14.真実

 駅の二階でいつもと同じように海に沈む夕陽を眺める。

学校近くの駅から見る眺めが一番綺麗だと思った。

私は不思議な感覚で電車に乗り込んだ。

そう、私は今あの現象の真っただ中にあった。

車内を見渡す。

よく見る風景だった。

この時間は比較的に学校帰りの学生が多い。


私は空いている席に腰を下ろす。

鞄からスマートフォンを取り出すと花楓にメッセージを送ってみた。

『今日はありがとう』

『送信エラー!もう一度送信する場合は……』とディスプレイに表示された。


次に少し緊張するけど彼に送ってみた。

『次の日曜日楽しみにしています』

『送信エラー!もう一度送信する場合は……』彼にも届かない。


次は茉菜……少し怖い……

『茉菜、今日の晩御飯は何がいい?』

……

送信エラーにならなかった。


しばらくして

『お姉ちゃんが作るの?』

茉菜から返信が来た。

私は嬉しくなった。送信エラーにならなかったからじゃない。

茉菜に『お姉ちゃん』って言われるのがとても嬉しい。

『そうよ、何か食べたいものある?』

すかさずメッセージを送る。

『じゃあね、秋刀魚さんまの塩焼き(ハート)』

メッセージを見ながら自然と笑みがこぼれる。

『分かった。買って帰るね』

『ありがとう(ハート)楽しみにしてる』

こんなことをずっと夢見ていた気がする。

何気ない妹とのやりとり。

今、それが現実に行われいる。

嬉しくて嬉しくてたまらない。

その時、ふとあの子のことが気になった。大丈夫かな?

私はこんな幸せで……本来ならこの当たり前の幸せはあの子の物なのに……

申し訳ない気持ちが同時溢れてくる。

我に返りため息をついた。

 

 電車から降り駅を出た。目の前には商店街がある。私は商店街で買い物を済ませ、例のお店を探した。

在った。やっぱり。私はあると確信していた。

そして、お店に足を踏み入れる。

相変わらず少し薄暗くこじんまりとしている。

店の奥から女性が顔を出す。

あの綺麗な女性。

「いらっしゃいませ」

澄んだ声だ。

「あら、今日はあなたですか」

笑みを浮かべながら女性は私に言った。

「こんばんは」

私は挨拶をした。

「こんばんは。ゆっくりしていってくださいね」

女性は私をじっと見つめそう言う。

私は吸い込まれそうになるその瞳をじっと見つめ返した。

私は直感的にこの人は普通じゃない気がした。

「あの……」

私はついに女性に声を掛けた。

「何かお探しですか?」

女性はそう聞いてきた。

「いえ、そうではないのですが……」

どう切り出していいかわからなかった。

「どうされましたか?」

まったく表情が変わらない女性。

「えっと聞きたいことが……」

女性を見つめ続けながらそう言うと

「聞きたいことですか?」

女性の表情は依然まったく変わらない。

「はい……」

少し怖くなって女性から視線を外した。

「どういったことでしょう?」

女性の問いにやっぱり止めておこうっと思った。

「もしかして、今のあなたの状況ですか?」

驚いて、声が出ない。

私の状況って……

どうして知っているの?

私だってこの状況をいまいちよくわかっていないのに……

「ど、どういう意味ですか?」

恐る恐る女性を見る。

「そうですね、今のあなたの状況を説明すると」

鼓動が早くなる。

「このお店に入った。特に目新しいものは何もない。そこで私に何か良いものはないかと考える。そして、私に質問する。そんなところでしょうか?」

女性は笑みを浮かべたままでそう言った。

……まったくその通りなんですが……いえ、少し違う。

目新しいものとか、良いものとかは別に求めているのではなかった。

それに、それは私の、今の行動に対する心境を言い当てているだけであって、現在、私が体験している現象の事ではない。

そう思いながら

「まぁそうなんですけど」

鼓動がもとの速さになっているのを感じながら息を吐きだす。

「うふふ」

女性は笑った。

とにかくとても不思議な感じがする女性。

私は店を出ようと

「今日は帰りますね」

と女性に言い出口に向かった。

出口に向かっている私に女性はさらに話しかけてきた。

「あ、それとも……」

私は振り向く。

「この世界についてでしょうか?」

女性の言葉に驚き手に持った買い物袋を落とす。

この世界?この人は一体何を知っているの?

体中が震えている。

「ど、どうして」

声も震えている。

「当たっていましたか」

女性はそう言うと、ゆっくりと私に近づき買い物袋を拾い上げてくれた。

私は一歩も動けない。

そんな私に女性は肩をとんと叩いた。

動かなくなった私の体が動きだした。

「こちらへ」

女性は私を店の奥に案内する。


店の奥は無機質むきしつなコンクリート壁に廊下があった。

その奥に扉が一つ。

前を歩く女性がその扉を開ける。

私はその扉の向こうはこの世では無いのではないだろうかと考えていた。

女性が中に入る。

続いて私も入った。

そこは、四面コンクリートに囲まれた、ただの部屋だった。

少し大きめな窓と小さめの窓が二つ。

小さめの窓を背に座るであろう机が置いてある。

中央にテーブルとソファーが置いてある。

左奥にもう一つ扉があった。

それ以外に扉のすぐ右隣にキャビネットがあって、その中にはファイリングした資料が綺麗に並べられている。

女性は私にソファーに座るよう促す。

ソファーに腰を下ろすと、女性は左奥の扉を開けて中に入った。


しばらくすると女性はティーカップとお菓子類を持って現れた。

「紅茶でよろしかったかしら?」

女性に聞かれて

「あ、はい」

自分でも不思議なくらい落ち着いている。

女性は私の前に紅茶のティーカップを置くと向かいのソファーに腰を下ろした。

「さて、聞きたいことはなんでしょう?」

女性はゆっくりとした口調で言った。

「私のことです」

私もゆっくりと女性に言った。

「あなたのこと?」

「はい」

「それはあなたが一番良く知っているのではないですか?樋川莉菜さん」

一度も名乗っていないのに女性は私の名前を知っている。

「どうして、私の名前をあなたが知っているのですか?」

私は本当に不思議なくらい落ち着いている。

「それは樋川莉菜さんに聞いたからです」

なんとなく想像できた。

「やっぱりそうでしたか」

「あら、意外と冷静ですね」

女性は笑顔で私を見つめ、ティーカップに手を伸ばした。

「はい、この店に入った時にあなたは『今日はあなたですか』て言ったのを覚えています」

私もティーカップに手を伸ばしながらそう言うと

「たったそれだけでそこまで想像できるなんて凄いですね」

女性は感心した様子だった。

「でも、一つ分からないことがあります」

「なんでしょう?」

紅茶に少し口をつけて私は続ける。

「どうして、私だとわかったんですか?見た目からは判断出来ないと思うのですが」

「うふふ、どうしてかしら」

女性はティーカップを静かに置いた。

「教えていただけませんか?あなたは一体……」

こんな状況だからだろうか?

この女性は何を知っているのか?

それともこんな状況が無くてもこの女性の魅力をただ単純に知りたいだけなのだろうか?

分からない。

だけどとにかく知りたい。

「仕方ありませんね」

女性は静かに話し始める。

「まず、あなたをあなただと分かった理由から説明します」

「あなたともう一人のあなたとでは雰囲気というのでしょうか?オーラ的なものが全然違います」

そこまで話すとティーカップに手を伸ばす。

「そしてあなたの状況についてですが、それはもう一人のあなたから聞きました。あなたもそれを知っていますよね?あの仮説です。あなたはそれを読んでいますよね」

私は自分の机の上にあったノートを思い出す。

「だから、あなたが知っていること以上のことは私は知りません」

紅茶を飲み切ったのであろう。

ティーカップを静かにテーブルに置いた。

「あなたはまだもっと他の事も知っていますよね?」

私は女性の知りませんが信じられなかった。

この人には何かあると思っている。

「他の事とは?」

女性は不思議そうな表情で言った。

初めて笑み以外の表情を見た。

「こんな状況になった理由とかです」

少し強めの口調で問いかけてる。

「理由……確かに知っています」

やっぱり!

この人は知っている。

「教えてください」

強く願った。

「……」

答えがない。

「教えてください」

もう一度強く聞く。

「……お教えすることは出来ません」

女性の表情が無表情に変わる。

「どうしてですか?当事者は私なんです。当事者の私にも教えてくださらないのですか?」

知りたい。どうしても知りたい。

「……知らなくても良いこと。知らなくてはいけないこと。知らなければ良かったこと。世界にはこの三つしかありません。あなたの場合は知らなければ良かったことに該当します」

よくわからない理屈。

「どういう意味ですか?知らないほうが幸せってことですか?」

「はい、そうです」

女性は無表情のままそう言う。

「それでも知りたいっと言っても駄目なのですか?」

私はあきらめきれずに聞いた。

「……後悔することになりますよ」

女性の瞳が真っ直ぐに私を捉えている。

「教えてください」

覚悟なんてなかった。

ただ知りたかった。それだけ。

女性はため息をついた。

これもまた初めての事だった。

「それでは、お教えしましょう」

女性は姿勢を正し私を見つめながらそう言うと話始めた。


「まず、この現象はあなたたちだけに起きていることではありません。私の身近な人間にも過去に起きています。そしてこの現象が起きる条件も決まっています」

女性は一息入れた。

「あ、ごめんなさい。少し待ってください」

女性はそう言うと立ち上がり紅茶を入れなおしに行った。

戻ってきた女性は

「ごめんなさい。続き話しましょうか?それともここで止めておきますか?」

と聞いてきたので

「続きお願いします」

「そうですか……」

「では、続きを」

「この現象はいずれ終わります。どちらかが淘汰されれば……」

淘汰?聞きなれない言葉。

「そして、あなたたちの場合はどちらが淘汰されるのかは決まっているようですね。私の口からは絶対に言えませんが」

そこで私は口を挟む

「淘汰ってどういう意味ですか?」

女性は冷静に

「そのままの意味です」

よくわからない。

淘汰って言葉を聞いたことがない。

「あの……ごめんなさい。淘汰の言葉の意味を知らなくて……」

女性はくすっと笑った。

なんか恥ずかしい。

そして真剣な眼差しで私を見据えると

「淘汰とは不要なものを排除するって意味です」

女性ははっきりと何か凄いことを言っている気がする。

「不要なもの?」

「はい、あなたともう一人のあなたのどちらかが不要なものということになりますね」

理解するのにどれぐらいかかっただろうか。

「不要なものになった場合はどうなるのですか?」

恐る恐る聞いてみる。

「はっきりとしたことは私もわかりません。ですが、この世界……いえ、すべての世界から消滅します。あと……周囲の人の記憶からもです」

消滅?

この人は何を言っているの?

「ど、どうして?こんな事が……起きるのですか?」

聞かなきゃよかったと思う反面、すべて知っておきたいと思う気持ち。相反する気持ちがある。

「発生条件のことですか?」

女性はあくまでも冷静でった。

「……はい」

「私が知る限りでは、本来死んでいた筈の人間がなんらかの理由で生き延びた場合に、辻褄を合わせるためにこの現象は起きると考えています」

本来死んでいた筈の人間?

それって……私の事?

「と、淘汰されるのは……その本来死んでいた筈の人間なのでしょうか?」

言葉を詰まらせながら聞いた。

「はい……おそらくそうでしょう」

女性は悲しそうに私を見ている。

悲しそうな女性の表情で、私は、はっきりとわかった。

私は本来死んでいないといけない存在だった。それなのに、まだこうして生きている。

不思議と恐怖という感情が出てこない。

もしかして本当は私……死にたいと思っていたのでは……

この女性の話を聞いて、そのように考えてしまう。

だって、私ともう一人の私では、どちらが世界に順応しているかなど明らかだった。

私は世界からも誰からも必要とされていない。

「これは、神様からの最後の優しさなのかも知れません」

茫然としている私に女性はそう言った。

この時、やっと心の奥から言葉では言い表せない感情が溢れてきた。

「な、なにがやさしさなのですか!?」

悲しみとも怒りともつかない感情が私を支配していく。

「本来、死んでいた筈の人間が淘汰されるのです。では淘汰されるまでの時間、その人間は生きていることになります。これは最後にやり残しや悔いが無いようにと神様がくれたチャンスなのでは無いでしょうか……」

女性は静かにそう言う。

「チャンス!?そんなこと……大体、本来死んでいたなんて誰にも分らないじゃないですか!それならその人は何もわからないまま淘汰され消滅することになるんじゃないですか?」

この女性に八つ当たりをしても仕方ないことは分かっている。

でも誰かにこの感情をぶつけないと頭がおかしくなりそうだった。

「そうですね、しかし、あなたはもう知りました。これはチャンスなのではないですか?」

女性はあくまで冷静だった。

私は言葉を失った。


冷たい空気が扉のほうから流れてくる。

静寂の中で空気の流れが微かに耳を抜ける。

「ど、どうすれば……」

精一杯声を絞り出して言った言葉だった。

私は気が遠くなる感じがした。

この女性の言っている通りである。

では、私はやり残しや悔いの無いように残りの人生を、生きていくことが、私に残された最後の生き方なのだろうか。

でも、そう簡単に割り切ることなど出来ない。

私は必死で考えた。

そして、いくつかの疑問点を見つける。

この女性が言っている淘汰という話は果たして本当の事なのだろうか?

この女性の作り話ではないのだろうか?

ではなぜそのような作り話を……

作り話であった場合、この現象は一体どうして起きたのだろうか?

そもそもなぜ私なのか?

もし、仮にこの女性の作り話ではない場合、この現象は本当に淘汰するまで続くのだろうか?

それとも淘汰されずに現象の終わりを迎えることは可能なのだろうか?

あと、淘汰されることでしか解決しないのであれば、淘汰されるまでの時間はどれぐらいなのか?

そして、もっともわからないのはこの女性は一体何者なのだろうか?

一つ一つ片付けて行くしかない。

「あの……今までの話は本当のことなのですか?」

直球で聞いてみる。

「はい、あくまで私の知る限りでは本当のことです」

知る限りってどういう意味?

「知る限りとはどういう意味ですか?」

「私の身近な人間が過去に起きた時も同様だったからです」

「……」

嘘や作り話をしている雰囲気ではない。

「では、この現象は本当に淘汰以外で解決する手段はないのですか?」

次の疑問を投げかける。

「はい……おそらくは」

曖昧な返事だった。

「おそらくってことは可能性もあるってことですか?」

「分かりませんが、可能性は0ではないと思います」

この答えに少しほっとした。

まだ淘汰されると決まったわけではないと言われた気がした。

私は深く深呼吸をする。

今までの話を整理できるほど私の処理能力は高くない。

だけど、気持ちを落ち着かせたかった。

こんな意味の分からないことに巻き込まれ、そして、あなたは淘汰されます。

なんて言われても……そもそも淘汰とか意味が分からない。

もっと簡単に不要だから消去。

それでいいのでは無いか。

だって淘汰も消去もとどのつまり同じってことでしょう……

そう、もう使わなくなったファイルをデリートキーを押して消去するように……


私は気を取り直して

「あなたは一体何者なのですか?過去に身近な人がこの現象を体験した。と言っていましたが、あまりにも詳しすぎます」

もっとも分からなかった疑問を聞いた。

「私は当事者たちに、この話を詳しく聞いています。だから人より少しだけ詳しいのです。ただそれだけです」

そう答える女性を私はじっと見つめた。

「ですが、本来死ぬ筈だった人間だと、どうしてあなたに分かるのですか?」

この女性は私ともう一人の私の場合なら、私だと分かっている様子だった。

「それは、意外と簡単です」

「え?」

簡単?

よく言う死相しそう的なものがこの女性には見えているのだろうか?

「あ、死相的なものや、直感といった類ではないですよ」

見透みすかされている。

「では、どういう事ですか?」

「……」

女性の反応が無い。

「あの……」

女性は目をつぶり一呼吸を置いた。

「それをあなたに教える意味をあなたは理解していますか?」

女性の問いに言葉を詰まらす。

分からない。

「どういう意味ですか?」

私がそれを知ることに何か重大な意味があるのだろうか?

「あなたがそれを知ってしまったらこの先どうするおつもりですか?安堵あんどしますか?それとも絶望しますか?安堵したらあなたではないあなたに同情しますか?賢いあなたなら分かると思いますが……」

何それ?それは何……

そんなフェア、アンフェア的な話なの?

「これはゲームなんですか?知らないほうが面白いとか知ったら面白くないとか……最後まで分からないほうが面白いとかですか?」

とても感情的になっている。

女性は深いため息をついた。

「あなたは全く分かっていないのですね。その様なことではありません」

「ではどういう意味なんですか?」

私は立ち上がり叫んだ。

一瞬の沈黙。

そして

「あなたが本来死ぬ筈の人間です」

女性は立ち上がった私を見つめ静かにそう言った。

その答えは分かっていた。でもはっきり言われるとどうしようもなく絶望感に苛まれる。

「と言われてあなたはどう思いましたか?」

女性は真剣な眼差しで付け足した。

「な!私は……私は真剣なんです!」

怒りが込み上げてくる。

「それはどうしてですか?単純に知りたいからですか?それとも自分が淘汰されるかも知れないという恐怖心からですか?」

この女性は初めから私に教える気など無いのでは……そう思える。

そして、女性の問いを考える。

単純に知りたいから……違う。出来ればそんなこと知りたくない。

淘汰される恐怖心……これも少し違う。

私は否定してほしい。

あなたが、本来死ぬ筈の人間では無かったと。

そう、女性の言う通り安堵したいのだ。

「本来死ぬ筈の人間と言っても……今は生きています。そして二人のうちどちらかが淘汰されるのです。それは、もう一人を犠牲にして生き残るということです。その意味は分かりますよね?そして、本来、人の死とは知るべきことではありません。たとえ本人であってもです。それは時だけが教えてくれるのです」

これだけ人の心をかき乱しておいて最後に言ったのは正論だった。

涙すら出なかった。

私はこの件はこれ以上、何を言っても無駄だと悟った。


最後にもう一つだけ質問をした。

「最後にもう一つ。淘汰される時間ってどれぐらいなのでしょうか?」

「淘汰される時間?それは残された時間ってことでしょうか?」

「……はい」

残された時間という響きが胸を締め付ける。

「それは人によってそれぞれですが……最長で半年ぐらいです。ですから春が来る頃ぐらいでしょうか」

「……そうですか……」

私に残された時間は長くて半年……

この女性は時だけが教えてくれると言った。そして、その答えを知っている時は、半年以内に来ると言う。

最後まで冷酷な人だ。


私は席を立ちあがった。

もうこれ以上ここには居たくない。

そんな思いで店を出ようと思った。

察してくれたのであろう、女性も同様に立ち上がり私を店内まで案内してくれた。

「これからの時間は有意義に使ってください」

淘汰されることを前提とした話し方に私は歯を食いしばり右手に力が入る。

私は首を横に振り、

「教えていただきありがとうございます」

女性を見て深くお礼をした。

もうこの女性に会うことは無いだろう。

女性は今まで見せたことない笑顔を私に見せてくれた。

えくぼがはっきりと分かる幼さが残った笑顔。

あれ?この笑顔どこかで……

私はこの女性のことを知っている気がする。

でも一体誰だろう?

それにこの女性の名前を聞いていないことに気付く。

「あ、あの……今更ですが、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

女性の動きが止まり笑顔も無くなった。

そして、左手で耳に掛かった髪をかき上げる。

女性は真剣な眼差しで私を見て名前を述べた。

「……私はマナと言います」

私は耳を疑った。

そして女性の左手首に視線を向けた。

傷などない綺麗な肌だった。

ただ何となく茉菜の面影がある。

他人の空似なのかも知れない。

たまたま名前が同じだけかも知れない。

たまたま笑顔が同じだけかも知れない。

たまたま同じ位置にほくろがあるだけかも知れない。

だけど、茉菜と同じ匂いがする気がする。

茉菜と同じ目をしている。

茉菜と同じ……

気にすれば気にするほど茉菜と同じように見える。

困惑している私に

「ご来店ありがとうございました。あなたに幸せが訪れますように」

深々とお辞儀をして女性は店の奥に入って行った。

店を出た私は深くため息をついた。

整理しきれないほどの頭が混乱している。

一人になり色々と考えれば考えるほど、ますます頭が混乱する。

私は振り返り店を見た。

既に店は無かった。

先ほどまでの事がすべて夢であったかのように感じた。

そして、私は一人家路につく。


 玄関を開けると茉菜が立っていた。

とても不機嫌そうな表情。

私はもとに戻ったのではないかと一瞬思ったがすぐにそれは無いと確信する。

茉菜が私を待っているはずなどない。

「お姉ちゃん!」

怒っている声。

「茉菜……」

「お姉ちゃん!ご飯は?」

茉菜にそう言われて気付く

「あ!」

手には学生鞄しか持っていない。

買い物袋をあのお店に忘れてきたみたいだった。

「もう!楽しみにしてたのに!」

頬を膨らませて怒る茉菜。

とても愛らしい怒り方。

「ご、ごめん……」

私が謝ると

「じゃあ、私が作るね。オムライスになるけど文句言ったら駄目だからね」

茉菜はすぐ笑顔になってそう言うとキッチンに走っていた。

「あ、私も手伝う」

走り去る茉菜に向けてそう言うと

茉菜は振り返り、

「本当?ありがとう。やった!お姉ちゃんと一緒に作るの久しぶり」

えくぼが可愛い茉菜の笑顔。

私はテレビを見ている兄、優斗の横に鞄を置きキッチンに向かう。

茉菜が私にエプロンを着せてくれた。

茉菜は鼻歌を歌いながら料理を作る。

私はその横顔を見て思った。

今だけは、そう今だけはこの幸せにただ身を任せていたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る