少女よ、”文武両道”を目指せ!
秋も深まり、萱場・佐倉ペアは混合ダブルスオリンピック出場に向け、全国の各大会を転戦した。萱場は団体メンバーも外れ、混合ダブルス一本に絞った。日奈は学校を休まざるを得ない日も結構あったが、遠征から戻ると懇切丁寧な先生方の補習が待っていた。日奈にとってはあまりありがたくないようなのだが。
萱場は、補習だけは絶対に出られるようにと練習スケジュールを組んでくれた。萱場は勉強にはうるさかった。
日奈は、あまりの萱場の口うるささに、ついはずみでこんなことを言ってしまったことがあった。
「タイスケさんだってタンクローリー運転するだけの仕事じゃないですか?勉強なんて、関係ないですよね?」
口にしてから、日奈は、あ、何て事を言ってしまったんだろう、と突然オロオロし始める。
萱場はそんな日奈の様子を見て、正直な奴だな、と嫌ともなんとも思わなかった。却って日奈を思いやって、柔らかな顔で静かに、諭すように話してやった。
「日奈、Flash Pointって、分かるか?」
「え?フラッシュ・ポイント?・・・・」
「引火点だ。じゃあ、Pour Pointは?」
「・・・分かりません・・・」
「流動点。俺らが運ぶ灯油とか石油全般が、これ以上温度が下がったら固形化し始める、という境目の温度のことだ。SPEC、って言って、石油製品の品質表示は、全て英語だ。荷主さんから貰ったそのSPECを、俺らは納入先にも説明する責任がある」
「・・・・・・」
「もし、Pour Pointが極端に高い粗悪な灯油だった場合、単に俺が届けた何KLの品物だけの問題じゃない。納入先の貯蔵タンクにその粗悪品が混じれば、タンク全体が台無しになる」
「・・・・・・・はい」
「金の話で済めばまだ、いい。最悪、東城トランスポートが弁済すれば何とかなる話だ。けれども、SPECによっては、火災や重大な事故につながり、人命にかかわる。
そうなると・・・もう、誰が何をやっても、取り返しがつかない・・・」
「すみません・・・・」
萱場は、軽く首を振る。
「日奈が謝ることない。日奈はストレートに、「仕事」とか「勉強」とかに対する疑問をぶつけてくれだだけだ。
英語だけじゃないぞ。石油製品には複雑な税金体系があって、伝票を切るだけでも計算が大変だ。それに、わざとじゃなくて、計算を間違えただけでも脱税容疑で刑事罰を受けるケースだってある。数学は決して机上の学問じゃない、ってことを、俺は逆に学者どもに教えてやりたいくらいだ」
日奈は、いつもの元気良さが消え、しおらしく萱場の話を聞いている。
「現場の仕事、ってのは、こういった頭をフル回転させることを、体を動かしながらやらなくちゃいけない。現場仕事は全部そうだが・・・俺の場合のタンクローリーの運転も緊張の連続だ。それから、納入先のタンクに灯油を入れる作業も、本当に緊張する。体も酷使する。
だから、日奈には、将来仕事に就いて、‘苦しい!’って時にも楽に脳みそが回転するように‘訓練’しておいて欲しいんだ・・・」
「・・・ありがとうございます・・・」
「これは、‘お母さん’になる時だってそうだよ。母親ってのは、常に体を動かし、赤ちゃんの様子にも気を配りながら、頭をフル回転させて、時には不眠・不休で世話をしなくちゃいけない。そんな時に、「文武両道」じゃないとだめだろ?」
「え、文武両道?」
「そう。文武両道。みんな‘勉強とスポーツの両立’みたいに勘違いしてるけど、ほんとはどんな人でもやってることだよ」
「たとえば?」
「うーん、‘母親道’なるものを「武」とすると、育児書を読んで離乳食の知識をつけたり、お姑さんに教えを乞うのが「文」、とか」
「あ、なるほど」
日奈はいつの間にか、普段の彼女に戻っている。
「それに、バドミントンだってそうだよ。相手と対峙してラリーしてる瞬間が「武」だとしたら、俺と日奈とで必死にフォーメーションの打合せをするのが「文」とかな。
文武両道、っていうよりは、文武一体、と言った方がしっくりくるかな」
日奈は目をきらきらさせて、萱場の顔を覗き込んでいる。
「タイスケさんって、体育会馬鹿じゃなかったんですね!」
萱場は、はあっ、と息を吐く。
「・・・日奈のそういう馬鹿正直なところを悪く言う人が出て来ないか、心配だ。まあ、別に悪く言われたって、‘だからどうした’、って思ってればいいことだけどな」
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