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 車椅子生活になりYゼミも昨年5月に首になった。酷くはない。Yゼミ自体が大幅縮小で多くの同僚が解雇されている。まだ私はD大学の推薦合格者の入学前通信添削講座などをやらされていたので、つなぎとどめていただいたほうだと思う。解雇と書いたが我々講師は雇われた労働者ではない。芸能を売る自営業者なので、売るものに魅力がなければ仕事がなくなるだけである。職員がお粗末な仕事をして大学から叱責されたり、添削がわけわからないと学生からクレームがつくと私のような障害者でも声がかかる。SはYと違い有能な職員が多いので上手だ。治ったら戻ってきてくださいねで治ったよで電話したら、車椅子では残念ながら治ったといえません、いや父兄がね。クレームがつくと私たちが答えられなくて困ってしまうんですよ。実に上手い。耳の不自由な人を運転手に雇った西東京バスの英断を讃えたい。

 じゃ何をして食いつないでいるのか?受験シーズンなら赤本執筆者・校閲者だ。解答解説を書くのではなく、上がってきた原稿を監督するのだ。教学社しっかりしているでしょう?満点のコツの次の課程にむけて研究も欠かせない。マークは駄目だ記述だという安易な議論があるが、センター試験の作成部会がどんな仕事をしているのか見ている人は少ない。私の原稿を見ていただきたい。


 選択問題の難しさは平面幾何<確率<<<整数か。高校教員「分量は適切であるが、内心の間の距離を求める問題は難しいと思われる」は当たっているのか?でも教育団体意見も「円の接線、内接円の半径と三角形の面積、三平方の定理等に関する設問として、計算力と数学的思考力を問うバランスが良い。問題文から図を丁寧にことで解答に至ることができるよう誘導が工夫されている。しかし、内心間の距離については、数学的思考力を正当に評価するためと言えども、適切な誘導がないことで急に難易度が高くなっている」となっている。


 こんな具合です。それは丁寧な議論をしているでしょう。マークか?記述か?の先のマークでどこまでできるのかという段階に議論が進んでいる。東大がセンター試験に変わる新テストで民間試験を利用しないと言っているが、利用しないよりも大学入試センターの議論を信用しているということではないだろうか?

 だが、それにしても「書く」は「描く」じゃないのか。赤本も「数」学社ではなく「教」学社だ。高校のとき古文の木村先生に漢字の用法について口を酸っぱくしていわれた。「じゅっページじゃなく、じっページ!立っとれ」どうでもいいじゃないか?きむじいの怒りが降ってくるぞ。とかくキムはおっかない。

 でも木村先生は味わい深い話をしてくださった。お前達無駄に生きてはいかん。お前達は先に生まれる競走に勝っただけだ。つい最近まで子供は若くして亡くなることもあるのが普通じゃった。5人ぐらい産んで2人ぐらい大人になってくれればいいというのが親たちの戦略だったのじゃ。こないだも戦争があったしの。医療の進歩で子供が亡くなることは少なくなった。子供は1人か2人でいいか。そんな家庭の余裕の枠にお前達がたまたま入り込めただけなんじゃ。先に生まれただけ。後から生まれてともに戦おうとした仲間達の分まで生きているのか、考えよ。きむじいは我らの心の中に。

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