24.彼女からの誘い

 俺はリビングに戻って受話器をもとに戻した。

そしてそのままリビングのソファーに腰かける。

テーブルの上には綾さんのスマートフォンがピカピカと光っている。

おそらく茉菜からの不在着信かメッセージだろう。

俺は、そっとスマートフォンを取りあがる。

画面にはよく分からない男性アーティストの壁紙が表示され、中央部分に不在着信、その下に茉菜からのメッセージが表示されている。

綾さんのスマートフォンをテーブルに置き戻し、自分のスマートフォンを取り出した。


しばらくスマートフォンを見ていた。

俺はスマートフォンを操作し、電話を掛けた。

そう、彼女にだ。

あんなに悩んでいたことが嘘みたいに、自然と掛けることが出来たのは何故だろうか?

それは、綾さんに影響されたのかも知れない。

綾さんは眠いから寝る。食べたいから食べる。

そんな感じで、自分の欲望に逆らわない。

そんな綾さんの影響で、俺も、彼女の声が聴きたい。だから、電話する。

に至ったのかも知れない。


 呼び出し音が長く感じる。

少しずつ鼓動が早くなるのが分かる。

「はい」

澄んだ可愛い彼女の声だった。

「あ、もしもし、京だけど……」

その時、決定的な事に気づいてしまった。

なんの用事もない。ただ、彼女の声を聴きたいだけだったということに。

「はい、どうされましたか?」

落ち着いた綺麗な声。

いやいや、そんなこと考えている場合ではない。

「えっと、その……なんだ……」

歯切れが悪すぎる。

「……」

彼女は無言で俺の言葉を待っているのだろう。

「な、何していたの?」

休日の彼女の行動に少し……いや、かなり興味がある。

「あ、そうですね、母とお菓子を作っていました」

実に女の子らしい回答だと思った。

「そ、そうなんだ……なんか、莉菜ちゃんの作るお菓子、美味しそうだね」

別に深い意味はないこともないが……

「あ……そんな大したものでは無いですよ……母の足元にも及ばないですし」

彼女は謙遜けんそんして言った。

そういう奥ゆかしい感じは本当に可愛い。改めてそう思える。

「……もし……もしよろしければ……本当にもしよろしければなんですが、召し上がりに来ますか?」

「え?」

願ってもないことだ。

「あ、もし、本当にお暇なら……」

彼女の声が恥じらっている感じに聞こえる。

「あ、うん、とても暇だから、その行っても大丈夫なの?そのおばさんとか?迷惑ではない?」

嬉しさのあまり思わず叫びたくなる気持ちを抑えてそう言うと、

「え?おばさん?お姉さんではなかったの?」

な!

電話の相手が彼女の母親に変わっていた。

電話の向こうで、

「ちょ、お母さん。返して」

彼女の声が微かに聞こえる。

「あ、あの時は、本当に失礼しました」

俺はなぜか一瞬でソファーの上に正座してそう告げた。

「あら、お姉さんのほうが嬉しいのに」

彼女の母親は冗談ぽくそう言うと

「莉菜に代わるね」

そう言って彼女と代わった。

「あ、ごめんさない。お母さんが無理やり、取っちゃって」

「いや、なんか仲がいいね」

本当に彼女は変わった気がする。それも良い方に。

「はい。京さんのおかげですね。ありがとうございます」

彼女は俺にお礼を言う。

「俺は別に何もしていないよ」

「いいえ。本当に京さんのおかげです」

もう一度お礼を言われた。

電話の向こうで

「莉菜、焼けたよ。早く取り出して」

彼女の母親がお菓子が焼けたと彼女に告げている。

「あ、うん、分かった」

彼女は母親にそう返事をした。

「そうそう、京さんも来るなら早くおいで」

彼女の母親が俺に言ったのであろう。

それを聞いた彼女は

「もし、本当にもし、お暇なら、家に来ませんか?」

「ぜひ、伺います」

俺は即答した。

「待っていますね」

彼女はそう言って電話を切った。


 俺は慌てて支度を整えようと思い、自分の部屋に向かおうと立ち上がり、

テーブルの上に置いてある、綾さんのスマートフォンを手に取って、

綾さんの部屋に向かう。

ノックをしたが、案の定、返事が無いので扉を開けた。

そしてまた俺は言葉を失う。

なぜ?さっきからそれほど時間は経っていないのに……

なぜ?そのような格好で寝ている?

綾さんは自らの右足を壁に立て掛け、体は壁とは反対の方向に向けて寝ている。

いやいや、普通そんな恰好、しんどいだけだと思うのだが、すやすやと寝ている。

俺はため息をついて綾さんに近づく。

「綾さん。起きて」

起きる気配がない。

俺は綾さんの顔を軽く叩く。

「うーん」

返事はしたが起きる気配がない。

俺は最終手段に打って出ることにした。

この手段はさっき思い付いた、綾さんを起こすもっとも効率的な方法だと確信していた。

俺は綾さんの顔に自分の顔を近づけた。

そして、耳元で

「茉菜ちゃんから電話だよ」

そっと囁いた。

痛っ!

綾さんが起き上がったせいで俺の頭と綾さんの頭がぶつかった。

「ちょ、京、なにするの?」

怒りながら頭を触っている綾さん。

「いや、こっちのセリフ」

俺も頭を触りながらそう言った。

「スマホ」

不機嫌そうにスマートフォンを要求する。

「いや、茉菜ちゃんからの電話は嘘だけど」

俺はそう言ってスマートフォンを綾さんに手渡す。

「ちょっと、もう」

更に不機嫌になった。

「俺、今から出かけるから、電話は自分で取って」

俺はそう言うと自分の部屋に向かおうとした。

「どこに行くの?」

綾さんが背伸びしながら聞く。

「いや、ちょっと用事で」

綾さんを見ながらお茶を濁した。

「ははーん、さては莉菜ちゃんだな」

な!なぜ分かる。

「え?ち、違うよ」

俺は動揺して声が裏がってしまった。

「莉菜ちゃんでしょ?」

どうやらバレバレの様だった。

「どうして、分かったの?」

俺は疑問に思いそう聞くと

「だって、京、顔がにやけているよ」

な!どうやら俺は顔がにやけているようだった。

もしかして、俺ってすぐ顔に出るタイプ?

孝太郎もすぐに俺の考えていることが分かるみたいだし……

そんなことを考えていたら、綾さんが立ち上がり、おもむろにパジャマを脱ぎだす。

俺は少し焦り、後ろを向く。

「ねぇ京」

綾さんは静かにそしてゆっくりと俺の名を呼んだ。

「なに?」

俺は綾さんに背を向けながら言う。

「莉菜ちゃんに変な事しないでね」

綾さんはそう言うと

「あ、女の子が着替えてるんだから、とっとと部屋から出ていく」

そう言って俺を追い出した。

分かっているよ。俺は彼女を傷つけることは絶対にしない。

俺は自分の部屋に戻り、着替えた。

そして彼女の家に向かう。

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