路傍のいし

どこに旅立つのかはわからなくても、どこからどこにに旅立ったのかは分かります。


 うちのお坊様によれば、人間はお借りした肉体で人生を全うし、死をもってお返しするのだという。元気な頃は故人への想いをかりても、そういうものかねと想像するのがやっとだったが、入院中のいま妙に実感をもつ。

 人は入院して元気になって自分を回復し、社会に復帰する。私のいる科は回復期病棟と言われているが、まわりを見渡すといったい回復する気あるのか?と思えてくる。ガーゼを交換したほうが治りが早いと言っても痛いから嫌だ。起きてリハビリしようといっても、昨日やったからいいという。一日中寝てばかりいて、夜には睡眠薬まで頼む。あなたの肉体,神様にお返ししたいの?もういらないの?と思えてくる。

 これはまだお茶目な爺という感じで可愛いものだが、心が蝕まれてくると怖い。夜中に独りベットの上で立ち上がり、行き場を探してうろうろしたりする。灯りを落とした真っ暗な病室で、焦点の定まらない二つの眼が鈍く光ながらあっちへこっちへとさまようさまを想像してほしい。ナースコールを握りしめ、本当に凍りつく。

 神様どうか私にはこの肉体をまだ貸しておいてください。やり残したことが一杯あります。お返ししたくありません。戻ってこいと訪ねてくれる友人もいます。正直毎日こう叫びながら生きております。こっちに戻ってこいと声かけよろしくお願いします!


 神様がかえしてくれたのか?いまの文はテケテケものがたりを書いていたときの立川の病院での日記だ。昨日のdeparturesは先月湘南台の病院に入院していたときのものだ。どこからどこへがはっきり分かる。私は神様に願っているのだが、実際には婆ちゃんや親父がやってくる。それも神様の意思や現世の人の望みを叶えるためではなく、冥界の縁者の意思として。路傍の石、遺志、意思。

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