サツキとメイ

「お母さん血をいっぱい吐いたんでしょう?大丈夫?」

「えぇ,大丈夫よ」

「…お母さん,死んじゃうの?」

「そうね、でも違う世界に行くだけだと思うの。どうやら先に行くことになるみたいだけど、あなたたちはゆっくりこっちにやってくるのよ。私の分も人生を楽しみなさい」

「お母さん…」

 実際の会話はどんなものであるのか分からない。波にのまれた保護者の収容された病院に生徒の付き添いで来ただけだ。隔離された母親にビニール越しに話しかける姉妹の姿は、七国山病院で母を見舞ったメイと私の姿にだぶって見えた。実際は結核でなく残留放射線のためだがどうしても結核の母が隔離された姿を思い出してしまう。

 メイは母を奪った病気から皆を守るんだと看護大学に進んでいるが、私はどうしても病気を敵とは思えない。母は病気と戦っていたけど,その死を負けととらえては浮かばれない。母は絶対負けてはいない。病気を受け入れて、ともに生きる境地に到ったのだと思う。それがどんなものなのかは私には分からない。でもそれの追求に一生を捧げてきた。闇に沈みたくはない。

 福島に今は来ているが,福島の学校の教員ではない。メイのつなげてくれたご縁でボランティアで福島の子ども達のお勉強の手伝いをしている。本来は私立の中高一貫校の教諭だ。数学を教えている。闇に沈む子ども達を何とかクラヤミから救い出し,自分の手と頭でたゆんで欲しいと応援している。口癖は「Do!やってみな晴れ!」だ。クラヤミは誰にでもある。でも自分の闇の世界と日の当たる世界の間にシメキリをこさえて,あることを隠してしまう。ないことを数えるよりは…。数えなくても良いが隠すことはない。

 新学期生徒に最初に聞くことがある。人はどういう時に足し算・引き算で大きさを表し,どういう時にかけ算・割り算で表そうとするのか?シメキリで守られていた世界にいきなりカウンターパンチを食らったみたいになって泣き出しそうになる。実際泣き出す子もいる。

「試験に出ることを教えてください。無駄な話はやめてください」

無駄なのか、答えられないままで良いのか?塾での成績は良かった子に多い。一所懸命でることだけ覚えてきたんだろう。一生懸命ではないし,考えてもいない。ただたゆんでみれば良いだけなのに。

 でも分かるって素晴らしい。分かっていることをどんどんそぎ落としていって本当には分かっていない部分を暴き出す。無知のち晴れ?歩くの大好きどんどん行こう。ずっと歌ってきた。そして,言いあてる言葉を見つけだせたときは天にも昇りたくなる。実際にはできないから人に話してなんとか落ち着かせようとする。若いときは苦労した。

「なんでこんなことも分からないの?」

分かっていないのは私の方だった。いまでも本当には分かっていないかもしれない。でも正しいことを教えなければ行けないという呪縛から逃れると息が継げるようになってきた。

「正しいと思っていることを教えるから,皆は先生が誤っていたら遠慮なく教えてね」

面白いもので世界が変わった。板書の間違いや計算間違いはお恥ずかしいですがいつものこと。でも一緒にたゆむ姿勢は共感を呼んでくれるらしく,生徒のノートを見た塾や予備校の先生からお手紙をいただくこともある。逆もしょっちゅうだ。むしろ多いかもしれない。生徒が予備校でこんなことを習ったといってくれるので参考にしたいときはその旨と改善点を提案してきた。またお返事が来て,もう待てなくて実際に会ってみたりして,そうこうしているうちに,もうすっかりおばさんだ。お婆さんとは言わせない。

 ここに保護者会に用意した文章がある。題は「こころざし」とつけようと思う。


 心は見えないけれどこころざしは見える。東北大震災の時何度もCMで目にした。被災者の方が炊き出しで暖かいものを口にしてこう言っていた。「味だけでなく真心が入っているからこのカレーは最高だ。」,「気持ちも暖かくなる。大事にされていると思う。」

 この言葉は真実だ。それなのに何度繰り返しても足りないくらいだ。心の中のシメキリを取り除かなければ状況は変わらない。広島,信州,…何度も新たに被災地のリストに加わるのを見てきた。震災は新災であり続ける。心災の文字の方が相応しいくらいだ。

 だからといって心に厳しさを求めても長続きはしない。どこか無理のある行動はそれこそこころざしになっていないから,見えはするけど見栄にみえる。

 それでも「どーせむり」という言葉を口にしてしまうかもしれない。ロケットに必要なマグネットを作る植松電気の植松努さんは,この言葉は人の自信と可能性を奪うおそろしい言葉だといっている。でもこれを唱えるだけで何もしなくて済んでしまうから,とっても楽チンになれる恐ろしい言葉だそうです。自信をなくしてしまった人は,人の自信をなくしてしまうばかりか,他の人の自信を奪ってしまう。自分の未来や可能性を諦めてしまった人は,最期には人を殺して奪おうとするそうです。実際に世界じゅうで起きていることだけにぞっとします。自由をこんなことにつかってはいけない。

 北風と太陽の話に習いたい。ぽかぽか心から込み上げて来るものには嘘はない。鹿児島実業の新体操をご覧になったことがあるだろうか?見れば自然と楽しくなり,同時に男子新体操が抱えている問題を自分のことと思える。自分をクラヤミにシメキリさせないで自分にできることを考える。この文章が始めの一歩だ。やってみな晴れ!


こころざしは私達の心とともに。

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