26.通じ合う想い

 スマートフォンを見ながら石段を上る。

登りきると海が綺麗に見える。

彼女の家は高台にあった。

彼女の家の前で、少し身なりを整える。

そして、インターホンに手を伸ばした。

ピンポーン

家の中で鳴り響くインターホンの音が外にまで聞こえてくる。

ガチャ

扉が開いた。

彼女がそっと顔を覗かせる。

その姿に俺はドキッとした。

彼女はエプロン姿だった。

「いっらしゃいませ」

少し、はにかんだ表情の彼女。

「こんにちは」

彼女にそう言うと

「こんにちは、どうぞ、お入りください」

俺は彼女に連れられてリビングに通された。

リビングの奥にはキッチンがあり、彼女の母親の優菜さんが笑顔で俺を見る。

「京さん、いらっしゃい」

相変わらず綺麗な人だと思った。

俺は彼女に促されるままソファーに腰を下ろした。

彼女はキッチンからクッキーを持って俺の前に置いた。

続いて優菜さんが紅茶を持ってきてくれた。

三人でリビングのソファーに座り、彼女が焼いたというクッキーに手を伸ばす。

その時、彼女の顔をチラッと見たが、少し緊張している様子だった。

俺はクッキーを一口で食べた。

ほんのり甘く、確かな歯ごたえ。

「美味しい」

うん。これは本当に美味しい。

俺は正直に感想を言った。

彼女の表情が少し嬉しそうだった。

「あら、莉菜、良かったね」

優菜さんが意地悪そうに彼女に向けて言う。

「もう、お母さん」

彼女は照れながらそう言った。


 しばらく三人で他愛のない話をしながら、休日のひと時を楽しんだ。

「あ、そうだ!京さん」

優菜さんが突然、俺に話しかける。

「はい?」

「アルバム見る?」

嬉しそうに優菜さんが言う。

アルバム?それは彼女のアルバムだろうか?

それなら是が非でも見たい。

「ちょっと、お母さん」

彼女は少し困惑している。

「莉菜、どうしたの?」

優菜さんはまた意地悪そうに聞いた。

「アルバムとか駄目!」

彼女は恥ずかしがりながら拒否している。

「えーどうして?可愛い莉菜の写真だよ」

もう見せてください。本当に……

「だって……」

彼女は俺に視線を向け、すぐに俯いた。

「だって……恥ずかしい……」

恥ずかしがる彼女。

「恥ずかしがることなんて何もないのよ。だって、莉菜、本当に可愛いだから。京さんも見たいでしょ?」

突然、俺に振られた。

俺は俯く彼女を見る。

彼女は見られることが嫌なんだろう。

でも正直見たい。

心の中で彼女に謝り、

「はい!見てみたいです」

正直に言った。

彼女は俺を上目遣いで見て、

「わ、笑わないでくださいね」

そう言ってまた俯いた。

そんな彼女の姿を見てから、優菜さんはゆっくりと立ち上がり、アルバムを取りに行った。

彼女はため息をついた。

そして、俺に視線を向けて、

「ほ、本当に笑わないでくださいね。私、少し変かも知れないし。お母さんが言っていた可愛いとかでもないですし……」

そう言った彼女はとても可愛かった。

優菜さんがアルバムを持って戻ってきた。

アルバムには

『莉菜と茉菜』

と書かれたいた。

彼女と茉菜の写真が納めれているのであろう。

ここに茉菜は居ないが、見ても良いものなのだろうか?

少し躊躇う。

そんな俺の躊躇いなどつゆ知らず、

優菜さんがいきなりアルバムを開いた。

俺はゆっくりと、じっくりとアルバムを見た。

そこに映し出されていたのは、幼き日の彼女と茉菜だった。

無邪気な笑顔の彼女、その彼女の後ろに隠れるように、少し不安そうな顔を覗かせる茉菜。

はっきり言って可愛い。

天使は本当に存在したのだ。

その証明がここにある。

それほどまでに、彼女と茉菜は可愛かった。

俺は幼き日の彼女の写真と目の前に居る彼女を見比べてみた。

彼女は頬を赤め俺を見ている。

今でもその幼さが残る彼女。

「本当に可愛いですね」

俺はそう言うと、

彼女は耳まで赤くする。

「そうでしょ。莉菜も茉菜も本当に可愛いのよ」

満足げに優菜さんが言った。

俺はアルバムのページをめくり、またその天使たちの虜になっていった。

アルバムに映っているのは彼女と茉菜だけでは無く、優菜さんも映っていた。

今と全く変わっていない。

優菜さんだけまるで時間が止まったのではないかと思われるぐらい変わっていなかった。

そして、もう一人映っていた。

とても凛々しい男性。

彼女に少し似ている気がする。

目元や口元なんかは特に似ている。

「この男性は、もしかして?」

俺は優菜さんに聞いた。

「うん。そうよ。莉菜や茉菜のお父さん。私の旦那ね。どうかっこいいでしょ?」

優菜さんは自信をもってそう聞いた。

「はい。とてもかっこいいです」

俺も正直に答えた。

「名前はね、鷹斗って言うのよ。京さんもかっこいいけど、鷹斗さんには負けるわね」

優菜さんは笑顔で言った。

「え?京さんのほうがかっこいい……」

とてもとても小さな声でぼっそと彼女が言ったのを俺は聞き逃さなかった。

優菜さんもおそらく聞こえていたのであろう、

彼女の頭を撫でながら、うんうんと頷いた。

そんな楽しい会話がどれぐらいだろうか、しばらく続いた。

とても充実していた。


 窓の外が赤く染まっていった。

随分と長い時間、ここに居たようだった。

俺は腰上げた。

「そろそろ、おいとまします。今日はありがとうございました」

お礼を言うと

「あら、夕ご飯、食べて行ってください」

優菜さんが言ってくれたが、やはり長居は悪いと思った。

「いえ、俺も帰って夕食作らないと駄目なので」

これは事実である。

叔母は今日と明日、町内会の旅行とかで家を空けている。それはつまり、俺と綾さんしかいないということだ。

それは、かなりまずい状況だ。

仮に綾さんに夕食など作られてしまっては、俺は明日から入院生活が始まってしまう。

そうなる前に俺が夕食を作り、綾さんに食べさせる。

これしか俺の生き残る道は無いのだ。

「じゃあ、夕食作るから持って帰って」

優菜さんからそう提案された。

それはかなりいい提案だった。

「いいんですか?」

俺が聞くと

「いいわよ。でも買い物に行かないと駄目だから少し時間かかるわよ。それでもいい?」

「買い物なら俺が行きますよ」

お世話になりっぱなしだったのでそう申し出たが

「買い物は私が行くから、家で待ってて」

優菜さんは優しくそう言ってくれた。

俺はこれ以上、何も言わずにお言葉に甘えることにした。

「え?お、お母さん」

その時、彼女は焦った様子で優菜さんに話しかける。

優菜さんが彼女を見て

「どうしたの?」

そう尋ねると

「私も行く」

彼女がそう言った。

「何言っているの?莉菜が来ちゃったら、京さん一人になるでしょ」

そう聞いた彼女は少し考えてから

「だったら私が行ってくるわ」

そう言った。

「いいのよ。莉菜は家にいなさい。お母さん一人で十分だから」

二人のそんな会話を何も考えず聞いていた。

そして気付いた。

え?それは彼女と二人きりになってしまうのでは……

気付いた時にはもう遅かった。

「じゃあ行ってくるから、二人とも留守番お願いね」

そう言って、優菜さんは玄関を出て行った。

車のエンジンが掛かる音が聞こえる。

そして車が動き出し、その音が小さくなってやがて聞こえなくなった。

静寂が周囲を支配する。


 いきなりのこの展開に俺は動揺している。

彼女に視線を向けるとなにやら落ち着かない様子だった。

そして俺たちはお互いの顔を見つめ、ぎこちない笑顔をして、お互い目を背けた。

俺はゆっくりと立ち上がり、窓から見える夕陽を眺めた。

とても長い時間そうしていたような気がするが、実際には数秒ってところだろう。鼓動が聞こえてくる。

彼女に聞こえていないか少し不安になった。

俺は考えた。何か会話を。何かないか。

そして、

「あ、クッキー。本当に美味しかった」

そう告げると

「あ、はい。ありがとうございます」

彼女は緊張した面持ちで答えた。

やばい、会話が続かない。

「あ、あの……」

彼女から話しかけてきた。

「うん?」

「あ、いえ……やっぱり、なんでもないです」

彼女はまた俯いた。

そんな彼女をじっと見つめ

「どうしたの?」

言葉を呑んだ彼女に聞いてみた。

言い辛いことだとすぐに分かったが……

おそらく俺のことだろう……

二人で一緒に居るのは彼女には耐えられないのであろう。

俺は、なぜ、根拠などない自信を持ってしまったのだろうか……

一度振られている相手にどうして?

「その……えっと……」

彼女は必至で答えようとしてくれている。

俺なんかの為に。

いや、この先は彼女に言わせることでは無い。

俺が分かってあげるべきなのだ。

彼女が嫌な思いをしない為にも。

「あ、ごめん。無理に言わなくてもいいよ。ごめんね。嫌な思いさせて。俺、やっぱり今日は帰るね」

そう言って鞄を持つ

「あ、ち、違います。嫌な思いとかではなくて……その、色々ありがとうございました。茉菜の事とか……」

「ううん。茉菜ちゃんと仲直り出来て本当に良かった」

心からそう思っている。

「帰らないで下さい」

彼女の声が震えている。

「え?いや、でも」

困惑してしまった。

彼女からそんな言葉出るとは思わなかった。

「あ、いえ、その……母がその楽しみにしていたので……それに……」

最後のほうは何を言っているのか分からなかったが、聞き返すことをしなかった。

また、静寂が支配した。

時計の音がカチカチと耳に入ってくる。

彼女は俯いたままで、俺はそわそわと落ち着かない。

突然、メロディーが流れだす。

時計が夕方六時を知らせるメロディーを奏でていた。

俺は自然と時計に視線を向けた。

そして彼女に視線を戻す。


彼女は俺を見つめていた。何か思い詰めた表情で。

「ど、どうしたの?」

動揺しているのだろうか、声が裏返った。

彼女はゆっくりと立ち上がり、俺の前まで来ると

「……あ、あの……今さ……今更ですが……その……」

彼女の目には涙が溢れているみたいだった。

「え?どうしたの?莉菜ちゃん?大丈夫?」

心配になった。

「え?あれ?どうして?」

涙が頬に流れ出した彼女は涙を手で拭ってそう言った。

俺はハンカチを出して彼女に手渡す。

「あ、ありがとうございます」

彼女は涙を拭いて、そして俺の目を真っ直ぐ見つめた。

「私、私、京さんのことが好きです」

え?何を言っているのか分からなかった。

そんなことはあり得ない。俺はまた都合の良い妄想をしているのだろうか……

「え?」

思わず聞き返してしまった。

「あ……ご、ごめんなさい……」

彼女は力なく消えそうな声でそう言うと俯いた。

「あ、違う違う、今の言葉がちょっと理解出来なくて、いや違うそうじゃなくて」

俺は何を言っているのだろう。自分でも良く分からなかった。

彼女はゆっくりと顔を上げる。

そして

「えっと、もう一度言います」

「はい。しっかり聞きます」

「私は京さんのことが好きです」

彼女は頬を赤らめながらそう言った。

もう天地がひっくり返るぐらい驚いている。

でもそれ以上に、俺は宇宙まで飛び上がりそうなほど嬉しかった。

言葉など出てこない。

俺は彼女をゆっくりと抱きしめた。

彼女も俺の背中に手を回した。

彼女は俺の耳元で

「大好きなんです」

そう呟いた。

彼女の心臓の音が聞こえる気がした。

それは俺と同じぐらい激しく動いている。

俺は彼女の顔を見つめた。

彼女は照れている様子で俺を見つめる。

そして、俺たちは自然とキスをした。

キスをし終えてから、

「俺も莉菜ちゃんのことが大好きだ」

そうはっきりと口にした。

彼女は嬉しそうに笑う。

そして俺たちはもう一度キスをした。

俺たちはずっと抱き合っていた。

「あ、ごめん」

突然声がした。

俺たちは慌てて声がするほうを見る。

茉菜が帰ってきたようだった。

俺たちは気づかなかった。

「えっと、ごめん。私、何も見てないから、どうぞ続けて」

そう言ってリビングの扉を閉めようとする。

俺たちはお互いを見て、慌てて離れた。

「茉菜、えっと、これはね」

彼女は慌てた様子で説明をしようする。

「そうだよ、俺たちは別に」

俺も同様だった。

何をどう説明するのだろう。実際俺たちは抱きしめあっていたわけだし。

「いや、別に良いだけど、なんか私まで恥ずかしくなるから」

茉菜は意地悪そうに笑う。

「茉菜ちゃんは意地悪だな」

俺が茉菜にそう言うと

「え?今更ですか?」

笑顔で答えた。

彼女を見ると少し落ち着いた様子だった。

この時までは俺たちは本当に幸せなひと時だった。

彼女のスマートフォンが鳴るまでは……

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