33.真実と犠牲
スマートフォンに見知らぬIDからのメッセージが入っていた。
見知らぬIDだが、送り主はすぐに分かった。
『クレアーレの店主です。最後のお別れに参りました。お店で待っています。すぐに来てください。お店はこの間の場所にあります』
……とうとう最後のようだ。
私は着替えてリビングに下りる。
母と茉菜が朝ごはんの用意をしていた。
「莉菜?どうしたの?学校は?」
母が私服姿の私に聞いた。
茉菜は不思議そうに私を見ている。
「お母さん、茉菜、大切なお話があります」
そう言ったとたんに、私の頬に涙が流れていた。
母と茉菜の表情が一気に変わる。
もう言わなくても分かったのだろう。
母と茉菜は私に近づきそして三人で抱き合った。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん」
茉菜が私を呼び、大声で泣き出した。
「莉菜……ごめんね……出来ることなら私が変わりたい」
母は静かに泣きながらそう言ってくれた。
「今まで、今まで、ありがとう」
泣き声だったけど、はっきりと言えた。
そして、私は二人から離れた。
「嫌!お姉ちゃん!どこにも行かないで!私、もっといい子になるから!お姉ちゃんのこと困らせたりしないから!」
茉菜がそう言ってくれた。
そんな茉菜を母を抱きして、
「茉菜ちゃん」
と一言だけ言った。
私は言いたくない一言を口にした。
「さようなら……」
三人で大声で泣いた。
そして、私は玄関に向かう。
じっと見つめる母と茉菜に精一杯の笑顔を見せて。
もう二度とここには戻れない。
もう二度と母と茉菜に会うことが出来ない。
そう思いながら、玄関の扉を開いた。
私、最後の最後まで親不孝な娘だったのだと自覚しながら、家を出た。
家の中で二人が大声で泣いているのが聞こえたきた。
私は目を閉じ、そして、目を開いた。
家の玄関から見る、最後の海。
町は桜が咲き誇り、綺麗な春色で染まっている。
しかし、私の目に見える色は、白と黒だった。
最後の最後までこの世界は色付かなかった。
私はゆっくりとお店に向かう。
お店の前で立ち止まる。
最後にもう一度だけ、彼の声が聞きたい。
……でも……もう二度と会えない……
声を聞いてどうするの?
自分に問いかける。
声は聞きたいけど、辛くなるだけ。だから止めた。
そして、お店に足を踏み入れた。
お店に並んでいる、商品をすべて叩き割りたいという衝動に駆られる。
なんとも陳腐で無意味な衝動だろうか……
そんなことを思っていると、
お店の奥から、あの女性が現れた。
少し驚いた。
女性の目が腫れていた。
涙を流した後だと分かった。
この女性でも泣くことがあるんだと思った。
「わざわざ、お越しいただきありがとうございます」
女性の声が少しかすれている。
「いえ、覚悟なんかは最後まで出来ませんでした。だから、出来れば気付かないうちに消してください」
時間を掛けるとかは耐えられそうにない。
「……最後に、聞かせてもらえませんか?」
女性は整理された食器類を手で触れながらそう言った。
「何をですか?」
私は少し怖かった。
もしかしたら、また心がかき乱されるのではないか?
消えたくないと思う気持ちが強くなるのではないか?
そんな底知れぬ不安があった。
「……どうして……どうして、あなたはこの世界を選んだのですか?」
女性は依然、食器類に触れている。
この世界を選んだ理由なんて……
そんなの決まっている。
向こうの世界に、私の大切な人は居ない。
母や妹が居るが、それは私の本当の家族ではない。
だから、この世界を選んだ。
それに、私が向こうの世界を選んでしまったら、あの子は消える。
あの子を犠牲にして、あの子の家族と一緒に暮らすなんて、私には出来ない。
私のせいで誰かが犠牲になるのは、もう二度と体験などしたくない。
「この世界を選んだ理由なんて、一つや二つではありません」
私は正直に答えた。
「それでも、お聞かせ願えませんか?」
女性は、食器類から手を離し、私を見ている。
「……私の大切な人は、向こうの世界には居ません。それに、私はもう二度と、誰かを犠牲にしたくありません」
ねぇ、もういいでしょ?
早く私を消して。
これ以上、母や茉菜、花楓や彼の事を考えてしまったら……
私は消えたくなくなってしまう。
そうなる前にお願い……私を消して。
「誰かを犠牲に……とは、もう一人のあなたですか?」
「他に!他に誰がいるというの!」
とうとう感情が高ぶってしまった。
「やはり、あなたもそうですか……」
女性は複雑な笑みを浮かべる。
それは悲しそうでもあり、何か諦めたような感じだった。
「それでは……」
ついにその時が来たようだ……
私は目を閉じて、何も考えないようにした。
「……そろそろ、お話しましょう」
……
「え?」
私は目を開いて、女性を見た。
女性は何をすることもなく、ただ私だけを見つめている。
「……もう、すべては終わりました」
女性の言っている意味が良く分からなかった。
「どういう意味ですか?」
聞き返す。
「……そのままの意味です」
やっぱり分からない。
「ごめんなさい。終わったのは分かりました。それで、いつ私は消えるのでしょうか?」
自分で消えるとか何度も言いたくない。
「淘汰?そんなものは起きません。あれは、私の作り話です」
……
「え?」
頭が混乱してきた。
「ど、どういう事ですか?」
頭が整理できない。
「そのままの意味です」
また、その言葉!
「淘汰は作り話……それでは、一体この現象は何なんですか?」
強い口調で聞く。
「まずは、これを」
女性は一つの封筒を手渡した。
「読んでください。そこに全て書いています」
そう言うと、女性はレジにある椅子に座り込み、泣き出した。
「え?どうして?泣いているのですか?」
私が女性に聞くと、
「……あなたには、本当に悪いと思いました。ですが、これは私の長年の夢だったのです。なのに……失敗に終わりました……」
そう言うと、大声で泣き出した。
さっぱり意味が分からない。
私はそんな彼女を横目に封筒の中身の手紙を取り出す。
手紙には、見覚えのある字でこう書かれていた。
『樋川莉菜様
この手紙を読んでいるということは、全てが終ったということですね。
まずはあなたに謝らないといけませんね。
本当にごめんなさい。
この現象は全て私のせいで起きたようです。
だから、責めるのなら私を責めてください。
あなたにとっては、随分と分からないことだらけだったと思います。
だから、ここに全部書いておきますね。
まず、初めにこの現象は、ある一人の女性が始めました。
信じられないかも知れませんが……
でも実際に体験した、あなたなら信じられるのではないでしょうか?
本当は誰が起こしたかは書きたくなかったのですが、あなたには真実を伝えないと駄目だと思い、伝えます。
この現象は、私の妹の茉菜が引き起こしました。妹と言っても、少し大きくなった妹です。
そうです、今、あなたの目の前に居る?居るのかな?分からないから、この手紙を手渡した女性が茉菜です。
では、どうしてこんな事をしたのかと言うことですが、
実は、私は近い将来、死んでしまいます。
これを読んでいる頃には私は死んでいます。
心臓の病気で、一年の秋に移植手術を受けたのですが、その心臓が私たちの世界の心臓では無かったの。そのために上手に適合せず、薬でなんとか持たせていました。
一度、移植手術を受けたので、次のドナーが見つかるまではどうしても持ちません。私の運命は決まっていたのです。
だから、茉菜はこんな事をしたのです。
もし、私とあなたが入れ替われば、あなたが死んで、私が生き残ったでしょう。
あなたの選択は正しかったのです。
別の世界など望んではいけなかったのです。
こんなことを軽く言っているみたいですが、
茉菜にとっては、私がすべてだったんです。
だから、茉菜を責めないで。私を責めて。
それでも、やっぱり、こんな事は許される事ではないですよね。
本当にごめんなさい。
それに、実は最近、あなたの今の精神状態をあることがきっかけで、知ってしまいました。
それは全て私のせいですね。
私はあなたに償っても償いきれないほどのことをしてしまったのだと思っています。
単なる言い訳になりますが、
私も初めは気づきませんでした。
だけど、あのノート書いた頃ぐらいから、うすうす、気付き始めました。
だから、せめてもの罪滅ぼしのつもりで、あなたの力になれればと思い、入れ替わった時には出来るだけ、動いたつもりです。
もちろん、そんなことで、許されるとは思ってはいません。
だけど、あなたがこれから生きる上で、大切なものは何なのかは、すぐに分かります。
だって私と同じ筈ですから。
茉菜やお母さん、花楓さんや京君。
あなたの大切な人たち。
合っていますよね。
あ、そうだ、今まで黙っていたことがあります。
告白すると、あなたが京君とデートした時、入れ替わりましたよね。
あの後、京君にキスされました。
そして、ごめんなさい。
私も京君が好きになりました。
黙っていてごめんなさい。
だって、あなたと同じなんだから好きになっちゃうよ。
でも、許してくれると嬉しいです。
あと、入れ替わりの件ですが、発生基準はあなたです。
鏡を見たら、不定期に発生します。
でも、秋からは無かったですよね?
それは、ある条件が欠けていたからです。
その条件とは、あなたと私が、ある程度同じ状態にあるときにしか発生しません。
一番わかりやすく言えば、同じ服装の時とかですね。
それは当然と言えば当然ですね。
だって違う服装だと入れ替わった時、すぐ周りがおかしいと思われますよね。
そして、私はあのデートの後から入院していましたから。
つまり、病院のパジャマを着ていました。だから、発生しなかったのです。
分かってしまえば、単純でしたね。
単純と言いましたけど、
この現象を起こす方法は、はっきり言ってわかりません。
茉菜に聞いたのですが、何を言っているのか理解できませんでした。
さて、これぐらいでしょうか。
もう一度、ごめんなさい。
そして、茉菜を責めないで下さい。
最後になりましたが、私は入れ替わり事態は楽しかったです。最後にいい思い出が出来ました。
そして、これから先に進んでいくあなたに幸福が訪れること事を祈っています。
それでは、ありがとう。そして、さようなら
親愛なるもう一人の樋川莉菜様
樋川莉菜より』
読み終えると自然と涙が出ていた。
私はそっと手紙を封筒に戻し、女性……茉菜を見た。
茉菜は泣き続けている。
「茉菜……」
私は茉菜に声を掛ける。
「……読み終わりましたか……」
今にも消えそうな声で言うと、
「姉に凄く怒られました。そして、最後の選択の事ですが、姉は『あの子がどちらを選択しても、私は入れ替わる気は無いから!茉菜ももう私の事は忘れなさい』と言われました」
複雑な気分だった。
目の前にいる、大人の茉菜は、自分の姉をどこまでも愛していたのだろう。
そう思うと責める気が起きなくなった。
「それと、私もあなたに全てお話します」
茉菜は俯き、泣き声で言った。
「手紙で書いていた通りに私は、あなたを殺すつもりでした。姉の身代わりとして。
でも、姉は絶対にそんなこと許さないと分かっていました。
だから、姉にもあなたと同じ内容の話をしました。
淘汰の事です。最後まで騙せるはずだった。たとえ、姉が拒んでも、最終的には私はあなたと姉を入れ替えるつもりでした。でも……」
そこまで話すと茉菜は嗚咽を漏らす。
私は黙って聞いていた。
不思議と怒りが出てこない。
『殺すつもり』『姉の身代わり』そんな言葉を耳にしても。
茉菜は少し呼吸を乱している。
そんな状態で続きを話す。
「姉は……私の考えに気付いてしまいました……絶対に気付くはずなどなかったのに……
まさか、私の作った勾玉で彼が姉の前に現れるなんて考えていなかった……」
彼?勾玉?
何の話だろう?
疑問に思った。
「姉は彼の話からあなたの精神状態を知りました。
そして、私に真実を述べるように言いました。
私は白を切るつもりでいましたが、姉に言われると、どうしても白を切ることが出来ずに……話してしまいました。
もちろん姉は凄く怒っていました。
そして、その手紙を書いて私にあなたに渡すように言いました」
茉菜の泣き声が消えそうになっている。
「私は……私は……こんなはずではなかったのに……姉は……自ら薬を飲むのを止めました……私の考えを分かっていたから……」
薬を飲むのを止めた……
それはつまり……
「姉は一日と持ちませんでした……医師達が必至で措置をしようとしましたが、母が止めました。『もうゆっくりと寝かせてやって下さい』と……」
あの子は、私の為に……
私は結局、あの子を犠牲してしまった……
「こんな、こんなはずではなかったの!」
茉菜は突然、大きな声を上げ、台を叩く。何度も何度も。
「私の長年の夢を私自身で潰してしまった」
泣き崩れてそう言った。
「私の話は以上です」
茉菜に聞きたいことが沢山あるが……
それほど聞けないだろう……
少しだけ聞くことにした。
「いくつか、質問いい?」
「……何でしょうか?」
泣くことで少し落ち着いたのだろうか、茉菜の声が少し落ち着いていた気がした。
「どうして?あの子が死ぬと分かったの?」
私の質問に
「私は未来から来たからです」
なんとなく気付いていたが、さらっと言われた。
「どうやって?」
茉菜は黙って私を見て、
「未来には、その技術は存在します。ですが、行けるのは過去だけです。よって私はもう二度とあの時代に戻れません。それと同様に、別の世界とアクセスする技術もあります」
そう言われてもあまり実感が湧かない。
実際、世界の入れ替わりを体験しているのにも関わらず。
次に彼と勾玉。
「あと、彼とは一体誰のこと?それに勾玉とは?」
「彼とは、『藤田京』さんのことです。勾玉は、私が姉に作ってあげた勾玉です。お守り代わりと思っていたけど、あなたと彼に渡してと言われました。彼が持っています」
どういうこと?
彼は向こうの世界に行ったの?
勾玉を使って?
そう言えば
『彼が姉の前に現れる』
そう言っていたけど……
もしかして、彼が私を……
もしそうなら……私は彼に救われたの……
「そうです。あなたが今考えていることが全てです」
「え?」
私は驚いて茉菜を見た。
「彼が姉の前に現れなければ、姉は気づくこともなかった。そして、私は計画を実行していました。本来入れ替えは、当事者同士でしか発生しません。ですが、一定の条件が揃えば、私でも強制的に発生させることが出来ます。その条件がもう少しで揃うところでした。
姉はそれすら分かっていました。私の行動で何となく気付いたのでしょう」
「あなたはそれほどまでにあの子の事を思っていたの……」
私を目の前にして、はっきりとそう言うのだ。
手紙の通り、茉菜にとっては、あの子が全てだったんだ。
他の何を犠牲にしても、あの子を救おうともがいていたのだと分かる。
「……」
茉菜は無言になった。
しばらくの沈黙の後に
「これから、どうするの?」
私が聞くと、
「それは分かりませんが、あなたにはもう二度と会うことはないでしょう」
何の感情もない口調でそう言った。
「うん。分かったわ」
私はそう言って、
「私はあなたを責めない。あなたはこれからどうするかは分からないけど、しっかり生きて」
最後に私は茉菜をそっと抱きしめて、そう言った。
茉菜は抵抗することも、抱きしめ返すこともなく、ただ、茫然としていた。
そして、私の腕を振りほどき立ち上がった。
「どうか……お元気で」
そう言うと茉菜は店の奥に向かう。
それを見て、
「さようなら」
私はそう言って、出口に向かった。
「……ごめんさない……さようなら、お姉ちゃん」
微かに聞こえた。私は立ち止まったが、振り向かず、
「元気でね、茉菜」
そう言って、お店を出た。
お店を出ると、太陽が暖かく感じた。
私はゆっくりと家に向かう。
振り返ると、そこにお店は無かった。
これで全て終わったんだという実感が湧いてきた。だけど、素直に喜べなかった。
私は自分の半分が消えたような気がした。
そんなことを思いながら家路に急ぐ。
海から運ばれる潮風の香りが辺りに漂う。
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