第4話 時間改変の可能性
俺(高梨 誠)は15年前の夏に自称天才中学生の四宮 香と出会ってから,彼女と共にタイムマシンを作り続けている個人経営の塾講師だ。当時高校二年生だった俺も今となっては32歳になっており,中学三年生だった四宮は30歳の若さで有名大学の教授をしている。
ある高校の夏休み明けの始業式の日,俺たちはそこに現れた未来人とともに,タイムマシンを使って過去に戻った高校生を発見した。その高校生に会って未来の自分たちからのメッセージを受け取ったことで,俺たちのタイムマシン開発は大きく進んだのだ。
25年後から来た未来人とともにタイムマシンを使った高校生,桜井 隆之介とファミレスで話した次の日。俺と四宮はまたもや彼の通う高校に来ていた。昨日に続いて2日連続2回目の訪問になる。四宮に至っては彼がタイムトラベルした日にも来ているので,これで3回目だ。なぜまた俺たちがその高校に来ているかというと,それは昨日,桜井 隆之介に言わなかったことがあったからだ。
俺たちは彼の下校時刻に合わせて,高校の前に停めた車の中で彼が出て来るのを待っていた。
「もう6時になるけど,本当にそろそろ出て来るの?」
疑っているように助手席の四宮が俺に聞いた。
「昨日の坂本くんが言ったことが本当ならな。」
俺は校門のあたりを眺めながら答えた。暇を持て余した彼女はさらに質問をする。
「じゃあ,昨日はなんでわざわざ公園で待ち合わせたの?」
「あぁ,あれは...。」
俺が四宮に昨日の説明をしようとしていると,自転車を押して学校から出て来る桜井 隆之介の姿が見えた。彼の想い人らしき女子も歩いて一緒に帰っており,俺は彼らを見ながら四宮に説明を続けた。
「あんな風に,好きな女の子と一緒に帰る時間を楽しみにしてたから,坂本くんが待ち合わせの時間をずらしたんだ。」
「ふーん。青春してるね。私たちができなかったような高校生らしい青春だ。」
「そうだな。」
彼らぐらいの歳の頃には,すでに四宮とともにタイムマシンを作り始めていた俺は,その意見に同意した。
「それじゃあ,迎えに行こうか。」
俺は四宮にそう言って,車を桜井 隆之介の近くまで走らせた。
「桜井くん!」
声が聞こえる距離まで近づくと,四宮は窓を開けて歩道の桜井くんに声をかけた。彼は俺たちを見ると,怪しんでいるような表情を見せながら答えた。
「何か用ですか?」
「なるべく早く話したいことがあるんだけど,時間作ってくれないかな?」
「別にダメではないですけど,今日は自転車で来てるので,家に帰るまで待っててもらっていいですか?」
四宮の頼みに対して彼はそう答えた。しかし,なるべく早く話したい俺と四宮は,二人してどうにかできないかを彼に聞き直した。
「なるべく早くがいいんだけど。」
「どこかに置いてこれないか?」
いい大人からの図々しい頼みを聞いた桜井くんは少し困った顔をしていたが,彼と一緒に帰っていた女の子がそれを見て彼に声をかけた。
「桜井くん,それなら私が乗って帰ろうか?」
「そうだな。舞が乗って帰ってくれる?」
桜井くんは彼女の提案に賛成して聞いた。
「うん,いいよ。どうせ日曜日に会うんだから,その時に返すよ。」
その女の子は当然のようにそう答え,桜井くんから自転車を任された。
「分かった,ありがとう。気をつけて帰れよ。」
彼がそう言うと助手席に座っていた四宮も窓からその女の子にお礼を言った。
「私からもありがとう。少しだけ桜井くん借りるね。」
「いえいえ,お役に立てるならいくらでもどうぞ。」
その女子は急に話しかけた四宮に対し,謙遜するようにそう答えた。
「舞,ありがとう。じゃあまた日曜日に。」
桜井くんは舞と呼ばれたその女子に別れの挨拶をすると,自分でドアを開けて俺たちの車の後部座席に乗り込んだ。そして,彼が座ってシートベルトを締めたことを確認すると,俺は車を発進させる準備をした。
「じゃあね,舞ちゃん。」
四宮は車が走りだす直前に,窓から手を振って女の子に別れを言った。
「はい,じゃあね。」
初対面の四宮に突然親しげにそう言われたその子は,首を傾げて戸惑ったような表情をしながら手を振り返して,別れの言葉を返した。
「楽しい下校時間を邪魔してごめんね。」
走行中の車内で四宮は,後部座席の桜井くんの方を向いてそう話しかけた。
「別にいいです。そんなに楽しみにしてるわけでもないですよ。」
彼は素っ気ない態度で,下校時間を楽しみにしていることを否定した。
「なかなか可愛くて優しそうな子じゃない。」
「まぁ,優しい人ですよ。」
一緒にいた女子のことを褒める四宮に,彼は口ごもりながらそう答えた。それを聞いた俺は,桜井くんはきっと恥ずかしくて俺たちに話したくはないのだろうと思ったが,四宮はそんなことは一切気にしないようで,さらにその子について楽しそうに彼に聞いた。
「あの子とはどんな関係なの?付き合ってるの?」
「その話はもういいですよ!それよりなるべく早くしたい話って何ですか?昨日のうちに話してくれれば良かったのに。」
一緒にいた女子についてしつこく聞きたがる四宮にうんざりしたような桜井くんは,強引に話を切り上げてから今日の本題について質問した。その反応も当然だろうと思った俺はそれに答えた。
「昨日じゃできない話だったんだ。長くなるし,見てもらいたいものもある。」
「僕に見てもらいたいものですか。それで,どこに向かってるんですか?」
彼からのさらなる質問に俺と四宮は答えた。
「俺たちの研究所だ。」
「私たちの家のすぐそばにあるんだよ。そんなに遠くない。」
「そうですか。」
桜井くんを乗せた俺たちの車は,それから10分ほど走って研究所に着いた。研究所と言っても,元は四宮の家が持っていた倉庫だ。だから今でも見た目は単なる大きめの倉庫。外からこれを見て,その中でタイムマシンを使っているなんて考える奴はいないだろう。俺たちがその場所を研究所にした理由はそこにあったのだ。
入り口近くの駐車場に車を停めて,俺たちは研究所に入った。すると中に入った俺たちを,3メートルから4メートルほどの高さがある金属部品の集合体が迎えた。俺と四宮にとって,それはこれまで何百回も見たものだったので特に反応もしなかったが,それを初めて見た桜井くんは驚いていた。その物体の端にある操作パネルと,ドアで閉じられた空洞部からそれが何かを察したであろう桜井くんは,すぐに俺に質問してきた。
「この大きいのがタイムマシンですか?」
「あぁ。これでも昔俺たちの先生が作ったものと比べると小さくなったもんだ。」
俺は散らかったテーブルの上を整理しながら,彼の質問に答えた。
「へー。これが本物のタイムマシン。僕に見せたいものってこれですか?」
「ううん。もっとすごいものを見せてあげる。」
四宮は桜井くんの質問にそう答えると,タイムマシンに近づいた。そしてそのタイムマシンの中央にあるドアを開けて中に入ったかと思うと,すぐに一冊のノートを持って出て来た。その表紙には今年の西暦と8月という文字が書かれており,いつも彼女が持ち歩いているものにそっくりだった。
四宮はノートを開いて中を見ながら俺たちのところへ近づくと,桜井くんの目の前で立ち止まり,黙って彼の顔を観察し始めた。自分の目の前に来て何も言わない四宮に対し,桜井くんは彼女に質問するため口を開いた。
「「そのノート,何が書いてあるんですか?」」
すると全く同じタイミングで,彼の前にいる四宮が全く同じ言葉を口にした。
「「え?何で僕が言うことが分かったんですか?」」
彼が放った次の質問でも,彼女は同時に同じ言葉を言って彼の発言に合わせてみせた。
おそらくあのノートに桜井くんがこれから話す言葉が書いてあるのだろう。四宮はノートと彼の口の動きを見ながらなんとなくで合わせているのだろうが,急にそんなことをやられた桜井くんはとても驚いて混乱している様子だった。
「「ちょっと説明してくださいよ。なんか怖いです。」」
さらに困惑し始める桜井くんにも,四宮は同時に言葉を発し続けた。
「「何が書いてあるのか見せてくださいよ。」」
彼からそう頼まれた四宮だったが,彼女は持っているノートを渡さずに,自分の言葉で彼と俺に話しかけた。
「 もう少しだけあるから待ってね。高梨くん!パス!」
桜井くんの発言に合わせていた四宮は,彼の言葉に答えた後,持っているノートを桜井くんの頭上を通るように山なりに,俺に投げ渡した。俺がそれを受け取ってノートの中を見てみると,予想通り四宮がタイミングを合わせ始めてからこれまでの桜井くんの発言が記してあった。
俺は四宮がやっていたように,ノートに続けて書いてあることを,桜井くんの口の動きに合わせて話した。
「「高梨さんまでやめてくださいよ。いったい何ですか?そのノート。 」」
すると俺たちの行動がさすがにしつこかったのか,桜井くんは少し怒った様子で,言葉を放った。それと同時に俺もノートに書いてある文章を再び口にした。
「「いい加減,いい歳の大人が二人揃って高校生をからかわないでくださいよ!」」
怒り気味の彼の言葉に,俺は自分の言葉で答えた。
「分かったよ。悪い冗談はもう終わり。でも大したことは書いてないぞ。」
俺はさすがに今の自分たちの行動が大人気ないと思ったため,ノートを彼に渡した。ちょうどノートの予知文が終わったこともその行動の理由にあった。
少し拗ねたような態度でノートを開いた彼は,そこに書いてあることをざっと見ると,拍子抜けしたように俺たちに言った。
「書いてあることを読んでただけだったんですね。」
「そうだよ。超能力者だとでも思った?」
彼の感想を聞いた四宮は,自分のバッグに入っていたノートに何かを書きながら尋ねた。
「そうは思ってませんけど,見せたいものって言って二人が勿体ぶるからもっとすごいものかと思いました。いや,これでも十分すごいですけど,僕は一応タイムトラベル経験してますからね。ちょっとやそっとじゃ驚きませんよ。」
彼は自慢げに四宮に言った。予知文が書いてあったものとそっくりなノートに何かを書き終えた様子の四宮は,それを閉じて彼の言葉に答えた。
「そういえば,あなたはタイムトラベラーだったね。でもタイムマシン本体を見たことなかったってことは,タイムマシンが物を過去に送るところは見てないんじゃない?」
「そうですね。光太郎が持ってたタイムマシンはこんなに大きくなかったです。腕時計みたいな形でした。」
「だろうね。それは私が今作ってる物だから知ってるよ。そこで,このタイムマシンを初めて見た桜井くんのために,これから実験をしようと思います。」
そう言った後,椅子に座っていた四宮は自分で何かを書き終えたノートを持って立ち上がり,タイムマシンの操作部分に近づいた。そしてタイムマシンの設定をしながら,彼女は実験の説明を始めた。
「とは言っても,もう実験は始まってたわけだけど。さっき桜井くんが話した言葉とそれに合わせて話すという命令をノートに書いて,過去の私に送ったらどうなるか?という実験ね。」
設定を終えた四宮は,自分のノートを桜井くんに見せながら説明を続ける。
「このノートは私がいつも持ってるもので,今年の8月という文字が入っているものは,本来世界に一つしかありません。でも今この場には二冊あります。それは今,桜井くんの手にあるノートが未来から送られてきたものだから。さっき,桜井くんと高梨くんがごちゃごちゃやってる間に中身はもう私が書いたから,これを今からおよそ10分前,私たちがここに来る前に送ってしまえばこの実験は完了です。」
四宮はそう言い終えると,タイムマシンのドアを開けてノートを中に置いてからそのドアを閉じた。そして操作パネルの前に再び戻って説明を再開した。
「ここのボタンを押すと,タイムマシンの中のものが設定した時間のこの場所に移動する。いいね?じゃあ押すよ。」
「ちょっと待ってください!」
四宮がタイムマシンの説明をして起動させようとしていると,それまで彼女の話を真剣な顔で聞いていた桜井くんが突然そう言って,彼女を止めた。
「どうしたの?分からないところでもあった?」
「いいえ,四宮さんが言ったことは理解できました。そのノートを過去に送ることで,さっき四宮さんたちが僕の言葉を言った現象が起こるってことですよね。」
「そう。だからノートを過去に送らないと,さっきの現象は起きないってこと。」
桜井くんが実験のことを分かっていないのかと思って説明し直した四宮だったが,彼はそんなことは分かっていると言わんばかりに,彼女の言葉に食い込み気味に自分の質問を続けた。
「だったら,それを送らなかったらどうなるんですか?未来からノートが送られてきたから四宮さんは,ノートに僕の発言を書いたわけだから,それを送らなかったら,今のこの会話は存在しなくなるんですか?」
その質問を聞くと,四宮は送ろうとしていたノートをタイムマシンから取り出してテーブルに置き直し,体を向き合わせて彼と話し始めた。
「いい質問だね。相変わらず桜井くんは勘がいい。もしかして私の心を読んでるの?」
「いえ,読んでませんよ。」
冗談で言ったつもりのことを本気で返されたことに少し笑ってから,四宮は彼に話し続けた。
「冗談だよ。そのことについては私の中でもいくつか考えがあるし,桜井くんにも聞きたかった。」
「四宮さんの考えを聞いてもいいですか?」
そう聞かれた彼女はその頼みを快諾し,タイムマシンについての自分の考えを述べ始めた。
「もちろん。私はね,過去を変えると今が改変されるって思ってる。子供の頃は過去なんて変わるはずないって思ってたけど,いろんなことをしてきた結果,実は変わってるんじゃないかって思うんだよ。」
「根拠は?」
四宮の意見を真剣に聞いていた桜井くんは,話が一区切りするとすぐに彼女に質問をした。
「これまでの人生で,私に過去を変えた記憶が無いことかな?」
「どういう意味ですか?」
四宮の抽象的な答え方に納得のいかない彼は,さらなる説明を求めた。四宮は順を追って,自分の仮説を彼に説明し始める。
「私たちはこれまでの15年間,このタイムマシンを使っていろんな実験をしてきたけど,桜井くんがさっき言ったみたいに故意に過去を変えようとした記憶がないんだよね。おかしいと思わない?それほどやってたら普通,桜井くんみたいに過去を変える実験のことを考えるよね?」
「考えなかったんですか?」
「少なくともそんなこと考えた記憶はない。それである時のタイムマシンを使った物体移動実験を終えた時から,それを考えた記憶がないことを疑問に思うようになったんだ。つまり,私がどう考えてるか分かる?桜井くん。」
四宮は教師のような聞き方で,彼に意見を求めた。彼女は昔から自分の話に夢中になるとそんな話し方になる。そんな風になるほど,この件は彼女にとって重要なものなのだろう。難しい意見を求められた桜井くんは少し考える間を置いてから答えた。
「うーん,もし僕がその状況だったら。以前にタイムマシンに使った時に,過去を変えてるんじゃないかとと考えますね。自分の記憶も含めたほとんどのものが変わってるかもしれないと考えます。」
その答えを聞いた四宮は,驚いたように目を見開いて嬉しそうに話を続けた。
「そう!やっぱりあなたの思考回路は私にピッタリだ!私もそう考えた。過去を変えるためにタイムマシンを使うたびに,世界の全てが作り変えられてるんじゃないかと思ったんだ。」
自分の予想通りの答えが返って来てテンションが上がった四宮は,その勢いで倉庫の隅にあるホワイトボードを引っ張り出して,それに何かを書く準備をし始めた。
「『世界五分前仮説』ってやつですね。」
ホワイトボードの準備をしている四宮に,彼はそう言った。
「よく知ってるね。」
「映画を見て知りました。」
四宮は彼のその知識について褒め,桜井くんもそれが当然のように話していたが,恥ずかしいことに俺はその『世界五分前仮説』という言葉に聞き覚えは無かった。知ったかぶりをするのは簡単だが,このまま話についていけなくなると困るため,俺は恥を忍んで二人に質問することにした。
「ちょっと待てよ,二人とも。俺も入れてくれ。四宮が考えた世界が作り変えられてる仮説のことは,前に説明してもらったから知ってる。でも『世界五分前仮説』って何だ?二人して常識のように話を進めてるけど,俺は分からない。話を止めて申し訳ないが,一旦説明してくれ。」
「桜井くん。説明してあげて。」
ホワイトボードに図を書いている四宮は,俺への説明を桜井くんに頼んだ。頼まれた彼は『五分前仮説』についての説明を始めた。
「『世界五分前仮説』っていうのは,さっき四宮さんが言ったみたいに,この世界の全てが五分前に作られたものかもっていう有名な仮説です。」
「有名なのか?」
四宮に聞くと,彼女は何も言わずに頷いた。
「SFの物語とかではよく引用されたりするんです。」
桜井くんは彼女の行動の補足のようなことを俺に言った。しかし,明らかにその説におかしな点があると考えた俺は,その疑問を素直に彼らに告げた。
「でも,五分以上前にも俺は確実に生きてたぞ。その記憶もあるし,運転した車やその形跡もちゃんと残ってる。」
それを聞いた四宮は何故か嬉しそうにニヤニヤしていた。ホワイトボードに図を書いているので横顔しか見えないが,ちょっとバカにされているのがハッキリと分かった。彼女のその態度には少しムッとしたが,桜井くんは彼女とは違って真面目に説明を続けてくれた。
「これを初めて聞いた人は大体そう言うんです。僕もそうでした。でも,記憶や形跡も含めた世界の全てが5分前にできたということなんですよ。全ての人間の感情とか記憶がその時に作られたものだとしたら,世界五分前仮説は誰にも否定することはできないんです。」
「なるほど。つまり世界は五分前に作られてるかもしれないってことだな。」
彼の説明を聞いた俺は,その仮説について理解できたことを口に出した。何だか情報が少しも増えていない気がするが,そう表現するしかなかったのだ。桜井くんも俺の言葉に同意したようだった。
桜井くんによる『世界五分前仮説』の説明が終わったところを見計らって,四宮はやたらと書き込まれたホワイトボードの図を使って,自分の考えの説明を再開した。
「じゃあ,高梨くんが何となく分かったところで私の話を続けよう。タイムマシンで過去を変えようとすることによって,その結果に矛盾が生じないよう世界が作り変えられているとしたら,過去は変えられると言えるよね。記憶には残らない改変のことを,過去改変と呼べるかどうかはともかく,少なくとも過去と現在の状況はタイムマシンを使うことによって変わるという結論になる。さぁ,タイムトラベラーの桜井くんは私の考えをどう思う?」
四宮は自分の考えを話し終えると,再び桜井くんに意見を求めた。
「どうとも言えないです。世界の全てが信頼できない以上,『世界五分前仮説』が証明できないのと同じでこの仮説も証明できない。確かめる方法も無いですから。」
さっきの質問とは違い,桜井くんの答えはハッキリとしたものではなかった。四宮は彼の意見を聞くためにさらに質問を続けた。
「じゃあ,あなたはどう考えてる?始業式の日には,変えないことを選んだみたいだけど,実際に過去は変えられると思う?」
「変えられるかもしれないとは思いました。でも四宮さんの考えとは少し違います。」
「聞かせてくれる?」
四宮がそう言って意見を促すと,桜井くんは自分の考えを話し始めた。
「僕は小さい頃から映画ばかり見て育ったので,タイムトラベルとか過去改変とかにとても憧れがあったんですよ。だから万が一そんな体験をするようなことがあれば,ダメと言われても僕は過去を変えたくなるだろうなと思っていたんです。」
「うんうん。」
「でも始業式の日にタイムトラベルを経験した時の僕は,そんなことは少しも思わなかった。時間の流れ通りのことを起こそうという気持ちもそれほど無かった。自分が望む結末が,時間の流れと同じだったから過去に起こったことと同じことをしたんです。だからあの経験から僕が考えた結論を言うと,人間はきっと,無意識に時間の流れを変えないような選択をするんではないかと思うんです。」
相槌を打ちながら目を離さず聞いていた四宮は,彼の話が終わると自分の考えとの違いについてまとめて,自分の解釈を彼に話した。
「分かった。私の仮説は時間の流れを変えると,世界と人間の全てが変わるというものだけど,あなたのは時間の流れに合わせて人間の考えが変わるというものってことだね。」
「そうです。あくまで僕の主観的な感想による推測なので信憑性は全くないです。それに僕が望む展開が偶然過去を変えないことにつながっただけなのかもしれない。本気で過去を変えたいと思っていれば変えられるものかもしれないとも思います。」
桜井くんは四宮の解釈について肯定した後,自分の仮説の信憑性について述べた。
「信憑性の無さについては私の仮説も同じだよ。でも桜井くんの説だと,ちょっと変なところがあると思うよ。」
四宮も自分の仮説について話して彼をフォローしたかに見えたが,彼女は彼の仮説の問題点を指摘し始めた。
「何ですか?」
「うん。桜井くんの説が正しいと仮定すると,私も例外じゃなく時間の流れに従いたくなるってことだけど,今の私はそんなこと少しも思ってない。過去を変えた結果がどうなるのか分かるのだったら,今すぐにでも変えたいと思ってるよ。」
「そうですね。確かに僕の仮説だと四宮さんが過去を変えたがってるのは変です。でも四宮さんの仮説が正しいとしても変なところがありますよ。」
桜井くんは四宮に指摘された点で,自分の仮説に不明点があることを認めたが,今度は彼が四宮の仮説に疑問を抱いている点について話し始めた。それまで四宮は何度も彼が自分に似ていると話していたが,その様子を見ると俺も同じことを思った。要はどちらも好きなことでは負けたくないんだろう。桜井くんと同じく負けず嫌いな四宮は,彼に自分の説の疑問について詳しく聞いた。
「どこ?」
「今のこの状況です。世界に一冊しか無いはずの四宮さんのノートが二冊あることがおかしいですよ。これで改変が起きていないということは,四宮さんがノートを過去に送るかもしれない時はまだ先なのかもしれません。」
「そうだよね。桜井くんの仮説を調べるにしても,確実に起こる未来を知らない限り,それを肯定することも否定することもできないね。」
それまで仮説の話を延々と話していた彼ら二人は,そこで行き詰まった。確定した未来の事象が分からない限り,人間は決まった時間の流れに沿った行動しなければいけないのか,それとも逆らうことができるのか,その判断はできないと考えたみたいだ。だが俺は,彼らが行き詰まった問題を解決する手段を密かに思いついていた。
四宮よりも先に俺が何かを見つけることは珍しいことだ。今日の彼女はどうやら,自分と同じぐらいの熱量でタイムトラベルの仮説を語り合える仲間を見つけて少し興奮しているようだ。本人が楽しいならそれはとても良いことだが,彼女にはもっと冷静に考えていてもらいたいため,俺は楽しい議論を交わしている二人の会話に割って入った。
「四宮,本当に気づいてないのか?」
「気づくって,何を?」
「仮説を語るのが楽しいのは見ていて分かるけど,今できることも考えるべきだ。俺たちが未来人の存在を知った方法を忘れたのか?」
四宮が自分で気づくように俺がヒントを出すと,彼女はすぐに気づいたようだった。俺の言葉を聞くと,いきなり大きな声を出して桜井くんを驚かせた。
「そうだよ!何で気づかなかったんだろ!?高梨くん天才じゃない?」
「今回ばかりはお前が抜けてただけだ。」
「どうしたんですか?いきなり大声出して。」
急激に驚きの表情に変わった四宮を不思議に思った桜井くんは彼女に聞いた。四宮は自分たちの仮説を証明するかもしれない手段について彼に説明を始めた。
「桜井くん,昨日も言ったと思うけど,私たちには時間移動して来たものがいつから来たのか知る手段があるんだよ。それを使って桜井くんたちを見つけたんだ。ちょっと待ってて。」
彼女は部屋の隅にあるタイムマシンと繋がったパソコンを操作して何かを印刷した後,怪訝な顔をして戻って来た。
「うーん,ノートがいつから送られて来たのか分かったのはいいけど,結局私が何で送ったのかは謎のままだ。」
「いつだったんだ?」
険しい顔をしながら戻ってきた彼女に俺がさらなる情報を求めると,彼女は自分が印刷した紙を見ながら答えた。
「3月1日。今から半年くらい後。」
「その頃何か予定とかあるか?」
四宮が告げたその日付に心当たりがなかった俺は,彼女ならあるのかと思ってそう聞いた。
「特に無いなあ。その頃にはタイムマシンは完成してて,データも揃ってきてるだろうけど。」
だが,彼女もその日付に思い当たるところは無いようだった。何か忘れていることはないかと俺と四宮が考えていると,側にいた桜井くんが何か思い出したように俺たちに話しかけた。
「3月1日っていったら,僕の高校の卒業式がそれぐらいですよ。」
「へー。」
「ふーん。」
桜井くんからの関係なさそうな発言を聞いた俺は彼に適当な相槌を打ったが,四宮もほぼ同時に同じような調子で相槌を打っていた。
「ごめんなさい。関係ないですよね。」
興味なさそうな俺と四宮の返事を聞いて,桜井くんは少し焦った様子で謝った。四宮はそれを気にせずに,それまでの情報をまとめて彼に話した。
「その日に何が起こるか分からないけど,とりあえず3月1日に私がこのノートを今日の夕方に送らなければ,桜井くんの仮説は否定されるってことだね。」
「でもその時に過去を変えたことを覚えていて,ノートが二冊あれば四宮さんの仮説も否定されますよ。」
自分の意見だけが否定されるのが悔しいと考えたのか,四宮の仮説も否定されることを桜井くんは彼女に言った。しかし,四宮は悔しい様子を少しも見せることなく明るく彼の言葉に答えた。
「その時は,二人の説が間違ってたってことが分かっていいじゃない。あとはタイムマシンを作り上げて,未来技術に関する法律を作る組織を考えながら待つだけだよ。」
自分の説が否定させることを悔しがる桜井くんと比べると,そんな言い方をする四宮はとても大人に見えた。普段二人でいると気づかなかった彼女の成長を,俺は思いもよらない場面で実感できたのだ。
「ここまで長かったな。」
これまでのことを思い出して感慨深くなった俺は,四宮にそう言った。
「うん。でも安心するのはまだ早い。タイムマシンの秘密を知ってる桜井くんの口封じをしないとね。」
誤解を招くような彼女の言い方から,自分の身の危険を感じたであろう桜井くんは,焦ったようにすぐに弁解した。
「僕は誰にも何も言いませんよ。」
「そう怖がるな。乱暴なことはしない。何か欲しいものは無いか?」
「別に無いです。何も無くても,この事は誰にも言いませんよ。」
俺の質問に対してそう答えた桜井くんに,四宮は説得の言葉をかける。
「そうはいかない。ただより高いものはないとも言うでしょ。それだけタイムマシンのことが外に漏れるわけにはいかないから,何か代償がないと私たちも安心できないんだよ。だから何かない?」
「そう言われても,無いものは無いです。」
「まぁ,そう言うんじゃないかと思って私たちも考えてるよ。桜井くん,受験生でしょ?私と高梨くんが特別にタダで勉強を教えてあげる。」
何と聞いても欲しいものは特にないと答える桜井くんに,それを予想していた彼女は彼にそう提案した。
「え!いいんですか?二人とも立派な先生なのに。」
桜井くんは想定外のその提案に対して四宮に聞き返し,彼女はさらに答える。
「いいよ。仕事で教えてる以上の力で教えてあげるから,桜井くんさえ頑張ればたいていのところには入れると思って大丈夫。それと,彼女も一緒に連れて来ていいからね。」
「彼女って誰のことですか?」
突然四宮が話題に出した彼女という言葉について,桜井くんはとぼけるようにそう尋ねた。四宮はそれに対して楽しそうに説明する。
「もう,分かってるくせに。さっき学校から一緒に帰ってた子だよ。桜井くんの代わりに自転車で帰った。」
とぼけても誤魔化せないことを悟った桜井くんは,観念して四宮にその女子のことを説明する。
「はい,分かってます。彼女ではないですけどね。広瀬 舞っていう子ですよ。」
「その子も始業式の日の騒動の関係者だったよね?」
「はい。その後,宏樹を加えた三人で説教されたうちの一人ですよ。」
「なら文句ない。それで口止めの交換条件は,私たちが勉強を教えるってことでOKだよね?」
「舞が来るかどうかはわかりませんけど,僕はOKですよ。それじゃあ月曜日から来ていいですか?」
彼のその質問には俺が答えた。来週になるともう四宮の夏休みが明けているため,彼が放課後ここに来ても誰もいないからだ。
「いや,学校終わりで来るのなら塾の方に来てくれ。夕方とかだと四宮も帰ってないだろうから。」
そして,その俺の答えに四宮が補足の言葉を付け加えた。
「それから,できたら日曜日にまた来てくれる?受験勉強を教えるためにも,目標とか方針はちゃんと聞いておきたい。日曜日にあの子と会う約束もしてるんでしょ?」
「いいですよ。舞のことは約束できませんけどね。」
彼が日曜日に会う約束を了承すると,四宮は締めくくりの言葉を彼にかけた。
「うん。じゃあ日曜日にまた会おう。好きな子とのデートもいいけど,受験生なら勉強もしっかりね。」
「分かってます。やり残したことを全部終わらせて,来週からはちゃんと勉強するつもりです。」
四宮にそう返事をしながら,彼は帰り支度を始めていた。俺はそれが終わったタイミングで,車の鍵を取って彼に声をかけた。
「準備できたなら俺が家まで送ろう。」
桜井くんはお礼を言って,俺の後に続いて倉庫から外に出た。
「ありがとう,高梨くん。気をつけてね。またね桜井くん。」
そう言いながら入口の近くで手を振る四宮に見送られた後,俺は桜井くんを助手席に乗せて車を発進させた。彼の家はそれほど遠くもなかったが終始無言なのも気まずいため,俺から当たり障りのない会話を始めた。
「桜井くん,勉強についてはどうなんだ?どのくらいできる?」
「そうですね。今年の初めまでは中の下ぐらいだったんですけど,少し前から友達と一緒に勉強し始めたんで,平均よりできるくらいになったと思います。」
「そうか。今の時点で平均あれば十分だ。勉強の仕方次第では,これから冬までの間でどんどん伸びるからな。やり方は俺と四宮がサポートしてやる。」
「ありがとうございます。」
「でも,本気で勉強すればの話だからな。俺たちを当てにし過ぎるなよ。勉強するのはお前自身なんだから,いつまでも夏休み気分で遊んでたら成績も上がらないぞ。」
「分かってますって。日曜日にちゃんとけじめをつけたら,勉強に専念します。」
「それさっきも言ってたな。一体日曜日に何をするんだ?」
彼は俺の質問に少し間を置いてから答えた。
「友達の女子に好きだって伝えようと思うんです。うやむやのまま大学受験モードに入ったら,気持ちを伝える機会が無くなりそうですし,それを不安に思いながら勉強するのもきっと良くないと思うから。」
俺は彼の意外な答えに驚いた。出会ったばかりの俺にそんなことを言うとは思わなかったからだ。おそらく彼は,四宮と暮らしている俺の姿を見て何か告白のアドバイスをもらえるとでも思ったのだろう。
しかし俺は,その問いにうまく答えられる自信が無かった。俺が彼の歳の頃にはもう四宮とタイムマシンを作り始めていたので,特に告白というものをしたことが無いからだ。常に一緒に何かしていたので,改めてそんなことを話したことが無い。一緒に暮らすことになった時も,ゴタゴタ騒動の中での成り行きだった。
だがそんな経験がないからと言って,勇気を出して相談してくれた少年の気持ちを踏みにじるわけにもいかない。どうしたものかと運転しながら数秒考えた結果,俺と四宮の先生であり俺がタイムマシンを作り始めるきっかけにもなった東郷先生の言葉を引用させてもらって答えることにした。
「お前が今やりたいようにすればいい。今年大学に合格するために,今の気持ちを諦めるってのは確かに勿体無いとも思う。さっきは発破をかけるために厳しいことを言ったが,お前の今の気持ちは今しかないものだ。大学なんて一年後にも二年後にもある。俺も一年や二年ならお前に付き合うこともできる。金とか時間とか,そんなこと子供のうちは気にするな。大人になればいずれ考えなきゃいけなくなるんだから,今は大人に甘えて好きなことだけやってればいい。俺も昔はそうだった。」
彼の期待に上手く応えられたかどうかは分からないが,彼のような甘酸っぱい青春の経験が無い俺にはそんな風に彼を応援するのが精一杯だった。だが先生の言葉を引用したからと言って,俺から出たその言葉は嘘ではない。東郷先生ならこう言うだろうなと思う言葉を言いながら,そんな気持ちが自分にもあることに気づいて,四宮だけではなく俺も大人になったなとしみじみ感じた。
「そうですか。じゃあ,自分の気持ちに素直になって頑張ってみます。」
「だからって手を抜いていいわけじゃないからな。大学合格も早いに越したことはない。お前の告白も,お前とお前が好きな子の受験も,タイムマシンも未来技術管理の組織も,全部上手くいくのが一番だ。」
甘やかしすぎな気もしたため念のため注意をしたが,彼はしっかり理解できているように,素直に答えた。
「はい!自分なりの全力で頑張ります。」
「いい返事だ。」
彼の相談に答えているうちに,俺たちは彼の家の前に着いた。彼を下ろして別れると,俺は来た道を戻って真っ直ぐ自宅に帰った。
昨日タイムマシンを作る上での問題が解決したかと思えば,今日は桜井くんたちの受験と過去改変のノートという新たな問題が出て来た。相変わらず謎や問題だらけでうんざりするが,振り返ってみれば予想がつかず面白い日々だ。そんな日常に終わりが近づいていることを少し寂しく思いながら,俺は四宮が待つ家に戻ったのだった。
つづく
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