05.異変再び

 店の外はすでに夜になっていた。

それほど時間が経っていないと思っていたが一時間ほど店にいたことになる。

町の街灯が綺麗に灯っている。

秋も深まるとだんだん夜が早くなる。

海からの潮風が少し肌寒い。

私は家路を急いだ。

家に近づくにつれて、静けさが増していく。家は高台の閑静な住宅街にあるために、明らかに体感温度が下がるのが分かる。

石段を登りきると、遠くに灯台の光が見える。海を航行する船の道しるべ。

私にも道を示してほしい。とふと思った。


家の前まで来て、車がないことを確認した。

母はまだ帰っていないようだ。

上を見上げ、茉菜の部屋を見る。

明かりがついていない。

しかし、リビングには明かりがついていた。

私は家に入るのを躊躇う。

このままだと、茉菜に鉢合わせてしまう。

少し家の前で、一人夜空を見上げた。

うっすらと星が見える。月が随分、低い位置にあった。時間にして十分ぐらい家の前でいたが、ここに居ても仕方ない。

私は意を決して、鞄から鍵を出し、鍵を開けようと回した。


あれ?鍵が開いている……

私の家は父親を幼き頃に事故で亡くしていたために母、妹、私の女性三人家族である。

その為か、誰かが家に居ても必ず鍵を掛けることが習慣になっている。

不思議に思い扉を開けた。

家に入って一番最初に目にしたもの……違う!

何かがおかしい……

玄関に男性用の靴が置いてあった。

茉菜や母の客人と一瞬考えたが、母は帰宅していないし、茉菜の靴もなかった。

私は何かないかと玄関を見渡し、置いてある傘を握りしめ、ゆっくりと家の中に足を踏み入れる。

リビングを扉越しにのぞき込む……夕方のニュースがテレビに映し出されているが、誰もいる気配がない……

リビングの扉をゆっくりと開けた。

そっと中に足を踏む入れる。

やはり誰もいない。

肩の力が抜ける。私は安堵した。

母が電気とテレビを消し忘れて仕事に出かけたのだろう。

そう思いながら、テレビを消そうとリモコンを探す。

その時、トイレの流れる音が聞こえた。

ビクっと私の体が一瞬硬直する。

トイレの扉が開くのが見ていなくても体中に感じ取れた。

人の気配がする。

振り向けない。

嫌な汗が流れる。

鼓動が段々早くなる。

ゆっくりとリビングに近づいてくる気配。

私は勇気を振り絞り振り向いた。


そこには、見知らぬ男性がスマートフォンを操作しながらリビングに入ってくる。

いや、どこかで見たような感じがするが思い出せなかった。

傘を前に構えて後ずさりながら、その男性をじっと見据えて叫んだ。

「誰?あなたは一体誰ですか?」

「家で何してるんですか?」

「出て行ってください!」

自分でも少し驚いている。こんなにはっきりと言葉を発するのは久しぶりのような気がする。

……そんなことよりも……この状況はかなりまずい気がする。

見知らぬ男性が家に上がり込んでいる。

そして家にはこの男性と二人きりの状態……

更に後ずさりながら考えていた。

帰って来たのが私でよかった。

茉菜ではなく私で……

「うわ、びっくりした」

男性は驚いた表情でそう言った。

スマートフォンに夢中で私に気付かなかったみたいだった。

「莉菜、帰ってのか。え?どうして傘なんか持ってるの?」

男性が不思議そうに問いかける。

私は構えた傘をぎゅっと握りしめた。

「あなたこそ何してるんですか?どうして私の名前を知っているのですか?それにあなたは誰ですか?家に何か用でもあるのですか?」

男性は私の言った意味を理解していないようだった。

「え?何?どうしたの?」

どうも話が噛み合わない。

「お前、もしかして、頭でも打ったのか?」

私は正常だし頭も打っていない。

「記憶障害?」男性は考えるような表情でそう言った。

記憶障害?

記憶喪失ってこと?

そんなことは絶対にない。

心の中で強く否定した。

「莉菜、優斗だよ!お前の兄貴の」

優斗……優斗?

どこかで聞いたことがある名前?

でも思い出せない。

「とにかく、その傘をどうにかしてくれないか?」

優斗は少し呆れ気味にそう言うと続けて

「もしかして、俺がわからないのか?」

私は黙って小さくうなづいた。

優斗と呼ばれた男性はため息をつき、

「えーと、俺は優斗でお前の兄貴、俺たちは兄妹……ここまでいい?」

優斗は諭すように説明を始めるが、

私はすかさず反論する。

「私には兄なんていません。私の姉妹は妹だけです」

優斗は深いため息をつき、

「妹って茉菜で合ってるよな?」

茉菜のことを聞いてきた。

冷静さを装いながらもかなり動揺している。

そして、優斗が茉菜のことを知っている理由を考えた。


今、優斗はこの家にいる。何か目的があるのは明白だが、それは私にはさっぱりわからなかった。

目的があるのだから、家族構成ぐらいは調べればすぐわかるだろう。

それなら、茉菜や私の名前を知っているのもうなづける。

優斗をじっと見つめながら

「結局、あなたは何が目的なんですか?わざわざ私たちの兄だと名乗ってまで」

そう言いながら、この場所から抜け出せるチャンスをうかがっている。

リビングの中に入ってしまった以上、リビングから抜け出すには扉しかないのだが、扉の前に優斗が立っているために抜け出すことが出来ない。

「お前、本当に病院に行ったほうがいいじゃないか?」

優斗の私を見る目が憐みのようだった。

そして、優斗はリビングのソファーに腰かけた。

優斗から目を離さずに少しづつリビングの扉に近づいて行く。

「お姉ちゃん、傘なんて持って何してるの?」

突然、声が聞こえた。

リビングの外で、制服姿の茉菜が立っていた。

優斗とやりとりしている間に、茉菜が帰宅したみたいだった。

「茉菜、こっちに来ちゃダメ」

少し強い口調で言った。

この時、ある違和感を感じた。

茉菜は驚いた表情を浮かべながら困惑している。

優斗が立ち上がる。

まっすぐに茉菜のほうに向かっていくのが見えた。

私は慌てて茉菜のもとに駆け寄ろうとした。

「あ、お兄ちゃん。お兄ちゃんも帰ってたんだ」

茉菜の特有のえくぼの笑顔が優斗に向けられた。

「え?」

私は動きを止めた。

「莉菜、少し休んだほうがいいぞ」

優斗が呆れた表情で言った。

茉菜は不思議そうに優斗と私を交互に見ながら「お姉ちゃん、私もそう思うよ。すごく顔色悪いから」心配そうに言う。

私は茉菜と優斗を見た。

「どういうこと?」

優斗は再び、ソファーに腰かけて

「茉菜、莉菜に説明して、俺が兄貴だってこと」

優斗は茉菜にそう言った。

茉菜はキョトンしている。

「え?どういう意味?」

再び茉菜は私と優斗を交互に見ながらそう言う。


茉菜の話によると、優斗は、大学生で私の五歳年上の兄であること。

紛れもなくそれは事実であると。

私は思考回路がオーバーヒートを起こしかねないほど考えたが……

やっぱり理解出来ない。

突然、兄が居ると言われてもなかなか納得出来るものではない。

私は茉菜に視線を向けた。

茉菜は鞄を放り出し、優斗の隣に座り、楽し気に話している。

その時、ある重大なことに気付いた。

茉菜の態度だ。

私とこんなに普通に話している。

これは、あり得ない。

ふと、少し前、夢で見た朝の出来事が脳裏によぎる。

あの夢と同じだ。

優斗という兄も夢の中では確かにいた。

そして、決定的な違和感。

なぜ、茉菜はその制服を着ているのかってことだ。

考えても何も答えが出るわけがない。

「茉菜」

私は思い切って聞くことにした。

「なに?」

優斗とテレビの取り合いをしている茉菜が私を見て返事をした。

「どうして、その制服着ているの?」

茉菜は首を傾げる。

「どうしてって、今、学校から帰ってきたからじゃん。それにお姉ちゃんも制服じゃん」

言葉が出ない。

処理能力の無さが悔やまれる。

これ以上何も考えられない。

なんか目眩がしてきた。

そんな私を見て、

「少し、横になったほうがいい」

優斗と茉菜は私にそう言った。


私は二人に促されるかのように、二階の部屋に戻った。

手には傘を持ったままで。

自分の部屋を一通り見渡す。

いつもの自分の部屋だった。

ベッドに吸い込まれるように倒れこんだ。

何がどうなっているのか、皆目かいもく見当もつかない。

そもそも何から考えればいいのかさえも分からなくなっていた。

兄と名乗る謎の男性。

親し気に話しかけてくれる妹の茉菜……

東維の制服を着ている妹の茉菜……

何もかもがあの夢と同じだった。

夢の中に迷い込んだのかと思ってしまった。

ゆっくりと目を閉じた。

なにもわからないまま、いつの間にか深い眠りについていた。

どれぐらい寝たんだろう?

朝の光でゆっくりと覚醒して行く。

目覚めてから、部屋を見渡した。

いつもと同じ部屋だった。

一つを除いては……

それは机の上にあった。

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