようにする。」
「ハハ。照れるな。」
好きな人から『もっと見てる』なんて言われたので,そんなつもりで言ったのではないにせよ,僕は恥ずかしくて照れてしまった。
「ねぇ,覚えてる?去年の夏休み明けの日曜日,桜井くんはこのあたりで私のことを好きって言ってくれたよね?」
言われて辺りを見てみると,僕たちは以前に僕が舞に告白した場所を歩いていた。僕は彼女に言われてそのことを初めて気づいた。僕はタイムマシンのことを説明するのに集中して,歩く先なんて気にしていなかったが,知らないうちに彼女に誘導されていたのだ。
「うん,まぁ。覚えてるよ。」
覚えてはいるが,あまり思い出したい事でもないため,僕は少し曖昧に答えた。
ちょっと座ろうか。と彼女に言われて僕たちは,近くの公園に入り,そこにあるベンチに並んで座った。
彼女は僕の目を見て言った。
「ごめんね。ずっとちゃんとした返事ができなくて。あの時の返事,今してもいいかな?」
「もちろんいいよ。」
ここに連れて来られた時点でそんな話になる予感がしていたため,僕はそう言って続きを促した。すると舞は僕の目を見つめたまま話し始めた。
「私も桜井くんと同じ時間を過ごしたいって思ってる。今まであなたが頑張ってたってことを知って,その気持ちはもっと強くなった。もし桜井くんが困っていたら,一緒に乗り越えて一緒に成長していけたらいいなって私は思う。でも今のままだと,きっとまたあなたは困っていてもそれを隠して,一人で解決しようとするんだろうね。」
「そんなことない。もう隠し事はしないようにするよ。」
さすがにさっき約束したばかりの事なので,僕は彼女の意見に異議を唱えた。しかし,それに対して舞は冗談を言うように笑顔で答えた。
「どうかなぁ?桜井くんは約束をすぐ破るから。」
一度約束を破っている僕は,彼女のその少し意地悪な言葉への反論の余地がなかった。僕が言葉を詰まらせている間に,彼女はまた真面目な調子で話を続けた。
「私は楽がしたいわけじゃない。桜井くんが苦しい時は一緒に苦しんで、楽しんでる時には一緒に楽しみたいの。私はもっと桜井くんのことを知りたいし,桜井くんにも私のことを知ってもらって,隠し事をされないぐらい信頼してもらいたい。」
その後の数秒間,彼女は僕から視線を逸らした。そして,意を決したかのように再び僕の目を見た後,彼女は言った。
「何か色々言いすぎてよく分かんなくなっちゃったけど,私も桜井くんのこと好きなんだと思う。だからもし,桜井くんの気持ちが前と変わっていなければ,私を彼女にしてください。」
座ったまま軽く頭を下げて言ってくれた言葉に対し,僕も軽く頭を下げて答えた。
「うん。こちらこそお願いします。」
そうして僕たちは恋人同士になり,家に帰る舞を見送るために何となく近くの駅まで歩き始めたのだが,いざそうなると何を話していいのやら分からなかった。今までなら映画の話やどうでもいい話を延々と続けることができたが,こんな時どんな話をすればいいかが全く分からず困った。
やっぱり恋人だから手とか繋ぐのかな?だとしたら男の僕から繋ぐべきだけど,舞が嫌がったらどうしようか。
僕がそんなことを考えて迷っていると,隣を歩く彼女が少しだけ僕に近づいて,恥ずかしそうに地面を見ながら言った。
「ねぇ。手,繋がない?せっかく恋人になったんだから,それっぽいことを何もしないのも勿体ないでしょ?」
自分がちょうど考えていたことを彼女が口にしたことに僕は驚いた。そして,激しく動く心臓の鼓動を感じながらそれに答えようとした。しかしそれを実行する前に舞は,はにかんだような笑顔で言った。
「なんちゃって。四宮先生ならこんなこと言いそうだよね。」
「ハハ。確かに言いそうだな。」
同じことを思った僕はそう返した。そして胸をドキドキさせながら,黙って彼女の手を握った。
冗談として取り消したさっきの言葉は,彼女の照れ隠しだと思ったのだ。彼女が勇気を出して歩み寄ってくれた言葉をここで無駄にせず受け入れるために,僕はその手を取るべきだと思った。
そうして僕が握った彼女の手は,すぐに力を入れて向こうから握り返してくれた。僕の勇気と行動を彼女が受け入れてくれたような気がして,とても嬉しい瞬間だった。
僕たちは手を握ってぎこちない会話をしながら再び歩き始めた。
「ねぇ。さっきはいろんなこと一緒に楽しみたいって言ったけど,私たちって意見が違ったりすることも結構あるじゃない?」
「うん。いくらでもあるな。」
僕は今までの僕たちのやり取りを振り返り,そう答えて同意した。すると,なぜかとても楽しそうに彼女は語り始めた。
「だから,これから喧嘩することもあると思う。でもね,私たちならそんなことがあっても多分大丈夫。」
「何で?」
僕は彼女が自信満々に語る理由を聞いた。
「それはね,私の好きな百人一首の歌にこんな歌があるの。」
彼女はそう前置きして,好きな百人一首の歌を歌い始めた。
「『瀬を早み 岩にせかるる 滝川の』。」
上の句を言ったその声を聞いて,僕は彼女とタイミングを合わせて,同時にその歌の下の句を口に出した。
「「『われても末に あはむとぞ思ふ』。」」
「知ってたの?」
半年前まで百人一首のことをあまり知らなかった僕が,その歌を口にしたことを驚いたのであろう。彼女は目を丸くして僕にそう尋ねた。僕は得意げに答えた。
「まあね。あれからこっそり勉強してたんだよ。舞が好きな百人一首のことをもっと知りたいと思ったんだ。」
「へー。じゃあ,意味も分かってる?」
感心した様子でさらに繰り出された質問にも,僕は答えた。
「もちろん。流れが早い一つの川が岩のせいで二つに分かれた後また一つに戻るように,自分たちが今は離れ離れだとしても,いつかは一つになれると思ってる。そんな歌だよな?」
彼女は頷いて,嬉しそうに話を続けた。
「そう。私たちも今の時点で同じ気持ちなんだから,別々の気持ちになることがあっても,いつかは元に戻るだろうって思う。私はその過程も楽しんでいけたらいいなって思うな。」
「そうなるといいな。」
僕はそう言って同意した。そして彼女と手を握ったままで歩き続けた。
舞と手を繋いで歩いた時間はおよそ30分くらいだった。しかし僕には一瞬のように短く感じて,駅に着いた後その手を離すのをためらうくらい,もっと長くあってほしいと思った。
昔,物理学者のアインシュタインが言ったらしい。
『熱いストーブの上に一分間手を載せてみると,その間の時間はまるで一時間のように感じられる。でもかわいい女の子と一緒に一時間座っていると、その時間は一分間ぐらいにしか感じられないだろう。』
僕は今日それを身をもって体感した。きっと舞と手を繋いで歩いたこの30分は, 僕の今までの人生で一番短い30分だったと思う。
ただしどれだけ幸せな時間だといえ,ずっとこうしているわけにもいかない。僕は名残惜しく思いながらもその手を離した。その時の僕があまりに寂しい顔をしていたのか,彼女は別れ際の僕に優しく微笑んで言ったのだ。
「そんな寂しそうな顔をしないで。これからいくらでも会えるじゃない。」
「うん。ありがとう。気をつけて帰れよ。」
「ありがとう。桜井くんも気をつけて帰ってね。」
僕たちはそうやってお互いにお礼を言い合って帰途についた。
これで僕の長くて短い一日は終わった。同時に,卒業式を迎えた僕らの高校生活も今日で終わりである。
僕の高校三年間を思い返せば,そのほとんどはお世辞にも自慢できるものではない。部活にも入らず,だらだらと映画を見て,漫画を読み,惰眠を貪ってばかりの生活をしていた。一般的な高校生のドラマのような青春とはかけ離れたもので,色で表すなら暗い灰色だった。
しかし,この半年間はそれ以前の二年半よりもはるかに眩しく,誰にでも自慢できるものになったと思う。あの始業式の日から全てが変わったのだ。幼馴染の友達や片思いの相手との仲も深まり,尊敬できる先生にも出会うことができた。今日の幸せな時間も含めて,全てはあの日,未来から光太郎が来てくれたおかげである。
僕が今生きてるこの時間は,舞と恋人になって手を繋いだ時間であり,未来の光太郎に繋がる時間でもある。
僕が必死で掴んだこの幸福な時間は,光太郎と再会してお礼を言うまで決して手放しはしない。僕はそう心に誓って,一連の実験と高校生活を終えたのであった。
つづく
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