一章八話
「ユリ!ちょうど良かった。部員全員で春休みちょっと出かけない?って話をしてたんだけど斎藤ってばね」
ロングブーツを鳴らしながら、緑の黒髪の女性が侑里に迫る。
「『菊川先輩は四月から大学六年生になるんですからそういうことをしている場合ではないと思います』」
黒髪の女性――菊川の台詞を、自分の部分だけ斎藤が言った。
「って言いやがるのよ。失礼だと思わない?」
部室の扉を開けたばかりの侑里の目の前に、菊川が立つ。
「菊川さん……」
菊川雅。文学愛好会に所属する最年長の学生。夏ごろに留学を終え帰国、実はその二年前にも留年した――侑里は「そのせいで斎藤が部長なのだ」と萌子から入部時に聞かされた――政治学部の「三年生」。後輩たちへの教え方が分かりやすく、180cm近い長身にメリハリのついた肉体、本人の華のある雰囲気も相まって、侑里や部の中学生たちはよく菊川を頼る。萌子も時折菊川に政治学のことを訊きに行くことがある。
「ねぇ、ユリはどう思う?斎藤の味方?それとも私と出かけたい?」
「菊川さん、私はですね……」
菊川が詰め寄りながら侑里に畳みかけ、侑里は少し後ずさる。菊川と侑里との身長差は40cm以上ある。目線を合わせて少し菊川がかがむのだが、顔が近い分迫力が増す。侑里の目から菊川の長いまつげがよく見える。菊川が威圧感を感じさせる要因はそれだけではない。
「早く答えないと、ブスっとやってガブっといくわよ」
菊川の角と歯が光ったように見えた。侑里はごくりとツバをのむ。朱色の肌、全身に刻まれている白い文様。大きな二本の角に鋭い犬歯。菊川のことを端的に言えば、昔話に出てくる鬼の見た目をしているわけである。黒いジャケットと脛ほどの丈の暗緑色のロングスカートがよく似合うと侑里は思いながら叫ぶように言った。
「菊川さんと一緒にお出かけしたいです!」
「よろしい。兼部連中は不参加でも良いとして、後は榊の野郎と中学生連中の首を縦に振らせればイケるわね……」
満足そうに頷き背筋を伸ばして、後半は独り言のように言う菊川から目をそらし、侑里は小さく息を吐く。
「あれ?萌子も行くんですか?」
斎藤の外堀を埋めれば否応なしに参加するだろうという意の呟きだとすると、萌子のことが気になる。つい先日も春休みに出るらしい課題の山に嘆息すると侑里に言っていたからだ。
「萌子も行くわよ」
「来年になるともっと行けなくなっちゃうから最後のチャンスかなって思って」
萌子が菊川の後ろから言った。確かに来年の四月は侑里も萌子も三年生だ。行くなら今年だろう。
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