29.春の到来【莉菜】

 もうじき冬が終わり、春が到来する。

町は春の息吹を感じさせるように息づいていく。

ついにこの季節がやってきた。

私は絶望の中に居る。

もうすぐ、消えて居なくなってしまう。

母や、茉菜、花楓、そして、彼。

この大切な人たちの記憶にすら残らない。

淘汰とはそう言うものだと。

私は消えることを、結局誰にも話せなかった。

だって、大切な人たちにそんなこと言えない。

そして、もう少しだけ、皆と一緒に居たかった。

この世界はあまりにも残酷だと思う。

消え行く者の想いなど、必要ないと言わんばかりに刻一刻と時間が過ぎていく。

消えたくない。

もう、何も要らないから、消さないで。

そんな願いなど聞き入れて貰えないのであろう。

私はあの日、彼が家に来てくれて、本当に幸せだった。

彼も同じように幸せだったと、分かるぐらい、二人は幸せだったんだと思った。

これが、神様のくれた最後の幸せだったのかも知れない。

その後も、彼とは会った。デートもしたし、キスもした。

でも、私の心はあの日に壊れてしまっていたみたいだった。

あの日、あの女性に一つの封筒を手渡された。

中身を見ずに捨ててしまおうかとも考えたが、

結局中身を見ることにした。

封筒の中身はA4サイズの一枚の紙だった。

紙にはこう書かれていた。

『あなたは、別の世界を望みますか?』

本当に残酷な内容だと思った。

私にどうしろと言うの。

この意味はなんとなく分かる。

もし、別の世界を望んだら、私が向こうの世界に行き、もう一人の私がこちらに来ることになるのだろう。そして、私は向こうの世界で生き続け、もう一人の私が、私の代わりに淘汰されるのであろう。

本当に馬鹿げていると思う。

私の選択を分かっているのに、そんな選択を迫るなんて……

本音を言うと向こうの世界を選択したいと思う気持ちもある。

向こうの世界には、母や茉菜は居る。

でも、私の母や妹ではない。

そう、向こうの世界のあの子の母と妹であって、決して私の母と妹ではないのだ。

それに、花楓も居ないし、彼も居ない。

今の私は彼が居ないと生きている価値さえ分からないぐらいに、彼に依存している気がする。

だから、私の答えは決まっている。

別の世界など選択しない。

そして、私は消えていく。

私が消えたら、皆はどう思うのだろうか?

私は意味の無い疑問だと、すぐに気付いた。

だって、全ての人の記憶からも消されるのだから、

私が消えたところで、誰も悲しまない……誰も困らない……

あまりには悲しい最後なんだな。と思う。

そして、そんないつ消えるか分からない私が、今日も、彼に会う。

自分の心の隙間を埋めるためだけに……

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