10.茉菜

 あらかた料理も作り終えて、叔母と綾さんと俺は三人で一息をついた。

綾さんは、結局なにも手伝っていないが……

叔母と綾さんが二人でなにやら楽し気に話している。

母と娘の関係ってこういうものなのだろうか。

友達同士で話しているように見える。

ピンポーン。

インターホンが鳴った。

叔母はカメラ付きのインターホンのボタンを押して

「はーい」

嬉しそうな声で応答する。

少女がリビングに現れる。

少女は黒くて長い髪を横で結び、年齢の割には幼く見える。

口元のほくろがとても少女を可愛らしく見せた。

少女の服装は、ニットプルオーバーと黒のクロップトパンツと黒一色で揃えられていた。

「おはようございます」

少し緊張した面持ちで少女は言った。

「茉菜ちゃんおはよう」

綾さんがそう言う。

「おはよう」俺もつられて言った。

「茉菜ちゃんお腹空いてない?」

叔母は優しい口調でそう言うと

「あ、大丈夫です」

茉菜と呼ばれた少女は笑顔で答えた。

その笑顔にはえくぼが出来ていた。

とても可愛らしい笑顔だった。

 

 茉菜は和室に向かった。

俺と叔母、綾さんはリビングで待つことにしている。

いつも、茉菜が明楽の前に行くと一時間から二時間ぐらいは出てこない。

一時間半ほどで茉菜は和室から出てきた。

「ありがとうございました」

深々とお礼をする。

とても礼儀正しくしっかりした少女だった。

「茉菜ちゃんお昼一緒に食べましょう」

にこにこと叔母が茉菜に言う。

「いいんですか?」

「いいのよ」

綾さんが楽しそうに言う。

そして、叔母、綾さん、茉菜が俺を見る。

同意を求めているのが分かった。

「よし、食べよう」

俺が言うと

「ありがとうございます」

茉菜は笑顔でそう答えた。

 

 昼食は四人で和気あいあいとした雰囲気だった。

突然、俺の電話が鳴った。

画面に『孝太郎』と表示されている。

俺は席を外しリビングの外の廊下で孝太郎の電話を出た。

「京、何してた?」

「今日は明楽の月命日だから、みんなで食事してた」

そう言うと、

「そっか、わかった」

「何か用事?」

「いや、特に用事はないけど、莉菜ちゃんに連絡したか?」

そんなことだろうと思った。

「一度だけ」

連絡先を知ったその日の夜に一度だけ彼女にメッセージを送った。

「一度だけってもっとこまめにしろよ」

孝太郎の声が明らかに呆れている。

「何度もするなんて、迷惑かも知れないだろう」

「相変わらず、莉菜ちゃん絡みになると駄目な奴だな」

電話の向こうで苦笑いをしている孝太郎が目に浮かぶ。

「まぁいい。とにかく連絡しておけよ」

孝太郎はそう言うと一方的に電話を切った。

なんだよあいつ……おせっかいなやつ。


「それで、お姉ちゃんの様子はどう?」

リビングで叔母が茉菜に何か聞いている。

「姉は相変わらずです」

茉菜の声のトーンが下がった気がした。

悪趣味だと思ったが、俺は聞き耳を立てながら会話を盗み聞きしてしまった。

「そう……」

「はい……」

なにやら暗い話になってる気がする。

「あの子にも本当に申し訳ないことをしたわ」

「そんな、そんなことないです」

茉菜は強い口調でそう言った。

「あの子にも茉菜ちゃんにも本当につらい思いをさせてしまって……」

叔母の声が涙ぐんでいるようだった。

「つらいだなんて、おばさんや綾さんのほうがよっぽどつらい思いをしています」

茉菜も涙ぐんでいる。

「茉菜ちゃん、茉菜ちゃん達は何も悪くないのよ、悪いのはあんなことをした明楽なんだから」

綾さんが励ますように茉菜の頭に手を乗せて言うと、茉菜は泣き出した。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

謝り続ける茉菜。

それを見て叔母が茉菜を抱きしめる。

俺はこれ以上は、ここに居ないほうが良いだろうと思い、和室に向かった。


仏壇の前で、

「あんな子まで泣かせるなんて、明楽、お前一体何したんだよ?」

写真の明楽に向かってそう語りかけた。

もちろん明楽は何も答えない。

すると、すぅっとふすまが開いた。

そちらに視線を向ける。

「あ、」

思わず声が出てしまった。

茉菜が立っていた。

「ごめんなさい」

「いや、明楽に?」

俺がそう聞くと

「はい」

茉菜は赤くなった目をしながらそう言った。

仏壇の前に座り、線香に火を付けて、鈴を鳴らす。

目を閉じて長い時間、手を合わせている。

目が開くと写真の明楽を見つめたままで

「私、明楽君のことが好きだったんです」

いきなりそう切り出した。

俺はどうしたら良いのかわからず黙って聞くことにした。

「明楽君の声、無邪気な笑顔、すべて大好きだったんです」

茉菜は続ける。

「でも、明楽君には好きな人が居て、私なんかが到底敵う相手では無かったんです」

「いつも、明るく、笑顔で誰にでも優しく、気遣いも出来る。おまけに美人」

「明楽君が好きになるのもわかります」

「私だってその人のこと大好きだから」

「でも、私はその人に嫉妬しちゃって……その人のことも傷つけて……」

そこまで話すと嗚咽を漏らす。

「大丈夫?」

俺は茉菜の背中を摩った。

「ありがとうございます」

「こんな話、聞きたくないですよね?」

茉菜は涙目で俺に尋ねる。

「いや、実は明楽のことあまり知らないんだ、従弟なのに薄情だろう」

俺は少しでも元気づけようと優しい口調で言うと

「そんなことないです!さっきも明楽君とお話されていましたし」

それは少し違う。

俺は茉菜みたいな子を泣かすなんてどういうつもりだって説教をしていたつもりだった。

「私、一年前、明楽君に告白しようと思ったんです。だけど……先を越されました。明楽君がその人に告白したんです」

しばらく沈黙が続く

「結果はどうだったの?」

しびれを切らして、いや、この沈黙が少し苦しかったから聞いてしまった。

「明楽君の惨敗でした」

「あら」つい声に出てしまった。

「その人、私が明楽君のことが好きだって知っていたから……」

「だから、明楽の告白を断ったってこと?」

「はい……その人は優しいです。とても。私のことをいつも大事にしてくれて……」

「素敵な友達だね」

俺がやさしく言う。

「……」

答えは返ってこなかったが、話を続ける茉菜。

「明楽君どうしてもあきらめきれずに……何度も何度も言い寄ったみたいです」

「そして、私が居る目の前で、明楽君は言ったんです。『君と付き合えないなら、ここから飛び降りる』って」

……飛び降りるって!

びっくりした。明楽はそんなに思い詰めていたのか……

「その人はとても困っていました。『そんなこと言わないで。私はどうしても君と付き合うことは出来ないの……お願い分かって』って泣きながらそう言っていました」

「そして、明楽君は……本当に中学校の屋上から飛び降りました……」

言葉が出ない。

明楽の死の真相を知ってしまった。

「私はその人のことを憎みました。どうして、付き合ってあげなかったんだろう」

「その人が明楽君を殺したんだと……」

「今でもそう思っている自分が居ます……」

茉菜の声が消えそうになる。

俺はこの子になんて声を掛けてあげればよいのか考えた。


励ましの言葉を直接的に分かる日本語より少し考える英語のほうが適しているのではないかと思った。

「Never mind. It's not your fault.」

俺は茉菜にそう告げた。

「え?」

茉菜は涙を流しながら俺を見る。

「どういう意味ですか?」

「君は何も悪くないよって言ったんだよ」

「そして、そのお友達も悪くないよ」

俺を見つめる茉菜。

すこし間をおいてから

「俺は悔しいというか悲しい。そして……腹立たしいとも思う」

俺は思っていることを言う。

「わかっています。だから私たちは皆さんに恨まれても仕方ないです」

「違うよ」

俺は優しく言う。

「俺が悔しいとか悲しいとか腹立たしいって言ったのは自分自身のことで、決して君たちのことじゃないんだよ」

茉菜の涙はまだ止まらない。

「どうしてですか?京さんは何もしていないじゃないですか?」

「何もしてないんじゃない。何も知らなかっただよ」

「それなら……」

茉菜は少し混乱しているようだ。

「明楽がそんな状態なのに何も知らず、相談も受けることなく……従弟なのに……」

「……」

茉菜は無言で俺を見つめながら聞いていた。その涙は依然として止まらないが。

「もし、明楽が相談してくれていたら……俺がそんな状態の明楽に気付いていたら、こんな結果になってなかったかもしれない」

「俺は明楽の相談に乗るほどの人物ではなかった。それが悲しいし悔しい。そしてそんな自分が腹立たしいだ」

俺はそう言いながら、本当に駄目な奴なんだなって実感してしまった。

「そ、そんな」

茉菜の表情がさらに悪くなる。

沈黙の間が流れる。聞こえてくるのは茉菜の嗚咽のみ。

そして茉菜は静かに口を開く。

「でも、でも、私は私が許せないんです。私が居なければ、明楽君は付き合えて、死ななくても済んだかもしれない……そんなことをずっと考えているんです」

「その人もきっと同じ思いをしているのは知っているのに、どうしても許せなくて……大好きなのに……」

思わず茉菜を抱きしめたくなる。

そんなことを思っていると、襖が開き綾さんが茉菜を後ろからそっと抱きしめる。

「いいの、いいのよ、茉菜ちゃん、自分を責めないで」

とてもやさしい口調だった。

茉菜は綾さんに抱かれながらしばらく泣き続け、泣き疲れたのか明楽の前で眠ってしまった。

俺は茉菜の見てはいけないものを見てしまった。

きっとあれはそういうことなんだろうと思った。

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