18.待ち合わせ

 彼女はいつもの電車には乗ってこなかった。

理由はおそらく昨日の事が原因なんだろう。

俺に会い辛いからだと分かった。

もしかしたらもう二度と彼女に会うことが出来ないのではないかという不安に苛まれる。

そう思いながら俺は学校に着いた。


 俺の通う学校は清院学園でこの地域では結構な進学校である。

部活も運動部と文化部ともに充実している。

校門から校舎の間にテニスコートや大きなグラウンドあり、

校舎の手前に綺麗に手入れされた花壇がある。

校舎の裏には少し高台になった丘のようなものがある。

そこからは海が良く見える。


俺は朝練をする吹奏楽部の音色を聞きながら校舎に入る。

靴を履き替えて教室に向かおうと思ったその時、

「未來、おはよう」と聞こえた。

俺は振り返り未來と呼ばれた少女を見た。

丸顔の目がぱっちりとした、少しあどけなさが残る。

そんな感じを受ける少女だった。

俺はすかさず未來と呼ばれた少女に声を掛ける。

「ちょっとごめん、君は古河未來さん?」

未來は驚く、そして未来に声を掛けた子も驚いている。

答えが返ってこない。

「あれ?もしかして人違い?」

俺は尋ねる。

「あ、いえ、古河未來は私です」

どうやら合っていたようだ。

未來たちは少し緊張している様子だった。

「突然、ごめんね。あ、俺は」

「藤田京君だよね」

未來の友達が言った。

「あ、そう、よく分かったね?」

「だって有名だよ」

再び未來の友達がそう言った。

「有名?どうして?」

「藤田君、かっこいいで有名だよ」

今度は未來がそう言った。

「あ、そうなんだ」

あまり興味が無かった。

「あ、そうだ、古河さんに聞きたいことがあるんだけど、少しいいかな?」

「え!?何?何?」

未來の友達が嬉しそうに未来を見ながら言っている。

「はい、何?」

「ここではちょっと……」

「はあ?」

不思議そうに未來は答える。

「昼休みにでも裏の丘で話せる?」

俺が聞くと

少し考えてから

「うん、分かった。裏に行けばいいのね?」

未來は承諾してくれた。

「そう。ありがとう」

俺はそう言って教室に向かう。

「ねぇねぇ、どういう事よ?」

未來の友達は未來に肘で突きながら聞いている。

「私だって分かんないよ」

「いいないいな」

そんな二人の会話が聞こえてきた。

 

「それで、昨日はどうだった?」

そういえば、孝太郎にデートの事を話していたのを忘れていた。

教室を入ってすぐに孝太郎に言い寄られる。

「どうって?」

「だから、莉菜ちゃんとのデートは楽しかったか?」

「あーそれな……」

俺は答えを渋る。

孝太郎は興味津々で俺の言葉を待っている。

一つため息をついてから

「楽しかったよ。振られたけど……」

結構あっさり言えた。

「おー楽しかったか……え?振られた?」

鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする孝太郎。

「え?え?振られた?告ったの?」

どうやら孝太郎は、状況を整理する力はそれほど高くない様だ。

「告らずに振られるって……それ一番キツイな」

俺は笑いながら言う。

「告ったのか……」

「え?でもお前が振られる?」

孝太郎は不思議そうにそう言った。

孝太郎は俺たちがうまく行くと思っていたに違いない。

だけど実際はそうは行かなかった。

俺は振られたのだから。

席に着き鞄を置いて窓の外を眺める。

秋晴れの空にひつじ雲が楽しそうに群れを成している。

「それで、何て言われたの?」

俺は孝太郎を見る。

「『私は誰とも付き合えない』と言われた」

彼女が言った言葉をそのまま伝えた。

俺は意外と冷静だなと思った。

「どういう意味なんだろうな?」

孝太郎が知りたがっていたから話すことにした。

話しを聞き終えた孝太郎は考え込んでいる。

「傷つけた誰かが気になるな」

「確かに」

俺も気になる。

「莉菜ちゃんて……なんかとてもダークな感情があるんだな」

ダーク?心に陰りがある的な意味だろうか?

「会った時の印象ではそんなそぶり全然だったけどな」

孝太郎は知らない。彼女にもう一つの人格があることを。

確かにもう一人の彼女はそんなダーク?的な感情は見当たらない。

でもそれでも少し悲し気な感じあるみたいだったが。

「それで京は、どうするんだ?」

「何が?」

「莉菜ちゃんのことだよ。このままでは無いだろう?」

ああ、このままになんかはしない。

俺は彼女を救いたい。彼女が不安や悲しみになる事柄の全てから。

「もちろん、このまま引き下がる訳には行かないな」

俺は笑顔でそう言うと

「そうだよな」

孝太郎も笑顔で答える。

 

 お昼になり、俺は叔母が持たせてくれたお弁当を食べた。

叔母のお弁当は本当に美味しく、お店でも出せるのではないかというレベルである。

娘である綾さんは、殺人レベルの料理を作る。

どうして叔母の遺伝子が綾さんに受け継がれなかったかと悲しく思う。

「孝太郎」

「うん?」

孝太郎は学食で買ってきたパンをかじりながら返事をする。

「ちょっと古河さんと話してくる」

そう言うと

「うん?古河?一組の?」

「そう」

「なんで?」

と行ったと同時に孝太郎は理解したのだろう。

「あ、了解。着いて行く?」

「いや、大丈夫」

「行ってらっしゃい」


俺は校舎の裏にある丘に向かった。

丘は生徒たちの憩いの場になっている。

この丘で昼食を済ませる生徒も多い。

海から運ばれる潮風が心地いいのか、昼寝をする生徒もいた。

俺は未來を探す。

そして、すぐに見つけた。

未來は丘の上で海を眺めていた。

一瞬、彼女の面影を見た気がするが気のせいだった。

「海好きなの?」

未來に声を掛けた。

未來は俺を見上げて、

「うーん、普通かな?どうして?」

「いや、なんとなく聞いてみただけ」

「そうなんだ」

未來の返事を聞きながら、俺は未來の横に腰を下ろした。

「それで、聞きたいこととは?」

未來が切り出す。

「あ、えっと、古河さんは、樋川さんって女の子のことを知っている?」

「知ってるよ」

即答だった。

「あ、仲良かったりする?」

「全然」

これも即答。

「樋川さんがどうしたの?」

「いや、樋川さんが古河さんのこと知ってるかと聞いてきたことがあったから……」

あまり期待は出来ないかも知れない。

「そうなんだ、樋川さんとは中学が一緒だったよ」

俺は黙って聞いている。

「樋川さんって莉菜ちゃんのことだよね?」

未來は今更聞いてきた。

「うん、そうだよ。古河さんは他にも樋川さんて知っているの?」

俺は海を眺めながら、割とどうでもいい質問をした。

「莉菜ちゃんの妹のことかなって思っちゃって」

少し意外な展開だった。

彼女には妹が居るのか。

よくよく考えれば、俺は彼女のことをあまり知らないかもしれない。

「妹とか居たんだ」

「うん。たしか一つ下だったと思うけど、名前までは知らないけどね」

未來は紙パックのジュースに口をつけ、背伸びをしながら言うと

「藤田君、樋川さんのこと気になるの?」

興味津々で聞いてくる。

「うん、好きだよ」

今度は俺が即答した。

「へー意外」

未來は意外そうに言う。

「そうかな?」

「うん、藤田君なら樋川さんを落とせるじゃない?」

「うん?どういう意味?」

「樋川さん中学時代はかなりモテてたよ」

「へーそうなんだ」

彼女は確かに美人だからモテてるのも頷ける。

「古河さんから見て、中学時代の樋川さんってどんな感じだった?」

俺が今、一番知りたいことだ。

「そうね、まず、美人」

それは分かる。彼女は美人だ。

「次に思いやりがあってとても優しい」

それもなんとなく分かる。

「それに明るくて少し悪戯いたずら好きの天然さんって感じかな」

うんうん、それも分かる……

え?明るく悪戯好きの天然さん?

それは全く違うだろう。

「え?明るい?」

思わず聞き返す。

「うん、とても明るかったよ。いつも無邪気な笑顔をしてたし」

……

彼女のイメージと違う。

「それっていつの頃?」

俺は混乱していたのかそんな質問をした。

「え?中学時代って言ったよ」

少し笑いながら未來は答える。

そうだった。確かに中学時代だと聞いた。むしろ俺から聞いた気がする。

「どうしたの?」

未來は笑いながら聞く。

「いや、今の莉菜ちゃんからは想像がつかなくて……」

ついうっかり莉菜ちゃんって言ってしまった。

「へー莉菜ちゃんって呼んでいるだ」

今度は意地悪そうに笑う未來。

「今の樋川さんて全然知らないけど、明るくないの?」

今度は未來が質問をしてきた。

返答に困る。

彼女は昔の同級生に今の自分の状態を知られたいと思うだろうか?

おそらく思わないだろう。

でも、ここまで言ってしまったし、

それにもう少し中学時代の彼女のことを知りたいという欲が俺を間違った方向へ導いてしまった。

「うん、なんか弱弱しいっていうか儚げって感じ」

「そうなんだ。なんか意外」

意外そうな表情の未來。

「中学時代に何かあったのかな?」

俺は直球で聞いてみる。

「うーん、特に何も無いと思うけどな」

予想はしていた。

未來は何も知らないのであろう。

彼女がどうして『解離性同一性障害』になったのかを。


 心がざわめいた。嫌な事を考えてしまった。

二人の彼女、中学時代の彼女とリンクするのは俺が恋した彼女ではなく、もう一人の彼女だ。

別の人格と思っていた彼女のほうが中学時代の彼女と一致する。

では、俺の恋した彼女は『解離性同一性障害』により生み出された人格ということになるのではないだろうか?

とういうことは、もし俺が彼女を助けたいと行動すればするほど彼女は消えてしまうのでは無いだろうか?

さらに、俺の頭に最悪なシナリオが浮かんだ。

あの錠剤……あれは『解離性同一性障害』の薬だったのでは?

いや、『解離性同一性障害』に効く特効薬なんてない。

それは昨日、ネットで調べたから知っている。

ただ、合併症に関しての薬は処方されることがあるそうだ。

『解離性同一性障害』の合併症がっぺいしょうとして引き起こされるうつ病とかだったりの薬……

否定したい。

だが、考えれば考えるだけ俺の考えが間違っていないと証明するように思えてくる。

俺は絶望感を味わっているみたいだ。

「おーい、大丈夫?」

そんな俺を心配して未來は声を掛ける。

「あ、うん……」

元気がない声だった。

「樋川さんのこと知りたいなら、花楓に聞くのが一番だよ」

未來はさらっと言った。

「花楓?」

俺は聞き直す。

「うん、樋川さんと同じ学校に通っている、三木みき花楓って子。樋川さんの親友だから」

「ちょ、その子の連絡先とか分かる?」

俺はどうしてもその花楓って子に会いたくなった。

「ごめん、連絡先知らないんだ。ごめんね」

未來は申し訳なさそうに言うと、立ち上がり

「そろそろ、授業始まるから行くね」

そう言って校舎に走っていった。

走り去る未來を見ながら

あ、お礼を言い忘れたな。

まぁまた今度にでも言っておくか。

俺も立ち上がりしばらく海を眺める。

太陽の光で反射した広大な海はきらきらと白く輝き、ただ静かにゆっくりと波を揺らす。

さて、花楓という子に会うにはどうすれば良いか?

孝太郎にでも相談をするか。

俺はそう思い、教室に戻った。


 午後の授業を終えた俺は孝太郎に花楓という子のことを相談した。

「連絡先が分からないのではなかなか難しいだろう」

孝太郎は考え込む。

「そうだよな……」

いつも色々と奇抜きばつな発想で解決してくれる孝太郎も、

今は難しい顔をしている。

「うーん、その花楓さんだっけ?その子のことを知っている人物が他に居れば話は早いけど……」

孝太郎がそう言うが、全く見当も付かない。

「一番、手っ取り早いのは莉菜ちゃんなんだけどな……」

孝太郎はちらっと俺を見ながらため息をつく。

さすがに彼女経由は無いだろう。

彼女のことを知りたいからその花楓という子に会うのだ。

それなのにその彼女を経由するのは何か違う気がする。

「よし、仕方ない。これで行くか」

困り果てていたのだろう。そんな俺を見て孝太郎は何かアイデアを思い付いたようだった。

「何かいい案あったのか?」

期待を胸に聞くと

「俺が莉菜ちゃんに連絡するよ」

孝太郎はスマートフォンを右手で持ち、それを横に少し振る動作をしてからそう言った。

「孝太郎が?どうして?」

「だって、京は莉菜ちゃんに連絡し辛いだろ?それなら俺が連絡するのが一番じゃないか?」

「いやいや、連絡してどうするつもりだよ?」

孝太郎の意図が見えない。

「簡単だよ。俺がその花楓という子とを気に入ったから、莉菜ちゃんに紹介してと頼むだけだよ」

「いやいやいや、そんな簡単なことでは無いだろう。大体、会ったこともないんだぞ」

孝太郎のこのよく分からない思い付きと行動力は本当に凄いと思う。

「まぁ任せておけよ」

孝太郎はそう言うとスマートフォンを操作し、耳に当てる。

孝太郎はしばらく俺を見ながら何度か頷いた。

大丈夫だから心配するな。そう感じ取れた。

「あ、もしもし、莉菜ちゃん?孝太郎だけど分かる?」

彼女が電話に出たみたいだった。

「えー!莉菜ちゃん酷いな。忘れたの?」

彼女は孝太郎のことを忘れてるみたいだった。

あ、なるほどな。彼女と孝太郎が会ったのはあの電車の一度きりだ。

あの時の彼女と今電話で話をしている彼女とは別の人格ということになるのだろう。

そんな彼女の事を孝太郎は知らないのだ。当然と言えば当然だな。

俺は孝太郎を見ながらそのように思った。

「まぁそれは良いだけど、莉菜ちゃん、花楓ちゃんって知ってる?」

孝太郎はとても自然に……少し軽い奴に思えるか。とにかく本題にすんなり入った。

「あ、知ってるだ。俺ね少しその子に興味があるんだ。ちょっと紹介してくれない?」

ものすごくスムーズに事を運ぶ孝太郎。

「えー、そこを何とかお願いしますよ」

どうやら彼女は難色なんしょくを示しているようだ。

「え?しない、しない。だからお願い」

孝太郎は電話越しで片目を瞑ってお願いをしている。

「うん。そうだね。それなら莉菜ちゃんも一緒なら良いの?」

交渉が成立しそうだった。

「え?京?隣に居るよ。代わる?」

な、俺は焦ってしまった。

いきなり、なんの準備も無しに彼女と話すなんて少し動揺する。

孝太郎は意地悪そうな笑みを浮かべながら俺にスマートフォンを手渡す。

俺は一息入れてからスマートフォンを耳に当てる。

「ちょ、ちょっと待ってください。孝太郎さん、孝太郎さん」

彼女も俺と同じく動揺していたようだ。

「あ、ごめん。京だけど」

「あ……」

彼女は言葉を詰まらせた。

「えっと、なんかごめんね。孝太郎が無理を言ったみたいで」

本当は俺の為にしてくれたことなのだが……

俺は孝太郎を見ると、右手をガッツポーズにして俺に頑張れと言っている。

「あ、いえ……」

なんかすごく気まずい。当然と言えば当然なんだが……

俺は昨日、彼女に振られたばかりだった。

そして彼女は昨日振った男と話すなんてそれは気まずいだろう。

「あ、あの……京さんも一緒なんですか?」

その言葉は彼女は俺に会いたくないと言っているのだろう。

今朝もいつもの電車には乗ってこなかったわけだし。

「あー俺は止めておくよ。そのほうがいいよね」

孝太郎は俺を睨むように見ている。

「え、いえ、そんな事はないですよ……はい……」

「やっぱり俺は……」

答えの途中で、突然スマートフォンを孝太郎に取られた。

「京も連れていくね。俺一人だと不安だし」

俺を見ながら首を横に振る。お前もついてこいと言わんばかりに。

「ありがとう。じゃあこれからでも良いんだね?」

どうやらこれから会うみたいだ。

「うん。分かった。じゃあ後でね」

孝太郎はそう言って電話を切った。

満足そうな笑みを浮かべながら、

「京も一緒に来てくれよな。もう連れていくって言ったし」

とてもありがたい。

会い辛いけど、それでも彼女に会いたかった。

孝太郎はそんな俺にチャンスをくれたのだ。

そんな孝太郎に感謝を込めて

「ありがとう」

とだけ告げた。

そして俺たちは待ち合わせの場所に向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る